第29話 アルド将軍は動じない
『執務室』と彫られた簡素な木製プレートは、現体制となり五十余年過ぎても変わることがなく、ムルドゥバを統べる歴代将軍が政務を行ってきた執務室の扉で、これまで様々な来客を迎えてきた。
扉はクラン材という高級材木で、魔力を軽減させる力もある。しかし、扉自体は派手な装飾など施されてはおらず、茶色に塗られただけの質素な造りであった。
「将軍はいるかね?」
「いらっしゃいます。お待ちください」
執務室前のデスクにいた案内人の男は、にこやかな笑みで立ち上がって、ノックして扉を開いた。
大臣の一人フレア内相は扉の前に立つと、いつも強い緊張感に襲われる。アルド将軍はどんな糾弾にも屈せず、妥協を許さない強靭な精神と威圧感はまさしく“将軍”にふさわしいと尊敬しているが、同時に畏れてもいた。
現在ムルドゥバは、魔王軍からの勝利の余韻に浸り、大会で沸き立つように盛り上がっている
フレアが将軍にもたらす情報は、高揚しているムルドゥバに冷や水を浴びせる類いのものだった。
それが手にした鞄に詰まっている。
機密情報であるから、国民に知られることはないが、フレアが畏怖する将軍には知らせなければならない。気が重い役目だったが、それが気難しい将軍から最も信任の厚い彼の仕事だった。
“入りたまえ”とアルド将軍の低い声がし、「どうぞ」と案内人が言うと、フレアはネクタイを締め直すような仕草をして書斎に入った。
※ ※ ※
「……気に入らんな」
数十分後、フレアの報告が終わると、アルドは報告書をデスクに放り捨て、開口一番に発した言葉は不機嫌な呟きだった。報告書を読み終えるとアルドは窓の外を向いたまま椅子に背中をあずけている。
近くの窓際には鞘に納められた聖剣エクスカリバーが無造作に壁に立て掛けられ、柄にはめこまれたエメラルドの宝石が窓からの陽光をキラキラと反射させている。
相変わらず雑な扱いをすると、フレアがエクスカリバーをちらちら見ていると、精悍な巨体を揺らして、ギシリと椅子が音を立てたので、音に反応してフレアは思わず背筋を伸ばした。。
「たかが魔王軍のテロリストごときに、私が何故恐れなければならん」
「……ですから、大会後のの授賞式だけでも、出席を控えていただければ、と」
「たとえ私自身が闘ったとしても、奴らなど屁でもないわ」
アルドは今年四十五歳。
優れた政治家としてより、猛将として知られている。静かだが、言葉一つ一つの重みが綿で締めるように圧してくる。数年前に妻子を失っても、アルドは一向に動じた様子もなく堂々と軍を指揮した姿は将兵の心を打ち、負け知らずの英雄への支持がますます高まっている。
政府高官の中でNO2の位置にあるはずのフレアも、アルドが発する威圧感の前には赤子同然で、話している間にフレアの背中は汗でびっしょりとなっていた。
「我がムルドゥバの栄光と威厳は守られなければならんものだ。また、今開催されている大会は、ムルドゥバの繁栄と未来に関わるもの。将軍たる自分が不在など国の恥である」
断言するような言葉を聞きフレアは観念した。将軍の意志は揺らがない。
「君はどちらが勝つと思うね?」
不意にアルドが言った。
「……は?」
「テトラという女剣士と、カルダというおもしろい男だよ。あそこまで、善玉悪玉がわかりやすくわかれている実力者たちもそれほどないだろう」
「私はカルダですかね。フィジカルという意味ではなく、凶暴的なパワーは圧倒してます」
「そうかね。私はテトラだな。彼女にはしなやかで美しさがある。言ってみれば、カルダが格闘技の本質なら、テトラは洗練された格闘技かな」
「はあ……」
元々が剣で鳴らし大会でも数度の優勝を果たした男、ムルドゥバに古来より伝わる聖剣エクスカリバーの使い手なだけに、アルドにもその道には一家言ある。その口調はいつもより滑らかだった。
そのあと、少しばかりの大会談義をしたのち、退出してきたフレアは、気持ちが将軍への身辺警護に戻り声もなく天を仰いだ。
――“将軍の暗殺指令の存在と先の魔王軍との戦闘は、テロリストを送り込むための陽動作戦”。
国家機密に関わる諜報部と、国家保安部隊から連名でその報告がもたらされたのはつい数時間前だった。
先の戦闘で捕虜にした魔王軍の幹部クラスの男に、拷問をかけて尋問をしたところ、男は死に際にその重大な情報をもらした。だが、わずかな情報なだけで、具体的には何も判明していない。
ただ、わかっていることは、先ほどのやりとりで示したように将軍は大会を楽しみにしている。
将軍が出席する上に、選手と間近に接することになる明日の大会が危険だということだ。アルドはものものしい身辺警護を嫌う。それは神経が細くなるような仕事だった。
――今夜は……。
我ら大臣以下誰も眠れないだろうなと、フレアは陰鬱なため息をついて、将軍の住む宮廷を後にした。
※ ※ ※
「リュウヤよ、少しは頭を冷やしたか」
「悪かったよ。だからいい加減、降りてくれないか?」
「駄目じゃ。宿まで宿まで。ほら行けそれ行け、リュウヤ!」
「……へいへい」
予選は全て終了し、リュウヤたち一向は会場後にして帰路に着いていた。
明日というは各ブロックから勝ち上がった八名の選手たちが
リュウヤはクリューネをおんぶして街を歩いている。危うく会場でカルダと喧嘩になりかけてクリューネが仲裁をしたことで、その罰として、クリューネはリュウヤにおんぶして帰れと命じていたのだった。
陽は沈みかけ、夕陽が建物の長い影をつくって街を覆っている。街灯がまだついていないせいで、街は薄暗く、憂鬱な雰囲気を醸し出している。
そんな町中で、リュウヤが女の子を背負って歩く。
軽い身体なのでクリューネを背負うのは苦でもないのだが、周りの好奇な視線がリュウヤには痛く、容易に顔を上げることが出来なかった。
「私が止めず、お前があのままカルダと争っていたら、どうなったと思うや?」
「……俺がボコボコにして、みんなの溜飲を下げる。なんだアイツはスゲー、さすがリュウヤ・ラングて流れになる」
アホかと言って、クリューネがポカリとリュウヤの頭を小突いた。
「ムルドゥバだと、お前は捕まって半年から一年は強制労働。選手のテトラは失格、領内追放。国が主催しとるから処分も厳しいんじゃぞ。レジスタンスだって、自分を抑えられん奴なんぞ仲間に入れんわ。なにが〝スゲー〟じゃ、バカたれ」
「……」
「会った当初の、殺気を剥き出しの頃よりは多少マシになったかと思ったがの。とんだ眼鏡違いじゃ」
うっせえなと口答えするが、クリューネに理があると思っているので、語気も弱くなる。
「のう、テトラも何か言ってやれ」
振り向くと、テトラはジクードの隣を
「どうした?疲れたかの」
「疲れはないけど、カルダて人、やっぱり強いなあて思って……」
テトラは予選を全て一本勝ちで勝利している。だが、カルダもほとんど同じ一本勝ちだが、対戦相手は病院直行か医務室に運ばれている。カルダが獰猛で危険な相手であるのは明白だった。
「大丈夫ですよ。テトラ様ならあんなやつ。倒せますって」
ジクードが拳を振って励ました。
「明日、僕がテトラ様のために盛大な祝勝会の準備しますから。楽しみにしててくださいよ!」
「そうじゃ、テトラ。臆するな。恐怖に呑まれたら駄目じゃ。心を平静にと、この短気なバカリュウヤも言っとろうが」
「でも、リュウヤ君が相手のが強いて前に……」
「今日見て考え変わった。カルダて最初の勢いで圧倒してペースに呑み込むタイプだ。そこを凌いでペースを崩す。鮮やかな一本目立っているけど、テトラの良さは受けの粘り強さなんだから、自信持っていいぞ」
「……」
テトラの足が止まった。それに気がつき一同が、テトラの視線の先を見る。その横数十メートル先に、カルダが群衆に紛れて歩いていた。数人の柄の悪い男たちが取り囲むように付き従っている。
カルダはテトラの視線に気がつくと、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべて群衆のなかに消えていった。
「……勝ちましょうよ」
「うん」
ジクードの言葉に、テトラは小さくも強く頷いた。
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