第5話 新たなる力

 王都ゼノキアの荘厳なる宮廷の一室に“朱雀の間”と呼ばれる応接間がある。そこは昔から、魔王軍に仕える文武官が集まるサロンとして知られていた。もっとも、“朱雀の間”に集まる彼らは皆、若い。

 親の代を引き継ぎ、竜魔大戦後に登用された将官ばかりで、終結したのはほんの数年前までなのに、彼らには戦の経験などまるでない。

 彼らが経験と呼べるものは、親の威光を借りた見栄や大言壮語を相手に聞かせるくらいで、それを裏づける実績などまるでない連中である。

 彼らがよく知っていることは、窓から射し込む暖かな春の陽射しと、外で戯れる小鳥のさえずりを聴きながら、軽食とワインを味わい語ることくらいであった。


『……ヴァルタスに、だと?』


 ヴァルタスの名を聞き、一人の将官がクッキーに伸ばしかけた手がとまった。


『オークどもの噂だから、信用できんがな。紅の竜によって、ミルト地方のオークどもが全滅したという噂がある』

『全滅か。結構なことじゃないか』


 ベルサムという若い将官が鼻で笑った。

 魔族の中では名家の生まれで父親も勇士と言われていたが、ベルサムは若いだけでなく軽率さが目立つ男だった。仲間からも口に出しては言わないものの、内心では軽く見られている。


『オークなんぞ、不衛生で喰えないし、知性もなくて面白みもない。人間の方がよっぽど面白い。奴らが絶滅したところで、病原菌がひとつ無くなった程度にしか思わんな。むしろめでたいことだ』


 つまらんことを言うと、仲間の一人が吐き捨てるように言った。


『そういう話をしているわけではないだろう。竜族の生き残りがそこにいたということが肝心だろうが』

『……いや、俺はそういうことを話そうとしてたんだ。貴様が先走ったのだ』

『なんだと』


 冷笑するベルサムに色をなして腰を浮かせた相手に、他の仲間が間に入ってとりなした。

 こんなバカをまともに相手にするなと、言外に漂わせてようやく腰を落ち着けたが、ベルサム自身は相手を論破したと思っていて、顔を真っ赤にさせながらグラス内のワインを一気に飲み干した。

 名家にも関わらず実績と能力が伴わない分、反発してプライドも余計に高くなり、背伸びした自分を周囲に見せたがる。それが一層、周囲からの軽侮を招いていることにベルサム本人は気がついていない。


『で、ヴァルタスという確証はあるのか』

『紅の竜、というからにはおそらく竜の勇将ヴァルタスだろう。紅竜などそういない』

『ヴァルタスか……。奴には以前、父が痛い目に遭わされた経験がある。恐怖と言っていい。姫のお守りに専念したのは僥幸だった。グリュンヒルデで勝てたのも奴が不在だったおかげだ』

『僥幸かはともかく、ヴァルタスの存在と姫の行方も気になる。

こちらでも手を打たないと』

『私が行こう』


 ベルサムが酒の酔い独特の濁った目を仲間に向けていた。

 ヴァルタスが何ほどのものか。貴様らもよく見ていろ。

 普段から俺を軽く見やがって。

 俺は名門の子、ベルサム様だぞ。


『お前が? いや、お前はカーザンヌ地方を統治する長官としての役目があるだろうが』


『相手はヴァルタス。ただではすまんからな。魔王様も許可してくれるだろう。それに竜の国随一の将という者に、一度お手合わせしてみたかったという個人的な希望もあるさ』


 ベルサムが新たに注いだワインを口にしながら言った。勇ましい発言に仲間たちは互いに顔を見合せ失笑している。

 既に酔いがまわったベルサムは一同を睥睨すると、いきなり立って威勢の良い軍歌まで口にしはじめた。


 ――無能のお坊っちゃんが、また駄々をこね始めた。

 

 ベルサムが赴任したカーザンヌが失政続きで、まだ2年にもなっていないにも関わらず、早くも更迭の声があがっていた。

 見栄や危機感で一発逆転を狙っているのだと、仲間たちは容易に見透かしていた。

 仲間の将官は互いに目配せしながら、酔ってがなりたてるベルサムを嘲笑し、いつ帰ってくるか、何をやらかすかを賭けの対象にし始めていた。


  ※  ※  ※


「……異世界から来た設定て、なんだかありきたりじゃないですか。組み立ても何か甘いし」


 竜也の話を聞きながら、隣ではセリナが小首を傾げながら歩いていた。


「いや、これでも昨日の夜、寝ずに考えて整理したつもりなんだけど」

「ええ?それこそ嘘でしょ?昨日のリュウヤさんのいびき、けっこう聞こえましたもん。小豚さんがおっぱいねだる鳴き声みたいで、大きさの割に意外と可愛らしいんですけど」


「ああ、そうなの……」


 この世に生を受けて十七年目、両親や修学旅行でクラスメイトにも指摘されたことがなかったのに、異世界に来て初めて伝えられた真実に、竜也は愕然とする思いがした。

 セリナの両親には、セリナに話した法螺話で通用したのだが、騙しているという良心の呵責に堪えきれなくなり、身体慣らしの散歩がてら、セリナには正直に真実を打ち明けてみたのだが、そちらの方が竜也の創作だと思われたらしい。反対に、物語の設定や構成が甘いですよと指摘された。


「そんな凄い能力が持っているなら、もうとっくに魔王なんて倒しているんじゃないですか?」

「それが、まだ覚醒しきってないというのかな。まだバラバラな感覚があるんだ」

「それって“明日から本気出す”てやつですかね」

「いや、そうじゃないと思うけど……」


 剣技以外に、何か別の力が生まれている。

 体の中にそんな感覚があったが、自分でも表現しにくい言葉は相手にも伝えにくいようで、セリナは竜也の不幸な過去をまぎらわそうとする冗談だと思っているらしい。フフッと笑みをこぼしながら楽しそうに耳を傾けている。

 朗らかな笑顔が魅力的で、竜也も彼女が楽しんでくれるなら、誤解でもいいかという気になる。


「俺は本気出すと強いよ。おそらく」

「“おそらく強い”なんて、随分と頼りない勇者さんですね」


 セリナが馴れ馴れしい感じで竜也の背中を叩き、可笑しそうに笑い声をあげた。

 懐かしい感覚がある。

 クラスの女子と交わすやり取りもこんな感じだった。どうでもいいやり取りでお互いに笑って、笑って、笑って。

 女の子との弾む会話が、それだけで楽しかった。


 ――変わらないんだ。


 異世界でも人は。

 それだけで竜也は嬉しかった。

 竜也たちは村から少し離れ、竜也が倒れていたという小川に向かって歩いていた。

 小鳥のさえずりや風に揺らぐ木々の控え目なざわめき。暖かな小春日和。隣に付き従って歩く明朗な美少女。

 竜也には、この世界が人間にとって不幸に満ちているとは思えないでいた。


「……ここから、離れたくないなあ」

「こんな辺鄙な村をですか?冬は大変ですよ、ここ。あまりに閉鎖的だから、ミルトには伝説のエルフ族が住んでいる、なんて噂が流れているとか、旅商人の方から聞いたことありますけど」


 思わず出た言葉がセリナの耳に届いたらしい。セリナは不思議そうに竜也を見つめてくる。思わぬ反応に竜也は戸惑っていた。


「外は危ないじゃん。魔物に襲われたり、魔王軍に喰われるかもしれないのに」

「危険な場所を生き延びてきた人の感覚て、やっぱり違うんですねえ」


 変に感心したようにセリナが頷く。意外な返しにまたしても竜也は戸惑った。


「セリナはそうじゃないの?」

「私はミルトを離れて、外の世界を見てみたいです。魔王軍の支配下でも賑やかな町だってあるらしいんですよ? 夜遅くまで賑やかで、すごい楽しそうじゃないですか。リュウヤさんはワクワクしなかったですか?」

「俺は、俺たちは一日一日が必死だったから……」

「そういうもんなんですかねえ」


 セリナは幾分、不満げに呟いた。賑やかな町というのはルシデンを指すのだろう。人々を享楽に堕とし、抵抗の意識を薄めさせる町。一種の人間ブロイラー。

 竜族にとっては堕落の町と映っても、人間にはそうではないのだろう。

 竜也も竜人以前ならセリナと同じ反応だったに違いない。真伝流の稽古は天分と性分に合ったから熱心に続けていたが、もっと遊びたいしダラダラと怠けたい気持ちがある。


「ほら、あそこがリュウヤさんの倒れていたとこですよ」


 セリナが指差した先に川の砂州が見えてきた。川には豊富な水量があり、はげしい水音が露出している岩岩を叩いていた。波や砕けた水滴が、キラキラと日の光を反射させていた。

 この川で物洗いをしにきたところで、竜也を発見したのだという。


「ほとんど裸だったから、びっくりしちゃって……」


 その時の情景を思い出したのか、頬を赤らめてセリナは口をつぐんだ。頬に赤みが差したまま、セリナは川面に視線を落とす。髪の隙間から覗くうなじに、竜也はいつしか目を惹かれていた。


 ――抱き締めたいな。


 セリナなら、自分の行為も許してもらえそうな気がする。そんな考えが過ったが、自分本位過ぎる思考に呆れ、振り払うように竜也は頭を振った。それでもセリナの傍に少しでも近づきたくて、セリナの隣に立った時だった。

 近くの森の木々が不意に揺れ動き、異様な殺気が奥から伝わってくる。

 以前対峙したオークと違って、もっと動物的な殺気から竜也はそう判断した。


「セリナ」


 竜也は何も気がつかないでいるセリナを後ろへと退けさせた。


「何ですか?」

「いいから、その姿勢のまま下がっていてくれ」


 強い命令口調の竜也に圧され、セリナは後退りした。後ろ姿しか見えない竜也の雰囲気は一変し、これまで感じたことのない殺気に溢れている。


「……獸。魔物と言ったとこか」


 竜也の言葉と同時に、二メートル以上の体格を有した黒毛の熊が、瞳に狂気の色を宿らせて草むらから立ち上がった。

 その数は五匹。

 竜や魔王軍の魔力に影響された獸たちは狂暴性も増している。普通の人間ではひとたまりもない。


「普段は夜に活動しているのに……」


 歯を鳴らして、震えるセリナは次に信じられない光景を目にした。恐ろしい魔物を前にして、竜也がずかずかと歩いていくではないか。遭遇した場合、目を据えたままゆっくりと後退りするのが常識で、武器も持たず、複数の魔物に向かっていくなど自殺行為に等しい。


「リュウヤさん!」

「試したいことがあるんだ」


 わけのわからない台詞に、何を馬鹿なことをと怒鳴りつけてやりたいほどだったが、口が強張り名を呼ぶだけが精一杯だった。

 一方、無造作に近づいてくる竜也に、魔物たちはたじろいでいた。自分よりはるかに痩せて小さな生き物から尋常ではない力を感じていた。

 危険だと彼らの本能が告げていたが、魔力に影響を受けて狂暴性が増した獸には逃げるという選択肢がなかった。魔物は咆哮とともに巨大な腕を振り上げた。刹那、竜也の右腕に炎が生じ、それが魔物たちの見た最後の光景となった。


「リュウヤさん、魔法を……」


 セリナは呆然として、竜也の背中と業火に焼かれて倒れる魔物の群れを見つめていた。

 竜也の背に光り輝く魔法陣が浮かびあがり、かざした右手から巨大な炎の塊が生まれたのをセリナは確かに目撃した。

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