第11話 ミルトは消えた

 村の有り様を目の当りにして、竜也は思わず唇を噛みしめた。

 ミルト村に入ると火の手はほとんどの家屋に廻り、近づくのも困難なほどの勢いとなっている。

 家屋の中に入って確認するのは自殺行為に等しい。家屋から黒煙がもうもうと噴き上がって空を覆い、村は真夜中のように暗くなっている。

 ちくしょうとテパがうめき、震える指で前方を指した。

 指した先に広場が見える。その中央には小山がつくられていた。炎に照らされて周囲に人影が蠢いている。次々に何かを運び、それを小山に無造作に放り投げる。

 竜也には村人たちの死体でつくられた山だとすぐにわかったが、感情が追いつかないでいた。

 その小山の前に立つ三人の人影から、高らかに笑う声が聞こえた。


『どうだ見たか、俺の腕前。一矢でガキまで串刺しだ』

『何を言うか。お主が射たのは老人と子どもだろう。それに、たった2ポイントで何が自慢できる』

『数字で表れぬものもあるのだ。お前にはわからんだろうな』

『わかるか、そんなもの』

『そろそろ皆、狩りが終わった頃だ。今日は大猟だな。あの坊っちゃん長官も喜ぶだろう』


 そこで三人は再び高らかに笑い声をあげた。遊びに興じた人間が出す無責任な笑い声だった。

 ちくしょうと再びテパが言った。


「なんでなんだよ。何でこんなことすんだ。俺たち、お前らに何したってんだよ……」


 テパが声を震わしながらクソッと呪詛めいた言葉を吐き捨てた。

 その時、ヒュヒュンと空気を切り裂く音が竜也の耳に鳴った。竜也はテパの身を庇い、跳ねるようにして音から遠ざかった。

 立っていた場所に複数の矢が地面に突き刺さり、『まだ人間がいたぞ!』という怒鳴り声が響いた。声に応じ、武器を手にした無数の男たちが竜也とテパに向かって駆けてくる。

 竜也は剣を構えて立ち上がろうとしたが、ウッというテパのうめき声を耳にして後ろを振り向いた。一本の矢がテパの左腕に刺さり、うずくまったまま動けないでいた。


「おい、テパ。しっかりしろ」

「……俺は大丈夫だ。だけど、リュウヤ……」


 腕を抑えながらテパは声を震わしたが、言葉に詰まって最後まで口にできないようだった。だが、悔しさを滲ませた口ぶりから、テパが何が言いたいのか、竜也には伝わっている。


 ――皆の仇を討ってくれ。


「任せろ」


 正面に目を向き直し、竜也は強く頷いた。最後まで聞かなくても、自然に口について出た。

 竜也はルナシウスをだらりと下げたまま、ゆっくりと前に足を運んだ。

  

「……」


 あれだけ熱かった頭の中が、急に氷りついたように冷たくなった。

 感情を失うほどの怒りが存在するのかと竜也は無表情のまま冷然と兵士たちを眺めていた。

 兵士たちはにやけた笑みで近づいてきたが、相手がベルサムの剣を手にした人間だと知ると、一斉に顔色を変え、剣や弓を向けてきた。


『おい、その剣は長官のものだろう。どうやって手に入れた。人間』

「……」

『貴様、答えんか!』

「……お前ら、楽しいか?」

『なに?』

「姿も同じでこうやって話も出来る。相手が喜んでいるか、悲しんでいるか、怒っているか、アンタらわかるはずだよな。人の苦しみや悲しみだってわかるはずだよな。わかるのに……。俺たちの村がアンタらに何をした?こんなことやって、お前ら楽しいのか?」

『わけわからん戯言を抜かす。所詮は人間か』


 一人が嘲笑った。釣られたように他の兵士も哄笑した。


『魔族と貴様らと一緒にするな。我々は力も知恵も魔力も全て人間を上回る存在。貴様らは我々のこやし。エサでしかないわ。貴様らをどう扱おうがこちらの勝手だ』

『こんな山奥に村があるなぞ知らなんだが、これまで見逃してやったことを感謝してもらいたいものだな』

「……」


 竜也はそんな魔族の兵士たちに、竜也は憐れみにも似た目で彼らを見つめていた。


「そうか、もういい。わかった。わかったよ」


 竜也は地面に剣を突き刺し、素早く両手で印を結ぶと最後に両手を重ねた。


「……てめえらよ。皆殺しにしてやるよ」


 低い声で竜也が言うと、地面に広場全体を囲むほどの、巨大な魔法陣が光を帯びて浮かび上がった。


“闇と死を司る精霊に告げる!”


 竜也が叫ぶと光は輝きを増した。地面が揺れ地鳴りが響いた。


“汝らよ裁け

 愚かなる罪人を裁け

 敵の身を業火に焼け

 敵の魂を喰らえ

 敵に永遠なる罰を与えよ”


『イバラの紋様……』


 魔法陣を見て異常を察し、隊長らしき男が『射て!』と周囲に命じる。無数の矢が竜也たちに向かって放たれたが、到達する直前、竜也たちの前に魔法陣が浮かび、全ての矢が弾かれてしまった。


『自動結界……!?』


 高位魔法を使用する者に生じる魔法の結界。

 打ち破るにはそれ以上の力を必要とする。

この場にそんな力を持った兵士などいない。

 本能が危険信号をアラームつきで送ってくる。誰かが『逃げろ』と叫ぶと、兵士たちは手にした武器も何もかも打ち捨てて逃げ始めた。


 ――もう遅い。貴様らに相応しい死を与えてやる。


 竜也は心の中で、冷淡に告げた。


「滅しろ!“死喰生獄レク・エクト・ザマ”!」


 竜也が呪文の名を告げると、兵士たちの足元から影がヌラリと軟体動物のように蠢く。それが身体に触れると、焼きごてを押しつけられたような熱と痛みが兵士たちに襲いかかった。

 

『ウギャアアアアア!』

『助けてくれ!誰か、誰かあ!』


 広場には絶叫がこだまし、筆舌し難い激痛に発狂してしまう者もいた。

 闇の精霊によって、生きながら喰われる高位魔法。

 高位魔法といっても、憤懣や絶望、恐怖といった負の感情エネルギーが充満した場所と限定的であり、敵の生命力、精神力と負の感情エネルギーとの間に一定の差が無ければ効果が無い。

 かなり使い勝手の悪い魔法だが、兵士程度なら充分と確信があったし、始末するならこの呪文が相応しいと思っていた。

 自らの影に浸食され溶けていく兵士たちは、次第に人の形を失って小さくなり、やがて消えていった。


「やっぱスゲエな、リュウヤ。あれだけの数の兵士どもを一発の呪文でやっつけるなんてよ」


 テパはか細い声で、戻ってきた竜也を迎えた。凄くなんか無いと竜也は首を振った。凄ければ村をこんな目に遭わせたりしない。


「これから矢を抜くから、我慢しろよ。すぐ治癒の魔法をかけるから」


 そう言って竜也は、テパに自分の衣服をくわえさせると、テパの腕に突き刺さる矢に手を掛けた。折れないよう慎重に、しかし力を込めて抜きに掛かると、激しい唸り声とともに鮮血が噴き出してくる。

 神経を使う仕事で、ようやく矢じりを抜くと竜也はすぐに傷口に手をかざし、“全療リーフレイン”の呪文を唱えた。

 やわらかな光が生じ、みるみるうちに傷口が修復されていく。完全に傷痕が無くなったのを確認すると、竜也はテパを火の手が及んでいない近くの物置小屋へと運んだ。


「神経も筋肉も治したが、怪我の影響はしばらく残る。それに、まだ敵がいるかもしれんから、テパはここで隠れて休んでいろ」

「……セリナを探しにいくのか?」

「ああ。ミナだってきっと生きている」


 竜也は励ますようにテパの肩を叩くと、立ち上がり宿の方へと駆けていった。 遠ざかる竜也の背中を見送った後、深くため息をついた。

 ミナはきっと生きている。

 生きてくれればいい。

 テパは不安に苛まれながらも、藁にもすがるような思いで、山積みとなった死体へと視線を移した。

 見たくもなかったが、仲間たちへの慚愧がテパをそうさせた。


「……?」


 その時、テパは何か見つけたような気がした。

 テパはよろめきながら立ち上がり、死体の山へと歩いていく。恐ろしかったが、引き付けられるようにテパは足を進めていく。

 間近までくると、テパは糸が切れた人形のように地面へ崩れ落ちた。

“何か”の正体は、若く美しい女性の死体だった。

 テパはその女をよく知っている。

 元気がよくて、でもおっちょこちょいで。

 来週には夫婦になるはずだったのに。

 ビー玉のように感情のない虚ろな瞳が、まっすぐにテパを見つめている。


「……ミナ」


  ※  ※  ※


 宿に戻ると見慣れた建物も大火が包み、熱波が竜也頬や肌をちりちりと焼いた。


「セリナ!どこだセリナ!」


、竜也は火の粉を払いながら建物の中に入っていった。その時、出入り口に入ったところで竜也の足が止まった。建物の奥から人の気配を感じる。

 セリナじゃない

 人というよりもっと動物的な何か。


「まだ敵は残っていたか……」


 呪文の効果が及ぶ範囲は認識している範囲が限界で、そうでなければ魔法対象から免れる。この敵もそうした一人なのだろうと竜也は思った。

 竜也は腰を沈め剣に手を掛けた。真伝流には居合の技もある。奇襲してくるなら迎え討つ用意がある。

 だが、敵は地響きを鳴らしながらのっそりと奥から姿を現した。岩のような巨体を持つ大男ガマザだった。

 ガマザは竜也の姿を見て、ウホッと喉を鳴らし小躍りしている。


『マ、マタ、ニンゲンダア。ウ、ウレシ、ウレシ』


「また」という言葉に竜也が反応した。


「“また”……?おい、ここにいた人間どうした」

『コ、ココハ、シゼンタクサンダカラ、ウ、ウマイ。ブロイラー、チガウ』

「ここの人間、どうしたかって聞いてんだよ……」

『クッタ、クッタ。ニンゲン、ツマミグイ。デモ、ツマミグイ、ナンカタリナイ』

「……」


 ふと、ガマザの後ろに見覚えがあるものが見えた。

 セリナの父が使っていた兜や斧、セリナの母が履いていた靴、そしてセリナが子どものために編んでいた毛糸の靴下が片方落ちていた。


『オ、オマエ、クワセロ。クッテヤル、ニンゲ……』


 ガマザの言葉がそこで途切れた。ガマザにも理由がわからず、顔も動かせない。視線だけ下に向けると、青白く輝く刀身が、ガマザの巨大な口を貫いていた。


『ガ、カへ?』

「……もう黙れ、カエル野郎」


 低い声で竜也が言った。

 目の奥がチリチリと焼けるように痛かった。頭は燃えるような熱を帯びて、このままどうにかなってしまいそうなほど熱かった。鼓動が異様な早さで打っている。

 目がくらむような怒りが噴き上がっていた。

 セリナなら、もしかしたら。

 そう信じていたのに。

 目の前に立ちはだかる大男は、ささやかな竜也の幻想を無惨にも打ち砕いた。


『イ、イ、イテエエエエエエ!』


 ガマザが咆哮し、逃れようと太い両腕を振り上げた。


「だから、黙れよ!」


 竜也は剣をガマザから抜いて素早く下段から摺り上げるように振るった。キラ、キラと宙に光が舞った。剣を戻して中段に構え直したときにはガマザの両腕がどさりと重い音を立てて床へと落ちていった。


『ウ、ウデ。オレノウデエガアアア……!』

「黙れ、クソ野郎!」

『ゴメンナサイ、ツマミグイシテゴメンナサイ。オイシカッタカラ、オ、オイシカッタカラ、クッチマッタンダヨオオオ……!』

「うるせえっ!」


 竜也の怒号とともにガマザの声はそこで途切れた。ななめに奔らせた竜也の剣がガマザの首を跳ね、首は重々しい音を立てて床に転がり落ちていった。


「クソ、クソ……!」


 セリナの笑顔が過る。

 恥ずかしげにしていた顔が浮かぶ。怒った顔も可愛らしかった。好きだった。

 この数か月の間、本当に幸福に満ちた時間だった。

 それがこんな簡単に奪われるなんて。

 床に突っ伏して咽び泣いていた竜也だったが、やがて立ち上がり、息を喘がせながら竜也はガマザの死体に寄った。ルナシウスを逆手に持ち変え、凝然と死体を見下ろす。


 ――本当に、中にいるのか?


 カエル野郎がホラを吹いたんじゃないのか、という疑念が胸中に占めている。竜也はガマザの身体を切り裂き、胃の中を確かめるつもりでいた。

 竜也がガマザに剣を突き立てようとした時、グラリと建物が揺れた。壁が崩壊し屋根が崩れ落ちてきた。

 竜也は転がるようにして宿の外に飛び出すと、それを見計ったかのように、宿は一気に倒壊し、強い炎がガマザの死体を覆って焼いていった。


 ――もし、あのまま切り裂いていたら……。


 今ごろ正気を保てなかったかもしれないと竜也は思った。

 一方で、その方が良かったのかもしれないと思う自分を否定できないでいた。

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