第六十六話 足利義藤初陣
天文十九年(1550年)4月
公方
天下の将軍率いる本隊が2,000ぽっちというのは寂しい限りだが、これが現実です……
そういえば淡路細川家は俺が率いることになったのだが、当主で義父の
それと和泉細川家の軍が合流したりしているけど、これは伯父の
のちの細川三家老こと
大御所は病で動けないため勝軍山城にむろん残っている。勝軍山城の留守居には大御所の側近や近衛家関連の兵に、細川晴元の京兆家の兵らが残っている。
洛中には
本隊の2,000の軍勢だけで高島郡を攻めるにはさすがに無理があるので、後続隊も急ぎ編成中である。
近江山中の
高島郡に出陣する軍勢は合計で4,000程度にはなるかな。あとは坂本など
準備万端整っていた本隊2,000は
堅田は琵琶湖の最も狭い部分にあり北湖と南湖に分ける位置にある。現代では琵琶湖大橋が架かっている所で、この時代では湖上水運の要衝として栄えており、のちにルイス・フロイスが「
(対岸にはピエリ守山があったりします)
幕府軍はその堅田の町に入り
「義藤さま、本日はこちらの
堅田の漁師からうなぎを仕入れていて、土地勘のある
「ん、だが戦に出て寛ぐのもおかしかろう。余り気を使うでない。それとも宴席で誰ぞに会えということか?」
「公方様の
「チャンスは最大限に活かす。それが私の主義だ」と、カッコつけるわけではないが、公方様自ら出陣してしまったら、そりゃあその権威は最大限利用させて貰うに決まっとるわ。
殿原衆には高島攻めに協力して貰う見返りに恩賞やら水運の利権を与える約束だったが、戦を始める前に公方様への謁見という恩を先に売れれば、なおよろしいからな。
「分かった、呼ぶが良いぞ。その方はわしの出陣には反対していたはずなのに随分と用意のいいことだな」
愚痴をこぼしながらも仕事はしっかりやってくれる公方様で大助かりですわ。
殿原衆と幕府を仲介してくれたのは大徳寺の
その二人と渡りをつけてくれた
【
同じ臨済宗でも京都五山とは違って大徳寺は室町幕府とは疎遠だったりするのだが、三好家が大徳寺を保護して繋がったりするので、三好家を牽制するためにも大徳寺と幕府の仲を修復する必要があるだろう。
【大徳寺の塔頭である
大友家との関係強化や、それに今回の
大徳寺には殿原衆との仲介の労をもって将軍の親征に協力した実績を作り、何かしらの恩賞を取らせ、今後の関係強化の布石としたいところだ。
あと実は、大徳寺は後年に細川藤孝が起こす肥後細川家の菩提寺になるので、仲良くしておきたいという個人的な事情もあったりするが、これはまあ内緒のことだ。
【細川藤孝の弟で大徳寺130世住持の
堅田の殿原衆は琵琶湖の水運に大きな力を持つため関係強化は必須であるが、堅田衆と仲良くする理由には琵琶湖産のうなぎを清原家が仕入れていたり、茶屋明延が大垣からの物資を堅田衆に輸送して貰っていたりと、これまた個人的な事情があるので幕府と仲良くなってもらわないと商売上困るのだわ。
公方様は殿原衆が親征に協力を申し出て来たことに喜んでいるし、殿原衆も公方様との思いがけない謁見が叶って喜んでいる。大徳寺の怡雲宗悦も公方様と殿原衆との謁見の仲介という大役が果たせて喜んでいる。
皆が満足できるよい宴席となった。やはり公方様が出張ると物事が上手く進んでくれる。室町幕府の威光がまだ地に落ちてはいないことを確認できて喜ぶ俺であった。
◆
「むにゃあ……お腹いっぱいじゃあ……」
可愛く寝ぼけている義藤さまを叩き起こして、軍勢を舟に乗せて堅田の
琵琶湖の西岸を順調に北上して、高島郡の
兄の
「気持ち悪い吐きそう……」
「
「ん……大事ない」
「永田城はここからほど近き場所になり、高島七頭が一人の永田伊豆守の城になります。よろしければ公方様、進軍の下知をお願いします」
「分かった……目指すは永田城じゃ。者ども、わしの初陣を飾る見事な働きを期待する」
「まかされよ」――親父の三淵晴員が嬉しそうに応えていた。
昨日の昼前に
毎度卑怯くさいが、永田城を包囲した幕府軍は一斉に問答無用で襲い掛かった。昨日まで京に居たはずの軍勢が攻めかかって来るなど予想もしていないだろうし、恐らくは攻めかかってきた兵が幕府軍とも気付いていないものと思われる。永田城にとっては完全な奇襲攻撃となった。
「これが
「この風、この肌触りこそが戦であります」
歴戦の古将のように言ってみるが、まだ俺には似合わないだろうな。
「何を偉そうに言っておるか、しかと指揮をせぬか。この戦はお主が仕切っておるのであろうが」
「ご安心下さい。事前に陣立てや寄せ方は指示しております。それに優勢な兵力でろくに防備も整っていない館への奇襲攻撃です。すぐに落とせましょう」
幕府軍は最早弱いものイジメを得意としており、平城というか館を攻めることは慣れているし段取りもバッチリだ。
「何やら非常に卑怯な物言いに聞こえるのう?」
「戦は敵の虚を突き、弱きところを攻めるが上策。戦に卑怯もクソもありますまい。勝つことこそが肝要、正々堂々と戦って負けるは愚か者の所業というものです」
「そうか、覚えておこう」
「義藤さまは初陣でござりますれば、まずは戦場の空気にお慣れください」
ワー! ワー!
「ん? 何事か?」
「敵が打って出てきたようにございます。破れかぶれの悪あがきでありますな」
いきなり現れた謎の集団(一応幕府の正規軍です)に館を攻められ、逆上して打って出たようだが、あれでは良いマトにしかならん。
パパパーン!
「む、鉄砲か」
「はっ。城から打って出た敵勢を
「そうか……」――義藤さまは一瞬悲しげな顔をしたが、本陣に伝令が駆け込んで来たのですぐに気丈な顔へと戻った。
「伝令!
「大儀である。
永田城は半刻もせずに焼け落ち、
「義藤さま、すぐに進軍いたしますればご用意を」
「分かった。七郎(
「ここいらの押えは
「……よくわからぬが、城というものはついでに落としていくものか?」
「良いのです。どこのどいつが征夷大将軍の御親征に文句を付けられましょうか」
「ついでに落とされる小川城は文句の一つもいいたいと思うが……お主、最初からわしを、公方の名を利用するつもりであったのではなかろうな?」
「何をおっしゃいますか、公方様には危ない戦場にはお立ち頂きたくはありません。本来はこの将軍旗たる
足利将軍家の御旗である
ようするに将軍の旗があるということは幕府の正規軍になり、それに敵対するもの「賊軍」になるわけだ。
公方様の名は最初から利用するつもりマンマンではある。
「危ないも何も本陣を出やしないのだ。危険になりようが無いではないか」
義藤さまは城攻めで本陣にただ座っているだけなのが不満のよう。だが戦場では何が起こるか分からないものだ。松井新二郎や沼田兄弟ら供廻りの奉公衆が本陣を固めているが危険が皆無とは言えない。
「本陣とはいえ、伏せた敵兵が攻め掛かって来るやもしれませぬ。ゆめゆめ油断は致しますな」
「わかっておる。子供扱いするでない」
◆
幕府軍は
小川城を焼き払ったあとは北西に進路を変え、高島郡の
南市村の近郊には
田中頼長は永田城・小川城があっけなく落城した報を受けて、さっさと田中館からトンズラしていた。詰めの城である
アンガールズ田中には逃げられてしまったので、しょうがないからザキヤマを攻めるとしようか。
「皆の者かかるがよい!」
公方様の号令で
守りの堅い山城をひとつ落とすことも、平城をみっつ落とすことも名声はそんなに変わらないだろう。変わらないなら楽な方を選ぼうや。
「
毎度変わらぬ手順で城攻めを指揮していたら、公方様の
「どうした新二郎?」
「我らはこの高島攻めが初陣になりますだろ。
本陣にただ座っているだけの義藤さまも不満だったようだが、その義藤さまを守る供廻りも戦に参加できずに不満だったようだ。
なんでこう幕府の連中は好戦的な連中が多いのだろうね。ヒマなら楽が出来て良いではないか。
「新二郎あのなぁ。お主らは公方様の護衛であるぞ? その本分を忘れ、槍働きがしたいなどと――」
うるせえ大人しく公方様を護衛してろや! と、却下しようとしたら公方様に口を挟まれてしまう。
「藤孝、わしからも願う。その者らにも活躍の機会を与えては貰えぬか?」
「公方様にそう申されてしまいましては……うーん、
公方様にお願いされてしまっては仕方がない。
あっさり攻め落としているとはいえ、本日三度目の城攻めだ。さすがに兵も疲労している。新手で精鋭たる公方様の供廻りに寄せ手を交代するのもありだろう。
「公方様、あまり甘やかさないで下さい」
「すまぬ。だが、あやつらにも戦場を経験させることは必要であろう」
まあ、そう思ったから配置転換させたけどさ。勝てる戦であれば経験を積ませることも良いだろう。
「お前らを
「首を洗って待っているがよい」
「やつらはただのカカシだ」
「てめえらなんか怖かねえ!」
「野郎ぶっ殺してやる!」
松井新二郎や
こいつらは普段から肉を食いまくり、
見た目は花
「あれ七郎? お主は行かなくてよいのか?」
供廻りの連中は喜び勇んで城攻めに向かったと思いきや、御部屋衆の
「あんな筋肉だるま達と一緒にして欲しくないですぅ。私は文化担当なので、ここで大人しく公方様にお茶でも献じておりまするー」
文化担当とか有るのか知らないが、
城攻めの手順はいつもと変わらない。周囲を囲んで敵勢を分散させ、鉄砲隊と弓隊で牽制してから、米田求政が突撃を指揮して城門を突破する手筈だ……った筈なのだが――
「イヤッフー!」
「デッデウー!」
「ランランルー!」
――なぜか城門を攻めずに新二郎たちは謎の掛け声を発しながら脅威の跳躍で塀を飛び越えていった。一体何をしているのだアイツらは……
誰だ? やつらに槍を使った棒高跳びなんぞ教えたのは……すいません俺でした。やつらジョークと思わずマジメに練習に取り組んでいたのか? 華麗に飛び越えて行きやがったではないか。
「ひでぶっ! あべし! たわば!」
「汚物は消毒だろー!」
「ひゃっはー、ここは地獄だぜー!」
「幕府軍の強さは
ヤツラが飛び込んだ敵の城内から悲鳴やらわけの分からん絶叫が聞こえて来る。
「藤孝、城攻めとはずいぶん豪快なものなのだな……」
「いえ……アレは何かの間違いですので忘れて下さい」
あんな城攻めがあってたまるか。
「お前はもう、討ち取っている!」
「敵将!
「……何か討ち取ったとか叫んでいるぞ?」
「はぁ……ですが公方様、あのような無謀な突撃はダメな見本ですので絶対にマネをしないようお願いしますね」
「安心するがよい。あんなものマネのしようがない」
「ソーデスネ」
◆
いろいろ問題はあったが、ともかく
勇躍城攻めに参加した新二郎や沼田兄弟ら公方様の供廻り衆が、なぜか城主の山崎三郎五郎を討ちとってしまうという大金星を上げたりしたが、まあ細かいことは忘れてしまおう。
あっさり勝ったことだけ覚えておいて欲しい。
幕府軍は五番領城を焼き払い、
「
「
本陣とした田中館で腰を落ち着けた義藤さまが声を漏らす。
「永田や山崎は
永田家は分家の
逆に山崎家は六角家の家臣でのちに織田信長に仕えた
「そうか
「それに敵の虚を突き、敵が
「本番前に潰された永田や山崎が哀れだが、あの強行軍や舟を使っての上陸はそなたの見事な策であったということか。見事である。褒めて使わそう」
「ありがたきお言葉。では褒美ではありませぬがひとつお願いをお聞き届けいただけませぬか?」
「よいぞ。何であるか?」
「しからば、こちらの装束にお着替えをお願いいたしまする」
「は? な、なぜに巫女の装束を着ねばならぬのだ。み、皆に見られては困るだろうに」
「これには深〜いわけがあるのです」
「どんなわけじゃ!」
「ここは敵地であり、元は敵の城になります。どこぞに
【上杉謙信(長尾景虎)は毎日装束を変えて忍びの者の目を欺いていたという逸話があったり、なかったりする】
「変装は分かったが、なんで
「
「よ、夜伽となっ?」――ボン! 義藤さまが真っ赤に爆発した。
真っ赤になって恥ずかしがる義藤さまはトニカクカワイイが、流石に冗談が過ぎたようである。涙目になって来たので冗談ですと土下座で謝ったが許しては貰えなかった。
「この
義藤さまは汚らわしいものを見る目つきで言い放ち、見事なドラゴンフィッシュブローを放って俺を
KOされた俺は謎のマッチョな集団に連れ去られ、
初陣で緊張していたであろう義藤さまを和ませるつもりのジョークだったのだが、全くもって冗談にはなっていなかったようである。
ただ、義藤さまに
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