第六十四話 長尾景虎

 天文十九年(1550年)3月



長尾ながお平三へいぞう景虎かげとらでござる」


細川ほそかわ兵部大輔ひょうぶだゆう藤孝ふじたかにございます……」


 お互いが名乗りしばらく沈黙するが、景虎が再び開口する。


「遠路はるばる大儀でござった」


「景虎様みずからのお越しを感謝いたします」


神五郎じんごろう新左衛門しんざえもんではそちの相手は荷が重いようであるのでな。自らしゃしゃり出てしまった。兵部殿、余りわれの臣を苛めないでいただきたいものじゃ」


「苛めるなどとは……私は長尾家との友好を――」


「兵部殿。前置きは良い。そちの目的はなんじゃ? われに何を求めてはるばる越後まで参ったのじゃ」


「それはむろん長尾家の公方様への忠義にございます」


「忠義はむろん尽くそう。御所様ごしょさま(足利義藤)には我が長尾家を越後国主として認めてくれた恩義があろう……」


「むろんであります。公方様は長尾景虎殿による越後の鎮撫ちんぶを期待しておいでです。国主の格たる毛氈鞍覆もうせんくらおおい白傘袋しらかさぶくろ塗輿ぬりこしの免状はこれにあります」


 直江景綱なおえかげつなに公方様直筆の御内書ごないしょを渡す。受け取った直江景綱が長尾景虎にうやうやしく渡している。


「御所様御自おんみずからが筆を取ってくだされたか。ありがたき仕儀じゃ。この長尾景虎……御所様のため力を尽くす所存にござる」


「公方様は景虎殿を正統なる越後国主であると認め、従五位下じゅごいのげ信濃守しなののかみへの任官をお勧めしております。越後の統治の助けともなるかと存じますれば、それがしを通して幕府へ執奏しっそうするがよろしいかと」


 ちなみに信濃守は景虎の父である長尾為景ながおためかげの官位であり、前例踏襲とうしゅうの意味合いもあるが、長尾景虎の史実における官位である弾正少弼だんじょうしょうひつにしなかったのは、武田晴信たけだはるのぶ(武田信玄)への嫌がらせに他ならない。ただいま頑張って信濃を北侵している武田晴信には信濃守護の補任も信濃守もあげる気はサラサラないのだよ。

(あと現在の弾正少弼は六角定頼ろっかくさだよりなので重複するという問題もある)


「ありがたいことだな。兵部殿もわれのために力を貸してくれるか」


「公方様はむろんでありますが、それがしも長尾景虎殿の武勇に大いに期待しておりまする。なにとぞ我があるじのため長尾景虎殿のお力をお貸し願いたい」


「確かに兵部大輔殿は我が長尾家にお味方いただけるようであるが、なにゆえだ? なにゆえそこまで我が長尾家を厚遇いたす? われに力を貸せとはどのような意味合いじゃ?」


「ただいま公方様は勝軍山城しょうぐんやまじょうにて三好長慶みよしながよしと対峙しております。幕府をあるべき姿へ戻すため、長尾景虎殿の武勇をお貸しいただきたいのです」


「それはわれに三好とやらを討てということか?」


「なにもすぐに上洛せよとは申しませぬ。越後国内をしかとおまとめ頂き、軍勢を率いて上洛できる体制を整えたのち、公方様のため、幕府のため、大義のために、逆賊の三好長慶を討伐していただきたい!」


 長尾景虎の目を見ながら逆賊三好を討て! と訴えたのだが長尾景虎は即答をしなかった。噂のとおりの義の武将であるならばあっさりとウンと言ってくれても良いものだろうが……


「公方様が我が長尾家を高く評してくれることはありがたき事なれど、兵を率いての上洛となると、いささか難しき仕儀かと……」


 直江景綱が消極的な意見を言ってくる。まあ普通はそうだろう。この乱世になんの得にもならないのにわざわざ兵を率いて上洛する馬鹿はいないだろう。


「私は長尾景虎殿の越後国内の鎮撫と上洛の体制を整えるお手伝いをしたく思い、この越後へ参りました……有体ありていにいえば私は長尾景虎殿と商談をしに参ったのです」


 ◆


 上杉謙信(長尾景虎)は義の武将であり領土を欲して侵略を行わなかったかのように言われるが、ただの義の武将なんてことはまったくない。

 また上杉謙信は内政なんかできない戦闘狂いの脳筋野郎に思われているかもしれないが、実は織田信長並の経済ヤクザだったりする。


 越後は非常に広い国なのだが1598年の検地においてはわずか39万石に過ぎない。現在では米どころとして知られる新潟県であるのだが、戦国期には寒冷地に適した改良された稲は無く、二期作・二毛作もろくにできない雪深い不毛な大地であったりするのだ。


 さらに阿賀野川あがのがわ以北は揚北衆あがきたしゅうと呼ばれる独立志向の強い国人衆が割拠するグンマー並みの天外魔境であり、上杉謙信に服しているとはいえ半独立国のようなものでもある。


 三方を山に囲まれ不毛な大地の越後ではあるのだが、越後には富となるものがあった。金山や銀山ではない。越後の富とは北国船ほっこくぶねが行きかう日本海交易路である。


【上杉謙信はそもそも佐渡を領国化しておらず、上田銀山うえだぎんざんの開発は1641の江戸時代である。だが長尾為景は佐渡の本間家ほんまけとは友好関係にあり、関東管領かんとうかんれい山内上杉家やまのうちうえすぎけとの戦いでは佐渡より援軍も得ている。上杉謙信が佐渡の金をまったく得ていないとは正直考えられない。直接統治はしていなくとも佐渡の金は得ていたのではないだろうか】


 さきに桶狭間の戦いを織田家と今川家が伊勢湾経済圏を巡って争った戦いであったと述べたことがあったが、上杉家と武田家の川中島の戦いも千曲川ちくまがわの交易路を巡る経済戦争だったりする。


 武田信玄が上杉謙信という化け物が居たにもかかわらずなぜ北進政策を続けたのか、それは今川家と北条家というこれまた化け物が居たおかげで東海・関東に出られなかったということもあるのだが、先代の武田信虎たけだのぶとらの代から進出していた信濃が日本海の交易路と結びついていたためであるのだ。


 日本三大河川のひとつであり日本一の長さを誇る信濃川は、甲斐・信濃・武蔵の国境にある甲武信岳こぶしだけを源流に千曲川の名で佐久平さくだいら(盆地)、上田平うえだだいら善光寺平ぜんこうじだいら(長野盆地)を結んで流れ、飯山いいやまを越えて越後に入り信濃川にその名称を変え、十日町から越後平野の現在の新潟市で日本海に辿りつく。


 信濃川は飯山と十日町の間の信越国境が渓谷けいこく険阻けんそな急流であり河川舟運かせんしゅううんが困難となっている。そのため「越後の信濃川」と「信濃の千曲川」は経済圏が分断されているのだ。(同じ川なのに経済は分かれているのです)


 信濃にとって「越後の信濃川」やその河口の新潟は交易路ではない。では信濃の千曲川の交易路はどこに繋がっているのか?

 それは高田平野たかだへいやを流れる関川せきかわの舟運であり信濃の海の出口は、上杉謙信のお膝元である直江津なのである。


 千曲川の舟運は飯山を北限としており、そこから陸路で飯山街道いいやまかいどう富蔵峠とみくらとうげ(謙信道)を越えて新井あらい妙高市みょうこうし)に運び関川の舟運で越後高田、直江津なおえつと下り、北国船の行きかう日本海の交易路へと繋がるのだ。


 この関川と飯山街道は「塩の道」でもあり、上杉謙信の「義」をかたるうえで有名な故事である「敵に塩を送る」などは本当にあったのか怪しいのだが、経済で活きる上杉家が「塩止め」と称される経済封鎖などをするわけがないのである。


【武田信玄による武田義信たけだよしのぶの廃嫡と今川家との婚姻解消により、武田・今川間が緊張し、今川氏真いまがわうじざね北条氏康ほうじょううじやすとともに甲斐への塩止めを行ったとされています】


 武田信玄は自前の交易路を渇望していたと思われる。この時代に新兵器として現れた鉄砲は、鉄砲それ自体もそうであるが火薬の原料の硝石しょうせきに弾丸の原料となるなまりなど、すべて交易で手に入れなければならないものなのだ。自前で鉄砲を作ろうにも鉄も交易路がなければ手に入らない。極論すれば交易路がなければ何も手に入らないのだ。


(鉛はこの時代輸入が多く、良質な鉄はたたら製鉄の山陰から得る必要があった)


 川中島の戦いは武田信玄が桶狭間の戦いによる今川家の弱体により、南進政策を取ることで終結した。千曲川と犀川さいがわを境界にすることで折り合いがついたということであろう。上杉謙信は信濃の交易路を守り抜いたとも言える。


(むろん一連の「川中島の戦い」が石高の高い善光寺平の領有争いと、春日山城の安全保障上の戦いであったという面を否定するものではありません。領有権・安全保障・経済の争いでありましょう)


 上杉謙信は農本主義ではなく重商主義の戦国大名であったのだ。領地という「面」ではなく交易路という「点」と「線」を掌握し、領地によらない収入を確保する。この時代の交易路とは戦における兵站へいたんでもあり、上杉謙信のアホみたいな遠征を支えていたのは交易路という経済の掌握であった。


 ◆


 上杉謙信(長尾景虎)のもう一つの「義」の戦いである関東出兵はどうであろうか?

 上杉謙信の関東越山えつざん(侵攻)を見てみるとお祭り騒ぎだった10万と称する小田原城おだわらじょうの包囲以外は利根川とねがわを渡って武蔵南部に攻め込むことはなく、基本的に利根川流域からあまり離れていなかったりする。


 利根川の河川舟運かせんしゅううんは江戸時代の利根川東遷とうせん以降の話ばかりで良くわからないことも多く当時の流路も諸説あるのだが、上杉謙信は利根川を補給路として活用し、また利根川の交易路を抑えることを目的にしていたのではないかと考えている。


 戦国時代の利根川は現在の流路とはまったく違い銚子ちょうし方面ではなく江戸湾(東京湾)に注いでいた。この時代の利根川は荒川あらかわ(現在の元荒川)と合流していたり、会の川あいのかわなどの支流が多くあったり、現在の江戸川の流路にあった渡良瀬川わたらせがわ(旧庄内川しょうないがわ)や太日川ふとひがわとも繋がっていたり、とにかく関東平野は水路と湿地帯ばかりでぐちゃぐちゃだったりする。


 北条氏康ほうじょううじやす関宿城せきやどじょうを「一国を獲るに等しい城」と称している。現代の関宿は利根川と江戸川が分流する場所として有名だが、この時代には渡瀬川で古河こがと繋がっており、利根川とも水路が繋がり、利根川東遷以前の戦国時代から関宿はすでに水運の一大拠点であったのだ。

 古河が関東公方(古河公方)の御座所となったのも渡良瀬川が利根川水運と結合しており重要な交易拠点であったためだろう。


 関東中央部の利根川や荒川の水系などでは、江戸の開府以前にもかなり発達した水運による交易路が形成されており、上杉謙信は関東の土地を支配しようとしたのではなく、この交易路を北条氏康より奪うべく越山を繰り返したのである。(むろん個人の主観です)


 憶測ばかりで申し訳ないのだが、上杉謙信の関東出兵の最大の敗因は成田家なりたけ太田家おおたけであると考える。成田家というと「のぼうの城」で最近は有名だが、戦国時代の成田家は武蔵最大の勢力であり、岩槻いわつき太田家と並んで利根川(会の川、現在の中川)、荒川(元荒川)の水運を支配する川の支配者であった。


 上杉謙信と成田家は鶴岡八幡宮つるおかはちまんぐうで行われた関東管領かんとうかんれい就任式における確執、成田長泰なりたながやす打擲ちょうちゃく事件が有名だが、はっきり言えば戦国期の成田家などは出自がはっきりしないただの一豪族であり、八幡太郎はちまんたろう義家よしいえ(源義家)とは縁もゆかりもないただのかたりだと思われる。

 荒川(現在の元荒川)を握る岩槻太田家は太田資正おおたすけまさが有名であるが、その家中は親北条と親上杉で分裂していた。


(成田家は名族藤原氏の出で八幡太郎義家の頃から大将と一緒に下馬する古例があったとされるが、そんな慣わしは無かったと思うよ。それに式典で下馬しないとかTPO無視し過ぎで無礼すぎるだろ)


 成田家と上杉謙信は関東管領就任式など関係なく、利根川などの水運利権を巡って対立していた。(羽生城はにゅうじょう広田直繁ひろたなおしげの帰属などでも対立)

 上杉謙信の二度目の越山以降において、武蔵南部へ攻め入ることができなかったのは、補給路である利根川から離れることができなかったこともあるが、武蔵の水運を握る成田家と太田家の協力が得られなかったことも大きいのではないだろうか。


 関東平野は江戸幕府以前より利根川、荒川、渡瀬川などにより高度に水運が発達した地域であった。その流路では川商人が兵站を担っていたのである。

 別に自前で運ばなくても商人が運んできた物資を買えば良いのだ。


(誰か川の舟運による交易とか補給とか、関東平野の当時の川の流路の検討込みで、この時代の関東戦国史を調べてくれないだろうか……大坂平野も濃尾平野も関東平野も現在の川の流路で考えてしまっては何もわからないと思うのです。戦国時代の川の水運は現代人が思うよりも重要な補給路・交易路であり「川」なくして戦国時代は語れないと思うのだが……)


 戦国時代は寒冷であり常時飢餓状態にあったとする説もあり、上杉謙信の冬季における関東侵攻は越後の口減らしの側面もあったであろう。

 だが上杉謙信の関東侵攻を関東平野の川の交易路の掌握という面から見ると、また変わった上杉謙信像が浮かび上がらないだろうか?

 結局のところ関東越山は失敗に終わったというオチであるのだが……


(以上脱線終り……脱線し過ぎて申し訳ない)


 ◆


「先ほど神五郎じんごろう(直江景綱)に申していたが、青苧公事あおそくじを肩代わりするという話だったか。青苧は我が長尾家の生命線、そちは商いに参ったと申したが青苧の商いに介入するつもりではなかろうな?」


 長尾景虎に鋭い眼光を向けられてしまう。老練な斎藤道三さいとうどうさんとはまた違った殺気を感じる。


「いいえ! 逆であります。税の肩代わりだけでなく、青苧の畿内における流通に関しましても、それがしが、幕府が全面的に長尾家に協力するのであります」


「全面的な協力と申すか……それが真実であれば、ありがたい話であるが、商談と申すのであれば、何か代わりとなるものをそちもわれに求めることになるのであろう?」


「長尾景虎殿に求めることは最終的には上洛でありますが、その上洛のための費えを蓄えるため、長尾家の有する交易路をお貸し頂きたいのです」


「交易路を貸す?」


「交易路に乗せる商品は――光秀。饅頭屋宗二まんじゅうやそうじ殿と角倉すみのくら殿をこれに」


 明智光秀に急いで呼びに行かせ、饅頭屋宗二と宗二の一族の林宗和はやしそうわ和仲東靖わちゅうとうせい角倉すみのくら吉田光治よしだみつはると弟の吉田光茂よしだみつしげらを会談の間に招き入れる。


「越後の長尾家の掌握する交易路にて商うものはこの笹団子ささだんごになります。我等は青苧に手を出すわけではありませぬ」


 饅頭屋宗二から長尾景虎に笹団子を献上させて食して貰う。


「なんと甘きものよ……」


「口直しに酒も用意がございます」


 角倉吉田光治から長尾景虎に清水の神酒も献上させる。


「美味い、美味すぎるぞ。なんと豊饒ほうじょうで澄んだ味わいよ。これほどの酒、今まで味わったことなど無きことよ」


「この笹団子と酒の二つの商品を越後で商いまする。その協力の見返りとして運上金を長尾家に納めることになります。私は長尾景虎殿の上洛を助けるべく越後まではるばる参ったのであります」


「詳しく聞く必要があるようじゃが、まずはもう一杯所望いたす」


 笹団子という新たな商品を販売し、越後の経済を活性化させるという話に長尾景虎は食いついた。

 美味い酒が呑めそうだから食いついたという気がしないでもないが……たぶん気のせいだろう。


 こうして長尾景虎と越後における商談に入れたわけだが、この越後に長尾家と協力して「越後屋えちごや」と呼ばれる現代の総合商社みたいなものを創ることになる。


 ちなみに「越後屋」の屋号は、史実では三井財閥みついざいばつの呉服屋の屋号として名高い。越後屋の名は三井家の受領名ずりょうめいである越後守に由来し、現代の百貨店の「三越みつこし」は「三井+越後」で「三越」だったりするが余談である。


 今回連れて来た林宗和と建仁寺けんにんじ両足院りょうそくいんの院主である和仲東靖わちゅうとうせいの兄弟は饅頭屋こと林宗二の従甥いとこおい(従兄弟の子供)にあたる。

 林宗和が直江津に常駐して越後におけるメープルシロップの採取とメープルシロップで甘くした笹団子を作る責任者となる。

 角倉吉田家の吉田光茂も吉田神社の酒造りからは離れ、直江津に常駐して酒の販売に力を入れることになった。

 越後国内におけるメープルシュガーの採取と酒造はもう少し時間がかかるが、まずは流通に商品を載せることから始めるわけだ。


「越後屋」は淡路細川家あわじほそかわけ(藤孝)と饅頭屋まんじゅうや林家、角倉吉田家、それに越後長尾家と長尾家の御用商人である蔵田くらた家が共同で出仕し、越後国内におけるメープルシュガーの採取に笹団子と酒の販売を行い、さらには青苧の流通の協力や上方から越後へ物品を送り込むことにもなる。

 上方から越後へ運び込む物にはむろん「鉄砲」が含まれる。


 長くなってしまった商談中に休息をかねて明智光秀による鉄砲の試射を行った。長尾景虎には公方様よりの下賜品かしひんとして会談の場で根来ねごろ産の種子島銃たねがしまじゅう10挺を献上する。むろん俺の鉄砲であるが……


「金はいくらでも出す。100挺……いや200挺じゃ。すぐにでもこの越後へ持って来させるのじゃ!」


 長尾景虎は鉄砲の有用性にすぐに気付いたのだろう、200挺持って来いとか無茶ぶりをかまして来た。すまんが我が淡路細川家がやっと120挺の運用なのだ。さすがにそれは無理というものだ。


 代わりにと言ってはなんだが、連れて来た和仲東靖わちゅうとうせいを紹介した。和仲東靖は昨年まで建仁寺の末寺である薩摩の大願寺だいがんじの住職を務めており薩摩に顔が利いたりする。

 建仁寺のルートを使って薩摩からも鉄砲を調達することを長尾景虎に提案した。建仁寺は越中に荘園を持っており、和仲東靖は見返りに寺領の保護を長尾家に求めるので、両者にとって良い話なのだ。


 ◆


越後屋えちごや」の立ち上げという商談はこれから細部を詰める必要はあるが大筋で合意することができた。

 長尾景虎ながおかげとらという怪物に対するに逆賊討伐という大義名分の提供と、軍資金の提供の二本立てで話を持って行ったわけだが、ひとまずは成功したと言えるだろう。


 その夜、長尾景虎に請われて二人だけで酒を酌み交わすことになった。酒豪といわれた景虎の呑みっぷりは噂どおり凄まじく、越後まではるばる持って来た清水の神酒を一晩で飲み干さんとする勢いであった……もうその辺で勘弁してください。

 売るお酒が無くなってしまうではないか……(涙)


御所様ごしょさまはどのような御方であらせられるのだ?」


「まだお若くありますが、征夷大将軍という重圧に負けまいと、一生懸命頑張っておいでです」


「今はお幾つであるのじゃ?」


「15歳であります」


「お若いな……われが15歳の時は還俗げんぞくして栃尾とちおで戦っておったか。兄に期待され兄の敵を我が手で成敗してくれようと胸を熱くしていたものだ……じゃがおのが手で兄を追い落とし越後の国主になるとはな……世の中一寸先は分からないものよ……」


晴景はるかげ様は頼もしき弟御おとうとご跡目あとめを任せる事ができ安堵あんどしているやもしれませぬ。それに長尾家の家中かちゅうの者らには景虎殿が必要だったのでありましょう」


「そなたは優しき御仁ごじんじゃな……じゃがわれは……戦の事を思案するとな、高揚を押さえきれぬのじゃ。高揚し喜びに打ち震えるいやしき身なのじゃ、家臣に慕われる資格などはないのだ……兄から家督を奪った身でありながら戦となると喜び勇んでしまう。そんな卑しきおのれを恥じ入り、おのれを律しようと毘沙門天びしゃもんてんに祈る日々じゃ」


 戦に高揚する自分を静めるために武闘の神な毘沙門天びしゃもんてんに祈るとか、何かのジョークなのかと思わないでもないが、突っ込んだらダメだろうな。(福の神でもある)


 上杉謙信うえすぎけんしんと言えば矢の飛んでくる敵の城門前で悠然と酒を喰らったり、敵の包囲下にある友軍の城に単騎で救援に向かったり、川中島の合戦では敵本陣に突っ込んで武田信玄に斬りつけたとかいう怪しい逸話じゃなくて、勇ましい逸話が多々あり、勇猛果敢な人物像に思えるが、実は結構ウジウジ悩むタイプだったりするのだな。


(史実でも家臣の仲違いに落ち込んで手紙を置いて家出したり、家出から帰る際には弓矢の道から逃げたと思われたくないとか言い出したり、想い人が死んで拒食症になったり、何をするにも大義名分を欲しがったり、短気起こして失敗して落ち込んだり、実は戦にも結構負けていたり、越後国人にとってはブラック上司だったり、トイレでぶっ倒れて死んだり……変な逸話があったりなかったり)


「戦に荒ぶる気持ちを抑える必要はありますまい。景虎殿は武家の棟梁とうりょうたる公方様くぼうさまにお仕えする身であります。景虎殿の戦は全て公方様のためでありましょう。せ、正義のいくさなのではないでしょうか」


 思わず「正義の戦」とかいう、とてもハズかしいセリフを吐いてしまった。これは景虎殿も笑ってしまうのではないか……って、な、泣いている……だと???


「御所様がわれゆるしてくれると、認めてくれるとそちは言うのか?」


「え、ええ。全ての武家のごうは棟梁たる公方様が負うものでありましょう。それこそが征夷大将軍の勤めであると――」


足利義藤あしかがよしふじ公は……われを救いたもう女神であったぞ。いや、御所様こそが毘沙門天の化身であったのだ……」


 長尾景虎がおかしなことを言い出した。目を潤ませ熱き眼差しで中空を見つめている。どこかにトリップしてしまったようだ。

 だが、ちょっとマテ。その女神(義藤さまです)は俺のものだ。誰にもやらんぞ。

 景虎は大人しくぶつゾーンでもおがんでいれば良いのだ。


「公方様は残念ながら女神でも毘沙門天の化身でもありませんが、景虎殿をお救いすることは可能でありましょう」


「それはどのような意味じゃ?」――景虎が涙を拭きながら聞いてくる。


「公方様は景虎殿が越後守護上杉家の名跡みょうせきを継ぐことを許すと仰っております」


「ん? われが上杉家を継ぐ?」


「越後上杉家は上杉定実うえすぎさだざね殿亡きあと後継者不在でありますが、公方様は越後上杉家の進退を長尾景虎殿に預け置くと仰っております。長尾景虎ながおかげとら殿が上杉景虎うえすぎかげとらとしてその名跡みょうせきを継ぎ、府中長尾ふちゅうながお家の家督かとくは景虎殿の兄、長尾晴景ながおはるかげ殿のお子にお返しすることが宜しいのではないでしょうか? 景虎殿が越後守護として上杉家を継承し、晴景殿の嫡子が府中長尾家の家督となれば、こうの道に背くものではありますまい」


 長尾晴景の子で長尾景虎の甥にあたる「猿千代さるちよ」のことである。史実では元服前に夭折ようせつしたといわれる。

 長尾景虎が妻帯さいたいして子を成すことをしなかったのは、自らを陣代じんだいと考えており、この「猿千代」に家督を返すことを望んでいたのではないかとする説もある。

 その「猿千代」が死んじゃったので後継争いが酷いことになるのだが、それは未来のお話だな。


われが奪った家督を猿千代君に還す……」


「景虎殿は家督を奪ったのではありませぬ。兄と甥のために一時お預かりしただけでありましょう」


「ご、御所様はわれのためにそこまで考えて……」


 いや義藤さまは長尾家の家督とか全く知らんけどな。でもまあ、後継者不在の越後守護家の家督を長尾景虎殿に継がせてくださいとお願いしたら、あっさり「許す」と言ってくれると思うけど。


「越後守護職と上杉家の家名につきまして、景虎殿がお望みになるのであればその継承に尽力いたす用意がございます。越後守護上杉家とはゆかりのある関東管領かんとうかんれい山内やまのうち上杉憲政うえすぎのりまさ殿には幕府が話を通しましょう」


 これには「関東管領上杉謙信」ではなく、「越後守護上杉謙信」を誕生させるという狙いもあったりする。上杉謙信を不毛な関東に送りたくはないのだよ。関東はほっといて良いから畿内を目指して貰おう。

 関東で無駄なパワーを浪費しなかった上杉謙信が越後、越中、能登、加賀と最初から北陸と畿内を目指していたら……どうよ、見てみたくはないかね? 俺は見たい。


 実際問題として、もはや幕府には関東をどうこうする力など皆無なので、関東なぞほっといてコッチ来いということである。


「あ、ありがたき話とは存ずるが、それは上洛を果たし、逆賊を討ったのちの事にしていただきたい」


 公方様とついでに藤氏長者とうしのちょうじゃたる近衛家も使って、長尾景虎の上杉家継承を認めさせてしまえば、誰も反対など出来ないとは思うが、まあ別に急ぐものではないか。


「大功を打ち立てねば公方様に願うわけにはいかぬ。という事でありますかな?」


 長尾景虎が大いにうなずいた。


「御所様にはいずれこの景虎が毘沙門天の旗を掲げて馳せ参じるとお伝え願おう。逆賊はこの長尾景虎が必ずや討伐するとな……」


「心強きお言葉にあります」


 長尾景虎が燃えに燃えている。これは猛虎魂もうこだましいというヤツだろう……長尾景虎をFAフリーエージェントで阪神(畿内)に迎え入れるのだ。これは今シーズンこそVやねんだな。真の「バースの再来」は長尾景虎であったのだ。


 ◆


「現状の洛中はどうなのじゃ。三好筑前みよしちくぜんとやらの兵はいかほどか?」


「今はまだ三好長慶みよしながよしは摂津の平定にかかっており、勝軍山城しょうぐんやまじょうには攻めけてはおりませぬ。ただ三好長慶が本腰を入れればその兵は2万5千から3万5千にはなりましょう」


「兵部殿、われが洛中へ率いる兵は恐らく5千を大きく越えることはできぬものと心得て欲しい」


「5倍から7倍では勝負になりませぬか?」


 上杉謙信は史実で二度の上洛を果たしている。一度目は2千、二度目の上洛は5千の兵を率いていたという。

 さすがに上杉謙信が軍神であろうが7倍の敵を蹴散らせるとは言うまい。(7倍でも勝ちそうで怖いけどそれはゲームのお話だ)


「勝てぬとは言うまいが……厳しかろう」


 上杉謙信は脳筋のように見えて、武田信玄たけだしんげん北条氏康ほうじょううじやすが連合して包囲する松山城まつやまじょうに後詰をしなかった(故意の遅刻をした)ように、勝てない無茶な戦はしない男でもある。戦に関しては義の武将というよりはリアリストではないかな。


「御安心下さい。越後勢だけで三好勢にあたるわけではありませぬ。長尾景虎殿が兵を率いて上洛のにつけば、尾張や美濃、越前に近江の兵も呼応しましょう」


「尾張に美濃、さらには越前と近江と申したか?」


「尾張からは織田おだ弾正忠だんじょうのちゅう信秀のぶひで殿の嫡子、織田信長おだのぶなが殿が。美濃からは斎藤さいとう越前守えちぜんのかみ道三入道どうさんにゅうどう殿。越前からは朝倉教景あさくらのりかげ宗滴そうてき)殿。近江は佐々木六角義賢ろっかくよしかた殿が――かの者らが公方様を奉じて同時に上洛の兵を挙げる算段となっております。その全てを合わせれば三好家と互角以上に戦うことは可能でありましょう」


 いやまあ、これから算段するんだけどさ……


「なかなか剛毅ごうきな話ではあるが、烏合うごうの衆とはならぬか?」


「かの者らを烏合の衆とするか、公方様の精鋭といたすかは……それがしに掛かっておりましょうか」


「そちであれば巧くやりそうであるがな。その策が成って三好を討伐することができればどうなる? 兵部殿はその先をどう見ているのじゃ」


「長尾景虎殿には上杉景虎殿として越後・越中の守護職に。織田信長殿は尾張・三河の守護。斎藤道三殿は美濃・飛騨の守護に。朝倉義景あさくらよしかげ殿は越前・加賀の守護を。佐々木六角義賢殿には近江・伊賀の守護として、また管領代かんれいだいとして公方様を補佐しましょう。足利将軍家は皆様のお力を得て、畿内を直轄地たる御料所ごりょうしょといたしまする。畿内を公方様が、地方を公方様に忠義を尽くす新たな守護家がまとめるのです。あらたな秩序により室町幕府は再興を遂げることに成りましょう」


「スバラシイ、スバラシイぞ兵部殿! くははははは! われはそのあらたな秩序の一翼を担うということだな。もはや5千とかケチ臭いことは言わぬ。越後の総力を挙げて馳せ参じようではないか!」


 越後全軍とか来てくれればそれはありがたいことだが、武田がなぁ……武田信玄が北信濃にしゃしゃり出て来るし、上杉憲政なんかも北条氏康に

 上野こうづけを追い出されて来るから、越後全軍は無理だとは思う。


 だがこれで長尾景虎を上洛させる道筋は掴めただろう。大義名分製造マシーンな公方様から大義名分というエサを与えて長尾景虎をコントロールすれば良いのだ。

 番犬にするなら調教しやすい番犬の方が良いのだよ。かーっかっかか。


 冗談は置いといて、あとは……頼もしきヤツらが上洛して来るまで三好長慶の攻勢から義藤さまを守りきれるかどうかだな……

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