第六十九話 義藤さまのターン
天文十九年(1550年)4月
気分がすごく悪い。吐きそうだ。それに頭がガンガンする。
どうやら俺は
「若、大丈夫ですか?」
「ん……誰だ?」
うるさいなあ。頭が痛いんだから声をかけないでくれ。
「源三郎です。薬膳をお持ちしましたが食せますか?」
ああ源三郎の兄貴か……
「薬膳?」
「牧庵先生が用意してくれました」
マキュアン? 平坦ステージ以外にスプリンターに用はないのだが……いや違う、
だが、なんで俺が薬膳を食べねばならないのだ?
それに気持ち悪くて食欲がない。というか何で俺は寝ているのだ?
それにここはドコなのだ? よく思い出せない。
「源三郎、ここはドコだ? 俺はどうして寝ているのだ?」
「ここは
俺が熱を出して倒れた? それに公方様が用意してくれた?
何がどうなっているのだ? たしか
「源三郎、俺は寝ていたのか? 今はいつなのだ?」
「若は熱を出して二日ほど寝ておりました。高島遠征の疲れが出たのでありましょう」
「そうだ、高島家の
「
「出陣が中止だと? そういえば朽木家の対応はどうなっているか?」
「
朽木家の掌握はひとまず順調のようだ。
「あとは田中家の対応か、田中家との交渉はどうなっている?」
「若の指示で
どうにも記憶があいまいなのだが、
西山城を落城させた翌日には朽木藤綱に公方様より
日置家や宮川家など朽木藤綱に対して叛乱した者の所領を接収するべく、兄の三淵藤英は兵を率いて朽木領を廻っている。主だった者は西山城で討死しているので特に混乱もなく進んでいるようだ。
有力な重臣であった宮川家や日置家の領土を没収し、朽木宗家の領土とすることで朽木藤綱の
また同じ日には、田中城の田中頼長が平井秀名に伴われて朽木谷へとやって来た。田中頼長は幕府軍に降伏しに来たのである。
田中頼長とは平井秀名の父である
実は田中重茂は朽木竹若丸の伯父にあたり、朽木竹若丸の母と同じく公家の
田中頼長には子がなく、朽木家が公家の飛鳥井家と結びつくのに歩調を合わせて、飛鳥井家の男子を養子に迎えていたのだ。
【田中家の初代である
【
だが、西山城の戦いで朽木家から飛鳥井家の血筋の者が一掃されたことを知ると、用済みとばかりに田中頼長は養子で後継者だったはずの田中重茂を切り捨てることを選択した。
田中重茂が暗躍して
田中重茂の首を差し出すから、自分の命と田中家の家名の存続を幕府に認めて欲しいと申し出てきたわけだが、その変わり身の速さは有る意味潔いと感心すらしてしまい、降伏を受け入れることにしてしまった。
田中家には無茶な条件は取り下げ、替わりの条件を出して平井秀名を通して和睦交渉中である。
朽木家の制圧と田中家との交渉を行いつつ、
朽木には若狭街道を使って京から陸路で直接来ることができるので、
兵糧や物資の補給を待って、高島家の清水山城を攻める予定であったのだ。
だが、朽木谷の制圧やら、田中家との交渉、高島攻めの準備など忙しくする中で、どうやら俺は熱を出して倒れてしまったようなのだ……今日には清水山城に出陣する筈だったが、俺はこんな所で寝込んでおり、出陣は公方様の命で中止になってしまったというわけだ。
◆
「藤孝、入るぞ」
声を掛けて来たのは義藤さまであったのだが、部屋へ入って来た義藤さまの姿に驚いてしまう。
なんと、可愛い女の子の格好をしているではないか。残念ながら体操服ではないが、いつぞやのピンク色の
これはなんだ……俺は熱を出して幻覚でも見ているのか?
「義藤さ――いや違う」
ここには米田求政もいるのだ。義藤さまが女の子と知られるわけにはいかないのだった。だが何と呼べば良いのやら。
「源三郎。藤孝と二人で話がしたい。すまないが下がってくれるか。それと人払いも頼む」
「はっ仰せのままに」
あれ? 米田源三郎の兄貴は女の子な義藤さまにひざまずいて礼をすると、何事も無かったかのよう部屋から出ていってしまった。何がどうなっているのだ?
「藤孝、気分はどうじゃ?」
よくわからない状況にポカンとしている俺に義藤さまがやさしく声を掛けてくれる。
「義藤さま……その格好は……」
「うむ。
ひらりと一回転して可愛い女の子の
「いえ、そんなことは……とても嬉しくありますが」
どうせなら看病するのに相応しい、ミニスカなナース服も用意してあったのでソレを着て欲しいとか思ったりしたが、そう言えばどこぞの姫さまの暴投で体操服と一緒に燃えてしまったのであった。無念なり。
「そなたは無理をし過ぎたのだ。今は休むがよいのじゃ」
寝ている俺の横に座りながら微笑んでくる。義藤さまが何かめちゃくちゃ優しい。
「いえ無理などは別に、それに高島家の清水山城を攻める
「そなたは十分に頑張った。あとは他の者に任せるがよい。若狭から援軍も参った。清水山城を落とすのはそなたが居なくても大丈夫じゃ」
若狭からの援軍は、沼田兄弟の父である
「若狭からの援軍も無事に着陣しましたか」
「うむ、先ほど着陣した。高島家は2千の兵は用意出来ないと報告を受けておる。それに対する我が軍は清水山城攻めに6千の兵を揃えることが出来た。敵兵の3倍じゃ。そなたが休んでいても清水山城を落とすことはできるであろう」
「私は……もう必要がないのですか?」
なんだろう。風邪を引いているからなのだろうか、弱気な気分になってしまい愚痴を言ってしまう。
「そ、そんなことは言っておらぬ。体調が悪いのだから無理をせずともよいであろうということだ」
「申し訳ありませぬ。このような時に倒れてしまって……」
「丁度よかったのかもしれぬ。そなたは少し急ぎ過ぎていたゆえ」
「私が急ぎ過ぎていた?」
「うん。最近のそなたは、その……焦っているようにも見えたので少し不安でな」
俺が暴走していて義藤さまを不安にさせていたというのか?
「焦ってなどは……ただ義藤さまを不安にさせたのであれば申し訳なく」
「いや、謝って欲しいとかそんなわけではないのだ。だが、わしは少し落ち着いてそなたと話がしたくはあったのだ」
「どのような話でありましょうか?」
「うん。そなた……
義藤さまが手を俺の
「好きとか嫌いとかそういう物ではありませぬ。ひ、必要があれば戦はしなくてはならぬものですゆえ……」
義藤さまの方から珍しくスキンシップされて、なんだか恥ずかしくなって顔が赤面してしまうのが自分でも分かる。
「わしにはそなたが料理をしている姿や
義藤さまの顔がとても近いデス。
「そ、それは……そうなのですが……」
何やら可愛い格好をしている義藤さまにやさしく言われると素直に口をついてしまう。
さっきからずっと主導権を取られている気がする……歳下の女の子に言いようにされているような……いや、悪い気分ではないですが。
「無理はしなくてよいのじゃ。戦は辛いのであろう?」
「べ、別に辛いなどとは……」
「では、何ゆえそなたは辛そうな顔をしていたのじゃ?」
「私が辛そうな顔をしていたと?」
どちらかというとこの状況だと顔がニヤけていないか、鼻の下が伸びてしまっているのではないかと、そんな心配をしてしまうのだが。
「そうじゃ。西山城を落としてから、いや、高島郡に攻め入ってから……そなたは辛そうな顔をずっとしていたではないか。そなたは気付いていなかったのか?」
そんなことはないのだが……高島郡侵攻は永田家に山崎家、横山家を滅ぼして、平井家は臣下に加えることができた。朽木家も朽木藤綱を当主にすることが出来たし、田中家も屈服間近だ。あとは高島家を攻め滅ぼしてさらに北へ攻め進むだけではないか。高島攻めはとても順調に進んでいる。辛いことなどはなかった……はずだ。
「高島攻めは順調です。辛いことなどは何も」
「
「いえ、朽木竹若丸らは自害したのであって、私が斬り捨てたわけでは……」
「そうではない。わしは朽木竹若丸を保護せよと命じたが、そなたはあえてわしの命を無視したのではないか?」
「それは……」
「朽木竹若丸が生きていたのでは朽木藤綱が朽木家の家督となる妨げになるのであろう? それであえてわしの命を無視したか」
「助けようとしたのですがその前に自害してしまったと……」
「別にわしは怒っているわけではない。朽木竹若丸らが自害したのは本当であろう。
「ご、五郎八が自白したですと?」
ど、どいうことだ???
「五郎八を怒るでない。わしが無理やり吐かせたのだ」
あの
「そなたが挑発する書状を送り、宮川ら朽木家中が西山城に篭ったこともわかっておる。源三郎が白状したぞ」
「は? 米田源三郎までが白状したですと? ど、どうやって!」
「だから怒るでない」
そう言いながら、義藤さまは俺を抱きしめてきた……
「え……」
「そなた、無理に悪人になろうとしてはいなかったか?」
「あ、あのその……胸があたってその……あの……」
義藤さまに抱きつかれて完全にパニックになる。なにがいったいどうなっているのだぁぁぁ。
「
有るのか無いのか微妙な胸ではあるのだが、そこはかとなく柔らかくていい匂いがして、何も考えられなくなる。
「いや……そんな嘘などは、お、おぱーいガァァァ」
「観念して白状いたせ……」
そう言って、義藤さまは俺に口付けをした――
◆
「ん――」
びっくりして抵抗しようとするのだが、義藤さまの目をみると泣いていたのだ。
その目を見て、俺は抵抗をあきらめた。長いような短いような口付けというかキスが終わる――
「無理をするでない」
涙目でキスされて、そんなことを言われてしまっては……観念するしかなかった。
俺も泣いてしまっていた……
「焦ってる? 無理をしている? そんなの焦るに決まっているじゃないか! 三好長慶は3万以上の兵なんだ! 6千を揃えられただって? 6千で3万に勝てるかぁぁ! 無理を、無茶をするしかないじゃないか。幕府は弱すぎるんだ……無理やりにでも高島郡を攻めて幕府の領土にしないと、朽木家も忠実な手足にして交易路を確保しなければならなかったんだ……どこかで無茶をしなければ、悪人になってでも幕府を強くしなければ、幕府は滅びるしかないんだぁぁぁ!」
戦国時代において弱小勢力がのし上る為にはどこかで無茶なことをしなければならないと思っていた。
織田信長も尾張国内をまとめるために弟を暗殺してもいる。
幕府を立て直すためには、義藤さまを救うためには、三好長慶と戦うためには、もう悪人にならなければ間に合わないと焦っていた。戦国の世では悪人になる必要があるのだと……善人のままでは幕府は滅ぶしかないのだと……だが、無理して悪人になろうとしていた俺を義藤さまは……
「三好が如きと戦えぬそんな幕府なぞ滅ぶがよいのじゃ!」
「それでは義藤さまを救うことができませぬ!」
涙と鼻水でグジュグジュになりながら義藤さまに訴える。
「わしはそなたに無理させてまで救われたいとは思わぬのじゃ」
「そんな……義藤さまを救いたくて僕は今まで頑張ってきたんだ」
「与一郎はよく頑張ってくれている。
「で、でも義藤さまが死ぬなんて
「わらわはそなたが壊れてしまう方が怖いのじゃ」
子供みたいに泣きじゃくってしまう。もう無茶苦茶だ。歳下の女の子に抱かれてキスされて泣きじゃくって、格好悪いったらありゃしない。
15歳の
戦国の世では大人とされる年齢であるのだが、俺はまだ大人にはなりきれていなかったのであろうか……生まれ変わる前の現代ではおっさんだった気がするのだが、身体とともに精神も子供に戻ってしまったようではないか。
まだ少女としか思っていなかった義藤さまのほうがはるかに大人であったのかもしれない……
転生者であっても中身はただの歴史マニアの普通の人なのだ。
そんな普通の人がこの戦国乱世においてのし上った化け物と同じ事をやるのは、化け物らと張り合っていこうというのは……なかなかキツイものがある。
現代の知識があるということは現代の倫理感を持っているということでもある。
子供を普通に殺すとか、一城を撫で斬りにするとか、親類を殺すとか……現代の普通の人には簡単にできるものではないのだ。
やはり自分に無理を強いていたのだろう……悪夢にうなされ熱を出して寝込んでしまった……そんな俺を義藤さまは心配して癒してくれた……俺はまた義藤さまに救われたのだ。
義藤さまの温もりを感じながら、俺は俺のやり方でやっていこうと思い直すのである。戦国の化け物達とは違ったやり方があるかもしれないではないか――
◆
しばらく二人で泣きじゃくったあと。俺は洗いざらい白状させられた。
最初は抵抗しようとも思ったのだが、膝枕をされて俺の心の
山崎家や永田家に横山家は恐らく幕府に敵対する気はなかったであろうが、奉公衆に所領を与えるため、彼らに弁明の機会を与えないために速戦で問答無用で城を落としたこと。
公方様に良く仕えており、蕎麦の取引などで親交があった
朽木家中の宮川家などが暴発したので朽木藤綱と協力して攻め滅ぼそうとしたこと。
家中の基盤が弱い朽木藤綱のために
強引に攻め滅ぼした永田家や山崎家に横山家、それに朽木竹若丸や宮川家など強引に滅ぼしたものらの悪夢を見てうなされ、熱まで出して寝込んでしまったこと……自分が忘れていたことまでなぜか白状させられた。
(義藤さまがちょっとエッチなスキルをオープン。藤孝の煩悩にダイレクトアタック! ずっと義藤さまのターン!)
いかん。これでは尻に敷かれた亭主ではないか……義藤さまの尻に敷かれるとか
「まあ、だいたい分かった。高島攻めの大義名分や六角家への言い逃れとするに京極高延や三好長慶は都合が良いであろう。どうせ建前じゃからな。そのままで良いだろう」
「はぁ……」
少しお触りをしたら思いっきり怒られて、今は正座姿で反省させられている俺である。散々エロいことされて、辛抱たまらずにコッチからお触りしたら激怒されるとか理不尽極まりないぞ。
「山崎や永田らには悪いが彼らは京極に通じておったので討伐したことでよいだろう。ただ、田中家の降伏条件である
「ですが田中重茂からことの
「京極に通じていたのは
「嫡男の
「ならば田中重茂を飛鳥井家に戻しても問題はあるまい。田中家との和睦であるが、田中頼長は
「
「抜け目ないな。それであれば
「田中家中も公卿の飛鳥井家からの養子よりも、同族の朽木家からの養子を歓迎している向きがあるようです。朽木成綱の養子入りは良き話となるかと」
「あとは高島攻めであるか。そういえばそなたの姉上が
「私が寝ている間に参ったのでしょうか? 来ていたことは存じてはいませんが、姉上とはそのように算段はしておりました」
「そなたの父の
「恐れいります」
というか義藤さまの聡明さに恐れ入りまくりである。食いしん坊将軍はどこへいったのだ?
義藤さまはニュータイプにでも覚醒したのか? 義藤さまには難しいはずの政治の話が出来てしまってるぞ。
「内情が筒抜けなのじゃ。そなたとわしがここに居ても
「義藤さまも私と一緒にこの
「そなたと一緒に居たい……と申したら迷惑であるのか?」
「そ、そのようなことは」
妖艶に色目まで使われてしまい、もうタジタジである。
「ではしばしの間、わしとここで話をするのが良いのじゃ。そなたとはもっと話をする必要があると思っている。そなたが幕府のためにと、わしのためにと考えていることを洗いざらい白状するがよいぞ」
ちょっとエッチな尋問を続行されたら黙秘権を行使する自信が俺には無い。
「お手柔らかにお願いします」
おぱーいもふとももも柔らかくて天国にいけるぞ。
「時間はたっぷりあるのじゃ。覚悟いたすがよい」
だが残念ながら嬉し恥ずかし「ラブラブ尋問」は長くは続かないのである。
一晩寝たら体調が回復したというか元気になりすぎたので、改めて義藤さまと清水山城攻めに出陣したからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます