第10話 片山竜也対ベルサム

 なんだあれとテパが指差して、竜也がその方向に目を向けると、蒼穹の空に黒煙が立ち上っているのが目に映った。

 それもひとつではなく、何ヵ所からも噴き出すように立ち昇り、不吉な黒い雲となって空を覆い始めていた。微かにだが爆発音が聞こえくる。


「火事……じゃねえよな?」

「わからん。だが、尋常じゃねえ」

「あれ、ミルトの方だよな」

「いくぞ、テパ」


 ただ事ではないと竜也も直感して短く言うと、竜也は持ってきた籠を捨て、護身用の棒を手にしたままミルトに向かってやにわに駆けた。

 テパも弓を手にして走っていたが、胸を焦がすような焦りから弓矢が邪魔に思えていたし、腰には枝切りに持ってきたなたがある。テパは弓を捨てて、素手のまま走った。両手が空き、急に足が軽くなるのを感じた。

 テパも村育ちで鍛えられた強靭な足腰を持っていたが、竜也は人をはるかに凌駕りょうがする足を持っている。

「お前は後でこい」と遅れているテパに告げると、テパが「待て」と返事する隙も与えず、あっと言う間にテパを引き離し、いつもなら遠回りする崖も軽々と飛び降りて下っていった。森を抜け、小川を飛び越え、藪を突っ切った。

 ミルトに近づくにつれ、物の焼ける臭いが強くなり、人間による怒号が微かに聞こえてくる。物が破壊される音。悲鳴。泣きわめく声。木々の向こうからチラチラと覗く赤い火が、まるで悪魔の舌のように映った。村が何者かによって襲われているのは明白だった。

 村の門に繋がる道にまで近づいた時、視界の先に数名の人影が映った。

 馬に跨がる甲冑の男と槍を手にしている兵士たち。銀色の髪を流す甲冑の男は悠然ゆうぜんと馬を進め、村から燃え上がる火の手に笑みを湛えて眺めていた。冷笑、嘲笑といった侮蔑混じりの笑みだった。


 ――何をわらってやがる……!


 笑みを浮かべた男の横顔は傲慢そのもので、竜也の頭が沸騰したように熱くなった。

 ヴァルタスの知識に頼らなくても、甲冑の男らが魔王軍の連中だと本能が告げていた。

 もしこれが魔王軍でなく相手が人間であったとしても、竜也は同じ感情を抱き、同じ行動をとっていただろう。

 竜也は奥歯をギッと鳴らし、棒を把持する手に力を込め、担ぐようにして八双に構えた。

 全身からは、刃のような殺気を放っている。

 村を守るため。

 セリナと生まれてくる子どもを守るため。

 竜也は家族や仲間を守るため、敵へと襲いかかる一匹の獰猛な獣と化していた。


『止まれ、貴様!』


 部下の一人が猛然と突進してくる男に気がつくと、槍を構えて怒鳴り声を上げた。

 しかし、その男――片山竜也――は止まらずに身を低くして猛然と疾駆してくる。影が縫うような走りだった。


『こいつ……!』


 ベルサムの部下が槍を繰り出したが、既に竜也の間合いに入っていた。

 しなるように伸びた棒がひとりの首をへし折り、返す刀でもうひとりの部下の頭部を砕いていた。いずれも一撃で仕止め、ベルサムにも竜也の動きを捉えられなかった。

 竜也は倒した部下二人に一瞥もくれずに、そのまま一気にベルサムへと向かっていく。


『この人間風情め!私に歯向かうつもりか!』

「……」


 馬鹿めが。私とマトモに闘うつもりか?

 ベルサムは馬で踏み潰そうと、馬の前足を躍り上がらせる。だか、竜也は冷静だった。棒を持ち直すと、馬の首をトンと突いた。あまりにも静かで軽く、柔らかな動きにベルサムには映ったが、その突きだけで馬の身体がぐらつき始めた。


『う、うわ……!』


 ベルサムはバランスを崩し、馬と共に地面に落ちて身体をしたたかに打ちつけた。その刹那、重い殺気を感じて見上げると、竜也が重々しい棒を振り上げて殺到してくる姿が映し出されていた。


『おのれ!』


 小賢しい人間め。

 我が剣“ルナシウス”の刃を受けてみるがいい。

 ベルサムは立ち上がった勢いを利用して、クリスタルソード“ルナシウス”を抜き打ちに放った。鋭い閃光が虚空を駆け抜けたが、そこにはすでに竜也はいない。かろやかに剣をかわしてベルサムの側面に転身している。いつ動いたのかベルサムにはまったくわからず、瞬間、全身を大量の冷や汗が流れていた。


「へたくそめ」


 ぞっとするような竜也の冷たい声がベルサムの耳を打った。


「せっかくの名剣が泣いてるぜ」


 錆びついた機械のようにぎこちなくベルサムが振り向くと、そこには野獣のように鋭い眼で睨みつける竜也が大上段で棒を振り上げている姿が映っていた。凄まじい圧気に、ベルサムは身動きができず、棒立ちとなって立ちすくんでいた。

 自分は何かとんでもない間違いをした。

 そう思った瞬間、竜也の振り降ろした棒がベルサムの脳天を叩き割っていた。

 竜也が手にしている棒は本来、鍬につかっていた棒ではあったが、その材質は岩のように硬い。加えて竜の力を得た竜也の剛力である。魔族といえども頭からまともに受けてはひとたまりもなかった。


『がっ……!』


 衝撃で棒が粉砕され、木片が周囲に飛び散った。

 だが、ベルサムも無事では済まない。

 ベルサムの頭から大量の血が噴水のように噴き出し、ベルサムはもんどりうって地面に倒れた。普通の人間であれば即死していただろうが、そこは強靭な生命力を持つ魔族で、辛くも生きてはいたがそれがベルサムに地獄のような激痛と更なる不幸をもたらすこととなった。

 ベルサムの顔の半分が崩れ、左目の眼球が飛び出している。脳漿のうしょうと鮮血とよだれを大量に垂らしながら、竜也から逃れようとベルサムは懸命に地面を這っていた。


『嘘だ……嘘だ……』


 混濁した意識の中でベルサムは自分の身に起きたことが信じられないでいた。

 部下があっという間に倒され、魔王軍の名家の出である自分がたかが人間一人にぶちのめされた。

 嘘だ。

 何かの間違いだ。

 助けて、誰か助けてくれ。

 助けて。

 助けてください。誰か……。

 だが、必死に生き延びようとするベルサムの背中に、尋常ではない殺気がベルサムを押しつぶそうとしていた。


「どこへ行く」


 竜也の低い声がベルサムの頭上に響いた。


「てめえらから喧嘩売っておいて、自分だけ無事だと思うなよ」

『ひいっ……!』


 残った右目で見上げた先には、自分のものだった剣――ルナシウス――を手にした竜也がぬらりと立っている。

 ルナシウスの刃のように冷たい瞳がベルサムを見下ろしていた。


『うあああああっっっ!!!』


 殺される。

 その言葉が脳裏を過った瞬間、ベルサムは残った力を振り絞って炎の魔法を竜也にぶつけた。魔族としての本能がそうさせたのだが、着弾する瞬間、竜也の前に魔法陣が浮かび上がり、炎は呆気なく四散していった。ベルサムが愕然がくぜんとしながら魔法陣を凝視している。

 イバラ紋様の魔法陣。

 まさか。

 探し求めていた相手がここに。

 だが、こんなに力の差があったなんて。

 ルナシウスを見せびらかすように、ゆっくりと近づいて来る竜也に、ベルサムは喘ぎながら残った右目だけで赦しを乞いていた。あの日に、あの日に戻って大人しくしていたい。だから助けてくれ。助けてくれ。助けてください。


『ヴァルタス……』


 刹那(せつな)、ヒュウと音が鳴り、ルナシウスの刃がベルサムの脳天を割ると柘榴ざくろのように頭蓋骨の中身をむき出しにしながら、ドウッと重い音を立ててベルサムはただの肉塊へと変わった。


「リュウヤ!」


 遠くから声がし、見るとようやく追いついてきたテパだった。

 さすがに大きく息を切らしていたが、倒れている男を目にすると、それどころではないといった様子で息を呑んだ。


「敵の大将か?」

「たぶんな。左肩に鷲(わし)の紋章がある。大将がつけるものだ」

「すげえな。いきなり大将を倒したのかよ」

「いや、大したこと無かった。ただ、持っていた剣はかなり良い」


 竜也はルナシウスの刀身を改めて眺めた。クリスタルソードというが刃こぼれもなく脂もついていない。この世界特有の剣だろうが、何より自分の身体のようにフィットする柄の感触が心強い。

 この剣があればどんな相手でも勝てる気がする。


「よし、早く村に行こう」


 竜也はルナシウスを一振りし、ミルトの村へと向かって行く。テパは顔を紅潮させながら、そんな竜也の広い背中を見つめていた。

 竜也が特殊な人間であることは、テパも耳にはしていた。

 恐ろしい魔力を持ち、その力でセリナを救ったことも知っている。だが、しょせんは外部の人間で辺境の村にはなじめるわけがなく、恐ろしい力があるならなおさら村から出て行ってもらった方が良い。村に必要なのは生まれてくる子どもで、考えが凝り固まったその親ではないのだ。

 誰もが竜也にたいしてそう思い、テパもはじめは他の村人たちと同じように冷たく接していたが、それでも必死に村に溶け込もうとする竜也に心打たれ、いち早く声をかけに行ったのがテパだった。

 冷たく接した自分たちを恨みもせず、村のために力を尽くしてくれている。

 胸が熱くなり、竜也を見つめる視界が涙でぼやけてテパはあわてて涙を拭った。

 ふと、その視線の先にベルサムの惨めな死骸が映った。


「ざまあみろ」


 憎しみをぶつけるように、べっと唾をかつてベルサムだった肉塊に吐き捨てると、テパは竜也を追って駈けていった。

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