第五十七話 江口の戦い
天文十八年(1549年)6月
この
三好宗三は
そこから淀川を渡れば榎並城を救援することも可能であったかもしれないが、その地で
史実のとおりであるのだが、やはり三好宗三は死地である江口の地に向かってしまった。
我らはその三好宗三を救うためというか、なぜか三好宗三と一緒に出陣してしまった義父の
この数日、三好宗三は主君である細川晴元に榎並城を救援するための出陣を
細川晴元と同じ考えというのは癪に障ることではあるのだが、六角家の援軍本隊と合流してから三好長慶に戦いを挑むという晴元の考えは理に適ったものであり、俺も同意見であったのだ。
だが榎並城からの悲痛な救援要請に我慢の出来なかった三好宗三は主君である細川晴元の意に反して出撃してしまった。
それはまあ良い……だがなぜ一緒に我が義父の細川晴広までが出撃してしまうのだ。我が義父ながら唖然とした。正直意味が分からない。
本来この地に居るはずのない義父の動きを読めなかった自分が招いた事態であるのだろうが……
◇
◇
◇
三好宗三の軍に遅れること1日、恐らくは同じ経路を通り神崎川を渡河して南下する。
【現代の淀川から分かれて東西に流れる神崎川は明治期に付け替えられたものであり、この当時は安威川が北から南へ流れて江口付近で淀川に流れ込んでいた。現在では安威川とされる場所で渡河しているのだが当時のそこは
我らが江口の地に達すると戦場の音が聞こえてくる。予想の通りではあるがすでに戦端は開かれていた。高槻城からの援軍を待ったためにできた1日の遅れが痛い。
ワー! ワー!
江口から榎並城を救援しようとする三好宗三に対して、待ち構えていたかのように西の中嶋城から三好長慶の本隊が迫り攻撃を加えている。
南の淀川対岸に陣を張る遊佐長教と十河一存は淀川に舟を繰り出し、遠矢による弓戦を行いながら渡河上陸を敢行しようとしている。
三好宗三軍の東には安威川があり、西からは三好長慶、南は淀川と遊佐・十河の隊に迫られている。
北を阻まれれば包囲網が完成してしまい、三好宗三は袋の鼠となってしまうであろう――無論、西から迫る三好長慶はその左翼を伸ばし三好宗三の北側の退路を包囲せんとする動きを見せている。
ジャーンジャーンジャーン!
「ヤーヤー我こそは細川
今まさに三好宗三を包囲せんとする三好長慶の左翼と三好宗三の軍の間に強引に割って入り、
「細川兵部殿の助太刀が参ったぞ! 皆の者ぉ、この機を逃さず敵を追い散らすのだ!」
我らの加勢に気付いた三好宗三が声を荒げて味方を鼓舞する。その声で三好宗三を見つけた俺は愛馬の『
「越後入道殿、助太刀に参りましたぞ」
「おお兵部殿! 恩に着るぞ。すまぬ
「退路は我らが確保しておりますれば、越後入道殿は急ぎお引き下さい。
「なにぃ、安宅水軍だと! まことであるか?」
いや実際は見てないから知らんけどな。だが動いていることにしておこう。(恐らく史実では動いています)
「神崎川を塞ぐ腹づもりかと。ここで越後入道殿が討ち取られてしまっては、誰が
「宗三殿お引きくだされ、わしも兵部殿とともに
「ええい! 口惜しいが分かったわ。皆の者、軍をまとめよ。転進するぞ!」
「兵部殿、そこもとの父の
「
「おうよ、ついてくるがよい」
三好宗三の軍勢で先陣を勤めていた義父が率いる淡路細川家の本隊や六角家の
「
「おお、与一郎! よくぞ来てくれた! すまぬ不覚であった」
「新庄殿も、我らが先導しますゆえ一緒にお引きくだされ」
新庄直昌が率いる六角家が派遣した国衆共はまったく統制がとれておらず、そこら中で討ち取られている有様であった。
こうなると近江の国衆などまったくもって戦力外なので、早々に切り捨て見殺しにすることを決意する。この混乱では全ての者を救うことなど不可能なのだ。義父の救出が最優先であり、あとは六角家の家臣である新庄直昌殿を救うことができれば十分だろう。
不幸な近江の国衆をオトリとして置き去りにすることでなんとか退路を切り開き逃亡を図った。
淀川本流の
三好長慶相手の撤退戦とか生き残れる気がまったくしないのだが、腹をくくってやるしかないのだよ。義父や
ドウっ! 高畠長直殿の馬が矢を受けもんどり打って倒れた。高畠殿はなんとか立ち上がる。
「兵部殿、これまででござる。京兆家を頼みましたぞ!」
「
馬を失った高畠長直が退却をあきらめ、槍を構えて追いすがる敵に向かっていく。敵を食い止め我らのために身を挺して盾になろうというのだ。
「我こそは
この場に残るということは死を意味するのだ。だが助けることはできない。助けるために戻ることはそれもまた死を意味するのだから……
駆け抜ける後方で歓声が聞こえてくる――「
高畠長直や近江の国人衆といった犠牲はあったが、三好長慶の左翼を食い止めていた金森長近らとなんとか合流を果たすことができた。
「
「若殿よくぞご無事で」
よく守ってくれていた五郎八であるが、その身には矢を何本も受けており満身創痍である。五郎八が率いていた兵も半数は討ち取られていた。
◆
北へ半里(約2km)行けば
「志村(仮名です)―! うしろー、うしろー!」
「あ、あいーん」
「し、志村ぁぁぁ!」
「若殿は行ってくだされ、志村はこの
そういって碇矢は我が愛馬の尻を長槍で叩きつけた。
碇矢の指示で、高木(仮称だよ)、中本(仮称ですよ)、加藤(仮称だっぺ)もきびすを返す。全員集合して敵に組み伏せられた志村を救いにいったのだ。
「だ、だめだこりゃあ!」――多勢に無勢であり、取り囲まれ悲壮な? 断末魔が聞こえて来る。
愛すべき我が郎党でも最古参のドリフ組(仮称なんです)も全員が討ち取られるという凄惨な撤退となった……皆の者すまぬ、だがもう少しで神崎川に達するのだ、あと少しあと少しなんだ堪えてくれ。
近江の国衆は包囲され殲滅されており新庄直昌は単独で逃げている。義父の淡路細川家の本隊もほぼ壊滅し、藤孝が江口に率いて来た郎党もその過半がすでに討ち減らされ、藤孝を守る者はすでに馬廻りのみとなっていた。
「わかとのー、我らもそろそろ
追いすがって来た馬上の敵侍大将を槍で突き伏せながら軽口を叩くが、金森長近も必死の形相だ。それでも軽口を忘れないところが金森五郎八であり頼もしく感じる。
「三途の川で鬼軍曹が待っている、もう少しだ
「米田さんを待たせたら後が怖いですからねえ、うりゃあ!」
金森長近と斎藤利三の二人が守ってくれなければ俺などはとっくに死んでいただろう……マジメな展開なのでムテキングにもなれないからな。
細川藤孝の驚異的な馬術の腕と二人の献身的な活躍もあって、多大な犠牲を払いながらではあるがなんとか神崎川を渡河した
そこには頼りになる鬼軍曹が神崎川に残しておいた兵を率いて待っていた。
「五郎八、利三ご苦労であった! 若殿を守って下がれ、あとは任せるがよい」
我らは辛うじて逃げ切ることができたようだ。ここまでたどり着ければなんとかなる。
なけなしの郎党のうちの半数と鉄砲隊など置いて、渡河ポイントに陣地を構築させていたのだ。陣地には誠の旗が頼もしげにたなびいている。
野戦築城は
さすがに三好宗三の軍の生き残り全員を渡河させるには時間が掛かるのだが、この陣地で敵を迎え撃てば渡河にかかる時間ぐらいは持たせることができるはずだ。
「
明智光秀の鉄砲隊も
三好宗三軍の生き残りである
正面から来る敵はこれで問題がない。あとは川を来るであろう水軍が心配ではあるが、上流にいる我らに対して下流にいる水軍が渡河地点にまでたどり着くにはまだ時間が掛かるだろう。それまでに撤退してしまうだけのことだ。
陣地の中で一息ついた俺は戦況を確認するため指揮を執る米田求政のところへ戻ったのだが、そこで意外な光景を見ることになる。
我らの撤退を阻止するため、
「細川
金の毛皮の兜飾りに、
あれは
◆
細川晴元の逃げ足の早さは定評があるのだが、あまりにもよい逃げっぷりなので感心してしまった。ただまあ、逃げ出すこと自体は良い判断であろう。
自分の勇み足で江口の戦いにおいて敗れた三好宗三もさすがに
榎並城で頑張っていた
三宅城を脱出した我らは
勝龍寺城の城主である
我らだけ勝龍寺城に残って頑張っても意味がないので、幕府軍も京へ退却することを父の三淵晴員が決した。
だが勝龍寺城を退却する前にやるべきことがある。今回協力してくれた西岡衆を集めて感謝の意を表するとともに、彼らにあるものを渡したのだ。
【幕府からのお手紙】(超意訳)
『今までありがとー、みんなの頑張りは忘れないよー。でもごめんねー、幕府軍は京へ逃げぴっぴしまーす。許してちょんまげ。てへぺろ。でもお別れにこれまで頑張ったで賞をあげるねー。幕府の名で知行を安堵しておくからねー。だからー、また機会があったら幕府をよろしくだよー。三淵伊賀守、細川
西岡衆はこの地に根ざす国人だ。
そんな彼らに報いるための、彼ら西岡衆の心を幕府に繋ぎとめておくための手紙である。
それと三好長慶に降伏することをとがめない旨伝えておく。幕府軍に協力したことが問題になった場合に備えて、幕府が出兵を強要・脅迫した証拠となる書状も渡しておいた。西岡衆が三好長慶に滅ぼされても困るからな。
西岡衆らと話を終えて出立しようとしていたら、
竹内李治は弟の
志水重久は嫡子の清水
西岡に残る本家はとりあえず三好長慶に従うが、弟や子を幕府の味方として、どう転んでも御家の存続ができるように計ろうということなのであろう。心情は分かるし、こちらとしても西岡衆との縁は繋いでおきたいところなので喜んでその申し出を受けた。
そして
◆
無事に洛中に戻ることができたが、すぐに
六角義賢は近江より摂津へ向かうはずだった六角家の本隊を率いて上洛していた。
敗軍の将であるので、いつもの如く嫌味のひとつも大御所の側近どもに言われることを覚悟して御所に向かったのだが、並み居る諸将からはなぜか絶賛の嵐をぶつけられ、面食らってしまった。
窮地に陥った義父のため決死の覚悟で救出に向かい、迫りくる三好長慶率いる2万5千の大軍の真っ只中をわずか200の手勢で突撃し、義父のみならず総大将の三好宗三をも守って敵中突破を果たした「
あるいは、
など、もうなんだか意味がわからないほどの異名で呼ばれて絶賛されるのであったが、誇張だらけのウソ情報満載ではないか。実態は包囲される前に逃げ出しただけだし、追い払うというよりは見逃してもらっただけだろう。
だが後世にはこんなウソ情報がまことしやかに伝わってしまい、細川藤孝の伝説の一つとして「江口の
榎並城の救援は出来なかったうえ、細川晴元と三好宗三は摂津の地盤をことごとく三好長慶に奪われることになったわけだし、三好宗三が率いて出撃した細川京兆家の主力の半数以上は討ち取られ、京兆家の奉行衆である高畠長直など細川晴元政権を支えてきた者の多くが帰らぬ人となった。
我ら淡路細川家も
三好宗三や
敗軍の将の一人でしかない俺を英雄だと持ち上げてウサを晴らしていてもしょうがないと思うのだが……
だがこのわけの分からない過大評価が会議の行方には幸いとなった。三好長慶に対抗する策として北白川城への篭城を提案したのだが――
「おお、さすがは
「
「攻め兵部殿の考えならば上手くいくであろう」
「北白川城に目をつけるとは逃げ兵部殿の
「よくぞ言ったぞ、こわっぱ!」
などと絶賛されてしまうのだ。戦に出る前は謀反者扱いだったはずなのにコレである。なんというか見事な手のひら返しを見ましたわ……
細川晴元も三好宗三も結局は俺の意見に賛同し、六角義賢も北白川城の明け渡しに同意したのである。
◆
「藤孝……とにかく無事に戻って安心したぞ」
「はっ、ご心配をお掛けして申し訳ありません」
「まったくじゃ。単騎で万の敵中を突破するとか無謀にもほどがあるぞ」
「義藤さままでそんな変な噂話を信じないでください」
「噂話なのか? そなたは江口の戦いで獅子奮迅の槍働きをしたのであろう?」
「だから私は趙雲じゃないので、そんな豪傑みたいなことはやっておりません。噂に
「そうなのか? まあ良い。だが手柄は手柄じゃ。わしからその方に褒美を
ニコニコ顔で差し出してくるのだが、恐ろしく立派な代物に見えるのですけど……
「これは?」
「
それ
「公方様、そのような褒美は不要にございます。私が褒美目当て義藤さまにお仕えしていると
「む、気に入らぬというのか?」
「有り
「わ、わしはそなたが武名をあげたのが嬉しくて、何かそなたの労に報いたかっただけなのじゃ。そ、そんなに怒るでない」
あ、やばい。涙目だ。
「で、では……義藤さまより頂戴したきものがございます」
「む? それはなんじゃ。そなたの望みなら何でもやるぞ。何が欲しいというのじゃ?」
「それでは……義藤さまの膝枕を所望したくあります」
「ん? ん? ん? ひざぁまくら???」
「ではごめんして――」
おもむろに義藤さまに近づき、ごろんと横になって催促したりする。
「ささ、義藤さま。はよう膝をお貸しくだされ」
「な、なんなのじゃー!」
「いや、ですから、ご褒美に膝枕をして欲しいのでありますが、ダメでございますか? 先ほど何でもやると仰っておいででありましたが?」
「だ……だめでは……ないのじゃが……その、少し恥ずかしい……」
ぼん! と顔を真っ赤にする義藤さまである。
しばらく恥ずかしがっていたのだが観念して、膝枕をしやすいように膝をだしてくれる。俺は満面の笑みで義藤さまの膝に頭をのせるのである。
これで可愛らしい女の子の格好をしてくれれば最高であるのだが、贅沢は敵だ。今日のところは諦めよう。
「つぎの機会には可愛い格好をしての膝枕を所望します」
「そなたというやつは……とんでもない大馬鹿ものじゃ。褒美の太刀より膝枕がよいとか意味が分からぬわ」
グーにした手をプルプルしているが、殴ってはこなかった。
「そうですかね? 私は天下一の果報者だと思いますが」
「ニコニコしおってからに……そんなにわしの膝枕が良いのか?」
「はい。戦場の疲れが吹き飛びまする」
「まったく……しばらくは許すからゆっくり休むがよい」
「ありがたき幸せ……しかし膝枕をしていただくのは久しぶりでありますなぁ」
「そうじゃな、お主を拾って以来になるかの」
そういって微笑んでくる義藤さまが可愛くて思わず見つめてしまう。
恥ずかしくなったのかすぐに顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまうが、そんな仕草も愛らしいのだ。
この戦国の世に転生して義藤さまにお逢いしたあの日から、想いは変わっていない……義藤さまのためだけに、為すべきことを為すだけなのだ。忌まわしき未来から義藤さまをお救いするために――
そんなことを決意するのだが義藤さまの膝枕がとても心地よくて、ずっとこのままでいたいと寝返りをしながら思うのである。
「あ……こらっ、う、うごくでない――」
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