第六十話 よろしい、ならば合戦だ

 天文十八年(1549年)10月



 三階楼いわゆる天守閣が完成して義藤さまが移った。最上階は展望台になっており西の洛中が一望できるようになっている。2階は義藤さまの私室になっており書院造の落ち着いた雰囲気の和室だ。1階は執務室や護衛の奉公衆の詰め所などがある。


「見よ当方は赤く萌えておりますぅ」(意訳です)


「ワレこそは東西南北中央不敗の征夷大将軍よ!」(意訳です)


 この天守閣の完成祝いに連歌ファイトとかわけの分からないことをやって政所執事いせさだたかに怒られたりしたわけだが、連歌ファイトが終わっても相変わらず一色藤長いっしきふじながと義藤さまは中二病的に和歌を詠んで遊んでおる。


 中二病の二人はウザいのでほっとくが、幕府はただ遊んでいただけではなく三好みよし筑前守ちくぜんのかみ長慶ながよしとの和睦交渉も一応はやっていたりする。


 三好長慶は三宝院門跡さんぽういんもんぜき義堯ぎきょう僧正そうじょうを通じて幕府や細川晴元ほそかわはるもとに対して和睦の意思を伝えてきたわけだが、むろん細川晴元が簡単に応じるわけはなかった。

 だが、江口の戦いでボッコボコに負けたばかりであるので無碍むげにできるわけもなく、一応条件交渉は継続している。三好長慶も摂津や和泉の平定戦で忙しいのか積極的に勝軍山城しょうぐんやまじょうを攻めることはせず、幕府と決定的に対立するようなことはまだなかったのである。


【この時期の動きとしては「厳助往年記げんじょおうねんき」の1549年の10月に三好長慶が山崎の地で三宝院門跡義堯と面談していることが記されている】


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厳助往年記げんじょおうねんき醍醐寺だいごじ


 この時代の一級史料である「厳助往年記」は醍醐寺理性院だいごじりしょういんの院主である大僧正の厳助げんじょ(ごんじょとも)が書き残した日記であり、「厳助げんじょ大僧正記だいそうじょうき」ともいう。


 醍醐寺は京都の山科やましな区にある真言宗しんごんしゅう醍醐派だいごはの總本山で密教の寺院であり修験道しゅげんどうの寺でもある。醍醐寺のある醍醐山は豊臣秀吉とよとみのひでよしが醍醐の花見を開いたように桜の名所になっているところだ。(秀吉の時代にはソメイヨシノはないのでシダレザクラかヤマザクラであろう)

 ただ戦国時代の醍醐寺は応仁の乱などで荒廃しており結構ボロボロだったらしい。


 理性院りしょういんは醍醐寺の塔頭たっちゅうの一つで、かつては醍醐五門跡だいごごもんぜき三宝院さんぽういん金剛王院こんごうおういん理性院りしょういん無量寿院むりょうじゅいん報恩院ほうおんいん)と呼ばれ、歴代の醍醐寺門跡が選ばれていた。

 戦国時代の醍醐寺門跡は足利義満あしかがよしみつ義持よしもち義教よしのりの側近として活躍した「黒衣こくい宰相さいしょう」こと三宝院満済さんぽういんまんさい座主ざすとなって以来、三宝院門跡が醍醐寺座主の地位を独占している。


 この時代の醍醐寺座主は三宝院さんぽういん義堯ぎきょうであり、厳助の上司みたいなもの(門主もんしゅ)になる。

 三宝院義堯は九条政基くじょうまさもとの子であり、永正えいしょう錯乱さくらんを引き起こした細川澄之ほそかわすみゆきの弟でもあり、十河一存そごうかずまさの岳父となった九条稙通くじょうたねみちとは歳の近い叔父甥の関係だったりする。その血筋から三宝院義堯は本来九条派であるのだが、近衛家とともに足利義晴と行動を共にしていることが多かったりする。(三宝院門跡は足利将軍の猶子ゆうしになる慣例があり、三宝院義堯も足利義稙あしかがよしたねの猶子になっている。猶子とは相続権のない養子みたいなもの)


 九条家の人間ではあるが足利義晴と行動を共にしていたため、三宝院義堯が三好長慶と幕府との交渉窓口としては適任であったのであろう。

 1549年の10月に行われた三宝院義堯と三好長慶は大山崎で会談したのだが、その会談内容までは分からない。だがその翌月には足利義晴は銀閣寺の裏山に中尾城なかおじょうの築城を開始している。三好長慶と幕府の交渉は決裂し本格的に対立していくことになってしまったものであろう。


 ちなみに醍醐寺は「古都京都の文化財」として世界遺産にも登録されており、国宝も多数あるので、是非行ってみようと言いたいのだが、京都中心部からは遠いので中々行きづらいのである。

 ――謎の作者細川幽童著「どうでも良い戦国の知識」より

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 三好長慶は摂津の伊丹城いたみじょうを包囲中であり、ほぼ摂津を手中に収めようとしている。和泉でも守護代松浦氏まつらしと連携し、守護の代理を務める和泉細川家の細川晴貞ほそかわはるさだを圧倒していた。


 四国においても晴元派の国人を三好之虎みよしゆきとら(実休)が圧迫しており、三好家は摂津・和泉・淡路・讃岐・阿波をほぼ支配下に置き、河内や丹波の一部にも支配は及んでいる。


 畠山尾州家はたけやまびしゅうけ遊佐長教ゆさながのりと婚姻同盟を結び細川氏綱ほそかわうじつなを推戴することで、畠山支配下の河内南部や和泉の一部、紀伊、大和からも兵を動員することが可能であり、連携している和泉守護代の松浦守や丹波の内藤国貞ないとうくにさだの兵も合わせれば、ゆうに3万を超える動員兵力があることになる。


 正直いって全く勝ち目がないのだが、幕府のほとんどは三好家と和睦する意思がなくて困っている。むろん細川晴元もなー。


 大御所の足利義晴あしかがよしはるや三好家と婚姻する九条家に反発する近衛稙家このえたねいえが三好家との和睦には反対しているため反三好派が幕府の主流になっている。

 政所執事まんどころしつじ伊勢貞孝いせさだたかなどは篭城中であっても洛中で政務を執ることが多く、どちらかといえば三好家と妥協して洛中に幕府を戻そうとする三好融和派であるのだが、それでも表立って大御所に反対はしていない。


 京兆家きょうちょうけ当主の細川晴元は六角家や朝倉家、若狭武田家や土岐家などと連絡し、三好長慶に徹底抗戦するつもりのようだ。細川晴元の岳父がくふである六角定頼ろっかくさだよりも晴元を支援している。大御所は六角定頼と近衛稙家のプレッシャーがあり、もはや細川晴元を切ることなどできない状態になっている。


 そういえば細川晴元が持ち込んだのであろうか、いつの間にか近江の国友村でも鉄砲の生産が開始したらしい。鉄砲をすでに実戦に投入している我らにその運用方法を聞いて来たので、明智光秀を講師役に貸してあげたりしている。

 国友村での鉄砲生産はまだ始まったばかりのようだが、生産が軌道に乗った際にはこちらにも鉄砲を廻してもらいたいと思う。


 なぜか生き残ってしまった三好宗三みよしそうぞう榎並城えなみじょうを脱出してきた嫡子の三好政生みよしまさなりを丹波に派遣して、丹波衆の取りまとめに動いており、やはり三好長慶とまだ遣り合う気マンマンのようだ。


 うん……ダレも和睦する気がねえ……まいったなコレは。

 三好長慶の和睦を仲介している三宝院義堯も困ってしまっている。誰も和睦をマジで交渉する気がないのだから……

 俺も三好家との交渉で現状の打開をとか評定の場で口走ろうものなら、また近衛家との仲が破綻するので言えやしないしな。


 だが三好家の交渉役の一人にはなることができた。窓口の三宝院義堯とともに垪和道祐はがどうゆう大館晴光おおだてはるみつ殿と一緒に三好長慶と会談するために山崎へ赴くことになった。


 垪和道祐は細川晴元の側近であり京兆家で奉行を務めるが、京兆家の代表ということになる。大館晴光は大御所の代理で俺は公方様の代理ということになるわけだな。


垪和道祐はがどうゆうは茶人とされる芳賀道祐はがどうゆうと同一人物と考えられ、最近では宗三左文字そうさんさもんじを受け継いだ人物とする説などもあったりします】


 ◆


 三好長慶との会談は大山崎の宝積寺ほうしゃくじで行われることになった。

 つい先日まで幕府軍が駐屯していた所ではあるのだが、すでに大山崎の町は三好家によって制圧されてしまっている。制圧といっても平和的に治めているようであり、統治に関しても三好長慶にぬかりはないようである。(隙がねえ……)


 三好家側の代表と型どおりの挨拶を済ませ、幕府からの治安維持の命令などを伝え、三好家から幕府への献上物の目録などが読み上げられる。まあ、ほとんど意味はないのだが形式は大事らしい。


「皆様、我が主がお茶を献じたいと申しておりますれば別室にて御一服などいかがでありましょう」


「いただきましょう」


 三好方の接待の申し出に大館晴光が応じる。ここからが交渉の本番であろう。交渉できればだがなぁ……


「皆様は幕府の代表でありますれば、我が三好家としては是非ともオモテナシをしたくあります」


 三好家側の交渉担当である三好みよし日向守ひゅうがのかみ長逸ながやすがおべっかをつかってくるが、目が笑ってなくて怖いんですけど。三好長逸は大館晴光殿とは普通に話をしているが、正直俺への態度には冷たいものがある。

 これはアレだな。富田とんだの戦いでボコボコにしたことを恨んでいるのだろうなぁ……


「ほな皆様、こちらへどうぞ」


 そこに別の男が現れ我らを別室へ案内してくれるのだが、なにか非常に馴れ馴れしいおっさんである。


「あんさんは兵部大輔ひょうぶだゆう殿でおまっしゃろ?」


「そこもととはどこかでお会いしたことがありましたでしょうか?」


「これは失礼おば、ワテは松永まつなが弾正忠だんじょうのちゅうでおます。以前交渉に来られた兵部大輔殿をお見かけしておりましてな」


「それは失礼しました細川兵部大輔です」


 というかおのれが松永久秀まつながひさひでかよ。実に馴れ馴れしいやつではあるが憎めないおっさんである。


「兵部さん、ところで今日はアレはお持ちでおますか?」


「アレ?」


「前の交渉の時にお持ちくだされたお饅頭まんじゅうでおます。ワテはどうにもあの味が忘れられませんでなあ」


「ああ、もみじ饅頭ですね。むろん土産としてお持ちしております。外に控えている家臣から受け取ってくだされ」


「ありがたいありがたい。お茶の席にお出ししてもよろしいですかい? 恥ずかしながらアレを越える茶菓子を当方では用意できませなんだ」


「ええ、是非とも。三好家の皆様にも喜んで貰えたようで嬉しい限りです」


「ホナ、ちょっと受け取って参りますれば、皆様はこちらにてお待ちくだっしゃれ」


 なんだか松永久秀の勢いに圧倒されてしまった。大館晴光殿も驚いている様子だ。まあ松永久秀には歓迎されているようなので、敵意むき出しの三好長逸よりかはいくらか話になりそうかなぁ……


 ◆


 三好長慶みよしながよし三好長逸みよしながやす松永久秀まつながひさひでとお茶とか、なんだこの濃いいメンツの茶席は……こんな連中と落ち着いて茶なんぞ飲めるか、正直胃が痛いわ。

(松永久秀は交渉役というよりは接待役で同席しているようだが)


「兵部殿、江口での戦い以来であるな。息災のようで嬉しくある」


「筑前(三好長慶)殿に戦場にてお目こぼしいただきましたゆえ、命が助かりこの場へ参上することができました」


「お目こぼしなどはしておらんがな。あの陣地に攻め懸ければ手痛い反撃を受けることは必定であった。損害を被りたくなかったので兵を引いたまでのこと。富田とんだの戦いのオジキ(長逸)のようになってはかなわんからな」


「はぁ、兵部殿には富田で大変苦労させられましたわ」


 額がピクピクいっているし、三好長逸はめっちゃ俺を睨んでいる。恨まれている相手に接待役をされても困るのですが……チェンジをお願いしたいものだ。


 茶席へ場を移して改めて挨拶を交わし、和睦についての本交渉に入る。戦の当事者である細川晴元ほそかわはるもと方の垪和道祐はがどうゆう殿と三好方の三好長逸がメインで交渉をしているのだが、うん全く交渉になっとらんな。


 三好方は三好宗三みよしそうぞうの切腹と細川晴元の隠居などという条件をのたまっているし、細川晴元方は細川氏綱の追放とか河内かわち十七箇所じゅうななかしょからの即時撤退とかを言い張っておる……お互いがお互いの言い分を言い合っているだけで、それを交渉とは言わないだろう……


「よろしい、ならば合戦だ。六郎様(細川晴元)には、改めて我が三好家の武威をお示ししよう」


 遅々として進まない交渉に業を煮やした三好長慶が、交渉役の三好長逸を遮り、垪和道祐殿に対して力強く宣戦布告をしてしまう。


「しばらく、しばらく!」


 穏健派の大館晴光おおだてはるみつ殿が慌てて仲裁に入る。


「一服して、少し落ち着きましょうぞ」


 仲介役の三宝院義堯さんぽういんぎぎょうも慌てた。

 当事者の垪和道祐も二の句を継げないでいる。戦って勝てないことは細川晴元方としては承知の上であろうことだからな。


 当初からあまり意味のある交渉とは思っていなかったが、せっかく大山崎まで来たのだから何もしないで帰る手はないだろう。妥協点などは無いとは思うのだが、とりあえず口を挟んでみるか――


「あえて戦うことで力をお示しになりまするか?」――挨拶してからはほぼ無言でいたがここで三好長慶に話しかける。


「武家とは武威を示すものであろう。兵部大輔ひょうぶだゆう殿はそうは思わないのかね?」


 突然口を挟んだ俺に驚いた様子もなく、三好長慶は俺との談義を楽しもうというのだろうか話に乗ってくれた。


「ある意味ではそうでありましょう。ですが木曽義仲きそよしなか源義経みなもとのよしつねなどいにしえ戦巧者いくさこうしゃは多くあれども、武威だけで世は治まるものではありませぬ」


「我が三好家を旭将軍あさひしょうぐん牛若丸うしわかまると同列と論ずるはいささか光栄すぎるがな」


「筑前殿、一つお聞きしたいのですが、こたびの挙兵の目的は那辺なへんにあるのかお聞かせいただけますかな?」


 まどろっこしいのでズバリ聞いてみる。


「池田家への政康まさやす(三好宗三)の為さりようは余りに横暴である。摂津守護代としては看過できぬことであり、摂津国人の総意として政康の切腹を六郎様に求めた次第である」


「君側の奸である三好宗三殿を除くことが目的であり右京大夫うきょうだゆう(細川晴元)様に対し叛意は無かったということでよろしいのですかな?」


「六郎様には困ったものだ。我らは三好宗家としての惣領権そうりょうけんを認めて欲しいだけであったのだがな。主君といえどもいたずらに三好家中を掻き回してよいものではなかろう」


 気持ちは分からないでもない。三好長慶としては細川晴元が庶流にすぎない三好宗三に肩入れすることは、三好一門の結束を揺るがす行為であり三好宗家の立場としては受け入れがたいことなのだ。

 だが細川晴元は実はそれほど理不尽なことをやっているわけではない。この時代はめちゃくちゃそういうことをしまくっている時代だからだ。


 室町幕府の歴代の公方や管領かんれいというものは、守護やら守護代の家督争いに介入しまくって来た歴史がある。応仁の乱の原因も幕府や京兆家きょうちょうけが斯波家や畠山家の家督争いに介入しまくったのが原因の一つだ。

 奉公衆ほうこうしゅうやら関東扶持衆かんとうふちしゅうなども彼らに守護不入しゅごふにゅうの権利を幕府が与えることで、守護やら各地の有力者の惣領権を奪い、その力を削ぐためのものだ。


 有力となった家に幕府が介入して家督争いを起こし、その力を弱めようとすることは、困ったことにこの時代では実によくある話なのだ。


 ……うん室町幕府ってクソじゃね? 統治するはずのトップがそこら中に火種を撒きまくっているのだ。そりゃあ日本全国いたるところでヒャッハーな事態になるわな。

 こんな幕府を再興していいのかよ、と思わなくもないが、公方様の忠実なる側近で幕府の重臣たる者が思ってよいことではないので忘れよう。


「では細川氏綱ほそかわうじつな殿を担ぎ上げる畠山尾州家はたけやまびしゅうけとの協調はどのようなお考えあってのことか? 主家たる京兆家をいたずらに掻き乱す行為と思われても仕方なき所業でありましょう」


「我らは京兆家をまとめようとしているだけのこと。六郎様には隠居した上で家督を嫡子の聡明丸そうめいまる(のちの細川昭元ほそかわあきもと)様にお譲りいただき、聡明丸様が御成人するまでの間を、ご親戚の次郎様(細川氏綱)にその後見役をお願いしようと考えているだけのことである。京兆家を掻き乱すとは心外の極みだな。長い間相争ってきた京兆家を一つにまとめる良い案であると思うのだが?」


 詭弁きべんである……細川昭元なんて去年生まれたばかりの赤ちゃんだぞ。だがまあ、傀儡かいらい当主はこっちの都合にも良い案だったりする。細川晴元としては堪ったものではないし、六角定頼ろっかくさだよりも到底飲めない案であるが、京兆家の力を弱めることには賛成したいとも思うのだ……


「それは主家への明確な謀反むほんでありましょう……」


 三好宗三を討つという名分を掲げてはいるが、細川晴元への謀反なのは自明の理なわけで今さらではあるが。


「大御所はどのようにお考えでありますかな?」――沈黙に耐えかねたのであろう三好長逸が大館晴光に問いかける。


「大御所様は右京大夫殿(細川晴元)を京兆家の家督とお認めであります。三好筑前殿には京兆家の被官としての務めを果たすようにとの御意向であり、いたずらに世上を騒がすことは控えるがよろしかろう」――大舘殿が大御所の意向を伝える。


「我らは幕府に対して、公方様、大御所様に対して、弓を引こうとは考えておりませぬ。できれば中立のお立場をお願いしたくありますが……」


 三好長逸が幕府に中立の立場を求めるがちょっと無理な話だ。現時点で幕府最大の後ろ楯である六角定頼が京兆家当主の岳父がくふたる地位を捨てる理由がない。細川氏綱が京兆家当主になってしまうと六角家には旨味がなくなる。

 それに……三好家のものは理解していないようだが、あんたらはこれまでに大御所の邪魔をし過ぎているのだよ。


「はっきり言えば三好家とは大御所の治世をことごとく乱し、幕府に弓引く賊であります」


「兵部大輔! わ、我ら三好家を幕府に弓引く賊軍と申したかぁ!」


「いかにもそう申しましたが――」


 ちょいと挑発が過ぎたかな、めっちゃくちゃ三好長逸がキレてしまった。

 大館晴光殿も「またですか」という目を俺に向けてくる。すまないとは思うが挑発でもなんでもできることはやって少しでも三好長慶の本音を引き出したいのだ。


 ◆


「控えよ弓介(三好長逸)。兵部大輔殿、我ら三好家は幕府や大御所に対して含むところはあらず。ましてや弓引く所業などは為した覚えがないのだが、そのように申される理由は説明してくれるのであろうな?」


 三好長慶も少し怒ったのか睨んで来る。無礼な物言いなのは認めるが、三好家が今までやってきたことからすれば賊軍といわれてもしょうがないのだがねぇ。


「筑前殿の父である三好元長みよしもとなが殿は細川晴元ほそかわはるもと殿の家宰かさいとして桂川原かつらかわらの戦いにおいて、あろうことか出陣した大御所(当時は将軍の足利義晴あしかがよしはる)を打ち破って近江へ追い、さらには大物崩だいもつくずれにおいて大御所を擁立した管領かんれい細川高国ほそかわたかくにを滅ぼしております」


 将軍、足利義晴――管領、細川高国の体制をブチ壊したのは、高国の自滅もあるが、丹波の波多野はたのけ家と三好家の軍事力といってよいだろう。


「それは主君である六郎様(細川晴元)のために戦ったことでありますれば」――三好長逸みよしながやすが反論してくるが歯切れが悪い。


「それでは堺公方さかいくぼうと称される足利義維あしかがよしつな様についてはいかがですかな? 細川晴元殿が大御所と和睦しようとする方針に反対し続けたあげく、三好元長殿は足利義維のいわゆる堺幕府(政権)を維持しようとした……主君たる細川晴元殿と対立して一向宗に襲われ自害したことは不憫には思いますが、筑前殿の父のなさりようは大御所に対し明確に敵であったと言っても過言ではありますまい」


【三好元長は堺幕府維持派であったと考えられている】


「だが我が曽祖父も祖父も大御所の父たる足利義澄あしかがよしずみ様に従って討死している。三好家は主君たる京兆家きょうちょうけの意向に翻弄されただけ、と申したきことではあるが……大御所様は納得しては下さらぬものであろうな……」


【三好長慶の曾祖父の三好之長みよしゆきながや祖父の三好長秀みよしながひで細川澄元ほそかわすみもとに従って細川高国との戦いに敗れて死んでいる】


「さらに言えば筑前殿御自身のこれまでの為されようも大御所へ弓引く行為であったとは思いませぬかな?」


「私は大御所へ弓引くことなどは考えたこともないが?」


「筑前殿にその意思がなくとも、問題は大御所の受け取りようです。筑前殿は10年前にも河内十七箇所の代官職をお求めになり、細川晴元殿と対立なされた。大御所が六角定頼殿を通じて筑前殿と晴元殿の和睦を斡旋しましたがそれに応じることもなく、洛中の治安が悪化して公方様(足利義藤)が避難することにもなり申した。これは大御所の面目を潰す行為でありましょう。そして3年前の北白川城の包囲です。細川晴元殿に対して挙兵し北白川城に籠もった大御所に対して、筑前殿は晴元殿の命で北白川城を包囲し、その後に細川氏綱ほそかわうじつな殿と畠山尾州家はたけやまびしゅうけの軍を打ち破っておいでです」


 少し喋り過ぎたのでお茶を飲む。三好長慶は反論せずに俺の次の言葉を待っているようだ。


舎利寺しゃりじの戦いで細川氏綱・遊佐長教ゆさながのりを打ち破って、細川氏綱に鞍替えしようとした足利義晴の思惑をぶち壊したのは、間違いなく三好長慶の軍事力】


「大御所としては、なぜ今なのだと思いましょう。大御所が細川晴元殿に対して兵を挙げた時には協力せず、なぜ今になって細川氏綱を担いで細川晴元を攻めるのだと……あの時に大御所にお味方していれば、三好家は幕府の功臣の地位を得られたはずだったのです」


 結果論だけどな。だが大御所がはらわたの煮えくり返る思いであろうことは理解できると思うのだが。


「大御所に弓引く賊と申されても仕方がなきことであるか……」


「今までの行いではそうもなりましょう。ですが今後の行いにより三好家は幕府に対し大御所や公方様に対して、その意向に沿う行いをすることにより、その立場を変えることも可能であります」


「我が三好家と幕府とは今後協調することも可能であると兵部大輔殿は考えているのかね?」


「難しくはあります。幕府を長きに渡り支えてきた六角家の意向もありますれば。またほかにも事を難しくしていることもございます」


「難しくしていることとは一体何であろうか?」


「……三好家と足利将軍家との間には、日の本の国に古より根をはる藤のツタが絡まっておいでなのです」


「藤のツタとは何のことで……」――三好長逸は分からなかったようだ。


「我が三好家が幕府に認めてもらうにはその二つが問題であるのだな」


 三好長慶には藤のツタの意味がお分かりのご様子。


「いえ、実はもう一つあります」


「まだあると申すのか?」


「残念ながら」


「それは?」


平島荘ひらしまのしょうにございます」


義冬よしふゆ様か――」


【堺公方、足利義維のこと。義維から義冬に改名している。この時代では阿波守護の讃州細川家せんしゅうほそかわけ細川持隆ほそかわもちたかが保護しているものと思われる。1553年に細川持隆は三好実休みよしじっきゅうに殺され、足利義冬は阿波を追われることになる。弟である細川持隆が兄である細川晴元に全面的な協力をしていないのは、足利義晴を推戴すいたいする細川晴元と足利義冬を保護する細川持隆との考えの違いがあるのものと推定される】


「私としては一番の問題と考えております。筑前殿が京兆家の家督に介入した今となっては看過できぬことでありましょう」


 三好長慶は細川氏綱を担いで細川晴元に対して謀反を起こしたのだ。さらに足利義冬を担いで足利義藤に対抗しないとはいいきれない。


「将軍家の家督にまで口を出す気などは毛頭ないのであるがな」


「筑前殿にその意思がなくとも、それが可能であると考えられるだけでダメなのであります。それに先ほど申し上げましたが三好元長殿の前例がありますれば」


「ふぅ……さすがは兵部殿だな。合点がいく話を多くいただき感謝するほかないな。三つの問題であるか――だが今すぐに解決できる問題ではないようだ……」


「いずれはそれらを解決し、共に公方様に対して仕える日々の来ることを願うばかりであります」


「私もいずれはその日の来ることを願うものだがな。だが今は幕府や大御所様に対しては中立をお願いすることしかできぬか……」


「少しばかり事を大きくし過ぎましたな」


「そうだな――今となっては振り上げた刀の落しどころに困っておる」


「細川氏綱殿を担いだことは失敗であったと思われますが」


「するしかなかったのだよ。我が三好家を支持してくれる国人らの意向もある。皆コロコロ変わる主家や幕府の意向に振り回され続けてウンザリもしているのだ。そろそろ京兆家には変わってもらわねば困る」


「力をもって為さねばならないこともあると?」


「武家の一所懸命は変わらぬことであるがな。我が三好家こそが新しき世を願うものの力となることを天下に示さねばならぬのだ」


「――天下布武てんかふぶでありますか」(むろん信長のパクリだ)


「ほう、天下布武とな。天下に武をくの意味であるのかな? よき言葉だな。天下を治めるためには畿内国人層の支持を受ける我が三好家の力が必須であることを理解してもらいたいものだ」


 十分に分かっているけどね。この時代の畿内において三好家に対抗できる勢力などは最早存在しない。


「正統性も大義名分もない三好家に天下布武が可能とお思いですか?」


「力こそ全ての時代となれば可能であろう。この三好長慶のほかにそれを為すことができるものはおるまい。幕府には三好家を新しき力とお認め願いたいものだ」


 たいした自信家だな。


「良く分かりませぬが、筑前殿におかれましては幕府と和睦する御意思がおありということでよろしいですのかな?」


 三宝院義堯さんぽういんぎきょう殿は話しの流れが良く分からぬようで、とんちんかんなことを口走る。


僧正そうじょう(三宝院義堯)様、六郎(細川晴元)様にお伝えくだされ。摂津、和泉を平定した後に改めて上洛しますとな。大御所や公方様にもこの筑前の力をお見せいたす所存である」


「兵部殿、筑前殿は何を申しておるのだ?」


 大館晴光おおだてはるみつ殿も三好長慶の意向が分からないようである。

 三好長慶は三好家を支持する畿内の国人層を取りまとめて、実力でもって天下たる畿内を制し、幕府に対して京兆家に代わる存在として己を認めさせようと言っているのだ。だがこの時代にそんなことを理解できるものなどはおるまいな。転生したことで歴史を知る俺と実際にそれをやろうとしている三好長慶以外には……


「三好筑前殿はその手で畿内を、天下を平定すると申しております。細川晴元様ではなく、自らにこそ幕府を推戴する力があることをお示しになるようで……」


「なんと不遜なことを」――垪和道祐はがどうゆう殿が怒りを表す。


「兵部殿には我が三好家に天下布武が為せると思われるか?」


「時期尚早とだけ申し上げましょう」


 織田信長ですら足利義昭を担いで大義名分を必要としたのだ。信長よりも20年も早く大義名分もない三好家に天下布武など為しようがあるまい、と思いたいのだが、史実の三好長慶はほぼ成し遂げているんだよなぁ困ったことに。


「兵部大輔殿には機会があれば改めて戦場いくさばにて時期尚早かどうかをお見せいたそう」


「お手柔らかに願いますよ」


「ふっ。手加減して勝てるほど兵部殿は甘くないと思うが」


「過大評価も良いところです。私に三好家と張り合うだけの力などはありませぬ――ただお忘れなく。我々は手を組むことも可能であるのです」


 戦闘力3万を超える三好家に、戦闘力1000未満の俺が張り合うとか無茶過ぎるわ。


「覚えておこう」


 相変わらず三好長慶を煽っただけのような気がするが、伝えるべきことは伝えた。三好家と公方様がともに在ることは可能なのだ。今はそれだけ伝えられればよい。


 和睦が破談となり三宝院義堯殿が頭を抱えている。最初から和睦などは無理なのだ。三好長慶と畠山尾州家との同盟の条件であるのだろうが、三好長慶が細川氏綱を担いでしまっては細川晴元との和睦などは無理筋だ。

 史実でもそうであるのだが、細川晴元が屈服し諦めるまでは戦うほかはあるまい。垪和道祐殿には可哀想な話だがな。


 三好長慶が上洛し本格的に勝軍山城しょうぐんやまじょうに攻め寄せるまではまだときがあろう。それまでにさらに防備を固める必要がある。

 史実では三好長慶に蹴散らされ朽木谷くちきだにへと落ち延びるはめになるのだが、義藤さまをそんなところへ落とす気などは全くない。


 日本各地において守護は没落し、中央たる畿内ですら三好長慶が行った将軍や管領を推戴しない政権の出現により、幕府役職や家格に拠らない下克上の世が急加速する――それは歴史の必然であったのだろう。


 下克上の世を為そうとする三好長慶に対して、俺は公方様のために下克上を防ごうとする立場なわけだ。ようするに抵抗勢力というわけだが、まあちっぽけな勢力だが抗えるだけ抗ってみよう。


 だが、三好長慶に勝てる絵図が描けなくて困ってもいる。どこかに三好家を打ち破れる豪の者は居ないものであろうか――

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