第四十一話 固形石鹸をつくろう

 天文十七年(1548年)5月



  どうもこんにちは、細川藤孝です。

  うちの主がなぜか冷たくて泣きそうです。

  美濃の御料所ごりょうしょの件とか、信長の婚姻の件とか相談しても冷たくあしらわれます。

  やりたいことは認めてくれるので問題ないのですが、もうなにか心が折れそうです。


  なぜだ? 義藤さまはなぜ急に冷たくなったのだ。

  げせぬ……


 先日の信長殿の任官と帰国を祝ううたげまでは普通であったのだが何があったというのだ。

 宴自体はごく普通に行われたはずなのだ。

 大草公重おおくさきみしげ殿がメインで差配して俺は料理のお手伝いをしていた。


 信長も大御所が居たため大人しくおり、何も問題は無かったはずなのだが、……マジで意味が分からない。


「義藤さま、藤孝です」


「入るがよいぞ」


「大垣の御料所の代官の件で相談にあがりました。総代官として三淵晴員みつぶちはるかずを任命していただきたく、また代理として三淵藤英ふじひでを赴任させます。そのほかに代官として、千秋晴季せんしゅうはるすえ殿、飯河秋共いいかわあきとも殿、荒川晴宣あらかわはるのぶ殿、小笠原稙盛おがさわらたねもり殿、大和晴完やまとはるのり殿らを任命していただきたく――」


「許す。大御所と相談の上、よきにはからうがよい」


 と、取り付く島がねえ……


「そ、それと」


「なんじゃ、まだ何かあるのか? わしは忙しい手短にせよ」


「はっ。という美味しいご飯を作って参りましたが、ご一緒に食事でもいたしませぬか?」


「む? それは美味いのか?」


 お? 美味しいものには食いついてくるな。

 やはり義藤さまには食い物だな。


「は、ウナギを使った料理にて非常に美味しき物にございます」


「そうか、では後で食べるゆえ、それは置いて行くがよいぞ」


 ぬがぁ、め、めげるな俺。

 

「ですが食べ方がありまして、美味しく食べるには私が手本を見せねばなりませぬが……」

(締めの茶漬けは大事なんだよー)


「しつこいのう。わしは忙しいし、お主の顔など見たくないのだ。はっきり言わねば分からぬのか?」


 うぐぅ、大切な人に塩対応されることなどは現代で経験済みのはずだ、めげるな俺。


「わ、わかりませぬ。な、なぜ義藤さまに嫌われたのかそれを――」


「べ、別に嫌ってなどはいない。じゃが、そ、そなたは、わしではなく、そなたの許嫁いいなずけとやらと食事を共にしたほうが……よ、良いのではないか?」


「は? 私には許嫁などりませぬが」


「嘘を申すでない。先日の宴で信長殿から聞いたが、とても可憐かれん女子おなごであったそうだが」


「あー、それ義藤さまです」


「ん?」


「ですから、信長殿が会ったという可憐な女子というのは姫君の格好をした義藤さまです」


「わしには覚えがないのだが?」


立売たちうりつじにご一緒したこともお忘れですか?」


「ん? そういえばそのようなことが……」


「その後に信長殿と洛中でお会いして、義藤さまの正体がバレぬよう、とっさに私の許嫁だと信長殿にウソをついたのであります。義藤さまは酔っ払ってしまいお忘れのようでありますが」


「わしは酒など呑んでおらぬ!」


「義藤さまは知らずに酒を呑んでしまったようで、お忘れになってしまわれたのです」


 呑んだのはだけどな。


「それに私は浮気など出来ない主義ですので」


「そ、そうなのか?」


「なので、私には許婚などはおりませぬ。……それで、ひつまぶしはご一緒に食べて頂けますか?」


「む、どうしてもというなら許さぬこともないぞ」


「はい。すぐに美濃にいかねばならず、またしばらく逢えなくなります。どうしてもご一緒に食べたくあります」


「そ、そうかならば許す――」なぜか顔を真っ赤にする我が主であった。


 ◆


 わけの分からぬ誤解は解けたようだが、信長のクソ野郎、余計な事を言いやがって。

 今度、我があるじに余計なことを言ったら、明智光秀じゃなくて俺が本能寺でブチ殺すことに今決めた。


「与一郎様、道三殿がお見えです」


「ああ、すまぬ。通してくれ」


 義藤さまのあらぬ誤解を解いてから急ぎ準備して、また美濃へやって来た。

 我らは織田信房おだのぶふさ殿から大垣城を接収して、大垣城では和睦の儀と織田・斎藤両家の婚姻の儀の準備などをしているところだ。

 とにかくやることが多くて忙しくて死ねる。


「おお、兵部殿。我が家の婚儀のために、また美濃までわざわざすまぬな。それと紹介させてくれ。儂の嫡男の新九郎利尚としひさだ」


「斎藤新九郎利尚と申します。いつも父がお世話になっております。こたびは我が妹のためにご足労いただき感謝いたしまする」


 後年の斎藤義龍さいとうよしたつであろう斎藤新九郎利尚殿と美人さんが挨拶してくる。


(最近は斎藤高政たかまさの名乗りが有名ですが、高政の名乗りは道三を討ったあとの名乗りなのでそれまでは利尚だったりする)


「道三殿久方ひさかたぶりであります。新九郎殿にはお初にお目にかかります。細川兵部大輔にございます。それと道三殿そちらの方は?」


「ああ、すまぬ。こたび信長殿に嫁ぐことになった儂の娘だ。利尚とは母が違い側室の娘ではあるがな」


 おお、信長の嫁さん美人だな。

 おそらく『帰蝶きちょう』とか『濃姫のうひめ』とか『鷺山殿さぎやまどの』とか呼ばれる人だよな。

 でもあれだな、斎藤義龍の母親が正室で濃姫の母親が側室なんだな。


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深芳野みよしの』と『小見おみかた


 斎藤道三の妻は一般的には、側室の『深芳野』と正室の『小見の方』が知られている。

(名前に関しては胡散臭いのだが、分かりやすいので使います)


 土岐頼芸ときよりのりの側室であった深芳野が斎藤道三に下げ渡されて、斎藤義龍を生んだなどというのは間違いなく江戸期の創作だと思われる。

 では斎藤義龍の母は誰なのだ? という問題が残る。


『深芳野』は一色義清いっしきよしきよの娘ともいわれているが多少無理があると思われる。

 丹後たんご一色家第9代の一色義清の娘であれば丹後国守護の娘ということになるので側室はありえないだろう。

 また一色義清の時代には、一色家は三河や北伊勢、尾張知多郡ちたぐんなどの権益をすでに失っており、一色家は丹後のみの勢力に没落している。

 美濃の土岐家と縁を結ぶのは少々難しいだろう。

(奉公衆の一色家もあるのでそちらなら可能性はある)


 一色義清は尾張知多郡分郡守護といわれる『一色(吉原)義遠よしとお』の孫ともいわれるがまったく確証はない。

 また、同名の人で一色家の第12代とされる『一色義清』もいたりして、一色家の系譜の混乱は酷いものなのである。

 丹後一色家の系譜は現在でも全く確定されていない有様だったりする。(歴史家の先生は早く頑張れ)


 また斎藤義龍の母は稲葉良通いなばよしみち(一鉄)の姉か妹という説がある。

 稲葉良通の生年は1515年で、義龍の生年は1527年なのでその差は12年であり、妹はありえなく姉であろう。


 そしてこの稲葉一鉄と姉の母までもが一色氏の出であるともいわれているのだ。

 正直言って、斎藤義龍が『一色』などを名乗ったため、その血筋を一色に繋げるため系譜にいろいろ作為を凝らしているとしか思えてならない。


 個人的な見解で確証などはないのだが、斎藤義龍の母は稲葉良通の姉であり、正室であったと考えている。

 稲葉良通は斎藤義龍の叔父という立場で、斎藤義龍を担ぎ上げ斎藤道三を追い出したい国人領主の中心勢力となったのではないだろうか。


 そもそも土岐家が一色氏の血筋というのも実は怪しいのである。

 守護代の斎藤利永さいとうとしながが守護の土岐持益ときもちますと対立し、一色義遠の子ともされる土岐成頼ときしげよりを担いで土岐家の当主に迎えたわけだが、土岐成頼の出自は土岐一族の饗庭元明あえばもとあきの子や佐良木光俊さらきみつとしの子という説もあったりする。

 どちらかというと同じ土岐一族の出自である方に説得力があるような気がしている。(まったくのヘンケンですが)


『小見の方』も名前については別にして、そういった女性がいたのは間違いがないだろう。

 兼見卿記などにも信長の『しゅうと』の記述があったりするためだ。

 斎藤義龍が嫡子の扱いをされており、道三の隠居により家督を継いでいる形跡があるため、やはり斎藤義龍の母が正室であったと考えるのが妥当であろう。


『小見の方』は明智光継あけちみつつぐの娘で明智光安あけちみつやすの妹とされるが、光継や光安の二人については実在したという証拠が全くない。

 架空の人物だと断じる歴史家の先生もいたりするのだ。


 正室は家の家格によって決まることがほとんどであるが、『稲葉家』よりも『明智家』の方が家格が上だと断じることはできないので、正室は稲葉家出身の斎藤義龍の母であるとするのが無難だと考えている。

(明智家についてはまた別で解説します)

 ――謎の作家細川幽童著「どうでもよい戦国の知識」より

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 義藤さまと別れて美濃くんだりまでやって来て、俺は義藤さまとイチャイチャすることも出来ないのに、なにが悲しくて他人の結婚の世話をせねばならないのだ?

 帰蝶さん美人だったし、なんかムカついて来たな……


「それで頼みがあるのだが、我が息子の願いを聞いては貰えないだろうか?」


 あれ? 斎藤道三と義龍の仲が良い感じだな、長良川ながらがわの戦いはどこへいったのだ?


「道三殿とその嫡男である新九郎殿の頼みとあらば、むろんお聞きしますが」


「兵部大補殿、何卒それがしにも公方様へ拝謁する機会をお与えいただきたくお願い奉る」


「すまぬ。婿となる織田弾正大忠だんじょうたいちゅう殿(信長)が先日上洛して、公方様に拝謁したことを聞いてな。新九郎は婿殿には負けたくないようなのだ」


 信長が上洛の上、公方様に拝謁し、官位まで受領したわけだから焦っているのであろう。


「はあ。では公方様に相談いたします。婚儀ののちに帰洛しますので、私とご一緒に上洛する形で手配いたしましょう」


「ありがたい。私も斎藤家の男として立派に上洛してみせましょうぞ」


 織田信長に嫉妬する斎藤義龍とか別に萌えたりはしないぞ。


「道三殿、それで任官の義は美濃守護代に相応ふさわしき左衛門大尉さえもんだいじょうの官位でよろしかったですかな?」


(左衛門大尉は従六位下相当で官位としては低いが、守護代斎藤惣領家そうりょうけがはじめに名乗った官位になる)


「相変わらず話が早い、さすがだな。それで頼む」


 斎藤道三は家格を上げるため、幕府を、俺を利用する気になってくれているようだ。

 利害が一致している間は協力できるであろう、悪くないことだ。


「官位受領のためには幕府や公家に、また進物などが必要になりますがよろしいですかな」


「用意させよう。利尚の上洛の折に持たせる」


 とそこで源三郎から声を掛けられた。


「与一郎様、織田家の平手様がお見えでございます」


「斎藤家と挨拶中ゆえ、すまんが待って貰えるよう伝えてくれるか?」


「はっ」


弾正忠だんじょうのちゅう家の平手殿がお見えであるのか?」


「平手殿はこの和睦の儀と婚儀につきまして助力を頂く話になっておりまする」


「ああ、さすがは弾正忠家の知恵袋だな。手回しが良い。相分かった。斎藤家からも誰ぞ手伝いに来させよう。若い者の方が使い勝手が良さそうだな。あとでその方の元へ参らせるゆえ好きに使ってくれ」


「私もいろいろ手が足りないのでそれは助かります」


「では兵部殿、婚儀の席でまた」


「兵部大輔殿、上洛の件よろしくお頼み申す」


 織田信長に続き、斎藤義龍(利尚)までもが上洛して公方様に拝謁を願うとは良い流れだな。

 公方様に忠誠を誓うものは厚く遇されるところを示して行きたいものだ。


 いかん、平手殿を待たせておったのだ。

 尾張の招待者の件で打ち合わせをせねばならないのだった。


 ◆


 御料所となった大垣であるが、全体の管理責任者は実父の三淵晴員みつぶちはるかずということにしてある。

 さすがに若年であるので俺はそこまでしゃしゃり出ていない。

 父は大御所の信頼の厚い側近でもあるので、ほかの幕臣に対しても角がたたず、むろん実父なため俺も全幅の信頼がおけるから適任だったのだ。


 三淵晴員は大御所に近侍しているため、兄の三淵藤英みつぶちふじひでが父の代理という形で大垣に来ている。

 御料所の代官には奉公衆である淡路細川あわじほそかわ家と三淵家、千秋せんしゅう家、飯河いいかわ家、荒川あらかわ家、大和やまと家、小笠原おがさわら家、斎藤さいとう家などをあてている。

 大御所と公方様のコネを最大限活用してほぼ身内で固めたというわけだ。(斎藤家は利三の父の斎藤利賢としかた


 ほかには元々大垣に地盤のある斎藤家(土岐家)の国人領主もそのまま代官を任せたりもしている。

 竹腰重直や安藤守就であるが、かの者らは斎藤道三(土岐家)の家臣であり、将軍家の直参じきさんではない。

 大垣を一方的にむしり取りたいわけではないので、斎藤家の利権も残して友好を築くためでもある。


 織田家についても大垣城代であった織田信房おだのぶふさ殿に一部代官職を担ってもらた。

 これも織田家との友好のためである。

 主に在地の寺社領の代官などをお願いしている。


 これから取り急ぎ、美濃・尾張の和睦の儀(手打式)と斎藤・織田弾正忠家との婚儀をもよおすわけであるが、式典などは本気でクソ面倒くさいので大和晴完やまとはるみつ殿に丸投げした。


 式典を丸投げするために有職故実ゆうそくこじつに詳しい大和刑部少輔ぎょうぶしょうゆう晴完殿を代官に任命することで懐柔(買収)して連れて来ているのである。

 この時代の奉公衆は各地で領地を押領おうりょうされまくっているので、新たな御料所の代官職はとても美味しい役職なのである。

 大和晴完殿は喜んで引き受けてくれた。


 この大和晴完だが、1604年(慶長9年)に死んだとされ、恐ろしいことに106歳までクソ長生きしたのである。

 山科言継やましなときつぐとも親しく「言継卿記ときつぐきょうき」には医学薬学に精通した幕臣として登場している。

 また、細川藤孝の叔父である飯河秋共いいかわあきとも猿楽さるがくの師匠でもあり、かなりの教養家なのである。

 礼法家としても後世に武家故実ぶけこじつの史料を数多く残しており、身分による来客の対応方法から手紙の書き方の作法、戦場での陣幕じんまくの張り方の作法に勝鬨かちどきの上げ方など、恐ろしく多岐に渡る知識を身に着けたりもしている。


 大和晴完は大和家では嫡流ではなかったようだが、幕府内で奉公衆ほうこうしゅうとして歴代の将軍に近侍し、走衆はしりしゅうから御部屋衆おへやしゅうへと、さらには申次衆もうしつぎしゅう御供衆おともしゅうと順調に出世の階段を登っており、主に幕府の外交や典礼の面で活躍していたようである。(足利義栄あしかがよしひでにも仕えてしまったようでそこだけは失敗している)


 室町幕府の崩壊後には、豊臣秀吉に有職故実の質問をされるなど重宝され、また息子のために毛利家に自ら赴いて仕官運動を行い、子孫は萩藩士はぎはんしとして存続しており、家の生き残りにも長けていた。

 大和晴完は一般的な知名度はまったくないのだが、政治・文化の両面で活躍した、いわゆる化け物爺いの類いなのだ。(この時はまだ50歳前だが)


 叩き上げの実務家であり、室町幕府においては間違いなく有能な部類に入る御方なので、俺としては是非とも仲良くしたいのである。

(謎の数字として、この人には政治90以上あげてもいいと思っている)


 まったくもって余談だが、大和晴完の名字は祖先が大和守やまとのかみの官位を代々受領したことから取られているのだが、この人の一族が相模さがみの後北条氏に仕えており、その館がその地にあったがため、神奈川県の大和市やまとしの由来になっていたりする。

(後北条氏の家臣となったのは大和佐渡守さどのかみ家で北条早雲が幕府の同僚だった大和家を招いたと思われる)


 式典については、大和晴完殿にメインの差配を全て任せて、尾張方は平手政秀が手伝ってくれており、美濃方は竹腰重直殿も手伝ってくれているので、俺が特に何もしなくても問題なかったりする。

 式典などは、てきとーに無難にやっておけばよいのだ。(逃げ)


 式典を人任せにした俺は、その間にやりたいことをやっていた。

 まずは御料所での農作業の準備である。

 兄の三淵藤英を中心に代官として連れて来た、千秋晴季、飯河秋共、荒川晴宣、小笠原稙盛、斎藤利賢らに農法を教え込んでいた。

 種籾の塩水選えんすいせんや消毒のやり方、苗の移植栽培法や原肥としての草木灰の使用方法、田植縄を使った正条植えせいじょうのやり方に合鴨あいがも農法などを教えていたのである。

 ようするに農業知識チートの基本技だ。

 別に金には困ることはないのだが、兵糧の確保はやっておいた方が良いだろう。


 農作業についてある程度教えたあとは荘園の管理は彼らに任せて、俺はまた別のことにも手を出していた。

 従兄弟で津島つしまに影響力を持つ平野長治ひらのながはるを通して、とあるものを手に入れていたのである。

 手に入れたものは――である。


 ◆


 オカヒジキは山形県の置賜おきたま地方(山形市と米沢市の中間の南陽市あたり)などで食される伝統野菜である。

 置賜地方におけるオカヒジキの栽培は江戸初期から始まったとされる。

 本来オカヒジキは海岸や砂浜に自生する植物であり、最上川もがみがわでつながっていた庄内しょうない地方からその種が運ばれ、なぜか内陸の置賜で栽培されるようになったという。

 ヒジキと似ており陸地に自生することからオカヒジキと名付けられたようである。

 食感はシャキシャキしており、お浸しやサラダとして食べられるが、おすすめの食べ方は天ぷらだったりする。

 だが、今回オカヒジキを入手した目的はむろん食用ではない。


 このオカヒジキは海岸に自生しているのだが、大垣を手に入れたことにより伊勢湾と繋がる流通路の確保が出来たため、安定して入手することができるようになったわけだ。

 伊勢湾地方ではオカヒジキはあまり食されてはいないようなので、比較的安価に手に入るのも嬉しい限りである。(室町以前ではオカヒジキはあまり文献には載っていないので食用として普及はしていないものと思われる)


 以前石鹸の話をしたことを覚えているだろうか?

 固形石鹸を作るためには海が必要なのであるが、それは固形石鹸の元になる『バリラ』という対塩性の陸上植物である『塩生植物えんせいしょくぶつ』が海岸に自生しているためなのだ。

 日本における塩生植物といえば、このオカヒジキがそれである。


 オカヒジキなどの塩生植物を燃やして灰にするとソーダ灰、現代でいうところの『炭酸ナトリウム』が手に入る。

 バリラを海草灰や海藻灰と約することもあるのだが、本来の原料としては塩生植物灰になる。


 そして今俺が居るところは大垣であるのだが、大垣の北西には金生山かなぶやまという山がある。

 大垣を御料所とした際に、斎藤道三との交渉で金生山を領有する権利を確保しておいた。

(砦を造りたいという名目にしてある。一応カモフラージュで砦は造るつもりである)

 むろん山なので、メープルシロップのためのカエデの確保という意味合いもあるのだが、この金生山には江戸時代に美濃国赤坂の「美濃灰」と称された、良質の石灰岩せっかいがん大理石だいりせきなどが掘れる鉱山があるのである。

 しかも露天掘りで掘れるので比較的安価で簡単に石灰岩を手に入れることができるのだ。


 石灰岩は砕いて高温で焼くことで生石灰せいせっかい、いわゆる『酸化カルシウム』になる。(生石灰は人体には有害なので取り扱いには注意しよう)

 生石灰に水を加えると消石灰しょうせっかい、『水酸化カルシウム』が生成される。

 消石灰はかつて学校で使うライン引きの粉として使われたり、現在では牧場や農場で靴底の消毒用に使われたりしている。(消石灰も取り扱いは危険であり、最近はライン引きの粉には使われていないらしい)

 

 これら『水酸化カルシウム』と『炭酸ナトリウム』を水に混ぜて加熱することにより、『水酸化ナトリウム』いわゆる『苛性かせいソーダ』が手に入る。

 工業化以前に苛性ソーダを作成する古法であり、ソーダ灰苛性化法という手法だ。

 

 大垣は河川で伊勢湾と繋がりオカヒジキの入手が容易で、後背には石灰岩を産する金生山があり、固形石鹸をつくるための材料が揃っていたりするのである。

 これが大垣を御料所として手に入れたかった理由でもあるのだ。

 石灰岩については実はまだ他の使いみちもあったりするのだが、それはまた後のことになる。


 むろん大垣の御料所化の目的は石鹸作りだけではない。

 周辺国の紛争化を阻止し、美濃国の安定を狙ったいわゆる『国連停戦監視団』みたいなものである。

 大垣周辺は江北の京極家(浅井)、江南の六角、尾張の織田家など美濃へ侵攻する場合には多くが大垣方面から美濃へ侵攻している。

 それに大垣の西にはあの関ヶ原もある。太古の『壬申の乱』から始まり『承久の乱』、『関ヶ原の戦い』など、とにかく日本史上に名高い戦いが多く行われ、非常に難しい地域なのだ。


 だがそれは逆に言えば大垣は交通の要衝ということでもある。

 この時代には近江と美濃とを結ぶ九里半街道、中仙道なども大垣周辺を通り、戦乱が無ければ街道は経済活動の動脈たりえるのである。

 京から、近江、美濃、尾張へと繋がる経済圏の安定確保はとてもおいしいものとなろう。


 さて固形石鹸の話しになるのだが、ヨーロッパでは12世紀ごろから地中海地方で固形石鹸の生産が始まったとされる。

 フランスではマルセイユが石鹸の一大生産地となり「マルセル石鹸」がのちに高級石鹸の代名詞ともなった。


 この「マルセル石鹸」だが植物油(オリーブ油)とソーダ灰(炭酸ナトリウム)から作った苛性ソーダから作られている。(年代により製法は変わるらしい)

 マルセル石鹸の原料であるオリーブオイルは日本では手に入らないので、とりあえず試作品はツバキ油で代用することにする。

 コストの面から固形石鹸を量産化する際には、廃油を使うことになるだろう。


 固形石鹸の作成方法は簡単に書くと以下のような工程である。

 ツバキ油と苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)をよく混ぜる。

 よく混ぜながら釜で炊いていくと、『鹸化けんか』の反応が起こり石鹸水ができる。

 出来た石鹸水に塩水を加えてさらに混ぜると、『塩析えんせき』の効果で石鹸と水とが分離し、石鹸だけが取り出せるというわけだ。

 あとはその石鹸を型に入れて冷ませば、現代でも見慣れた固形石鹸の出来上がりである。


 ◆


 大垣城の庭で釜を使って少量の鹸化の実験をおこなっていたのだが、米田求政に声を掛けられた。


「与一郎様、客人でございます」


「源三郎、すまぬが今は手が離せぬのだ。客人はどなたであるか?」


「はっ、明智十兵衛あけちじゅうべえと申す者にて、斎藤道三様より若殿の手伝いを命じられたとの由にございます」


「は? 明智十兵衛だと?? アチチチっ」


 明智十兵衛ってあの明智光秀だよなぁ……マジか。

 

「与一郎様大丈夫でございますか?」


「ああ大丈夫だ。すまんが客人には失礼のないように、ここに呼んで待って貰えるよう伝えてくれるか?」


「はっ」


 固形石鹸を作るための材料である、苛性ソーダは劇物なので取り扱いには注意をしなければならない。

 試作を始めてしまったから手が離せないのだ。


「与一郎様、客人を連れて参りました」


「明智十兵衛光秀と申します。お目通りを感謝いたします。斎藤道三様に兵部大輔様の手伝いを命じられて参りました。何なりとお申し付け下さい」


「申し訳ござらぬ明智殿、作業中にてこのままで失礼いたす。細川兵部大輔です。手が離せぬゆえしばらくお待ちいただけますかな?」


「ははっ、お忙しいところに突然伺い申し訳ありませぬ、こちらで控えさせていただきます」


「申し訳ない、すぐに終わりますので」


 少量だからもうすぐ鹸化の反応も終わるだろう。

 早く明智光秀と話しがしてみたいのだが、もどかしいものである。

 さっさと終わらせてしまおう。


「源三郎、すまぬが手伝ってくれるか?」


「与一郎様は先ほどから一体何をしておいでなのですか?」


「石鹸を作っているのだ。液体の石鹸は以前に作り方を教えたであろう。今度の石鹸は持ち運びや保管にも便利な固形の石鹸を作っているのだ」


「はあ、あいかわらず、与一郎様の知識には驚くばかりです。それでこれをかき混ぜておればよろしいのですか?」


「ああ、もうすぐ鹸化の反応が終わって、石鹸水が出来るからもう少し混ぜていてくれ」


「与一郎様、是非ともあとで詳しく作り方を教えてくだされませ」


 米田源三郎は漢方薬や硝石しょうせきの時もそうなのだが、俺が作る物に興味を持ってくれるので大いに助かる。

 手伝いも率先してやってくれるしな。


「大変申し訳ありませぬ。今、石鹸と申していたようですが、それは京の医家にて最近はやりのものでありますか?」


 待ってもらっていた明智光秀が興味ありげに声を掛けて来た。


「明智殿は石鹸をご存知でありましたか?」


「はい、京から美濃へ参りました医学に通じた者から一度見せていただいたことがあります」


「恐らくそれは壷にでも入った水のような石鹸ではありませんでしたか?」


「はい。大変貴重なものと言われ、使わせては貰えませんでしたが水のようなものでありました」


「明智殿、実は石鹸を作っているのは我々の医家の集まりなのです。興味がお有りのようですので、お待ち頂ければ今作っている最新の石鹸を差し上げましょう」


「非常に嬉しきことですが、よろしいのですか?」


「これからこの美濃で石鹸を商おうと思っておりますので、試作品ですがお渡ししましょう。宣伝くだされば我々も助かりますし、道三殿にもお持ち下さい」


「与一郎様、釜の方を見てくだされ、大分出来上がっているようでありますぞ」


「ああ、ではそこの桶の水を混ぜてくれ、それを入れてかき混ぜれば石鹸が分離するので、すくい取ってその型枠に流し込めば完成だ」

 

 桶に入れてあるのは塩水である。

 型枠に流しこんだあと本来であればしばらく時間をおいて熟成させるのだが、試作品だからとりあえず固まればよいや。


「十兵衛殿、今作っているものは固形石鹸といって固まった物になりますのでさらに便利な代物なのです。もう少しで固まりますので使い方などを教えましょう」


「私などに教えていただいてよろしいのですか?」


「十兵衛殿は土岐明智家の方でありましょう? 道三殿の重臣の方に石鹸の良さを知っていただければ、この美濃で石鹸を商うことが捗りましょう」


「恐れながら、それがしは明智とはいえ傍流の出、道三様にはお引き立ていただいておりますが、それは私が小見の方様や帰蝶様の縁者であるためだけのこと。重臣などという大層な身分ではありませぬ」


 ああ、明智光秀の出自にはたしかいろいろな説があったと思うが、土岐明智家の嫡流とかではないということかな?

 でも明智光秀だからなあ、恐らく有能だろうし仲良くしておいて損はないだろう。


「帰蝶様の縁者ということでしたら、道三殿には帰蝶様の婚儀の準備の手伝いを命じられたのでありますかな?」


「いえ、道三殿には兵部大輔様は忙しき方ゆえ、兵部様が美濃に滞在の折には何用でも手伝うよう仰せつかっておりまする。それと婚儀につきましては竹腰摂津守(重直)様を手伝いに向かわせるとのことでありました」


 何でも手伝うねえ? 道三は光秀に俺の監視でもさせる気だろうか?


「与一郎様、型枠にすべて流し込み終わりましたぞ」


「うん、では固まるまでお茶にでもしようか。茶菓子を出しますゆえ十兵衛殿も是非ご一緒にいかがですか?」


「はい、お誘いいただきありがとうございます。是非ご一緒させてください」


 恐らく産業スパイにでもなるのかもしれないが、せっかくの明智光秀だからな。

 割り切って仲良くすることに決めた。

 とりあえずもみじ饅頭とか食わせて美味い物で懐柔してみようとか思うのである。

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