第26話 疑念、ふたつ

 ハンチング帽を目深に被り、クリューネは呻きながら喫茶“ラ・キファ”の窓から外を眺めていた。昨晩の予想した通り、二日酔いがとてつもなく酷い。

 一応はジクードと外へと出てきたはものの、“ラ・キファ”までが限界でそこから動けそうもなかった。

 おまけに今日は雨。

 朝方から暗い雲が空を覆い、霧のような冷たい雨がムルドゥバの町を濡らしていた。

 いつもの賑やかなムルドゥバ市民も雨の冷たさに閉口してか、今日は一休みといったところで人数も少なく、町には静かな刻が流れていた。


 ――珍しいの。


 クリューネはただぼんやりと街並みを眺めているわけではなかった。

 眩しそうに目を細める視界には、ジクードの姿が映っている。

 珍しいとは、あのいくじなしのジクードが、いつものおどおどした顔つきではなく、まるで表情を崩さずに相手と会話を交わしていることだった。

 クリューネが見ているのに気がついた様子もなく、向かいの雑貨屋の軒下でジクードは誰かと会話している。いつになく真剣な表情で、時おり周囲に鋭く刺すような目を配る。聞かれたくない密談を交わしているようで、まるで別人のように見えた。

 やがて、ジクードが頷くと後は振り向きもせずにお互い立ち去った。身を屈めて潜むように。

 もう一人は長身で金髪の若い男だった。痩せ型だが、衣服越しでも引き締まった身体を持っているとわかる男で、足の配りから相当の剣客に思えた。

 少ししたあと、“ラ・キファ”に駆けてくるジクードの姿が見え、店の扉が開いてカランと鈴の音が鳴った。


「すみません。聞き込みに色々と手間取ってしまいまして」


 いつものように頼りない笑みを浮かべながら、ジクードが席に戻ってきた。心なしか笑みがひきつっているように見える


「……今の誰じゃな」

「はい?」

「金髪の男と熱心に話しておったろ。珍しいな、お前があのような顔で話をしよるとは」

「そ、そうですかね」


 ジクードはうろたえたように、目を泳がせ始めた。言葉にも詰まりその表情には動揺があった。

 

「あ、あの人はですね。レジスタンスを影ながら応援している、ということで話を聞いていたんですよ」

「……」

「あの人もクリューネさんと同じように、レジスタンスの人が潜伏しているんじゃないか、戦力になれそうな人を探しているらしいが、その時は是非とも協力したいというお話を伺いまして」

「ふうん。それなら話を聞きたかったの。一人でも多い方が心強いではないか」

「あ、そうですね。なら今から……」


 慌てて立ち上がるジクードを「もういい」と制して、クリューネは気だるげに腕を組んだ。 

 レジスタンスに参加を希望している人間は確かにいる。影ながら応援しているという人間もいる。

 ジクードの話に一応の納得はできる。だが、引っ掛かるのは周囲を窺った時の、ジクードの印象を一変させるようなあの鋭い眼差しだった。

 どこかで見覚えがある。

 だが、二日酔いのクリューネにはそれ以上考えると、鈍痛で思考がなかなか進まない。外の冷たさで身体が寒い。下手したら風邪をひくかもと、昨晩起こした自分の軽率さを呪って舌打ちをした。


 ――リュウヤたちも、こんな雨でよくやるの。


 朝方、いつものようにテトラが呼びに来て、リュウヤは少し緊張した面持ちで部屋を出ていった。

 出ていく際に、クリューネが昨日はスマンかったと伝えてくれともう一度頼むと、リュウヤが何かの痛みに耐えるかように、顔をくしゃくしゃに歪ませていたのを覚えている。

 そんなリュウヤが突然、「君はいつもよくやってくれているからね。アハハハハハハハ」と気味が悪いくらいに愛想が良く、ついでにわけのわからぬ理由で小遣いを寄越してきた。

 その金のおかげで新しくハンチング帽を購入できたし、“ラ・キファ”に来られたのだが、リュウヤは普段からけち臭く、余計な小遣いなど渡さない。


 ――どうせ、テトラと話込んでたのが気まずくなったんじゃろ。


 明日が試合だというのに、馴れ馴れしく寄り添っていた二人を思い出し、苦々しい気分で舌打ちする。

 推測の方向は間違っていなかったが、この数日でテトラとリュウヤの間に、男女の営みがあるまでの関係となっていたとは、さすがのクリューネも想像ができないでいた。

 二人の間に起きたことを知れば、二日酔いでない痛みと風邪でない発熱で、少なくとも一週間は寝込んでしまっただろうが、幸か不幸か知らないままなので、クリューネの関心はリュウヤから遠のき、次第に目の前のジクードに移っていく。

 クリューネはリュウヤに感じた疑念と、ジクードから感じた疑念とは違うと直感していた。

 どちらも正体がわからないが、リュウヤのは上っ面な暗さなだけで底が見えているように思えた。だが、ジクードのは、救いようの無い底なし沼のようなぬめっとした陰湿さを感じる。

 

「昨日、テトラに変わりはなかったかの」

「いえ、特に」


 明るく返事をしたが、その言葉には関心無さげな響きがあるように感じた。

 やはり、先ほどの金髪の男とのやり取りが引っ掛かっているのだろうか。


「……帰ってくるなり、僕を随分と励ましてくれまして、“絶対優勝するからと”気合いの入りようなんです。何でもカルダとかいう剣士が要注意で……」


 クリューネはジクードの話を半分も聞いていなかった。

 暗く、陰謀めいた光。

 どこかで見たことがあると記憶を探って思い出した時、背筋に悪寒が奔った。

 メキアで何度も見たことがある。

 暗殺を生業として暗い道を歩いてきた者の目。

 誰かを貶めようと陰謀を語らう時の目。

 そして、魔王軍が人間を狩る時に見せる、冷酷で蔑む目。

 クリューネはじっと、ジクードを見つめている。

 気がつかないのか、ふりをしているだけなのか、ジクードはテトラの話をし続ける。

 酔いが醒めてくるにつれ、目の前の気弱な男に対する疑惑の念が、水面に垂らした染みのように広がっていくのをクリューネは感じていた。

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