第12話 夢のあと

「あっ」


 力のない声をあげてテパは手から鍬を落とすと、自分の左腕を力の無い目で見つめながらさすった。


「あんま無理するな。傷を治したといっても、まだ回復しきってないんだからな」

「……うん。そうだな」


 テパはひどく緩慢かんまんな動作で鍬を持ち上げると、ぎこちなく鍬を振り上げ土を掘り始めた。

 竜也たちは、村人たちのための墓を掘っている。

 村を燃やした炎は二日間燃え盛り、竜也とテパは周囲の森に飛び火しないよう駆けずり廻っていた。

 竜也の氷系の魔法でもさほどの効果をもたらすことができず、三日目になって炎の熱気に呼ばれた雨雲が、大雨をミルトに降らせたことでようやく鎮火した。

 竜也とテパは雨が降りしきるミルトだった荒野の中で、黙々と墓を掘り続けていた。

 今日で四日目となっていた。

 ほぼ不眠不休で掘り続けたおかげか、山のような死体もほとんど片付き、最後の一体となっていた。


「待たせちまったな、ミナ。ゆっくり寝ろな」


 最後の一体となったミナの遺体を穴に納めると、テパはミナの顔をじっと覗き込み、名残を惜しむようにずっと頬を撫でていた。

 ちゃんと別れを言いたいからと、テパはミナの遺体は最後にしていた。


「悪いな。わがまま言っちまって」


 丁重な手つきで遺体に土を盛り終わると、盛り土に目を落としたままテパが竜也に呟いた。

 ガマザごと焼失したラング家からは、遺品と呼べるものがほとんどなく、セリナの父の兜の一部や母が愛用していたエプロン、セリナが編んでいた毛糸の靴下ぐらいしか見当たらなかった。


「気にすることじゃない。」


 言葉にするのも辛いものがあったが、それよりも竜也は別の心配をすることで気をまぎらわそうとした。

 竜也の治癒魔法でテパの傷は完全に治っているのだが、リハビリ期間が必要で以前のように動かせられるようになるには多少の時間が掛かる。

 問題は腕の傷ではなく心に受けた傷だと竜也はおもった。

 火事が治まってこの四日余りの間に、明らかにテパの気力に衰えが感じられた。

 不眠不休による疲れだけではなく、絶望と無力感がテパの心を蝕んでいた。頬は痩け、憔悴しきった表情で、あの剽軽なテパはどこかに消え失せ、別人がそこにいるかのような感覚があった。

 テパがいるから、自分はまだ心を失わずにいられる。テパに生きる力を取り戻してもらいたかった。

 そんな想いが竜也の心の均衡を保たせていた。


「……まずは西のウレミヤに行こうと思う」

「え?」


 竜也の話を聞いていなかったらしく、テパが呆けた顔を上げた。

 ミナの遺体を埋めたその日の夜、竜也はテパに火を囲んで、これからについて話していたのだった。


「ミルトを出たらの話だ。一番近いとこにウレミヤがある。そこで旅に必要なものを揃えよう。金は充分あるんだ」


 竜也は傍に置いてある布袋に目を向けた。手のひらに収まるほどの大きさだったが重量感がある。

 布袋のなかには、ベルサムが褒賞で使うつもりだった金貨が詰まっている。


「敵の金貨で旅支度かよ」


 テパの非難がましい目に胸がうずいたが、竜也はそうだと言って、無理矢理にやりと口の端を歪めてみせた。


「奴等の金が、奴等を倒すための金になるんだ。痛快だろ?」

「……そうだな、たしかに痛快だ」


 テパはそこで軽く笑い声をあげた。久しぶりに聞くテパの声だと竜也は嬉しくなった。しかし、すぐにテパは声を落とし沈痛な面持ちでうなだれた。


「でも、俺には無理だよ」

「何言ってんだよ。俺たちで村の敵をとってやろうぜ。それに魔王軍に恨みを持っている奴は、俺たちだけじゃないはずだ」

「俺にはお前みたいな力なんてねえもん。勝てねえよ」

「そんなことはない。特別なのは魔王と一部の連中くらいだ。それ以外の連中なら、腕を多少磨いて中位魔法を一つ二つ応用して戦えば倒せるような相手だ」

「……」

「皆、魔王の力が強大過ぎて恐れているが、逆に言えば魔王を倒せば世界だって変わる。魔王軍なんて蜘蛛のいなくなった蜘蛛の巣みたいなもんだ。居なくなったらすぐぶっこわれる。そしたら、もう魔族に怯えなくて済むようになる」

「俺たちみたいに、こんな思いしなくて済むのか」

「ああ、平和な世界になる」


 竜也は力強く答えたが、頭の隅では魔王などいなくても、理不尽に虐殺と蹂躙を繰り返してきた竜也がいた世界での歴史が脳裏に過っている。

 だが、多くの大切なものを奪われながら、そんなことを考えてしまう自分に、竜也は悪寒とともに自己嫌悪を抱いた。

 この世界はそうじゃないはずだと、心の中で自分を叱りつけた。


「だけど俺は、ここの村と山しか知らない。単なる農民が何の役に立つてんだ」

「お前はちょっとした風の流れで天候を読むことだってできるし、あっという間に雨や寒さをしのぐ簡単な小屋だってつくれる。火だって大雨のなかでも起こせる。野草の見分けだって的確だ。薬草の調合も下手な魔法より効き目があると評判だったろ。あの気の難しいヤンガもお前を頼りにしてたじゃないか」

「……」

「俺がテパに教えてやれるのは剣と魔法くらいだが、俺がお前から学ぶことはまだまだたくさんある。魔王を倒すためには、これからの長い旅、お前が必要なんだよ」


 竜也が言い終わるまで、テパはじっと竜也を見つめ、話に耳を傾けていた。やがて、テパはゆっくりと口を開いた。


「リュウヤ、お前は良い奴だよな」

「何だよ、突然」

「俺、お前が友達で良かったよ」

「……」


 言葉に詰まる竜也にテパは優しく微笑み、夜空を見上げた。空には満天の星が煌めいている。


「明日は雨だな」

「こんなに晴れているのにか?」

「うん。月に笠がかかっているだろ。それに地上は風が吹いてないのに、雲の流れが早い。ああいう空の時、雨の匂いがするんだ」


 竜也は鼻を鳴らして辺りを嗅いでみた。澄んだ冷たい空気に混じって木々や土の香りが鼻孔を刺激するくらいで、テパの言う雨の匂いというものはよくわからなかった。


「何も匂わないぞ」


 竜也がテパに言うと、既にテパは毛布を持って立ち上がっていて、焼け残った馬小屋へと歩いていく後ろ姿が見えた。

 それほど距離は離れていないはずなのに、随分とテパが遠くにいってしまったような感覚がそこにあった。


「おい、テパ!」


 竜也が大声を張り上げて、テパを呼び止めた。テパは無言で振り向いた。


「明日は晴れだ。テパの予報は外れだよ」

「いや、雨だね」

「なら、賭けるか?」

「いいぜ。何を賭けるんだ」

「……明日になったら、教えてやる」


 竜也の返しにテパは「なんだそりゃ」と呆れたように笑った。いつものテパがそこにいた。


  ※  ※  ※


 翌朝。

 夏の眩い陽射しが馬小屋に射し込み、朝から強い陽光と雀の鳴き声で竜也は目を覚ました。


「……なんだ。やっぱり外れじゃねえかよ」


 何とからかってやろうかと欠伸をしながら隣を見ると、昨晩隣で寝ていたはずのテパが消えていた。

 毛布が綺麗に畳まれ、その上に紙切れ一枚供えられている。どこで拾ったのか、その傍らに小さな鉛筆が転がっていた。

 紙にはたどたどしい筆跡で文字が並んでいた。


“すまん

 ミナのところにいく”


「……」


 竜也は読み終えると紙切れを捨て、靴を履くのも忘れて村を駆けた。とにかく駆けるしかなかった。


 ――間に合え。間に合ってくれ。


 ミナのところにいく。

 テパが向かうとしたらあそこしかない。

 ミナや村人たちが葬られた墓地が見えてきた。ミナの墓の傍に人影が立っているのが見えた。

 テパだと竜也は直感し安堵もあって立ち止まり、そこからゆっくりと歩いた。


 ――びっくりさせやがって。こんなに息が切れたのは初めてだ。


 しかし、竜也が近づくにつれ様子がおかしいことに気がついた。テパの身体がゆらゆらと揺れ動き、身長もいくぶん高くなっているような気がする。


「テパ……?」


 不審が背を押すように竜也は次第に足が速まり、再び駆け出していた。

 急速に呼吸が乱れる。

 胸の鼓動が激しく打ち続け、爆発するのではないかと思えるほどだった。


「おい、テパ。何やってんだよ、おい、おいよ……」


 これまで何度味わったのだろう。竜也の頭の中が真っ白となった。

 テパの足は地面から少し離れて浮いていた。

 首には縄が巻かれ、その縄は太く頑丈そうな木の枝に繋がっている。


「……ふざけんな!馬鹿野郎、馬鹿野郎!」


 竜也は叫び狂い、昨日までテパだった肉塊にしがみついた。

 溢れる涙で、拭っても拭っても視界が何度もぼやけた。

 どんなに涙を拭ってもとまらなかった。膝の力が抜け、竜也は地面に突っ伏すとこぼれた涙が地面を濡らした。

 息が詰まり、何度もむせ、顔は涙とヨダレで汚れていった。

 

「ちくしょう。お前までなんで……。馬鹿野郎」


 竜也は地面に伏せたまま、延々と涙を流し自分を責め続けた。

 何のための力だ。何のための魔法だ。竜の知識があっても男一人も助けることが出来なかったと。

 どれほどそうしていたのか。

 ポツリと冷たいものが竜也の首に触れた。見上げると空には灰色の雲が覆い、小さな雨滴が竜也を濡らし始めた。 雨は竜也の顔にこびりついた汚れを洗い流し、雨の冷たさは沸騰した竜也の感情を冷ましていった。


「……」


 ようやく冷静さを竜也は自分が何をすべきか思いだし、テパを降ろさなければと力を込めて立ち上がった。


  ※  ※  ※


 テパの遺体を埋め終わり、残された竜也は独り黙々と旅の支度を始めていた。

 派手な剣の拵えを地味で目立たないものに直し、ベルサムの鎧も胸当てに改造した。使えそうな衣類や雑貨類を選んで、それを小さなリュックに詰めた。

 虚無。

 小鳥のさえずりがやけに虚しく竜也の鼓膜を刺激してくる。

 ガラスのように死んだ瞳で竜也は作業を続けていた。

 その作業の間、竜也はセリナやテパ、村の仲間や幸せだった日々を思い出し、不意に涙が込み上げてきて頬を濡らし、その度に作業が中断しなければならなかった。

 何日もかけて旅の支度が終わった頃、竜也は村人たちが眠る墓地に佇んでいた。


「テパ、俺は生きるぞ」


 竜也はテパとミナの眠る墓に向けて話し掛けた。


「俺には、やらなきゃならない仕事があるからな」


 次にセリナたちの墓の前に立った。


「アイーシャ。これで二回も死なせちまったな。駄目な親父でごめんな。セリナも……」


 言葉が見つからない。

 こんな時、どんな言葉が相応しいのだろう。

 しばらく墓の前でしゃがみこんでいたのだが、やがて竜也は静かに立ち上がった。


「それじゃ、行ってきます」


 優しく告げると、竜也はフード付きの薄汚れた白地のローブを身に纏って翻し、後は振り返ることもせず、ミルト村の外へ向かって歩きだした。


 フードの下から覗く瞳は怒りを宿してぎらつき、刃のような殺気を放っている。大地を踏みしめる足取りは強く、迷いもなく進んでいく。

 進むその先に復讐すべき魔王がいる。


 ――西へ。


 かつてはヴァルタスの言葉だったものが、自らの意志と言葉となり、竜也の足はは西へと向かった。

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