第四十話 麗しの姫君再び?

 天文十七年(1548年)4月



 織田信秀が奉公衆ほうこうしゅうの最上位の格である御供衆おともしゅうとして遇されることになったのだが、ついでに俺も御供衆に任ぜられることになった。

 信秀殿はいわば実の伴わない名誉職であるのだが、俺の場合は別である。

 織田・斎藤両家の和睦斡旋わぼくあっせんを主導する俺への箔付はくづけという意味でもあり、公方様の側近としてさらなる重みを与えるということである。

 御供衆には、和睦の儀を主催するため美濃へ再びおもむく前ににんぜられる運びだ。


 むろん、これは愛する我が主のお引き立ての賜物でもある。

 あとでお礼に『ひつまぶし』でも作ってあげよう。(安いものである)

 この世は愛する者の胃袋を掴んだ者が勝利するのだ。

 公方様の愛妻ポジション(逆です)をゲットするため美味しいものをひたすら貢いだ甲斐があったというものである。


 弱冠、15歳にて奉公衆の最高位である御供衆に早くも出世するのよ?

 皆の者頭が高いわ、くぁーかっかっか。

 はい、すいません調子に乗りました、勘弁してください。

 でもこれで名実ともに公方様の最側近になることになる。

 大御所が幕政の実権を握っているため出来ることには限りがあるが、公方様への実権の委譲はそう遠くはないであろう。


 さて話は変わるが、美濃の調停の件で俺が動いている間に幕府でも動きがあった。

 細川晴元が頑張って大御所との和解に動いていたりする。

 というか、大御所はまだへそを曲げたままだったりするのである。

 公方様や大御所は現在慈照寺におられるのだが、大御所にゴマをすって機嫌を取りたいのであろう細川晴元が、今出川御所いまでがわごしょの修復に動き出していたりするのだ。

(今出川御所は義満の花の御所の跡地に規模を縮小して造営された義晴期の御所です)


 細川晴元としては今出川御所に大御所と公方様を迎え、幕府を本来のあるべき姿に戻し自身の権威を確立したいのであろう。

 御所の修復には政所執事まんどころしつじ伊勢貞孝いせさだたかや六角定頼も協力しているようである。


 俺は基本的には細川晴元などは、まったくもってだと思っているので近寄ることをあえてしていなかったのであるが、その晴元から呼び出しを喰らってしまった。


 公方様とも久しぶりにのんびりしたいし、信長の歓待などもせねばならぬ身でクソ忙しいので正直勘弁して欲しいのだが、さすがに京兆家きょうちょうけ当主からの呼び出しを無視するわけにはいかなかった。

 しょうがないので、嫌々ではあるが上京かみぎょうの細川|京兆家の屋敷へと足を運ぶことにした。


佐々木大原ささきおおはらの晴広の小倅こせがれであったな」


 細川晴元は淡路細川家を細川一門とは認めてはおらず、淡路細川家をその出自である佐々木大原と呼んでいる。(失礼なことです)


右京大夫うきょうだゆう(晴元)様には久方ぶりに御意ぎょいを得ます」

(二人きりで会うとか初めてだとは思うが)


「なにやら御供衆に出世するとか。公方様にたいそう気に入られてあるようだな」


 今まで俺など眼中に無かったと思うのだが、若年にして御供衆になることになり、名実ともに公方様の再側近になるがゆえ無視できなくなったというところであろうか。


「はっ。公方様には格別のお引き立てを賜っております」


「ふむ。こたびの美濃の調停の件で何やらお主が動きをなしておるようだが、美濃守(土岐頼芸)殿の相婿あいむこであるそれがしが協力したことは理解しておろうな?」


 まあ協力というか反対しなかっただけとも言うがな。


「は。美濃と尾張の和睦の件に右京大夫様が賛同頂きましたこと、誠に感謝しております」


弾正忠だんじょうのちゅうがごときの扱いには納得はしておらぬことではあるが、美濃守殿の為、公方様のためと思いそれがしも賛同いたした」


「右京大夫様のお力添えあってのことでございます」


「結構な心がけであるな。ではその方に感謝の気持ちがあるならば今出川御所への公方様の動座に協力せよ」


「それは公方様に慈照寺から移ることを説得せよとのおおせでありますか?」


「そういうことじゃ。そなたの父の晴広も御所の造営には協力してくれておる。その方からも費用の工面などで晴広に助力することを期待したいものだな」


 義父上は晴元なんぞに協力しておったのか……そういえば帰りの挨拶もまだだった。(すまぬ義父上)


「小身なれば僅かではありますが、我が父の元へ用立ようだてさせて頂きまする」


「一応そなたは細川の血筋ではあるそうだからな。しかと励めば淡路家が再び細川一門として遇される日も近いであろう」


「有り難きお言葉感謝致しまする。して、今出川御所への公方様の動座はいつ頃に相成りましょうか?」


 今さら細川一門とかどうでもよいし、別に有り難くもなんともないが、義父の手前そんなこと言えません。


「そうさな。公方様と大御所様には祇園祭ぎおんまつり御霊会ごりょうえ)の観覧かんらんには今出川御所からゆるりと出立頂きたいものよな。それまでには御所の修復も終わらせたいものよ」


 祇園祭りといえば二月後であったか、それまでには今出川御所の修復は終わらせるということか。


「右京大夫様のご意向はしかと公方様にお伝えさせて頂きます」


「そなたからの朗報を待っておる。細川の家門を汚す事なきよう精進することだな」


 ――けった糞悪い細川晴元との会談はこうして終えた。

 細川晴元の信じられないところはコレで悪意がまったく無いところだったりする。

 正直性質たちが悪いしこれでは付き合いたくも無くなるというものだ。

 ようするに幕府を牛耳る京兆家の当主のくせに、空気が読めない男なのである。

 しかし何故か逃亡先を見定める能力から手に負えない。


 今さら今出川御所の造営などは俺にとってはどうでも良いことなのだが、義父上が協力しているとならば手伝わないわけにはいかないであろう。

 親孝行のため義父上にはまとまった金を工面して、公方様にも一応今出川御所への動座をお勧めせねばなるまいか……


 ◆


 上京から急ぎ慈照寺の東求堂へ戻る。


「どこへ行っておったのじゃ?」何やら不機嫌そうな顔の義藤さまに出迎えられる。


「申し訳ありませぬ。右京大夫殿に呼び出され、上京の京兆家の屋敷へ参じておりました」


「ほほう、わしのことは放っておいて、右京大夫殿にでもゴマをすりに行っておったと申すか。出世するとなると忙しい身の上のようじゃのう」


 不機嫌な理由はソレかい。

 別に好き好んで放置プレイをして居たわけではないのだが……


「も、申し訳ありませぬ。信長殿の御目見えの儀の直後に呼び出されまして、公方様にいとまを告げる余裕もなく」


「まあ良い。それで右京大夫殿には何用で呼び出されたのだ?」


「今出川御所の修復の件にござりました。今出川御所の修復が成りましたら、私から公方様に御動座を勧めるよう依頼されましたよしにございます」


「なんだ、右京大夫殿はわしに用があったのか? わしに直接使者でも遣わせばよかろうに」


「大御所様の勘気かんきがまだおさまっておりませぬ。右京大夫殿もお気を遣われておるのでしょう」(何が悲しくて晴元なんぞを擁護しているのだ俺は)


「大御所としても振り上げた拳を下ろす理由が欲しいのであろうな。余り気のりはせぬが返事をせねば困るのであろうし、今出川御所への動座の件は色よい返事をしても構わぬぞ」


「今出川御所に動座の折には、大御所様も右京大夫殿との対面を許す機会と成りましょう。それに私の立場までお気を使って頂き感謝致します」


「べ、別にそなたのことなどに気を使った覚えはないが、感謝したければ勝手に感謝するが良い」


 なんかしておる、やべえ俺悶絶もんぜつしそう。


「そ、それと右京大夫殿は義藤さまの祇園祭ぎおんまつり上覧じょうらんを手配するつもりのようでありました」


 悶絶回避のため別の話題を振ってごまかす。


「祇園祭か、それは悪くないな。藤孝もその際にはわしと同席するがよい」


かしこまりました。美味しいものを取り揃えてお持ち致しましょう」


「うむ、格別に美味しいものを頼むぞ」


「美味しいものと言えば、信長殿の帰国の前にうたげの一つも開かねばなりませぬな。よろしければ大草殿と宴の準備をいたしますが」


「大御所と相談の上よきに計らうが良い。で、信長殿はいつ頃帰国のにつくのじゃ?」


「官位奏上そうじょうの結果次第ではありますが、明後日以降になりましょうか……」


 とそこに、外から声をかけるものがあった。


「恐れ入ります。米田源三郎です。ご歓談のところ誠に申し訳ありませぬが、与一郎様に急ぎの報せが参りました。しばし宜しいでありましょうか?」


「源三郎か。すぐに参る」


「よい。源三郎とやら入室を許すぞ。かまわぬから入って報告いたせ。それともわしには聞かせられる報せであるのか?」


「そ、そのようなことはありませぬが……」公方様の言に源三郎が戸惑ってしまった。


「公方様の仰せである。源三郎中に入り報告いたせ」


陪臣ばいしんの身で恐れ入ります」と言って入室する源三郎。


「かまわぬ、公式の席ではないのだ気を遣うな」


「はっ、有り難きお言葉」


「で源三郎、急ぎの報告とは?」


「さきほど茶屋ちゃや殿より早馬が参りまして、織田三郎信長様が下京しもぎょうにてご乱行らんぎょうよしとのことでございます」


「は? ご乱行? なぜに?」


 信長殿はお目見えの後は建仁寺に帰って帰国の準備をしているとばかり思っていたのだが、まったくもってそんな事はなかった。

 せっかくの折り目正しい装束しょうぞくなどはさっさと投げ捨てて、ファンキーな馬廻り衆らとともに、「面倒なことは終わったから俺は遊ぶぞー」的なノリで洛中に繰り出していやがった。


 50人ばかりの着飾った柄の悪い集団が下京の市などを悪態をつきながら練り歩きつつ、女子おなごに絡んだり、食べ歩きながら店に文句を言ったりしているというのだ。

 茶屋明延殿がその評判の悪さを心配し俺に早馬を走らせ報せてきたのである。


 想像してみて欲しい、真っ昼間から特攻服を着たゾッキーの集団が商店街でたむろしているところなどを。

 信長の馬廻りなど現代の視点では、茨城のクソ田舎から出て来た暴走族みたいなものなのである。

 ヘタしたら夜盗か山賊のたぐいにも見えるかもしれん。


「とりあえず源三郎は、郎党を率いて信長殿を急ぎ探してまいれ。できれば茶屋殿の屋敷にでも案内しておいてくれると助かる」

(汚物は隔離しよう)


「はっ、ただちに」


 今は信長殿の官位の奏上の手配中なのよ? 余計な騒ぎとか起こしてよい時期ではないだろうが!

 下京に飽きて上京にまで繰り出されたらさらに面倒だ、その前に押えよう。

 まったく細川晴元なんぞに呼びつけられたせいで時間が取られて、信長のケアができんかったのが失敗だったな。

(義藤さまとお話する前に信長のところへ行けば良かったという発想はないらしい)


「義藤さま、そのような仕儀しぎにて申し訳なく、これより下京に参りノブ――」


「噂のぶりを見に行くぞー! 藤孝もついて参れー♪」


「……は?」


 あかん、余計な騒ぎを起こしそうな輩が、そういえば目の前にもいたのであった……


 ◆


 このような面白きしらせを義藤さまの御前で聞いたことが最大の失敗であった。

 信長殿がファンキーな格好で京を練り歩いているなどと聞いたら、我があるじは喜び勇んで見に行こうとするわな。

 顔をキラキラさせて喜んでおり可愛くはあるが、ちょっと待てや!


「いけません。公方様ともあろうものがそう軽々しく市中に繰り出すものではありませぬ」


 信長なんぞと洛中で会ったらろくなことにならんわ。


「何を言っておるのだ藤孝。わしは遠乗りに出かけて、いつもどおりに茶屋で一服しようとしているだけであるぞ? 別に遠乗りや茶屋に出向くことは何度もしておるではないか。それとも何か、御供衆おともしゅうに出世し偉くなると、あるじの日課にまで口を出すようになるのか?」


 この野郎(征夷大将軍かつです)、いつの間にかにヘリクツとイヤミが上手く成りやがって。

 ぬぐぐぐ。


「分かりました……では手隙の奉公衆ほうこうしゅうにお供をするよう手配してまいりますので、しばしお待ち下され」


「んー藤孝、……その、ふ、二人で出かけるのはダメであるのか?」


「――は?」


「い、いや、また二人で食べ歩きとかして見たいなと……」


 我が主は今、二人でと言ったのか?

 ではないよな?

 な・ん・だ・と!

 ――しかも顔を赤くしている?


「そ、それがしと義藤さまの二人だけで、でありますか?」


「う、うむ。最近あまり二人で居る時が少なかったからな、それにもう少しすればまたそなたは美濃へ行くのであろう? ……ダメか?」


 なんだこれは? 俺は夢でもみているのか? 義藤さまが顔を赤らめて上目遣いで俺にお願い? をしているぞ。


「二人でとなるとまた女子おなごの変装などする必要がありますが、よ、よろしいのですか?」


「ん、やはり変装が必要なのか?」


女子おなごの格好をしていただけるのであれば身分もせられ、私も安心できますが」


「うん、で、ではそのようにいたすか……なぜかその、そなたはわしの女子おなごの姿を喜ぶようであるからな」


 なぜかだって? そんなもんは貴女あなたが可愛いからに決まっておるわ!

 しかも顔を真っ赤にして、すでに現在進行形で可愛いんですけどー!

 これでさらに可愛い格好なんてしてくれたら、が討死する。


 マジでなんだこれは? 斎藤道三とか織田信秀みたいなの相手とか、ついでに細川晴元のアホの相手で、ストレスマッハでそうになっている俺への天の恵みか何かなのか?

 るのかしらんが神様ありがとう。

 俺、頑張って神棚かみだなを売りまくるよ。(多分それ違う)


 そんなわけで、いつ来るかわからぬチャンスのために東求堂とうぐどうの天井裏をし(国宝です)、密かに隠しておいた『義藤さま女装フルセット』の中から、女物の桜色の小袖こそで被衣かずきをチョイス。

 髪型は垂髪すいはつを上の方で元結もとゆいで結んで、風にアレンジ。

 ……あかん、ポニテの我があるじがラブリー過ぎて死ねる。


 そして柳沢元政を吉田神社にパシらせ、牛と車副くるまぞえ(牛を引く人)を酒蔵に居た吉田六佐衛門ろくざえもんから無理やりレンタルし、こんなこともあろうかと密かに用意しておいた牛車ぎっしゃ2号、名付けて『ランボルギーニ』を引かせて急遽、慈照寺に持って来させた。


 さあデートのお時間です。

 再びの『麗しの姫君』をランボルギーニという名の牛車に乗せ、俺はもう大喜びで洛中にり出すわけである。


 正直、織田信長なんて本気で良かったりしている――


 ◆


 ブモォオオオ!


「どうですか姫様ランボルギーニは? 大分金を掛けて改造しましたので、鈴鹿すずかで3位表彰台を狙えるぐらいの性能がありますぞ」


「あいかわらずそなたの言うことはわからぬが、姫様はよせ……」


「それはご無理というもの。我が姫はどこからどうみても、うるわしい姫君であらせられますゆえ」


「――――」


 真っ赤になって恥ずかしがるお姿が悶絶もんぜつものである。


「それと本日は上京かみぎょうに参りますが、京兆家きょうちょうけの屋敷や、伊勢家の屋敷、それに改修中の今出川御所いまでがわごしょも近くにありますれば、変装がバレぬよう用心願います」


「なんだ、今日は違うところへ行くのか?」


「はい。姫君様が食べ歩きデートを所望しょもうですので、上京の立売たちうりつじにでも向かおうかと」


立売たちうりとはなんじゃ?」


「はい立売とは――」


『立売』とは常設のお店ではなく行商人ぎょうしょうにんなどが仮の店舗や道端みちばた軒先のきさきなどに物を広げて販売する、露店ろてん(露天)売りのようなものであり、わかりやすく言えば、現代の屋台やたいとかフリーマーケットなどの原型のようなものである。

 この時代では上京の立売の辻や下京しもぎょう四条町しじょうまちつじなどがにぎわっていたという。


「姫様、ここが立売の辻でございます。ここでは魚や野菜に竹や炭、雑貨などいろいろな物を売る商人が露店を広げておりまする」


「藤孝、ここは随分ずいぶんと人が大勢おるのう」


「はい、上京では一番人通りが多いところになります」


「藤孝、あの者は何を売っておるのじゃ?」


「あれは酒を売っているようでありますな」


 この時代、酒の小売として露天商が酒の少量販売などをしていたという。


「藤孝、ではあの者はなぜ頭になにか乗せておるのじゃ?」


「あれは大原女おはらめと申しまして、炭を売りに来たのでしょう」


 大原女は小出石村の南の大原おおはらから女子おなごまきや炭を頭に載せて京に運び、いまでいう行商をしていた女達のことである。(自分自身が売り物の場合もある)


「あのように多くの物を頭にのせるなど器用な女子共じゃのう。藤孝、ではあれはなんじゃ?」


「あれは振売ふりうりと申しまして桶の中の魚を売っているようでありますな」


 振売は江戸時代の時代劇に良くみられる天秤棒てんびんぼうをかついだ行商人である。


「藤孝、ではアレは――」


 見るもの全てが珍しいのであろうか、姫様はキョロキョロしながら目についたものを次々と質問してくる。

 そんな義藤さまのコロコロと変わる表情がとにかく可愛いい。

 だがちょっとはしゃぎ過ぎたかな、姫君を少し休ませたいところだ。


「喉が渇いたのではありませんか? あそこに座れそうな茶屋がありますので少し一服いたしましょう」


「うむ。こんなところにも茶屋があるのだな」


 椅子の用意があり座れそうな水茶屋みずぢゃやがあったので、そこで一服することにした。

 この時代お茶は『一服一銭いっぷくいっせん』といって、路傍ろぼうで一杯のお茶を一銭で売る者などが結構多かったのである。


「すまぬな藤孝。何やらわしばかり楽しんでしまって」


「そのようなことはありませぬ。私も十分デートを楽しんでおりますよ。なにより可愛い姫君を見ているのが楽しくありますので」


 ぼんっ。


「か、可愛いとか言うでない……」


 せんじ茶を飲みながら一息ついたが、姫様はまだ物珍しいのであろう、座りながらも目を輝かせてまだ周りをキョロキョロしている。

 その仕草が可愛いし、義藤さまには社会勉強にもなるのでやはり連れて来て良かった。


「んー、やはり藤孝が作るお菓子の方が美味しいのう」


 寄った茶屋は仮設だが結構っていて、お茶請けの餅などもあったが、普段時代にそぐわない|俺が作った数々の美味い物に食べなれてしまったのであろう、そこらの餅では食いしん坊将軍の舌は満足できぬようだ。


「それではこの近くに川端道喜かわばたどうき殿のお店がありますので参りますか。そこでなら美味しいものが食べられますよ。――まよいましては困りますゆえ、お手を頂戴いたします」


 立ち上がりながら、我が麗しの姫君にすっと手を差し出す。


「う、うむ。苦しゅうない……」


 最近素直な良い娘である。

 恥ずかしげではあるが、しっかりと差し出した手を握ってくれる。

 少し恥ずかしいようで顔を真っ赤にしながらではあるが。


 二人で手を繋いで、歩いて川端道喜殿の店へと向かう。

 差し出した手を繋いでくれる人がいるというのは、本当に幸せなことだなと思うのであった……

(だが、なぜか泣けて来そうになったのだが、なぜ泣きたくなったのかは分からなかった――)


 渡辺道喜殿は俺が女子連おなごづれであるので、気を効かせて声は掛けて来なかった。

 なぜかを向けてきたが。

 出来立てで熱々の煎餅せんべえを購入して店先でお茶をしながら頂くことにする。


「焼きたての煎餅はいかがですか?」


「うむ。香ばしくて美味しいのう♪ そういえば焼き立ては初めて食べるな」姫君もニコニコ顔で食してくれている。


「姫様、私はとても嬉しゅうございますが、こたびはどうして女子の格好を許して頂けましたので?」


「うん? んー藤孝が頑張っておるのでな。わしも少しは藤孝の喜ぶことをしたかったのじゃ。わしばかりそなたに何かしてもらう一方であったからな」


 誰だこの素直な良い娘は? 我があるじに一体何があったというのだ。


「そんな、私めは御供衆おともしゅうに任ぜられる栄誉えいよも頂くことになっておりますれば、十分に義藤さまに恩を頂いておりまする」


「そなたが御供衆になることは、父上や母御前ははごぜの意向なのだ。叔父上(近衛稙家このえたねいえ)と母上(稙家の妹)は随分とそなたを褒めておったぞ。美濃や尾張の荘園しょうえんから久しぶりに銭が入ったといってな」


 ああ、母御前の影響なのか。

 近衛家にも気を使って、美濃や尾張の関係荘園から税を運ばせたからなー。(信秀と道三の進物です)

 この時代の公家の荘園は各地で思いっきり押領おうりょうされまくって、公家の収入は恐ろしく激減している。


 困った公家の中には、五摂家ごせっけ一条いちじょう家などのように荘園のあった土佐とさへ一族を下向させ、在地領主ざいちりょうしゅ化することで、その荘園を守ろうとしたりする者もいた。


 近衛家の場合はその荘園を守る方法が、室町将軍家の外戚がいせきになることであったのだ。

 将軍の義父や義兄となることで、幕府の威光を利用し近衛家の収入の安定を図ろうとしたのである。

 藤原氏ふじわらしがかつて皇室こうしつ外戚がいせきとなって権力を握った、伝統の必殺技である。

 そう、今の足利将軍家には、が絡み付いて来ているのである――


 いずれ俺はこの近衛家とも争わねばならない時が来ると思うのだ。

 その時に義藤さまは俺を信じてついて来てくれるのであろうか……


 ◆


道喜どうき殿お願いがあるでござる」


「これは源三郎げんざぶろう様まで、兵部様はそちらにおわしますが――」


 ん? あれは我が腹心の米田源三郎の兄貴ではないか、こんな所で何をしているのだ?

 何やら柄の悪い連中を引き連れているようだが、そういえば何かあったような……?


「姫君さま少しお待ち頂けますか。源三郎が参って何事かあったようでありますので」


「うむ、わかった。なるべく早く戻って来るがよいぞ」


 まったくせっかくデートの最中だというのに、源三郎のヤツめ邪魔をしおってからに。


「源三郎いかがいたした?」


「あ、これは与一郎様、なぜこちらに? いえ、信長様がどうしてもを食べたいと聞かないもので」


 ああ信長とか居たな、完全に忘れていたわ。


「よくわからんが何がどうしたのか順を追って話してくれまいか?」


「は、はい。信長様を下京しもぎょうで見つけましたので、まずは与一郎様の命のとおりに茶屋殿の屋敷にお連れしました。そこで与一郎様をお待ちしておりましたが、与一郎様が一向に現れず。待ちくたびれた信長様が、ワレはもう待てない。ワレは美味い物が食いたいのだ。噂の御所ちまきを食べに行くぞーと、禁裏きんりに強引に押し入ろうとしましたので、慌ててそれをさえぎり、なんとか説得の上、この川端殿のお店へ連れて参ったという次第しだいであります」


 あーうん、それは完全に俺が悪かった……


(史実で御所ごしょちまきが噂になったのはもう少し後のことだと思われるが、煎餅せんべえが売れまくって、御所煎餅ごしょせんべえ御所ごしょちまきとして史実より早く、この時すでに洛中で話題になってしまっている。史実でも信長は御所ちまきが食べたくなり、御所ちまきというなら御所(禁裏きんり)で売っているのだろうと、禁裏に買いに行かせたとかいう間の抜けた逸話があったりする)


「禁裏に強引に侵入とかよくぞはばんでくれた。源三郎、礼を言うぞ」


「もったいなきお言葉」


 だーかーらー、今は官位奏上そうじょうの手続き中であるのだから、やっていいことと悪いことの区別くらいつけろや、あのがぁ!


「それで、その信長殿はいかがしたのだ?」


「はて? こちらには一緒に参りましたので、このあたりに居るとは思いますが……」


 ガラの悪い信長の馬廻うままわりはそこらに居るのだが、肝心の信長本人が見当たらないのだ……どこいった?

 

 と、そこに信じられないセリフが俺の耳に飛び込んできた。


「ワレは三郎と申すのだが、さすがは京の女子おなごであるな。そなたの様なうるわしい女子おなごは初めて目にしたわ。どうじゃ? ワレの妻にならぬか? これでもワレは尾張では城持ちの大名なるぞ」


 あ、あれは――我が姫君で、それを……プチッ


「ちょっとまてや! この野郎!」


 ムテキーンキーック! ドグワシャ!(蹴り飛ばした効果音です)


「だ、誰じゃワレに蹴りを喰らわせたのは。ワレを織田家の者と知っての狼藉ろうぜきであるか!」


「て、てめーは、これから正室を迎える立場であろうが、こんな時にこんなところで女を口説いてんじゃねー!」


 我が姫君に手を出そうとするノッブを見て、俺は完全にブチ切れて盛大にムテキンキック(ドロップキック)をかましていた。


 主君ヘッドを足蹴にされた信長の馬廻り暴走族と、俺のご乱行を見た源三郎も慌てて郎党を集結させ、川端道喜の店先で両軍が睨み合う大勢たいせいとなってしまった。


「む、誰かと思えば兵部大補殿か。ワレに蹴りをくれるとはどういうことであるか!」


「信長殿は朝廷に対して、官位の奏上の手続きをしている身。しかもこれから斎藤道三殿の娘を正室に迎える大事な立場であろう。その立場を忘れ、このような場で我が姫様を口説くとは言語道断の仕儀ぞ!」


「側室ならば問題なかろうが!」


「い、言うに事欠いて、わ、我が姫君を側室扱いとは無礼千万なり!」


「む、我が姫君? ……なんじゃこの女子おなごはおみゃーさんの知り合いなのか? もしかしておもい人であるのか? おみゃーさんの想い人であるならば、非常に残念ではあるがワレはむろん身を引く事を考えなくもないがのう」


 想い人という単語になぜか反応して、顔をさらに真っ赤にしながら俺の顔をうかがう我が麗しの姫君。

 貴女あなたこの状況がさっぱり分かっておりませぬな。

 デート中に他の男に口説かれてるんじゃねー!

 ちきしょう! もうしらんわ! どうにでもなれ!


「ああそうだ! この姫君は奉公衆ほうこうしゅうである沼田家ぬまたけの姫君であり、俺の許嫁いいなずけであり、この世で最も大切な御方だ! 我が姫君様だけは、だれであろうと、なにがあろうと死んでも譲らーん!」


(ちなみに藤孝の史実の許婚(嫁さん)は沼田家の『麝香じゃっこうさん』といいます。この時たぶん4歳くらいです)


 まだ見ぬ史実の藤孝の嫁さんよ、名前をかたるが許してくれ。


「わ、わかった、わかった。知らぬこととはいえ、お主の許嫁を口説いたことはびる。だ、だから気を鎮めてくれ」


「いいなずけ……」ぼんっ、我が麗しの姫君が真っ赤に爆発しとるがもう知らんがな。


 とりあえず信長殿が場を治めようとしくれる。

 俺も少し冷静さを取り戻してきたので、郎党達も緊張を緩めたようだ。

 こんなところで小競り合いとか馬鹿の所業しょぎょうなのに、俺は何をやっているのだ……


「それより兵部ひょうぶ殿はここで何をしておったのじゃ? ワレらは茶屋殿の店で随分とおみゃーさんを待っておったのであるが」


 大変申し訳ありません。

 信長殿のことは完全に忘れて、姫君様とイチャイチャしようとしておりました。


「こ、こちらの川端道喜殿の店では、私が考案した物などいつでも美味しい物が買えますので、皆様にお土産を買おうと思いまして」


「ほほう、兵部殿が美味いというのであれば是非食べたいものよ。先程から洛中でいろいろ食べたのだが、どれもこれも薄味で大して美味くもなく難儀しておったのだ」


「道喜殿コチラの皆さん全員に美味い物を頼みます。むろん代金は全額私が持ちますので」


「おお! さすがは兵部殿、太っ腹であるな。皆の物遠慮せずにご馳走になろうぞ」


 信長殿は俺のおごりがムテキンキックのびだと分かっているのだろう。

 気を利かせてくれて助かるわ。


「できれば道喜殿、これより他の客は断って頂けますかな」


「はあ、左様でありますな。個性的な皆様ですので私共も助かります」


 よし! これで信長殿はしばらく(食っている間は)大丈夫だな。

 あとは今のうちに我が姫君をなんとか連れ――って、あれ? 姫様どこ行った?


「キャハハハー! 源三郎とやらもっと酒を持って参らぬかー♪」


「は? 源三郎何をして――」


「はっ申し訳ありませぬ。与一郎様の良い人と聞きましたので、与一郎様が信長殿とお話中にそれがしがお相手をしようと……」


「そ、それで酒とか飲ませちゃったの?」


「い、いえ酒ではなく、甘酒を飲みたいとのご意向でしたので、を一杯渡しただけであったのでありますが……」


 うん、源三郎は気の利く家臣だし何も間違ったことはしていないねー。

 おかしいのは甘酒で豪快に酔っ払う我が姫君様ですねー。

 しまったなー、川端道喜殿にも甘酒を教えていたのでそういえばこの店で扱っていたなー。

 まずいなー、こうなってしまってはデートなどはもう無理だねー。

 るーるーるーるー。

 ……早く戦略的撤退をはからねばって、


「兵部大輔殿の嫁さんであったか、すまぬな。あなたが美しく、思わず口説いてしまいましたが非礼をお詫びいたす」


「む? わしは藤孝の嫁さんとやらではないぞ」


「ああ、これは失礼した。まだ許婚で――」


「わしは、藤孝のである!」


「は? ご主人様?」


 あかーん、うちの姫様、わしは将軍じゃとか言い出しそうだー。


「ひ、姫様、そろそろ帰りましょうか」


「む? 嫌じゃ。わしは楽しい。それに腹も減った。わしは美味い飯が食いたいぞ」


「で、ではおうちに帰って美味しいご飯をたべましょーねー」


「嫌じゃ。わしは皆で食いたい」


 こんのわがまま娘がぁぁぁ!


「兵部殿、ワレらも飯が食いたいのだが、良い店は知らぬか? この店は菓子や漬物は美味いが、ワレらはもっとこうがっつり食いたいのだ」


「なんだお主ら美味いものが食いたかったのか? さすればわしが案内あないして進ぜよう。この京で美味いものがある所といえば、それは吉田神社じゃ。者どもわしについて参るが良いぞー♪」


「おお! さすがは兵部殿の嫁さんじゃあ! よし、おみゃーら姐御あねごについて行くぞお!」


「おう!」×50人ぐらいの尾張の田舎者。


 ――この光景を見るのはもう何度目のことであろうか。


 尾張のヤンキー集団を引き連れた姐御あねご(我が主です)と織田信長を先頭に、その愉快な仲間たちが吉田神社の門前の鰻屋うなぎや蕎麦屋そばやに攻め込んだ。


「お主らせっかくはるばる京へやって来たのであろう! 今日はなぜかわしは気分が良いのだ。遠慮するな。わしが皆に奢ってやろうぞー! きゃははははー♪」


 誰だ我が主にさらに甘酒を飲ませたのは。

 あいつ(将軍です)わしの奢りとか言っているが、代金を払うのはどうせ俺なんだぞ。


「さすがは兵部様のお嫁さんじゃあ気前が良いのう。店主蒲焼重50人前追加でなー」


「きゃははは。このお嫁さんに任せなさーい。皆の者ぉ! とろろ飯もおやきも食えい。酒ももっと呑んでよいぞー」


「姐さーんゴチなります!」×50人ぐらい。


「京の物は薄味でクソ不味かったが、ここの物は全てうまいじゃねーか!」


「黒うどんも天ぷらもたまらねー」


「とにかく、うまいだぎゃー!」


 おい信長、お前もバクバク喰ってないで少しは部下の暴走を止めやがれや。


「きゃはははー! 今宵は愉快じゃのー♪」


 信長殿にはなぜか将軍とはバレなかったのであるが、今宵、我が麗しの姫君は暴れん坊な姉御になってしもーたのであったとさ。

 めでたし、めでたし。(めでたくねーよ!)


 ――翌日。


「義藤さま、つかぬことをお伺いしますが昨日のことは」


「すまぬ藤孝。何も覚えておらぬ」


 ですよねー、いいんだ別に俺は、うん、いいんだ……(涙)

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