第五十五話 一色藤長

 天文十八年(1549年)3月



「そなたの格好はなんじゃ?」


「兼見くんに借りてきました神職の装束です。どうです神主に見えませんかね?」


「うーん、怪しい祈祷師とかそんな格好に見えるだろ」


「うむ。怪しい妖術使いかもしれぬな」


 新二郎と義藤さまに酷い評価を受ける。

 我らは吉田神社での宴を終えて、上京かみぎょうの今出川御所へ向かっていた。


「ヒドい……、せっかく義藤さまの巫女の格好に合わせたというのに」


「別にそなたまで変装する必要はなかろうに」


「私が御所にコレを献上している間のドサクサで義藤さまには御所に戻ってもらおうと考えていたのですが」


「それはなんじゃ?」


「先ほどの宴で兼右叔父から献上された左甚五郎ひだりじんごろう殿の作った神棚です。わたしの役どころは吉田社からの使者で御所にこの神棚を届けることです」


「それでその格好なのか」


 上京に入りもう少しで御所という所まで来ていたのだが、何やらチンピラに絡まれてしまった。


「おいおい、可愛い巫女さんよお。俺らと良いことしようぜえ」


 たしかに我が主は可愛いが貴様らのような下郎が口を利いてよい御方ではないのだよ。

 新二郎と二人で寄ってきたチンピラに立ちふさがる。


「おいおい、野郎には用はねーんだよ。可愛い子ちゃん置いてどっかにいってろや! あーん?」


 公方様を連れての隠密での御所への帰還なのだ。騒ぎを起こしたくはないのだが、チンピラの態度に我慢ができずに思わずやってしまった。


「俺の巫女さんにゲスな顔を近づけるんじゃねえ!」


 新二郎と即座にアイコンタクトをして、ゲス野郎に対して見事に息の合ったクロスボンバーを叩き込んでしまう。

(Wラリアートで相手の首を挟みこむ技です)

 もう完全に大乱闘アタックブラザーズ状態になる二人であった。


 ドッゴーン! 「ひでぶぅ!」


 公方様に対して狼藉を働いたチンピラがマット(道端です)に沈む。

 そしてカウントが進むが立ち上がれないようだ。

 カーンカーンカーン!

 チンピラ野郎は謎のアタックブラザーズのコンビ技にKOされた。


「いっちばーん! だろ」


 だが少し考えが足りなかったようだ……仲間をKOされたことに怒ったチンピラどもが我らを囲んでくる。


「ってんめー、ふざけんじゃねーぞー!」


「ああん? てめーらどこ中だよ? 近江中学をなめんじゃねー!」


 うむ、怒りに任せて思わずクロスボンバーを叩き込んでしまったが失敗したな。

 十数人のチンピラに囲まれてしまうことになってしまったのだ。

 だがそこにイケメンが変なポーズを決めながら現れた。


「そこのお嬢さんお困りのようですな。このイケメン様がお助けしますぜい♪」


「……おい五郎八ごろはち、お前こんなところで何をしているのだ?」


 謎のイケメン野郎は金森五郎八長近だった。


「ん? あわわ、もしかして若殿ですかい? 若殿こそこんな所でそのような面妖な格好をして何してんすか?」


「我らは吉田神社の巫女様を御所へ送っているところだったのだが、このチンピラどもに絡まれて困っているところだ」


「ほう、そのめんこい巫女さまは御所のお客様なのですな。分かりました、この五郎八とその相棒にお任せくだされい!」


 そう言うと颯爽と現れた金森長近ともう一人の男がチンピラに殴りかかっていく。

 新二郎もチンピラ相手にドロップキックを決めている。

 三人だけでチンピラどもを圧倒しているので、俺は義藤さまの護衛に回ることにした。


「五郎八、こいつらが何者だか知っているか?」


「こいつらは六角家が派遣してきた援軍の国人衆の手の者のようですぜ。洛中のいたるところで問題を起こしておりますわ。先ほども色街で狼藉を働いていた田舎侍を相棒と懲らしめていたところです」


 俺と喋りながらも六角家の田舎侍に見事なアッパーカットを叩き込む五郎八である。

 五郎八の相棒とかいう男も左右のハンマーフックを繰り出し、六角家の雑兵をKOしていく。

 新二郎に至ってはデンプシーロールからのカゼルパンチでまとめてぶっ飛ばしていた。やり過ぎるなよお前ら……


「あらかた片付いたようだろ」


 新二郎と金森長近とその相棒の三人によってフルボッコにされた六角家のチンピラどもは算を乱して逃げていった。

 まあ正直いって絡んだ相手が悪かったかもしれん。同情はしないけど。


「五郎八助かったぞ。それと手助けしてくださったその御仁を紹介してはくれぬか?」


「ああこの方は俺の相棒の竹内殿です。畠山の辻子ずし傾城屋けいせいやで遊んでいるところで知り合いになり、遊郭での遊び方を知らない無作法なチンピラ共を一緒にぶっ飛ばして相棒になりました」


 畠山の辻子は元は管領畠山家(畠山尾州家)の屋敷があった場所なのだが、屋敷は細川晴元の嫌がらせによって破却され、その跡地は傾城屋(遊郭)が立ち並ぶ洛中一の歓楽街になってしまっていた。

 場所は今出川御所のすぐ真横という酷い立地だったりするが……


「竹内殿、細川兵部大輔と申します。こたびは助太刀いただき感謝いたします。我が家の家人の金森五郎八がご迷惑をお掛けしたようで」


「これは兵部大輔様とは露知らず失礼しました。竹内たけのうち加兵衛尉かへいのじょう秀勝ひでかつと申します。兄がお世話になっております。金森殿は傾城屋の上客でありましてご迷惑などとは――」


 なんと金森長近の相棒は久我家こがけの被官である西岡衆の竹内季治たけのうちすえはるの弟であった。

 久我家の仕事である傾城屋の管理をしていた時に金森長近と知り合いになったらしい。

 というか竹内秀勝って松永久秀ボンバーマンの家老になるはずなのだが、変なところで知り合いになったものだな……我が配下ながら恐るべし金森長近。


 ◆


 竹内秀勝殿や金森長近の話によると、六角家が細川晴元への援軍として派遣した近江の国人衆の雑兵どもが傾城屋など洛中のいたる所で乱暴狼藉を働いているらしい。

 上洛して舞い上がってしまったのだろうか、この辺りは落ち着いたが、まだ向こうの方では騒ぎが続いている。


「黙れこわっぱ!!」


 ん? こわっぱ? この聞き慣れたフレーズはもしかしたら上野信孝うえののぶたかではないのか?


「何じゃあ、てめーは偉そうに」


「この田舎侍どもが! ここをドコだと心得るか! 恐れ多くも公方様がおわせになる御所であるぞ! 場もわきまえぬ狼藉者の田舎者が! うせるがよいわ!」


 やはり上野信孝であり、我らと同じように六角家が派遣した国人の雑兵と揉めている。

 いや、一応は今出川御所の周りで騒いでいる連中を取り締まろうとしているようだ……取り締まるというよりは喧嘩を売っているようにしか見えないのであるが……


「黙れこの木っ端役人が! 俺達の援軍がなければ戦もできぬくせして何を言うか!」


「黙らっしゃい! ええい者どもこの田舎侍を打ち払うがよい!」


 ウオー! ウオー!


 これはマズーイ、近江の国人と幕府の奉公衆らが喧嘩を始めてしまった。

 上野信孝ら奉公衆も近江国人どもとドツキ合いを展開しており、今出川御所周辺は世紀末状態だ。

 人数が人数なので喧嘩というか、もはや合戦のような有様になってきてしまう。

 だがそこに世紀末救世主が現れた。


「静まれい! 静まらぬかぁ!」


 アレはたしか奉公衆の一色いっしき式部少輔しきぶしょうゆう晴具はるとも殿であったかな。

 穏健派の一色式部殿なら瞬間湯沸かし器の上野信孝より話が分かるご仁だ。

 彼なら、彼ならば、このアホな騒動を静めてくれるハズだ。


 だが、喧嘩騒ぎはドツキ合いでは済まなくなっており、イキリまくった近江国人らが弓矢までつがえてしまっていた。

 そして、恐らくは威嚇であったであろう放たれた矢は運悪く御所内からあらわれた不幸な一色晴具殿の喉に突き刺さった。


「わしはもう死んでいる……グフっ」


「死亡確認……」


 幕府奉公衆で御部屋衆の一色式部少輔晴具殿は登場からわずか3秒で喧嘩騒動に巻き込まれて死ぬという壮絶な退場を遂げた……

 無常にも大館晴光ワンターレン殿が同僚の「死亡確認」を行うのである。

(本来はこのケガが元で数日後に死んでますので即死ではない)


 だが、幕府の重臣の(ような気がする)一色晴具殿が倒れたことによってヒャッハー状態にあった近江国人や上野信孝ら奉公衆もさすがに冷静さを取り戻したのか喧嘩騒ぎは次第に収まっていった。

 一色晴具という尊い犠牲によって、ともかく場は収まったのだ。

 ありがとう一色晴具、俺達は君の活躍を忘れないよ……キラーン。


「これだけ混乱していれば御所内に隠れて戻ることも容易かと」


「う、うむ。じゃが一色殿が……」


「残念ながら大館殿の死亡確認が出ました。最早助かりますまい。一色殿の無念は嫡子の七郎殿に報いてやってください」


「すまぬ一色殿……」


 一色晴具殿の死によって混乱しまくる最中、義藤さまは新二郎によって担ぎ上げられ御所の築地塀ついじべいを越えていった。

 六角家の国人衆と奉公衆と(俺達モナー)の分けのわからない喧嘩騒ぎを起こす中ではあったが、とりあえず公方様は無事であったのでよしとしようか……


(奉公衆と六角軍の喧嘩騒動は呆れることに史実だったりします)


 ◆


 亡くなった一色晴具いっしきはるとも殿とその発端の喧嘩騒動の責任追及などで当然のごとくゴタゴタすることになり、細川晴元は出陣前からグダグダな状況になってしまい、摂津への出陣は遅れることになってしまった……

 これから本格的に三好長慶と対峙することになるのだが、戦の最中だというのに仲間内で争いごとをやっていて細川晴元軍が勝てる未来はあるのだろうか……(たぶんない)


 山崎城に再度出陣するためバタバタと準備をしていたら来客があった。


「これは七郎殿、よくおいでくださりました。お父上は残念な仕儀となり心からお悔やみ申し上げます」


「おそれいりますのだぁ。それで兵部殿、実は銭がなくて父上の葬式もあげることができないのだ。すまんのだが銭を貸して欲しいのだ」


 来客は先日の騒動で亡くなった一色晴具殿の嫡男で、新たに奉公衆の一色式部少輔しきぶしょうゆう家の当主となる一色七郎藤長ふじなが殿であった。

(この時代にはなぜか一色を名乗る者がたくさんでてきますが、一色式部少輔家はマトモな一色家だったりします)


 突然の不幸な事故により急遽家督を継ぐことになった一色藤長殿は、葬儀とか急な家督の継承で費用がかさむため、恥を忍んでお金の無心の相談に参ったのであった。(恥じてる様子がない気もするが……)


 一色藤長は史実でも細川藤孝とかなり親しかったはずだ。

 幕臣として若い頃から藤孝と交流があり、藤孝の伯父の細川元常ほそかわもとつねが亡くなった際に宛行状あておこないじょうを発給していたり、近衛家での舞の見物や歌会などに藤孝と一緒に参加もしているし、足利義輝の有馬温泉の湯治にも藤孝と一緒にお供もしていたりする。


 なにより足利義昭の興福寺こうふくじの脱出に細川藤孝と共に協力し、足利義昭の征夷大将軍就任にも貢献している。

 晩年は足利義昭になぜか怒られて、とも幕府(笑)には参加できなかったようだが、細川藤孝とは能をやったりしてズッ友だったようだ。

 多少空気が読めないところはあるのだが、足利将軍家への忠誠心はヘタすれば細川藤孝より高いかもしれないので仲良くなっておいて損はないだろう。


(まったくの余談ではあるが一色藤長の甥には江戸幕府において禁中並きんちゅうならびに公家諸法度くげしょはっとを起草するなどして活躍した「黒衣の宰相」こと以心崇伝いしんすうでんがいたりする)


「分かりました必要な分をお貸ししましょう。それと紹介状をお渡ししておきますので、下京の茶屋家をお頼りください。私が不在のおりにもいろいろと力になってくれると思います」


「助かるのだぁ。お礼に喜びの歌でもむから聞いて欲しいのだぁ」


「あ、いやしばらく。これより出陣せねばならぬので、歌会はまたべつの機会にでも」


「それは残念なのだぁ」


 御部屋衆や御供衆にもなる上位の奉公衆には味方は多く欲しいからな。

 一色式部少輔家の当主ならば喜んで金などいくらでも貸し付けてやるわ、クーックックック。

 一色藤長殿にはサラ金「フジタカ」をこれからもご贔屓にしてもらおうではないか、貸しはいずれ何かの役にはたつであろうからな。

 お金の都合がついて喜んでのほほんと鼻歌を歌いながら帰る一色藤長の後ろ姿に下卑た笑いを投げつける藤孝であった。


 ……しかし本当に役に立つのかなこの人?


 ◆


 なんとか細川晴元の出陣準備が整い、晴元は六角家の国人衆と共に丹波を経て摂津の一庫ひとくら城へ向けて出陣した。

 時を同じくして我らも山崎城へ向けて出陣したのだが、細川晴元に嫌な要求をされてしまった。


 山崎から摂津へ入り、三好長慶方となっている高槻たかつき城を攻めるように要請されてしまったのだ。

 三好方を北と東から圧迫しようということである。


 磯谷久次いそがいひさつぐ殿が率いる小荷駄こにだ隊というか兵糧以外にも野戦用の陣具や武具なども運んでいるのでもはや小荷駄ではなく荷駄(大荷駄だいにだとも)隊と共に山崎城へ向かう。

 この隊にはうちの金森長近となぜか意気投合してしまい先日一緒に喧嘩騒ぎを戦った竹内秀勝たけのうちひでかつ殿も陣借りのような形で参加している。

 兄の竹内季治たけのうちすえはるに参陣するよう命じられたというので、ならば一緒にと誘ったわけだ。


 山崎城に入り大将格の三淵晴員と細川晴広のオヤジコンビに細川晴元からの要請を伝え、さっそく高槻城攻めの軍議に入る。

 山崎城にいた幕府軍は芥川山城や高槻城と睨みあっていたというか、偵察のほかは軍事行動を取らずに訓練をしていたぐらいだったので、ヒマ過ぎたのか城攻めに乗り気であった。


「源三郎(米田求政)、準備の方は問題ないか?」


「はっ、与一郎様のご命令どおり上手くいっております」


「そうか、ならば問題はないな。これより高槻城を攻める。各隊に伝達を頼むぞ。明朝出陣だ」


 ◇

 ◇

 ◇


 翌朝、我らが幕府軍は高槻城を三方から取り囲んだ。

 城の西手に展開する小笠原稙盛おがさわらたねもり率いる隊と東手に展開する三淵藤英みつぶちふじひでが率いる隊とが打ち合わせどおりに喚声をあげながら仕寄しよって行く。


 ウオー! ウオー!


「城攻めも三度目ともなると、慣れたものですな」


 米田求政が我が軍の素早い仕寄りに感心の声をあげる。


「うん、打ち合わせどおりに動いてくれて助かるよ」


 西岡での鶏冠井かいで城、物集女もずめ城に続いてもう三度目の城攻めになる。

 我が幕府軍の練度も上がってきたようだ。

 軍議の席で山崎城に入ってから一ヶ月幕府軍は動いていなかったので敵は油断しており、敵兵も少ないことを伝えていたので、奉公衆や西岡衆は強気で攻め懸けている。

 なんだか我が幕府軍は弱いものイジメが得意になってしまったなぁ……


「半刻ほどは攻め懸けたかね?」


「そうですな敵の注意が東と西の攻め手に向いておりますれば、よい頃合かと」


「では本命を叩き込むとしようか」


 ジャーンジャーンジャーン!


 突撃の合図となる陣鐘じんがねの音にのりながら本陣の部隊が城の南手に一斉攻撃を開始する。


 明智光秀率いる鉄砲隊や吉田重勝よしだしげかつ率いる弓隊の攻撃に気圧され、対する敵城の弓勢は勢いがない。

 先陣を勤める竹内秀勝が容易たやすく土塁をよじ登り木柵もくさくに取り付いた。

 敵兵も木柵に取り付いた竹内隊をなんとかしようとするのだが、我が軍の弓隊や鉄砲隊の援護射撃によりその動きは封殺されてしまう。


 そーれい、そーれいっ!


 掛け声とともに木柵はなぎ倒され竹内秀勝を先頭に城内に兵が雪崩れ込んで行く。

 城内に侵入を許したことで敵はあっさりと抵抗を諦め、我先にと城を落ちて行ってしまった。

 我が軍は敵の城に三方から攻め寄せていた。城の北側に兵は配置していないのだ。

 敵兵はその城の北側から容易に逃げ出すことが出来るわけなんだな。


 カチャカチャと伝令が鎧を鳴らしながら駆け寄ってくる。


「すでに敵兵は逃亡を図っております。追撃をいたすかどうか指示を仰ぐよう仰せつかっております」


「追撃は無用だ。残った敵兵を捕らえつつ城の防備を固めるよう伝えてくれ」


「ははっ」


 伝令が城内に駆け戻っていく。

 入れ替わりに後方に控えていた親父の三淵晴員と義父の細川晴広が喜びながらやって来た。


「与一郎、見事じゃ! さすがは我が息子よ、もう城を落としてしまったとはな。ぐわっはっは」


「与一郎、追撃は行わぬのか?」


「抵抗されて無駄に損害は出したくありません。まずはこの高槻城をしかと押えることが肝要かと」


「そうだな……」義父上は追撃をかけないことに少し不満のようであった。


 我が軍は逃げる敵兵を追撃することはしなかった。だが別に情けをかけたわけではない。

 元々で攻め寄せているのだ……皆には内緒にしているがね。


 この高槻城を治める入江いりえ駿河守春正はるまさとは実はすでに話し合いがついているのだ。

 札束で横っ面を盛大に殴るという話し合いだがな。(お札なんてまだない)

 一生懸命攻めていたように見えたかもしれないが、この高槻城攻めはただの「」だったりする――または「」ともいうかな。

「立ち合いは強く当たってあとは流れでお願いします」というヤツだ。


 山崎城に幕府軍が入って一ヶ月。

 無駄に過ごしていたわけではないのだ。

 米田求政に命じて、入江春正と交渉していたのだ。


 高槻城主の入江春正、元秀もとひで父子は残念ながらこの戦いでは三好長慶方についているが、入江元秀の子である入江景秀いりえかげひで景光かげみつの兄弟は史実では細川藤孝に従うことになり肥後熊本藩の家臣となるのだ。

 そんなわけで心情的に入江家を叩き潰したくなかったりした。


 城を明け渡すことによって入江春正に大量の銭と公方様の御内書ごないしょによって高槻の知行を安堵することを約束している。

 八百長を演じたのは入江家が三好長慶方に疑われないようにするための演技みたいなものだな。


 入江春正が逃げていった北方には芥川孫十郎が籠もる芥川山あくたがわやま城がある。

 むろん芥川孫十郎も調略(買収)済みだ。

 芥川孫十郎も入江春正も正規の幕府軍である我らとは表立って戦いたくなかったのであろう結構簡単に話に乗ってきた。


 芥川孫十郎には三好家一門ではなく、まったく別家の芥川家として幕府奉公衆として取り立てると持ちかけた。

 実は芥川孫十郎は数年後に三好長慶を裏切ったりする。

 芥川孫十郎が三好長慶に対してそこまで忠誠心が無いことを知っているので調略の手を伸ばしたというわけだ。


 こうして入江春正が約束通りに逃げ出した高槻城に安々と入場し、細川晴元との約束どおりに我ら幕府軍は摂津の地に侵攻を果たした。


 この高槻城攻めにより城を立て続けに3城も落としたことで、俺にはなぜか「城攻めの天才」とか「攻め兵部」とかいうどこかで聞いた事があるあだ名がついてしまった。

 鶏冠井城はもしかしたら戦う気のなかった城を問答無用の奇襲作戦で落としただけだし、物集女城は音攻めという嫌がらせで落としただけだ。

 そして今回の高槻城はプロレスだったのだが……こんなもので城攻めの天才とか評価されて良いのだろうか?


 おだてに乗って単身でイゼルローンじゃなくて小田原城を落として来いとか言われないように気をつけることにしよう――

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