第27話 テトラ一閃
“……ではこれより、諸君の健闘を祈る”
ムルドゥバを統治するアルド将軍の堂々とした挨拶が終わった後のことだ。
続いて「試合中は魔法使用禁止」だのルール説明のアナウンスが流れた後、アナウンサー役の派手な赤のスーツとサングラス姿の男が現れた。そして先述の台詞をマイクに叫ぶと、場内に音楽隊の勇壮な演奏が鳴り響いて、客席からは盛大な歓声と拍手が沸き起こった。
「……この世界でも、マイクやスピーカーが出来たのか」
入場ゲートの通路から会場の様子を眺めながら、リュウヤは呟いた。
ヴァルタスから託された記憶や知識の中にはマイクやスピーカーの存在は無かった。魔空艦のようなSFチックな乗り物が存在しているのだから、マイクやスピーカーが存在しても不思議ではないように思うのだが、魔空艦の存在もヴァルタスは把握していなかった。
ということは、これらの技術はたった数年で完成し普及したことになる。
再び、リュウヤの脳裏に疑念が過った。
博学なヴァルタスも把握できていないくらいに、この世界での技術が、急速に発達しているのではないかということだった。
長距離移動といえば数年前までは馬車かワイバーンやキメラ等の飛獣がせいぜいというところだったのに、クリューネがもたらした“
さらにその技術の一部が、ムルドゥバに流れているとリュウヤは聞いているが目の前のスピーカーなどを目にすると、その噂は確かなのだろうと思われた。
「なあに考えているの?」
気がつくと、開会式を終えたテトラが立っている。 頭部以外、選手用の防具を既に着用している。テトラの背後をぞろぞろと出場選手が引き上げていく。
ほとんどの選手はウォーミングアップに使えるフロアがあるので、そちらに向かうが、テトラのように試合順が第六試合目だとか、順番が早い者はゲート付近のフロアでウォーミングアップを行う。
「いや、盛り上がってんなあ、て」
「嘘ばっかり。どうせ、エッチなことでしょ」
濃密な夜を思い出したのか、瞳に艶のある光を帯びてテトラが身体を寄せてくる。しかしリュウヤは付き合う気になれず、準備始めるぞと突き放すように言った。
「そういや、クリューネとジクードは観客席か?」
長物を担ぎながらストレッチを始めているテトラに訊ねた。
一階の選手用通路からは関係者以外入れない。セコンドも一名のみが、選手の傍にいることを認められている。
「二階の観客席にいるの見掛けたよ」
「あの二人、何かあったのか?」
「なんで?」
「あの二人、つうかクリューネの方なんだけど、何となくジクードに対して妙によそよそしくないか?ジクードにも聞いたけど、気がつかなかったみたいだから、俺の気のせいかもと思うんだけど」
「わかんないなあ。私もジクードから何も聞いてないし。姫ちゃんもいつも通りと思うけど」
「そうか、俺の考えすぎかな」
リュウヤはジクードと話していた時のクリューネの表情を思い出している。
クリューネが何かを迷っているという表情をしていて、しかし、それが何かの答えが見つかっていないという印象だった。
本人にわからないのに他の連中があれこれ考えていても仕方ないと思い、リュウヤは試合に頭を切り替えた。
リュウヤも竹刀をとり、テトラに相手を想定した打ち込みを繰り返しさせていると、通路の隅から嘲るような含み笑いがする。声がした方を見ると、難しい顔をした老人と貧相な眼鏡の男がいて、眼鏡男がこちらを笑っている。
「何か用か」
リュウヤがテトラの手を休めさせると、眼鏡男が失礼と言って近づいてきて、テトラに恭しく頭を下げた。
「あなた、第六試合に出られるテトラ選手さんですよね」
「……そうですけど」
「これから伝説の始まりになるというのに、その緒戦の相手が女性というのが憐れというか、おかしみというものを感じまして、つい失笑してしまいました」
「……」
「私、カン・タンナと申しまして、伝記を中心にした作家をしております。今はある一人の英雄について、その軌跡を追って、偉大な業績や残された言葉を記す仕事をしています」
「はあ」
「あなたたちはもちろん、こちらにいらっしゃる英雄オロロンガ先生をご存じですよね?」
聞いたことないとテトラは首をひねった。
「知ってる?リュウヤ君」
「知らね」
名前を聞いても何の反応も見せないリュウヤとテトラに、カンは相手の無知さを驚きを隠せない様子で、眼鏡の奥から小さな目を見張った。
オロロンガという老人も、知らないと言われたのが不愉快らしく、口をへの字口に曲げてむっつりと黙り込んでいる。いかにも偏屈な老人、と印象だった。
「知らない?知らないと。あの“盗賊五人斬り”をした“白雲”オロロンガ先生を知らないと?」
「……ええ」
「“タムスカ橋の決闘”やあの“鬼人グインムルバ”を倒したオロロンガ先生を知らないと?」
「……」
「いやいやいや、これはこれは、参りましたね。ハハハ……」
カンは乾いた笑い声をあげながら、オロロンガに振り向いた。オロロンガは表情を変えることなく、佇んでいる。
「いやはや、若者というものはこれだから恐ろしいですね、先生」
「……無知であるが故に、若者は相手が獅子であろうと立ち向かっていける。それが無知なる者の強さで恐ろしさだ。しかし、獅子には必ず破れる。そして謙虚となり学び、成長していくのだ。ああ、君。これを書いてくれたまえよ」
「はいはい。“若者は獅子に破れることで、学び成長する。ムルドゥバにて”……と」
カンはメモ帳を取りだし、オロロンガの言葉を記載し始めた。どうやら、カンのいう英雄とはオロロンガを指し、彼の仕事とはオロロンガの伝記をつくることらしい。
「もう、いいかい?」
リュウヤはいくらか苛立ちを感じて言った。これ以上、与太話に付き合う暇はない。
「ああ、もちろんもちろん。テトラさん、先生の強さを知り、自らの成長の糧として下さいよ」
「私は普段、女など相手にはしないのだが、せっかくの機会だ。胸を貸してやろう」
「あ、はあ。ありがとうございます」
テトラが律儀に頭を下げると、オロロンガは身を翻して、試合場の出入り口に向かった。
「ではカン君。先に次の対戦相手を見に行こうか。“敵に勝つには敵を知ることにある。知ればあとは我が心に打ち勝つのみ”。……これも、きちんと書いてくれたまえよ」
ハイハイと背を丸めてメモ帳に記すカンの後ろ姿は、揉み手で御機嫌伺いに精を出している商人のようで、みっともないとしか思えなかった。
「世の中変わった人たちが多いんだね」
「気にするな。試合まで時間が無いぞ」
リュウヤはテトラを促して剣を構えさせた。ただ一刀を鋭く何度も何度も打ち込ませる。
オロロンガやカンから言われたことは、とっくに頭から離れていた。
※ ※ ※
「お、あやつら出てきよったぞ」
クリューネが言うと、見つめる先の選手入場口から、リュウヤとテトラが現れたところだった。
「テトラ様!頑張れえ!」
ジクードが立ち上がって「フレー!フレー!テトラ!」と叫んだのだが、その声は裏声になって掠れてしまい、周りの観客からは失笑が漏れる。
ジクードは顔を真っ赤にして、身体を縮こまって席に座った。
「ホントにドジだの、お主は」
「……すみません」
肩を落として落ち込むジクードは、気弱でおっちょこちょいにだけの、無邪気な若者にしか見えない。やはり二日酔いの濁った目で見た思い過ごしに過ぎなかったのかと、自分の勘に自信が持てなくなっていた。
――まあ、いい。あれこれ考えるより、テトラの応援が先じゃな。
クリューネは思い直して、二日酔いはアカンなと少し後悔していた。その隣で、ジクードが「オロロンガだ」と驚嘆したような声をあげた。見ると、六十くらいの白髪の老人が、貧相な眼鏡男を連れてテトラと同じコートに向かっていく。
「知っとるのかお主」
「“白雲オロロンガ”て、剣士の中ではかなり有名ですよ。……この大会に出ていたんだ」
リュウヤから聞いたことだが、ジクードは兵隊に憧れていたというだけに剣の方面には詳しいらしい。そういえば、開会式でも他の選手を指して、だれそれだなにがしだと興奮していたとクリューネは思い出している。
興奮しきったジクードの様子に、改めて思い過ごしだったとクリューネは痛感した。
意識を試合場に戻すと、テトラとオロロンガが四角に赤色の線が描かれたコートの両端に、向き合う形で上がったところだった。テトラのコート外でリュウヤが腰に手を当てて見守っている。
――華々しい初陣が女か。
オロロンガは複雑な思いで、コート端に正対するテトラを見つめていた。
これが筋骨隆々でいかにもヴァルキリーといった女剣士ならオロロンガの考えも違っていただろうが、向かいにいるのは、長身だがいかにも清涼感のある美人の若い女性である。
いれば自分の娘くらいになるテトラに、俺なら剣など野暮なものなどやらせないのに、などと余計なことを考えてしまうのだった。
――紳士的に、速やかに鮮やかに一本をとって終わらしてやろう。
方針を決めたところで、審判から構えの指示を告げられオロロンガは悠然と竹刀を正眼に構えた。テトラもおなじく正眼に構える。
「先生、お願いします!」
見ておれ、カンよ。これから始まる私の伝説を、しっかりと目に焼き付けるが良い。
「始め!」
審判が開始の合図を発したのと同時だった。テトラから放たれた尋常でない気迫がオロロンガの身体を圧したかと思うと、火山の噴煙のようにテトラの身体が五倍にも六倍にも膨れ上がった。
厚い壁が迫ってくるような、巨大な岩が落ちてくるような感覚だった。
テトラは稲妻のような速さで殺到し、テトラは上段に大きく構え、鋭く剣を振り下ろした。しかし、オロロンガは呆気にとられたまま立ちすくんだままだった。
「あっ」
金縛りにあったかのようにオロロンガは身動きができず、間の抜けた声しか出せなかった。
次の瞬間、テトラの長物の竹刀はオロロンガの脳天を捉え、バスンと強烈で乾いた音が鳴り響いた。
「……」
オロロンガは一言も発せぬまま、軟らかなマットの上に昏倒した。思わぬ衝撃によって、客席が一瞬にしてシンと静まり返った。
審判が慌てて割って入り、オロロンガ抱えながら、残る手で激しく旗を振って、レフェリーストップを告げる合図をしたところで、場内にはどよめきや歓声、名状しがたいため息が満ちた。
「リュウヤがあんなんだから、なかなか気づかんが、やっぱりテトラは強いんだの」
「……強いなんてもんじゃないですよ。あんな凄い人だったんだ」
ジクードは感動やら驚嘆やら様々な感情が入り交じった様子でしきりに首を振っている。
「お疲れ。紫電一閃、お見事」
リュウヤが感に堪えないといった様子でテトラを迎えた。
「どういう意味?」
「良い一撃だったてことさ」
「ありがとね」
コートから出ると、テトラは「勝っちゃったんだな」と肩をすくめて笑った。汗は額に滲んでいるもののアップ時のもので疲労も無さそうだった。
「どうだった、相手?」
「うんとね」とテトラはちょっと考える仕草をした。
「思ったより隙だらけで、それほど大したことなかったかな」
「そうか。次もこの調子でいこうな」
リュウヤが言うと、テトラはウン、と弾けるような笑みを浮かべた。
コートを去るテトラの後ろを、リュウヤが見送るようについて歩いた。
やがて後方から騒がしい声がして、リュウヤはふと声の
医療スタッフに紛れて、カンの姿が見える。
介抱しているのかと思いきや、昏倒して泡を吹いたままでいるオロロンガへ、いままで書き記したらしい原稿用紙を丸めて投げつけ、激しく罵倒するカンの姿があった。
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