第六十八話 朽木谷制圧

 天文十九年(1550年)4月



 河上荘かわかみしょう俵山たわらやま田原山たわらやまともされるが現代では自衛隊の基地がある饗庭野あいばの北辺ほくへんにあり、九里半街道くりはんかいどう石田川いしだがわの南にある大俵山おおたわらやまの近辺であると思われる。


 朽木晴綱くつきはるつながその家臣の古川正賢ふるかわまさかたとともに河上荘俵山において高島たかしま越中えっちゅう高賢たかかたと戦って討死したとの凶報が田中城を包囲していた幕府軍に伝わり、急遽軍議が開かれることとなった。


 朽木晴綱は朽木稙綱くつきたねつなの嫡男であり朽木藤綱くつきふじつな朽木成綱くつきしげつなの兄になる。

 大御所の内談衆ないだんしゅうの一人に数えられる朽木稙綱や公方様の側に仕えた朽木藤綱と朽木成綱の兄弟が基本的には在京して将軍家に近侍したのとは違い、朽木晴綱は朽木家の惣領そうりょうとして本領の朽木谷を治めていた。


「将軍家によく仕えて来られた植綱殿の嫡子たる晴綱殿を討ったことにより、高島家が京極家と通じていることは最早明白だ。高島家の清水山城しみずやまじょうを攻め、高島越中を討つべきであろう」


 父の三淵晴員みつぶちはるかずが清水山城攻めを主張する。娘が嫁いでいるのだが親父は高島家を攻める気満々である。


「ですが父上、我らは田中城を包囲中でありますぞ、まずは田中城を攻め落としてから改めて高島に兵を向けるべきでは?」


 兄の三淵藤英みつぶちふじひでは予定通り田中城を攻めることを主張する。


兵部大輔ひょうぶだゆうはいかように考えておるか」


 公方様が俺に意見を求めてくる。


「明朝に陣を引き払い、しかるのち朽木へ向かうのがよろしいかと存じます。当主である朽木晴綱を討たれた朽木の家中は混乱の渦中にありましょう。我ら幕府軍が運よく朽木にほど近き場所に在していたことは行幸でした。公方様が我が陣中に居る朽木藤綱・成綱兄弟を連れて朽木へ参れば朽木の者共も安堵いたしましょう」


「だが与一郎、田中はどうするのだ?」


「与一郎、高島を攻めはしないのか?」


 兄や父が不満の声をあげる。


「朽木谷に参り朽木の兵と合流したうえで弔い合戦を挑むことができれば名分もたち、よもや負けることなどはないかと存じますが」


「公方様、いかが致しますかな?」


 大和晴完やまとはるみつが意見は出揃ったと見て、公方様に裁決を求める。


「朽木家は我が幕府にとって忠義厚き家じゃ。稙綱殿は大御所を良く助けてくれた。藤綱や成綱も良くわしに仕えてくれておる。わしは朽木家を助けたく思う。兵部大輔の申すとおり晴綱殿が残念ながら亡くなったのであれば朽木は混乱しておるだろう。我らが行くことで朽木家を助けることができるであろう」


 公方様の言で軍議は決し、幕府軍は明朝に陣を引き払い朽木谷へ向かうことになった。

 朽木に向かうにあたって色々と準備をしなくてはならない。


 まずは対峙している田中城の田中頼長たなかよりなが平井頼氏ひらいよりうじから和議の使者を送って貰うことにする。問答無用で攻め寄せといて和議もないと言われそうだが、田中城の包囲を解いて安全に朽木に転進するためには必要な策なのだ。

 

 無論形だけの和議交渉である。なぜか個人的にムシャクシャしていたので高圧的に田中頼長の切腹で城兵の命と田中家の存続を許すことを条件にした。

 和議の交渉中に幕府軍は田中城の包囲を一時解くというもっともらしい言い訳を伝えさせる。和議の交渉中であれば追撃する意思を鈍らせることができるからな。


 横山城よこやまじょう武曽城むそじょうは田中頼長との和議交渉をお願いする平井頼氏に守備を任せるが、万が一の時は放棄して撤退しても良い旨を伝える。

 田中館には渡辺告を置き、次に補給線である勝野津かちのつの確保は堅田衆かただしゅうに任せる算段をする。田中館も確保が難しければ放棄して勝野津へ逃れるよう伝え置く。

 横山城や田中館が必要になれば、また後で攻め取ればよいだけだ。無理に守る必要はあるまい。


 朽木入りについては朽木藤綱と相談して先触れの使者を送ることにした。公方様に許可を貰って朽木藤綱と朽木家中に送る書状をしたためる。 

 これまた文面が高圧的になってしまった気がするが、丹精こめて作った体操着が燃えてしまってムシャクシャして書いたからではないぞ……本当だぞ?

 朽木藤綱の郎党にその書状を持たせて、すでに夜であるが朽木へと走らせた。


 すべての準備を終えて義藤さまに報告に上がったのだが、すでに義藤さまは寝息を立てていた。


「義藤さま……申し訳ありませぬ。藤孝は義藤さまの気持ちを裏切ることをしております。お許しくだされ――」


 義藤さまの可愛い寝顔に向けて謝罪をつぶやくのであった。


 ◆


 田中城の和議交渉と監視を平井頼氏、渡辺告に任せて、残りの全軍で朽木谷へ向かう。田中城から北上し三重生村みおうむらに至り、そこから安曇川あどがわ南岸を西進して中野村、長尾村を通り朽木谷へと向かっていく。


 順調に進軍していたのだが、安曇川の湾曲部であり朽木渓谷と呼ばれる場所にある野尻坂砦のじりざかとりでで進軍を阻まれることになった。


「藤孝、どういうことじゃ、なぜ我らが攻撃を受けるのじゃ。わしが朽木に向かうことを朽木の者らが知らぬわけではなかろう」


「申し訳ありませぬ朽木家には書状を持たせた使者を昨晩のうちに走らせておいたのですが……ただ、あの砦が我らの行く手を遮るつもりなのは明白です。朽木藤綱殿が交渉を試みましたが拒絶されました。見れば小勢でありますので攻め落とすことは容易と存じますので、攻撃の許可を頂きたくあります」


 野尻坂砦は京を追われた足利義晴を朽木谷に迎え入れた朽木稙綱が1528年に築いた砦といわれる。足利義栄あしかがよしひでを奉じた細川晴元が朽木谷に攻め込んできたが朽木稙綱は野尻坂砦で迎え撃って見事撃退したという……が、野尻坂砦はなんかもう突っ込みどころ満載だ。


 恐らくは堺公方の足利義維あしかがよしつなを奉じた細川晴元と細川高国とが争っている時期に、細川晴元方に通じた浅井亮政あさいすけまさが高島郡に攻め込んでいるようなので、野尻坂砦はその際に築かれたのではないかと個人的には考えている。


 その野尻坂砦に恐らくは朽木家の手の者が篭り、なぜか我が幕府軍の行く手を遮っているのだ。


「交渉に応じないのでは仕方があるまい。すみやかに落とすがよい」


 山岳戦には慣れておりますと先陣を願い出た高野たかの佐竹蓮養坊さたけれんようぼうと山中の磯谷久次いそがいひさつぐに正面から砦を攻めさせる一方、淡路細川家のレンジャー部隊を率いる斎藤利三さいとうとしみつには砦の裏手に密かに回らせた。

 裏手に回った斎藤利三による焙烙火矢ほうろくひやの投げ込みを合図に一斉に砦に攻め寄せる。渓谷の砦で攻めるに難しくはあったが、所詮は多勢に無勢であり抵抗空しく砦は焼け落ちた。


「藤綱殿。野尻坂砦で我らに抵抗した守将は誰であったか?」


 討ち取った敵将を朽木藤綱に確認させていた。


「も、申し訳ございませぬ……我が家中の日置貞忠ひおきさだただにございました」


 さすがに朽木家の陪臣の名前までは知らないが、藤綱が言うのなら間違いはないのだろう。どうやら朽木家は敵になったようである。


「公方様に報告せねばなるまいな」


 忠臣と信じていた朽木家が我ら幕府軍に刃向かう事態が明白となり、公方様は心の中で泣いているようだ。


「なぜ皆幕府を裏切るのじゃ……忠義の家はどこにも存在しないのか」


 義藤さまを悲しませることになってしまい、さすがに良心が痛むのだが進言せねばなるまい。


「公方様、朽木の者が全て幕府に背いたわけではありませぬ。我が陣中には藤綱・成綱の兄弟があり、勝軍山城の大御所の側には朽木稙綱殿もおわします。晴綱殿の討死があり朽木家は混乱しているだけかと存じます。我ら幕府軍で朽木藤綱殿を守り立て、朽木家中の謀反者を討てば朽木家はこれまでどおり変わらず幕府に忠義を尽くしましょうぞ」


「そうだな……すまぬ。藤綱に朽木の案内あないを頼み、すみやかに朽木を平定しよう」


 朽木藤綱は朽木家中が幕府軍に叛旗を翻したことを謝罪し、改めて公方様に忠誠を誓った。朽木藤綱と成綱を先頭に幕府軍は朽木谷へと踏み込んでいくのであった。


 ◆


 野尻坂砦のじりざかとりでにおける朽木家中くつきかちゅうの抵抗を排除した幕府軍は朽木谷の中心である野尻のじりに入った。さらなる抵抗があることを予想していたのだが、組織だって敵対する者は無く難なく朽木館を包囲することができてしまった。

 幕府軍に包囲された朽木館は逃げ出すものが居たり、命乞いをするものが居たり、館の中は混乱の最中さなかにあった。


「公方様、朽木館くつきやかたは混乱しておりいささか危のうございます。事態が落ち着き朽木家中の敵味方がはっきりするまで岩神館いわがみやかたを本陣にしたくあります」


「うむ、任せる」


 岩神館は野尻の朽木館の南方にあり、大御所の足利義晴あしかがよしはるがかつて朽木に逃れた際に逗留した場所になる。その岩神館に幕府軍は本陣を置き朽木領の制圧を行うことになる。


【朽木館は朽木陣屋跡くつきじんやあとにあったとされる朽木家の居館きょかん朽木城くつきじょう朽木谷城くつきだにじょうとも呼ばれる。朽木館は統治のための政庁であり戦の際には館の北の山中に築いた西山城にしやまじょうを詰めの城として篭城したと思われる。岩神館いわがみやかたは現在の興聖寺こうしょうじになり、きゅう秀隣寺庭園しゅうりじていえんとして当時の庭園が現存しているとされる。史実では三好長慶みよしながよしに京を追われた足利義輝あしかがよしてるが朽木に逃れた際に岩神館に在することになる】


 朽木館では朽木藤綱くつきふじつな朽木成綱くつきしげつなの兄弟が事態の収拾に勤めている。どうやら幕府軍に対して兵を挙げたのは朽木家中の一部であり、反幕府で朽木藤綱に敵対する家中の者どもは朽木館を脱出したようであった。

 朽木館に留まった者らは朽木藤綱に服して忠誠を誓う者も少なくないようだ。また様子見で野尻から逃げていた者らも朽木館に戻りつつある。


「藤孝、朽木の家中の動静はどうなっておるか。朽木家の全てが敵対したわけではないのだな?」


「朽木館で事態の収拾にあたっている朽木藤綱の話では、朽木家中の一部が前当主である朽木晴綱くつきはるつな遺児いじ朽木竹若丸くつきたけわかまるを奉じて野尻の朽木館を脱出、詰めの城である西山城に立て篭もったとのことであります」


朽木竹若丸くつきたけわかまるはのちの朽木元綱くつきもとつなで、浅井長政あさいながまさに裏切られ朝倉あさくら攻めから撤退する織田信長を助けたり、関ヶ原の戦いで小早川秀秋こばやかわひであきのオマケで西軍から東軍に寝返ったりして朽木の家名を残した人物である。だが、この時はわずか2歳の幼子だったりする】


「その朽木竹若丸とやらが我らに対し兵を挙げたということか?」


「いえ、朽木竹若丸はわずか2歳の幼子というので、朽木の一門衆である宮川家の一党が叛乱はんらん首魁しゅかいのようであります」


「その宮川家は何ゆえ我ら幕府に兵を向けたのじゃ」


「はぁ、どうにも朽木藤綱に反発したようです。当主の朽木晴綱殿の討死という事態に幕府が介入して朽木家の当主を朽木藤綱殿に挿げ替えようと画策していると、宮川家の者らは考えたようであります」


「朽木家の家督は当主の朽木晴綱亡き後は稙綱たねつな殿が決めることであろう。普通に考えればすでに元服し武功も挙げている藤綱の方が2歳という竹若丸とやらよりは相応しいと思うが、わしは朽木家の家督に口を出す気はないぞ」


「よくある話です。在京していたため国許くにもとの家中とあまり親しくない藤綱殿よりも、何もできない2歳の幼子を祀り上げる方が朽木家の重臣たちにとっては、いろいろと都合がよろしいのでありましょう」


「それでは謀反むほんではないか」


「このままでは朽木家は重臣らの専横を許すことになりましょう」


「2歳の幼子を祀り上げる宮川のやり口は気に入らぬところであるが、藤綱は宮川家を説得することはできないのか?」


「宮川らが援軍の宛てもなく篭城するとは思えませぬ。西山城に篭る朽木家中は京極きょうごくや三好と通じている恐れもありますれば……朽木の安泰のためにも速やかに対処するがよろしいかと」


「……西山城の宮川らを討てと申すのか?」


「朽木藤綱殿が朽木家を早期に掌握するためには……討つ必要があると存じます」


「……分かった。幕府に反し京極や三好と通じる朽木家中の宮川らを討つがよい。だが幼子の朽木竹若丸に罪はなかろう。宮川家の者らから保護するようにな」


「はっ、仰せのままに」


 公方様の許可が下りたので朽木竹若丸と宮川家の者らが篭る西山城を攻撃する準備に入る。

 公方様の在所となっている岩神館の守備は親父の三淵みつぶち軍に任せ、大和晴完やまとはるみつ小笠原稙盛おがさわらたねもりには街道の封鎖をお願いした。


「藤綱殿、公方様の命が下った。西山城を攻めるがよろしいか?」


「はっ、此度こたびは朽木家中の者どもが幕府に手を焼かせ申し訳ありませぬ」


「同じ朽木家の者が西山城を攻めるのは心苦しかろう。我ら淡路細川家が西山城を攻めるゆえ、藤綱殿には他の朽木家中の押さえをお願いしたい」


「その……竹若丸はどうなりましょうか?」」


「ご安心されよ。藤綱殿が朽木家を掌握するために余計な者はなるべく取り除いておきましょう」


「お心遣い感謝いたします」


 野尻の朽木館から北方の山中にある西山城を淡路・和泉細川家の手勢と佐竹蓮養坊さたけれんようぼう磯谷久次いそがいひさつぐの軍勢で包囲する。西山城に篭るのは朽木竹若丸と宮川みやがわ蔵人助くらんどのすけ頼忠よりただ宮川みやがわ三河守みかわのかみ貞頼さだよりなどの軍勢であるが、小勢であるので簡単に落とせると思われる。

 ぶっちゃけると彼らはろくに準備もしておらず、慌てて篭城しただけであるのだ。


源三郎げんざぶろう。いつも嫌な役を押し付けて申し訳ないが、おもだった者は全て討ち果たして欲しい」


「幼子の朽木竹若丸やその母も残らず討ち果たすことでよろしいのですかな?」


「ああ、すまないが頼む。朽木を幕府に忠実な家とするためには必要なのだ」


「安心しました」


「安心?」


「はい。我らが主君は必要な措置を断固として行えるようでありますな。幼子ゆえ見逃せとでも言い出したら、若を叱るつもりでありましたが杞憂きゆうでありました」


「つまらぬ情けで台無しにする気はないよ。源頼朝みなもとのよりともを助命した平家の愚行もあるしな」


「しかし朽木家中も簡単に挑発に乗ってきましたなぁ」


「朽木家にお家騒動を起こして幕府が介入する口実を作るだけのつもりが、いきなり挙兵だからな」


「それだけ宮川や日置ひおきは忠義厚き御仁なのでありましょう。ですがよろしいのですか? 宮川家や日置家を潰しますと朽木家の兵が弱体することになるかと」


「多少弱くなったところで大して変わらんよ。九里半街道くりはんかいどうの掌握と朽木谷でのメープルシロップ採取が出来れば良い。朽木家の軍事力なぞ期待していないからな」


 朽木元綱くつきもとつなが戦巧者であったという話などは聞いたことが無い。朽木家は織田、豊臣、徳川の時代に時勢が読めたことで生き残っただけなのだろう。軍事力としてはあてにならん。


 西山城は周囲を包囲され、その大手門は淡路・和泉細川家の軍勢による猛攻にさらされた。城攻めは苛烈を極め、ろくに備えをしていなかった西山城は……蹂躙じゅうりんされた。

 焙烙火矢ほうろくひやに大量の鉄砲を惜しげもなく投入し、一気に大手門を突破。米田こめだ源三郎げんざぶろう求政もとまさ金森五郎八かなもりごろはち長近ながちかが城内に雪崩込なだれこんでいく。


 から斎藤利三さいとうとしみつが封鎖しており、城の周辺は佐竹と磯谷とともに明智十兵衛光秀の鉄砲隊や吉田雪荷せっか重勝しげかつの弓隊が逃げる兵を狙い撃ちにしていた。退路を失った城兵は雪崩れ込んだ米田、金森の指揮する兵に一方的に殺戮されていくほかなかった……


「若殿、西山城の制圧が終わりました。宮川頼忠みやがわよりただ宮川貞頼みやがわさだより、それと朽木竹若丸くつきたけわかまるとその母らはみな自決して果てもうした」


 金森長近が西山城の制圧と主だった者の集団自決を報告して来る。


「間違いはないか?」


「間違いなくこの五郎八が確認しましたのでご安心召されよ」


「すまない。では亡骸なきがらは朽木藤綱殿に確認して貰ってくれ」


 城は一刻ももたずに落城しりにされた。篭城していた朽木竹若丸に宮川頼忠、宮川貞頼らは全員集団自決して果てたのであった。


 はなから勝ち目のない篭城であったのだ。朽木竹若丸を奉じて西山城に篭城した宮川頼忠に宮川貞頼は野尻坂砦が落ちて慌てて西山城に篭城したのだろう。

 彼らが京極家や三好家と通じる? そんなことは考えても居なかったし、そんな暇は無かったと思われる。

 そんなものは公方様に西山城攻めを許可してもらうための方便でしかない。


 彼らは、朽木竹若丸を守るために義憤から篭城したのだろう。昨晩、朽木の館に朽木藤綱と俺の書状を持った使者が現れ彼らは暴発したのだ。


 その書状には朽木藤綱が明日朽木へ軍勢を連れて参るので、竹若丸や朽木家中は臣下の礼で朽木藤綱殿を出迎えるよう命じていたとか、竹若丸は勝軍山城しょうぐんやまじょうに連れていくのでその準備をせよとか、高島越中たかしまえっちゅう家との戦を主導した者の責任を問うから覚悟いたせとか、いろいろ酷いことが書かれていたそうであるが、その書状は西山城で燃え尽きてしまい、その内容を知る者もほとんどが討死した。


 篭城に参加しなかった者がそのような書状があったことを証言することもあったというが、新たに朽木家の当主となった朽木藤綱がそれを口にしたものを幕府に逆らうものとして粛清してからは、朽木家においてはタブーとなったようである……


 宮川頼忠に宮川貞頼は朽木晴綱の重臣であり、その嫡子である朽木竹若丸を守るために散った忠臣であった……亡き主君の遺児を理不尽に扱おうとする幕府に対して怒り、そして無謀な挙兵に踏み切ったのだ。死を賭しての抗議であったのかもしれない。


「申し訳ありませぬ。朽木竹若丸とその母を自害


「気にするでないぞ。何事も上手くいくとは限るまい」


「それと朽木家の家督の件ですが、朽木藤綱殿と認めると御内書ごないしょしるしていただけると朽木家中も安心するかと存じますが」


「一部の者が刃向かったとは言え、わしは朽木家を取り潰す気はない。御内書はすぐに書こう。藤綱には心配いたすなと伝えるがよい」


「朽木竹若丸や宮川らの亡骸なきがらですが」


「丁重にとむらってやってくれ。死してまでおとしめることはなかろう」


 うーん、なんて良い上司なんだろう。これで可愛いんだから文句のつけようが無いわ。


 朽木晴綱の討死から始まった朽木谷の混乱は西山城の陥落と朽木竹若丸の死によって一応の決着を見た。朽木藤綱が新たな朽木家の当主となり幕府がそれを後見することによって、朽木家中も安定することになる。


 下手に時勢が読める朽木元綱とその配下らなどは、京に近く九里半街道や若狭街道を抑える朽木の地に居ても邪魔なだけなのだ。

 幕府が横槍を入れることによって朽木家の新当主となることができた朽木藤綱の方が幕府に恩義を感じることになるし扱いやすい。

 室町幕府が各地の守護家などの家督争いに介入するのも同じことだ。幕府に従順な当主の方が都合が良いからな。


 俺にとっても朽木藤綱の方が何かと便利である。これで朽木谷からメープルシロップは取り放題に出来るし、流通を抑えることも容易になるだろう。


「しかしまあ……俺も悪人になったものだ……」


 細川高国ほそかわたかくにが作事させたという岩神館の庭園を見ながら一人自嘲するのであった――

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