第五十八話 天守閣をつくろう

 天文十八年(1549年)7月



 前回のオチ――江口の戦いに敗れて京に逃げ戻って、義藤さまにご褒美で膝枕してもらっていたら、調子に乗りすぎてヒザ蹴りを喰らってぶっ飛ばされた。だが、しっかりとの感触を堪能したので後悔はしていない。

 あと大典太光世おおでんたみつよ下賜かしは丁重に断ったけど、大御所が何か褒美ぐらいは貰っとけとしつこいので、光世みつよ作の短刀を貰いました。これは脇差で使うことにする。(こいつも重要文化財ですが)――


 ◇

 ◇

 ◇


 おかしい……あの日以来俺は結構頑張っているはずなのだが、結局は三好長慶みよしながよしが江口の戦いに勝ってしまい、天下人の道を歩んでいるではないか。

 こんなことで歴史を変えて義藤さまを救うことなんて出来るのだろうか?


 昨日、義藤さまに膝枕をして貰って、今為すべきことを為すのだとか決意したはずなのだが、どうやったらフ○ーザみたいな三好長慶に勝てるのかサッパリ分からないぞ。ああ、未来が見えないわ……


 だがまあ最終形態に変化した三好長慶が攻めて来ようが、この「勝軍山城しょうぐんやまじょう」は簡単には落とさせはしないのだよ。


 大規模に改築することになったので「北白川城きたしらかわじょう」の城名を「勝軍山城しょうぐんやまじょう」に改めることを正式に大御所が決めた。縁起を担ぎたかったみたいだな。(北白川城は瓜生山城うりゅうさんじょう勝軍しょうぐん地蔵山じぞうやま城など色々別名がある)


 名を改めたこの勝軍山城には今出川御所を退去した公方様や大御所様に近衛一家の皆様に奉公衆と細川晴元に三好宗三みよしそうぞうなど6千を越える兵が入城した。


 6千を越える兵で篭城とか補給がマジで大変なのであるが、近江から補給することが可能なので補給路の確保は一応問題ない。この当時に京と近江を結ぶ道としては、白鳥越しらとりごえ山中越やまなかごえ如意越にょいごえなどいくつかの街道がある。


白鳥越しらとりごえ」(古路越ふるみちごえ)は、古くからある道で最も北に位置している。一乗寺いちじょうじや北白川から入る比叡山地の尾根道で近江の穴太あのうに出る道であったと思われる。後年に「志賀の陣しがのじん」と呼ばれる戦いで浅井あざい朝倉あさくらの連合軍が織田信長に対して一乗寺山いちじょうじやま城や一本杉西いっぽんすぎにし城などを築いたといわれる。


山中越やまなかごえ」(今路越いまみちごえ)はいくつかルート変更があったようで、荒神口こうじんぐちから北白川に入り山中村やまなかむらを通り志賀峠しがとうげを越えて崇福寺すうふくじにいたり、穴太の南の志賀里しがさとに出る道であったが、崇福寺が廃れたため、この当時は山中村から北へ向かい白鳥越に合流していたものと思われる。

(山中村から東の宇佐山城うさやまじょうに出る山中越の最短ルートは織田信長が整備させたものでこの当時はまだ開かれていない)


如意越にょいごえ」は東山ひがしやま慈照寺じしょうじあたりから大文字焼きの如意ヶ嶽にょいがたけ山中さんちゅうを通り大津の三井寺みいでらに出る道でかつては三井寺の別院の如意寺にょいじが山の中にあったのだが応仁の乱で壊滅したらしいので、如意越もこの当時は廃れていたと思われる。


 ようするにこの当時は「山中越やまなかごえ」から「白鳥越しらとりごえ」に出るルートが京と近江を結ぶ主要街道であり、その街道を抑える位置に勝軍山城しょうぐんやまじょうはあるのだ。京を三好長慶に占領されたとしても、近江からの補給が期待できるので篭城が長期間に及んだとしても大丈夫であろう。


 一乗寺の国人の渡辺出雲守告や山中の国人の磯谷久次いそがいひさつぐも支援してくれることになっているし、思いっきり山の中の城なので大軍は非常に展開が難しく、勝軍山城を長期間包囲することはかなり難しい。アホなことさえしなければ数年は持ち堪えられる自信がある。


 補給ルートとなる近江といえば六角家であるが、六角義賢は山科の地を1万の兵で守っている。京から近江へ通じる別の道である三条街道さんじょうかいどう東海道とうかいどう)を押えているのだ。


 当初、六角義賢も将軍山城にともに入城する意思を示していたのだが、将軍山城の補給路となる大津、坂本に対して三条街道のルートで迂回して三好長慶が攻めた場合の危険性を説いて山科やましなに駐屯してもらうことになった。現在は山科本願寺やましなほんがんじの跡地に城を築いている。


 ◆


 城自体の改築も大規模にやっている。史実で大御所の足利義晴はこの少しあとに慈照寺(銀閣寺)の裏山に「中尾城なかおじょう」を大規模に築城するのであるが、そのリソースもブチ込んで勝軍山城の大規模改修をしているのだ。


 問題はなぜか知らないがこの改築の総奉行に俺が任命されていたりすることだな。

 城攻めが上手なれば城の縄張りも得意であろうとか、そんなことを大御所に言われて任命されてしまった。細川晴元や三好宗三も兵部殿であれば問題なかろうと賛意を示している。正直いって細川晴元に信頼されるとか全力でキモいのだが……まあせっかく総奉行に任命されたので、趣味全開で思いっきりやっている。


 城の防御面で改築するにあたり工夫を凝らしたのが大手門だ。門を二重にし、最初の門からは90度曲がった所に二つ目の門を置き、その間にはスペースを作って周囲を土塁で囲んでいる。敵が第一門を突破した場合にそのスペースに入り込んだ敵を上方から一方的に矢や鉄砲で攻撃できるよう工夫を凝らしているのだ。


 ……はい、ただの枡形虎口ますがたこぐちのパクリですがなにか?

「殺し間へようこそ」というヤツだな。虎口の実際の作業は面倒くさいので図面で概念を説明して明智光秀にブン投げた。史実では築城の名手とか言われているらしいから問題ないだろう。


 城壁となる築地塀つきじべいにも隠し狭間はざまや石落しなど(いわゆる銃眼じゅうがんです)工夫はしているし、櫓の壁には漆喰に珪藻土けいそうどを使っているので耐火性能もバッチリである。

 土塁も土止めとなる角や主要なところには、部分的に石垣を採用している。まだ寺社専門にやっていた穴太衆あのうしゅうをさっさと金の力でひっぱって来て石垣作りにあたらせているのだ。石垣造りは金森長近に丸投げでやらせている。


(穴太衆は織田信長の安土城の石垣を積んだことで有名になった現在の滋賀県大津市の琵琶湖西岸に住んでいた石工いしくの職人集団で、自然のままの石を加工しないで積む「野面積のづらづみ」を得意とする。この当時は比叡山延暦寺など寺社の石工をやっていたと思われる)


 あとは純粋な軍事目的でない城の改装もやっている。籠もる兵が増えたこともあり、本丸や二の丸などの拡張もしなければならなかったのだ。

 前関白とか征夷大将軍とか大御所とか京兆家当主とか、なにかやたら偉そうな人々も増えているので、御殿やら住まうための場所の改装もしなければならない。

 改築などは謎の宮大工集団に応援を頼んで急ピッチでやっている。

 本丸御殿や二の丸の改築は大御所の注文がうるさいので実際の作業は幕府の作事奉行さくじぶぎょうである結城ゆうき左衛門尉さえもんのじょう国縁くにのり結城忠正ゆうきただまさ)がヒマそうにしていたので現場監督として丸投げした。


 いろいろやっているが俺がこの築城で最も力を入れているのは公方様がお住まいになる場所だ。瓜生山うりゅうさんの山頂に弁慶新五郎べんけいしんごろうと一緒に建てているのだが、三階建ての望楼式ぼうろうしきやぐらのような建物、ようするに後世で言うところの天守閣てんしゅかくを建築してしまっているのだ。

 本来、天守閣は城主が住まう場所ではないのだが、義藤さまの別室というか別宅を作るついでに趣味全開でやってしまった。


 瓜生山の山頂からは西を望めば洛中が一望できる。それは逆に言えば、洛中から瓜生山の山頂を仰ぎ見ることが可能ということだ。

 そう、この公方様が住まう天守閣は、洛中に住む人々が仰ぎ見た場合に与える心理的影響まで考慮して設計された将軍様専用の天守閣なのである。(築城かったるいから土木用レイバーとか欲しいなぁ)


 天守閣の元祖としては、1560年の松永久秀が築城した多聞山城たもんやまじょうの高矢倉(多聞櫓)や、1558年築城の古市城ふるいちじょう、さらには大田道潅おおたどうかんが築城したとされる初期江戸城の三階櫓さんかいやぐら静勝軒せいしょうけん」など諸説あったりするが、この1549年に建てている天守閣は間違いなく元祖と呼ばれる代物になるであろう。


 ふはははは、圧倒的ではないか我が城は。枡形虎口ますがたこぐちや石垣に防火壁、そして天守閣など、この戦国時代において安土桃山時代や江戸時代に普及したテクノロジーを先取りしまくった城を造っているのだよ。力攻めで落とせるとは思わないで欲しいものだ。


 さあ見せてもらおうか三好長慶の城攻めとやらを!

 落とせるものなら落としてみるがよい!

 この勝軍山城に細川藤孝がいるかぎり、やらせはせん! やらせはせんぞぉぉぉ!


 ……だが三好長慶は攻めて来なかったのであった。(なんでやねん)


 ◆


 まだまだ改築中でありそこら中でトンカントンカンうるさいのだが、築城作業は丸投げしまくってヒマになったので、計画通りに仮の義藤さまの私室でほのぼの料理などやっている。

 部下をコキ使ってのんびりするのはいいものだ。(鬼畜)


「藤孝それは何を作っているのだ?」


「昨晩の軍議という名の宴会で余ったご飯をすりつぶして棒に差して焼いております。羽州名物のという食べ物です」


(切る前なので「たんぽ」だし、パクっておいてなんだが、は幕末か明治あたりの食い物だ)


「ほう、それは美味しいものか?」


「味噌を塗って焼いた香ばしい香りが食欲をそそりませんか」


「うむ、いい香りがして来たのう、まだか? もう食べれるのではないのか?」


 この食いしん坊将軍には少しマテを躾けたいものだな。可愛いが腹が減っている義藤さまは少しウザイぞ。だが残念ながら焼き上がる前に客が来てしまった。現れたのは一色藤長いっしきふじながである。

 

「苦しゅうない、おもてをあげよ」


 おあずけを喰らった義藤さまが不機嫌そうに一色藤長に告げる。せめて一口でも食べたあとに来れば上機嫌な公方様に会えたであろうに、一色藤長は来るのが早過ぎたな。


「一色七郎にございますぅ。公方様にあらせられましてはご健勝のよし、祝着至極しゅうちゃくしごくに存じますぅ」


式部少輔しきぶしょうゆう殿(一色藤長の父)の葬儀は無事に終えることができたのか?」


「はいー。そちらにおられます兵部大輔ひょうぶだゆう殿(藤孝)のご助力もあって、父の葬儀などをつつがなく終えることができましたぁ」


 公方様が俺を横目で睨んできた。お主はまた何かやったのかという目だなアレは。俺はただ葬儀の費用を貸しただけだ。(返してくれるか怪しいが)


「父上の喪も明けましたので、この七郎、これより公方様のために忠勤に励む所存にございますぅ」


 一色藤長は公方様の腹違いの妹の叔父とかいう、近いんだか他人なのか良く分からない縁戚らしく、大御所から公方様に側仕えするよう言われたらしい。

(一色藤長の姉は大御所の側室で、史実で三好義継みよしよしつぐに嫁いだ足利義輝の妹の母であるとされる)


 義藤さまは基本的には側仕えを置きたくないようであるのだが、大御所から権限委譲もされつつあるので、側近の数を増やさざるを得ないといったところだ。

 だがまあ表情は側仕えなど不要という気持ちが見え見えであり、一色藤長には少し同情する――と思ったが、一色藤長はまったく空気を読まない男だった。


「七郎のこれからの忠勤に期待する。下がるがよ――」


「公方様ぁ、実はそれがし歌を作って参りましたぁ。そこの兵部殿の江口の戦いにおける一騎当千の武勇を聞いてんだ歌なのですが、せっかく兵部殿がおわしますので、是非披露をさせてくだされませー!」


「う、うむ? 詠んでみるがよいぞ」


 謎の一色藤長の圧力に公方様が押し切られた。


「それではさっそくぅ♪」――このあとウンザリするほど詠んでいた。


 ◇

 ◇

 ◇


「あれはなんじゃ」


「アレとはこたび公方様の側近たる御部屋衆おへやしゅうになりました一色式部少輔しきぶしょうゆう家が当主の一色七郎藤長殿のことでありますか?」


「その一色七郎じゃ。あやつ、いったいどれだけ歌を詠めば気が済むのじゃ! 一刻半(約3時間)は詠んでおったぞ」


「はぁ、藤長殿は少々歌がお好きなようで」


 なんで俺が一色藤長の弁護をしなきゃならないんだ……と思いつつも、一色藤長とは付き合いが長くなるはずだから何とか弁護しようとも思うのであった。


「あれが少々なものか! 一刻半じゃぞ! わしはもうお腹が空いて死ぬかと思ったわ!」


 3時間程度で人は餓死したりはしないが、せっかく作っていたが冷めてしまったので急いで焼き直しをしている。

 腹が減って機嫌の悪くなった義藤さまは面倒くさいし、とりあえずエサを与えれば大人しくなることは知っている。(自称公方様の忠臣です)


「ン〜ウマウマじゃあ〜♪」


 味噌焼きのを食べて、ようやく義藤さまの機嫌が直った。

 一色藤長には公方様にお目通りをする場合には、お土産に美味い物を持ってくるように助言しておこう。

 

 ◆


 さて、計画通りに機嫌が直った義藤さまであったが、お腹が膨れて思い出したのか、昨晩の軍議という名の宴会での議題について聞いてきた。


「藤孝、昨晩の軍議で議題にあがったが、三好長慶はなぜ攻めて来なかったのじゃ? 皆の者は三好筑前ちくぜんが恐れをなしたとか言っていたが、そうでは無いのであろう」


 三好筑前守長慶は江口の戦いから三週間の後に兵を率いて上洛した。西岡からよど鳥羽とばのあたりに兵を展開して一応洛中を押さえたようだが、細川晴元や公方様らが籠もるこの勝軍山城しょうぐんやまじょうを攻めることはしなかった。

 そして主要な兵を率いて摂津へ引き返してしまったのである。おかげで勝軍山城の改築がはかどっているけどな。


「三好長慶はただいま摂津の伊丹城いたみじょうに付け城を築いて包囲中のようであります」


「伊丹城の伊丹親興いたみちかおきであったか? 細川晴元に味方して苦労をしているようじゃな」


 伊丹親興や塩川国満しおかわくにみつが細川晴元に味方したのは、越水こしみず城主となったばかりの三好長慶が池田信正いけだのぶまさらと塩川国満の一庫ひとくら城を攻めたことが関係していると思われる。(木沢長政きざわながまさが討たれた1542年の太平寺の戦いたいへいじのたたかいの前哨戦です)


 また塩川国満の正室は細川晴元の姉であったりするのだが、継室として伊丹親興の妹を迎えてもいる。 細川晴元の姉は細川晴元が失脚した影響であろうか、のちに疎まれ細川晴元姉の産んだ嫡男(塩川運想軒しおかわうんそうけん)も、継室によって廃嫡されている。


「伊丹親興殿や塩川国満殿は苦しき立場の細川晴元を良く助けた忠義の家と言えるでしょう」


 伊丹家や塩川家は足利義昭をともなって上洛した織田信長に協力し、伊丹親興の子の伊丹忠親いたみただちかは摂津三守護となり、塩川国満の子の塩川長満しおかわながみつは織田信長に気にいられ、その娘は織田信忠おだのぶただの正室となり三法師さんぽうしを生んでいたりする。


(摂津三守護は通説では伊丹親興とされるが子の伊丹忠親です。三法師織田秀信おだひでのぶの母は諸説ありますが塩川長満の娘が有力です)


 ようするに伊丹家も塩川家も織田信長の時代まで存続し、信長よりで反三好三人衆となる動きをするのだ。この両家は摂津において是非味方にしたい家だと考えている。義藤さまには良い家だと褒めておき、覚えていてもらいたいものだ。


「伊丹に塩川は忠義の家か」


 実際には高国派になったり、最初は信長に抵抗したりもするが、その辺は忘れてしまおう。


「三好勢は伊丹城のほか和泉でも細川晴貞ほそかわはるさだ殿(和泉家細川元常ほそかわもとつね弟)を守護代の松浦まつら家と十河一存そごうかずまさが攻めております。まずは摂津や和泉などの地盤を固めようということでしょう」


 堅実で実に嫌な(有能な)男である。


「ふむ。しかし藤孝よ。なぜお主はそんなに三好長慶の動きがに分かるのであるか?」


「はあ、それは目や耳を増やしてアンテナを張っているからでありますが――」


「そ、そなたは目や耳がたくさんあるのか? とかは良く分からぬが、も、もしやお主は妖怪あやかしか何かなのか?」――義藤さまが恐れるような目を俺に向けてくる。


「くっくっく、バレてしまっては仕方がありませぬな。そう、私は使役しえきする。という妖怪あやかしなのであります。喰らえ! ファンネル下駄ぁ!」


 むろん下駄など履いていない。


「……で、そなたはマジメに説明する気はあるのか?」――ならぬ義藤さまが非常にさげすんだ目を俺に向けてくる。


「うう、ひどい……義藤さまがネタをふって来たから私はのっただけなのに……」


「そなたの話はたまに分からぬ時がある。いいから説明いたせ」


「はっ。吉田兼見よしだかねみ殿が各地の神社の伝手を使ってしらせを集めております。また近頃では我が配下の米田求政こめだもとまさが実家である大和の米田本家やマキュアン友の会の先生方、山科卿とも協力して薬の行商を組織しており、その薬売りも各地に参って報せを発して来ております」


(薬売りの行商は忍者であったという説もあったりします)


「神社と薬売りを使って敵情を探っていると申すのか……藤孝は凄いのう。何もできぬわしとは大違いじゃ」


「公方様、それは心得こころえ違いにございます」


「むっ?」――あえて使った「公方様」という言葉ときつめの口調に義藤さまが眉をひそめる。


「私は公方様の直臣。私の行いは全て公方様のためのもの。すなわち私がは公方様のお力なのです。何も公方様自らが全てを必要はございませぬ。公方さまの手足となる者をお使いになり、その働きに対して報いることこそが公方様のおぼしあれ」


「……すまぬ。わしの不徳の致すところであった。その方の忠言は金言きんげんである。今後もわしに対する助言を期待する――が、公方様はやめい……少しさみしい」


「申し訳ありませんでした」


「よい、それで話を戻すのだが、三好長慶は今後どう出てくると思っておるのだ?」


「三好長慶はしばらく我らを攻めるようなことはしないと思われます」


「ほう、なにゆえじゃ?」


「どうにも三好長慶は未だに細川晴元との和睦を求めておいでのようであります」


「和睦のう……細川晴元が応じるとは思えぬが」


「そうなのですが、三好長慶が攻めてこないのであれば我らは城の守りを今以上に固めることができます。幸いかと……」


「そうだな。なれば早くわしの離れを完成させるがよい」(天守閣のことです)


「はっ」


――しばらくして三好長慶の思惑がはっきりする。三宝院義堯さんぽういんぎきょうが三好長慶からの和睦の意思を伝えてきたのであった。

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