第三十八話 織田信長<下>

 織田信長殿と対今川戦略などで意気投合してしまった。

 桶狭間の戦いなど未来の話をできるわけがないのでそこは伏せているが、今川家の存在は織田家にとって脅威であり、この先十数年の長きに渡る戦いになるであろうことで意見を交換しあった。


「織田家にとっての大敵は今川家であるということです。斎藤道三殿との和睦は必須でありましょう」


「そうよ我が織田家の敵は今川家と、今川に結びつこうとするやからよ」


 今川家に結びつこうとする輩とは、織田大和守家に巣食う小守護代の坂井さかい大膳亮だいぜんのすけなどである。

 織田大和守家に巣食う小守護代らを史実より早く駆逐し、尾張を早期にまとめることができれば、織田信長は史実よりもっと有利に今川家と争うことができるだろう。


「できれば松平家も取り込みたいものです。織田家には竹千代たけちよ殿というぎょくもござりますれば」


 通説ではのちの『徳川家康』である竹千代は1497年の8月頃に戸田氏の裏切りに遭い、駿府すんぷ駿河府中するがふちゅう)に連れていかれるところを織田家に銭で引き渡されたことになっている。

 だが最近の説では家康の父である松平広忠まつだいらひろただが織田信秀に岡崎おかざき城を攻められ降伏の証しとして、織田家に人質として渡されたともいう。(そんな説に傾いてます)

 この時期には竹千代は熱田あつたの有力者である加藤家に預けられていたという。


「松平広忠殿を織田家になびかせろと?」


「松平清康きよやす以来、松平党まつだいらとうは強くあります。少なくとも竹千代殿を粗略に扱うことは無きようにすべきです」(のちの徳川家康とか冷遇してはあかん)


「今の当主である松平広忠ではなく、竹千代という坊主をもてなせと言うか」


「時期を見て竹千代殿を岡崎にお返しして、松平家と結ぶことを考えてもよろしいかと。一時期とはいえ三河の大半を治めた岡崎(安祥あんじょう)松平家です。今川家と戦う上では松平家と結ぶべきと考えます」


「そうであるな。今川家の軍勢を親父殿が今頃抑えてくれておれば、松平家と結んで今川家に対抗するのもよいだろう」


 残念ながら史実どおりの結果なら、今頃『小豆坂あずきざかの戦い』で織田信秀は太原雪斎たいげんせっさいに敗れているだろう。(1548年説を採っています)

 このあとの織田弾正忠家は今川家に押される一方となる。

 なんとか安祥あんじょう城くらいはこの先も確保して置きたいがそれも難しいだろうか。


 あまり織田信長に肩入れし過ぎて歴史が変わり、桶狭間の戦いが起こらなくなると、歴史が変わりすぎて先が読めなくなる恐れもあるが、桶狭間の戦いがなくても織田家は今川家には敗れはしないと考えている。


 今川義元の桶狭間における敗因は、兵力を大高おおだか城、鳴海なるみ城と、織田方の砦を攻めるために展開し、兵力分散の愚をおかしたことである。

 簡単に言ってしまえば兵力を分散し手薄になった本陣を織田信長率いる馬廻りの強襲を受け中央突破されて負けたわけだ。


 若い頃の織田信長は自らが先頭に立って味方を鼓舞し、敵将すらその手で討ってしまうほどであり、柴田勝家をも恐れさせた猛将である。

 また自らが鍛えた馬廻り衆は上杉謙信の旗本はたもとにも匹敵する戦闘力があったと思っている。

 桶狭間で信長が率いた2千の軍勢は寄せ集めの兵ではなく、信長軍の精鋭である馬廻り、黒母衣衆くろほろしゅう赤母衣衆あかほろしゅうが中心の精鋭なのである。

 信長の馬廻りは寡兵で多くの敵を打ち破っている。

 弟信勝との戦いで柴田勝家を退け、林秀貞の弟を自ら討ち取ったといわれる『稲生の戦い』も相手より少数の軍勢で勝利している。


 織田信長という男が健在であれば、すでに太原雪斎や朝比奈泰能あさひなやすよしのいない今川軍にたいして桶狭間の『奇襲戦』などという運の良い勝利が無くても、結局のところ織田家は今川家に破れることは無いだろう、それほど織田信長は『強い』のである。

 小豆坂の戦いは逆に太原雪斎や朝比奈泰能が健在で戦闘力では今川家の最盛期だったりするので勝ち目が無い。


 織田信長という男はやはり早い時期から公方様の味方にしておきたい存在である。

 もう織田信秀ではなく、織田信長と和睦交渉を詰めてしまってよいのかもしれない。

 織田信秀殿には公方様の力となる『時』が残されていないのだから。


「分かりました。和睦の条件をお教えしましょう。大垣おおがきの公方様への寄進きしんと、斎藤道三殿の息女と三郎殿の婚儀にあいなります」


「左近大夫(道三)の娘は美人か?」


「は? 政略結婚ですので容姿などは二の次でございましょう」


「それはまあそうなのだが、左近大夫にそっくりなおっかないマムシ娘だとしたら、すまんが少し考えさせてくれ」と言ってニヤリと笑う。


 冗談のつもりなのだろう。


「残念ながら、私も道三殿の娘御にお会いしたことがありませぬゆえ容姿までは分かりかねます」


「であるか残念だな。それで親父殿がその条件を蹴ったらどうするのだ?」


「そうですな、斎藤道三殿率いる土岐家の本隊に、土岐頼芸よりのり殿のしゅうとの六角定頼殿からの援軍を合流させて大垣を包囲させましょう。土岐殿には織田弾正忠家への追討の御教書みきょうしょでもお出ししましょうかな。あとはそうですな、織田大和守家や織田伊勢守家にも援軍を出すよう命じましょうか。ついでに今川家にも尾張攻めを公認する御教書をお出ししますかな。あるいは間違いなく勝てる戦ゆえ、公方様の親征もよろしいかも知れません。幕府軍総出で包囲網を敷きますので、信秀殿と信長殿の大垣城後詰ごづめをお待ちいたしておりまする」


 ハッタリ全開である。

 さすがにそこまで上手くはいかない。


「……おみゃーさん、相当の悪だな。それでワレらを討ってどうするのだ? 何か将軍に利があるのか?」


「新将軍として武威を示すことがかないましょう。ほかは残念ながら全く利がありませぬ」


 本当にまったくもって織田弾正忠家を討つ意義など全くない。織田信秀や織田信長は室町幕府の権威を認めてくれるこの時代にあって貴重な存在なのだ。

 織田信秀・信長父子の他には将軍に謁見するためわざわざ上洛までした大名など上杉謙信と最上義守もがみよしもり義光よしあき父子くらいなものなのである。


 逆に今川義元は室町幕府の権威を必要としない体制をこの数年後の1553年に「今川仮名目録かなもくろく追加21条」を発布して築いてしまう。(分国法です)

 これは幕府が認めていた守護不入しゅごふにゅうの権利を否定し、守護大名から戦国大名へ脱却するものであり、明確な幕府への反逆である。

 どちらかと言えば信長は改革者などではなく、今川義元の方が改革者だったりする。


 今川家は足利将軍家の権威を真っ向から否定し、過去において室町幕府が定めたものを無効化し、今川家は幕府の守護職としての職務も放棄するのである。

 守護の職務たる守護けをも放棄し、本来幕府に属するはずの奉公衆の被官化ひかんかなども明確に実行していく。


 全国どこも似たような状況ではあるのだが、幕府的にはそれを今川家のように明文化されては困るわけだ。(どこも誤魔化してやっています)

 世が世なら今川家は室町幕府から追討されてもおかしくないほどのことをやるのだが、もはや幕府にそのような力など無いと、完全に室町幕府は今川家に舐められているということだ。


 ようするに今川家はこののちには足利将軍家の存在を否定する者となるのだ。

 足利家の敵は足利だとかつて公方様に言ったことがあるが、今川義元とは足利将軍家の新たな敵なのである。

 私こと細川藤孝が今川家に敵対する織田家を支援する意義はもうおわかりであろう。


 ◆


「我が弾正忠家を討つことは本意でないということで良いのだな」


「私は弾正忠家の正式な申次もうしつぎにございます。弾正忠家が公方様に敵対しない限りはお味方であり続けましょう。わざわざ尾張にまで足を運んでいる事もお考えいただきたいものです。それに話をして分かりましたが私は織田信長殿が好きになりました」

(というか元々大好きです。サイン下さい)


「おう、ワレもおみゃーさんが好きだで、美味いものをくれるしな」


「個人的なことではありますが、織田信長殿。この細川藤孝と盟約を結んでは下さりませぬか?」


「ワレとお主の盟約?」


「私からの条件はただの一つです。織田信長殿が我があるじの足利義藤公に敵対しないこと。それを信長殿が破らぬ限りは、この細川藤孝は織田信長殿に最大限の支援をすることを約しましょう」


「何やらワレが一方的に恩恵を受ける盟約と成りそうであるがそれでよいのか? ワレには今のところお主を助けることなど難しくはあるが……」


「それだけ織田信長という男を買っているとお考え下され。それにまずは織田信長殿でなければ今川家は押えられない」


「なぜお主は今川家をそこまで敵視するのだ? 今川家は足利将軍家の一門であり幕府の守護であろうに」


「いずれ信長殿もお分かりになることとは思いますが、今川義元という御仁は室町幕府を、我が主たる足利義藤公を認めない者なのです」


「おみゃーさんはなぜ今川義元をそこまで知っているのだ? いや、今は聞くまい。この三郎信長と兵部大輔殿の目的がまずは一致していることが肝要かんようであるな」


「今川家を良く思っていない点では一致しております」


「相分かった。この織田三郎信長は細川兵部大輔藤孝殿との友誼ゆうぎを固く誓おう!」


「いえ、私ではなく公方に敵対しないことを誓って欲しいのですが……」


「な、なんじゃ! せっかく格好良く宣言したのに台無しではないかあぁ」


 信長殿がまたもや赤面してしまった。だから男の赤面なんぞいらんて。


「あくまで私は我が主の足利義藤さまの栄達のみを望むものでありますので、申し訳ない……」


「分かった、分かった。この三郎信長は公方様の、足利左中将さちゅうじょう義藤公に終生の忠誠を誓おう! これで良いかぁ!」


「はい。結構であります」


「なんなら熊野牛王符くまのごおうふに誓約でもするか?」


「あのような迷信は不要です。信長殿は信義に厚き御方とお見受け致しますゆえ」


 熊野牛王符はこの戦国時代で誓約などによく使われた物であり、豊臣秀吉がその臨終の際、五大老などに豊臣秀頼への忠誠を誓わせたことなどが有名だが、結果は知ってのとおりであり、ようするに意味がない。


「何やら相当見込まれておるようじゃが、ワレはうつけと呼ばれる者ぞ。よくそこまで信用する気になるものだな」


 信用というか知っているだけなのだ。

 織田信長という男は裏切られることは多くとも、自らが先に裏切ることが無いことを。

 そして戦国の世にあって、特に情に厚き男であることを知っているだけなのだ。

(晩年の林秀貞はやしひでさだ佐久間信盛さくまのぶもりの追放は除く、正直アレはない)


「織田信長という男が公方様に刃を向けることがあるとするならば、それはそれがしの不徳でありましょう。あと一応忠告しておきますが、いい加減『うつけ』な所業しょぎょうは慎まれるがよろしいでしょう。無駄に敵を増やす必要はありますまい」


「敵とは誰のことだ?」


「織田家中の信長殿を理解できぬ御仁達にござる」


「そのような者は放って置けばよいのだ。どうせ使い物にならぬ者どもよ」


「それが家老の林秀貞殿や平手政秀殿に、織田家でも猛将で知られる柴田権六ごんろく殿らであってもそう言えますのか?」


「爺や柴田だと……」


「まず、この藤孝が信長殿を支援できることがこれでありますな。忠告です。少しうつけを控えて林殿や柴田殿に歩み寄るがよろしいかと。よろしければ私から両名を茶の湯にでもお招きしますが?」


「いや分かった。それにはおよばん。まずはワレでなんとかしてみよう」


 本当に大丈夫かね? 何かやらかさなければいいけど。


 ◆


「ほかに忠告できることは織田大和守家でありますな。織田大和守家の小物どもは美濃と通じておりますので」


「それは確かな話か?」


「間違いなく確かです。清洲の小守護代とはこれから弾正忠家に対抗して共闘する話になっているとか、直接道三殿の口から聞いておりますので間違いなく確かな話でござる」


「道三もそれをおみゃーさんに漏らすかねぇ」


「まあ、弾正忠家との和睦が成れば不要な連中でしょうからな。そんなヤツらより織田弾正忠家との和睦の方が道三殿にとっては大事でありましょう。私が出張でばって来ましたので、和睦の実現性はかなり高いとふんでおいでのようでしたな。和睦が成れば証拠を道三殿から貰ってまいりますので、そのような輩は討ってしまいますかな」


「織田大和守家を滅ぼしてしまえと?」


「滅ぼす必要はありません。坂井大膳亮などの小守護代どもを追放するだけのこと。守護も守護代も信長殿が傀儡かいらいにすればよろしいかと」


「幕府がそれを認めるのかね」


「必要ならば公方様に非公式のお墨付きを貰って参りますが?」


「もらえるのかよ!」


「既に役に立たぬ守護や守護代より、公方様に忠義の厚い織田弾正忠家を厚遇するのは当然のこと。守護代も守護代の取りまきも、なるべく命は取らずに追放してくれれば、こちらとしては特に問題はありませぬ」


 まったくもって余談なのだが、細川藤孝の一番家老である松井康之まついやすゆき股肱ここうの臣が、なぜか坂井大膳の息子といわれる『坂井与左衛門よざえもん一良』だったりする。まだ生まれてないし息子だと確定しているわけではないのだが、尾張坂井氏の一族なのは間違いが無いらしい。

 そんなわけで坂井大膳の一族が族滅ぞくめつするとちょっとだけ困ったりする。


「ようは君側くんそくかんを討つということで良いのだな」


「別に守護の斯波家や守護代の織田彦五郎を君主扱いしなくてもかまいませんよ。織田弾正忠家は公方様の直臣じきじんにしてしまいますれば」


「は? 公方様の直臣だと?」


「はい、大垣の寄進がなれば奉公衆の御供衆おともしゅうか、あるいは準国持ちの外様衆とざましゅうとして取り立ても可能でありましょう」


 そのためには俺は相当金を使うと思うがな……


「御供衆になれば守護不入の権利が認められるわけよな」


「むろんです。公方様の直臣でありますので本来守護の権限は及びません。まあ奉公衆などは各地で所領や代官職を押領されまくりで形骸化けいがいかはなはだしいものですが……そういえばこの尾張の国の那古屋という所の奉公衆であった那古野氏も、どこかの誰かさんに滅ぼされてその所領は押領されたままでありましたな」


(ちなみに今二人が喋っているのがその那古野城である)


 那古野氏とは一般的には『今川氏豊いまがわうじとよ』と呼ばれる人物で、駿河の今川本家以外は「今川氏」を名乗れないといことになったため今川那古野氏とも言われる。

 今川義元の弟とされるがどうにも出自は今川本家ではなく傍流の出から那古野氏の養子になったと思われる。

 今川氏豊は1538年に織田信秀に那古野城を追い出されている。

 今川氏豊は奉公衆の今川那古野氏なので駿河の今川本家とは実は全然関係なかったりする。

 桶狭間の戦いにおける今川家の目的がこの那古野城の旧領回復を目的とするなどの説もあったりするが、那古野城は駿河今川家の物でもなんでもないので、その説には少し無理があったりする。


「今さらこの那古野を返せとは言わんのだろう?」


「まあそうですね、ですがこの那古野の分の代官も公認させましょうか。いくらか年貢を納めてもらうことにはなりますが」


「那古野の領有について公方様から公認が出るなら安いものであるな」


「そういうことです。公方様の持つ権限は使いようですので」


「おみゃーさん本当に公方様の忠臣なのか?」


「最近よく言われます……私は公方様を助けることしか考えていないのですが、何故か最近よく疑われて困っておりまする」


「まあよい、ようするに斎藤家の娘を正室として迎え、大垣城から我らは撤退すれば良いのだな?」


「できれば大垣城にて、会盟の機会を設けたいと考えております」


「会盟とは?」


「土岐家・斎藤家と斯波家・織田家の会盟に相成ります――」


 ◆


 織田信長に請われて、那古屋城内で我が鉄砲隊の調練をおこなっている。


αアルファ隊構え! ファイエル!」


 パパーン


「おい、そのあるふぁ? とか、ふぁいえるとは一体何なのだ?」


 我が隊の調練を見ていた信長が当然の如く、我が鉄砲隊の奇妙な掛け声を不思議に思い聞いてくる。


「これは符丁ふちょう(合言葉)にございます。玉込めよいか?」


「おいおい、次弾の準備が早過ぎやしないか?」


「我が鉄砲隊には早合はやごうの技と、幾重にもおよぶ訓練により通常の三倍は早く次弾が撃てるのです」


「早合とはなんぞや?」


「こたびの和睦が成れば、鉄砲隊の運用法についても指南いたしますよ。それに硝石しょうせきの作成方法などもね」


「硝石の作成法だと? 早く教えろ」教えるのは古土法こどほうだけではあるが。


 早合についてもペーパーカートリッジに使う紙を柿渋かきしぶひたし、それを乾かすことで防水性と頑丈さをあげる工夫などもやっていたりする。

 さらには火縄銃の雨天での運用については、美濃紙を油で浸し、撥水性を高めた油紙あぶらがみによる火縄の雨濡れを防ぐ手立てなども考案ずみだ。(後世のパクリともいう)

 火薬の調合や古土法による硝石の作成方法などもいずれは織田信長にも伝授する予定である。

 どうせ、どれも早々に広まるものなので出し惜しみせずに信長に恩を売るために提供しょうと思う。

 今はもったいつけてるけどな。


 信長殿は早く教えろとうるさいが、織田信秀が和睦を呑んでからである。


「和睦が成ればいろいろと教えて進ぜますよ」


「ケチくさいのう」そんなこといわれてもなぁ。


 と、そこに平手の爺さんが慌てた様子で駆け込んで来た。


「若殿! 大殿が、大殿が!」


「なんじゃあ、落ち着いて話さんか」


「大殿が、大殿が、三河にて今川軍に敗れたよしにござりまする!」


「で、あるか……是非ぜひもなし」(本能寺のセリフをここで言うなや)


「何を落ち着いておるのですか若殿! 一大事にござりますぞ!」


「勝敗は兵家へいけつねだ。今は敗れても次に勝てば良いのだ。慌ててもせん無きことよ。爺、ワレの馬廻うままわりを急ぎ召集せよ。親父殿の撤退を支援する」


「はっ、直ちに」平手殿が転げるように帰っていった。


「兵部大輔殿。こういう仕儀に相成った。親父殿を連れて帰って戻るゆえ、しばしお待ち願おう」


「はい。お待ちしております。今川軍の追撃があるやもしれませぬ。信秀殿を無事にお連れ帰りください」


「すまぬな。だがこれで、美濃との和睦は上手く行くかもしれぬ。では、失礼する」


 この時点では打てる手がない、小豆坂あずきざかで織田信秀が敗れるのはしょうがないのだ。

 やるべきことはこの後のことになる。

 織田信秀の美濃への出兵を回避し、持てるリソースを尾張内の平定と対今川家に集中させ、せめて三河の安祥城あんじょうじょうを確保させたいのである。

 今は、信秀と信長の帰還を待つほかはない。


 というわけで、郎党どもには鉄砲の訓練を続けさせ、俺は義藤さまの土産でも『偽造』しながら待つことにした。

 作っているのは『ういろう』である。


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「ういろう」

 名古屋名物の『ういろう』は1659年創業の『餅文総本店もちぶんそうほんてん』が元祖であり、『ういろう』を菓子として販売した最古の老舗店になる。

 元々『ういろう』とは『外郎ういろう』と書き、その名称の起源は中国『元朝』の『礼部員れいほういん外郎職がいろうしょく』という職名になる。

 1386年に日本の博多に渡来して帰化した陳延祐ちんえんちゅう宗敬そうけい)が中国での役職にちなんで家名『外郎家ういろうけ』を名乗ったことに由来する。

 外郎家二代の『大年宋奇たいねんそうき宋寿そうじゅ)』は上京して、医者として外交官として足利義満に仕えた。

 大年宋奇は遣明使けんみんしとして明にも渡り、薬の『透頂香とんちんこう』などを持ち帰り、それらの薬を外郎家が販売していたので『透頂香』が『ういろう』と呼ばれるようになり、お菓子の『ういろう』はこの薬に似ていたからその名で呼ばれるようになったとされる。

 この京の『外郎家』から、小田原に下向し北条早雲に仕えたとされる『小田原外郎家』が出て現在は小田原の『ういろう』が元祖とされたりもするのだが、小田原の外郎家は実は京の外郎家の被官であったらしく、また基本は薬屋であったので、小田原で菓子の『ういろう』を作り出したのは明治期という話もあったりする。

 そのためお菓子としての『ういろう』の元祖は『餅文総本店』であり、その製法を伝えたのは尾張藩に仕えた明出身の『陳元贇ちんげんひん』であったりする。

 この陳元贇は書道家であり、文人であり、陶器職人であり、拳法と柔術の創設者だったり、お菓子職人だったりするわけの分からない化物だったりする。

 ――謎の作者細川幽童著「どうでも良い戦国の知識」より

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 那古屋城の台所を借りて、『ういろう』を試作する。米粉に小豆餡とメープルシュガーを混ぜて蒸しあげて小豆味の『ういろう』を作る。

 別に米粉に抹茶とメープルシュガーを混ぜて蒸しあげた、抹茶味の『ういろう』も作ってみた。

 とりあえず、米田源三郎と斎藤利三に食わせてみたが、喜んで食べている。

 この出来なら公方様も喜ぶであろう。

 とりあえず偽造だが尾張名物は出来たので、これで安心して慈照寺に帰れるわ。


 ◆


 織田信秀が敗軍をまとめて古渡城ふるわたりじょうに帰還したとの知らせが入った。

 信秀のこの時点の本拠である古渡城は敗戦ということもあり落ち着いておらず、那古野城にて織田信秀に信長、平手政秀と会見することとなった。


「お久しぶりでござるな与一郎殿。いや兵部大輔ひょうぶだゆうに任官したのであったな。お若いのに立派なことだ」信秀殿は怪我もしておらず元気そうであった。


「弾正忠殿(信秀)におかれましては、こたびの敗戦はご苦労の多きことでありましたな」


「なあに、こたびは負けはしたが次は今川ごときに負けはせぬわ」


 織田信秀も織田信長も戦に負けてもくじけない所があり、それは尊敬できるところであると思う。


「で、三郎より聞いてはいるが、左近大夫さこんだゆう(斎藤道三)と和睦せよと言うことであったか?」


「はい。土岐頼芸ときよりのり殿も斎藤道三殿も織田弾正忠家との和睦をお望みであります。幕府としても両者の和睦を斡旋し、濃尾両国の静謐を望んでおりまする」


 土岐頼芸はオマケであるが一応ね。


「わしとしても和睦は良いとは思うがその条件がな。大垣城は我が織田家が領有しているものぞ。その手に無いものを放棄する斎藤家の懐は痛まぬであろうが、我が織田家には少々高くつく条件であると思うのだが?」


「斎藤道三殿はその息女を三郎信長殿に嫁がせることになります。これは言わば人質も同然のこと、斎藤家だけが得をするだけの条件ではありますまい。それに大垣は斎藤家の物になるわけではなく御料所ごりょうしょとして、足利将軍家に寄進頂くことになります。足利将軍家の心情としては、現に支配する地を寄進される織田弾正忠家こそ厚く遇することは必定ひつじょう


「左近大夫の娘を三郎の嫁にのう、それは悪くはない話ではあるがな。御料所として大垣を寄進することで得る旨味が問題であるな」


「交渉次第ではありますが、織田弾正忠家を将軍家の直臣じきしんとし、奉公衆ほうこうしゅう御供衆おともしゅうや準国持ちの外様衆とざましゅうとすること。それにともない尾張海東郡かいとうぐんの郡主とすること。また奉公衆として那古野の領有を認めること。嫡子である織田三郎殿に官途かんと推挙すいきょすること。これら全てをたすことは難しきことかもしれませぬが、公方様にはこの私が責任を持って交渉いたします」


 今川氏豊いまがわうじとよ追放後にも元々の那古野なごや氏であり、出雲いずも阿国おくにを妻にしたという『那古野山三郎さんざぶろう』の父である『那古野高久なごやたかひさ』やら祖父の『那古野高義なごやたかよし』などの那古野家(名越家)は存続したりしており、織田弾正忠家に仕えていたりもするのだがマイナー過ぎるので無視します。(研究もされてないので)


 尾張海東郡はかつて、一色兵部家ひょうぶけが郡主(分郡守護ぶんぐんしゅごとも)に任じられており、尾張守護の支配が及んでいない地域だったりする。

 そのため信秀の父である織田信定のぶさだが海東郡へ進出できたともいえる。

 この頃にはすでに一色兵部家は尾張の支配を失い丹後たんごに戻っており、織田弾正忠家が実効支配しているといってもよい。

 ようするに織田弾正忠家の支配地の追認なわけだが、室町幕府の公認は軽くはない。(まだね。そのうち意味なくなりますが)


「ううむ。誠に認められるなら考えなくもないが……」


 そこに信長が口を挟んでくる。


「親父殿。美濃のマムシと争うよりは、尾張国内を攻めるべきであろうぞ」


「尾張国内だと?」


「おうよ。清洲をこの際攻めるべきであろう」


「守護の斯波様や守護代の彦五郎ひこごろう殿(織田信友)を攻めよと申すのか? 馬鹿を言うでないわ!」


「そこの兵部大輔殿から聞いたのだが、小守護代の坂井大膳だいぜんなどは我が家を攻める気があると言うぞ」


「兵部大輔殿それは誠であるのか?」


「誠であります。私が和議の斡旋あっせんに乗り出したため沙汰やみになっておりますが、斎藤道三殿は清洲の坂井大膳殿らと共謀し、弾正忠家と争う覚悟であったよし。先代の守護代の織田達勝殿と弾正忠家は和睦していたとは言え、その周囲の者は弾正忠家の拡大を悪しきものと思っていたのでありましょう。こたび残念ながら今川家に敗れたこともあり、弾正忠家を叩く好機とお考えになるやもしれませぬ」(実際史実では攻めて来るんだわ)


「親父殿。この先の今川家との戦もある。ここは逆に斎藤道三と結び、足元を固めるため清洲の馬鹿どもを攻めるのもありだと思うのだが?」


「しかし、守護や守護代に刃を向ける大義名分が……」


「今のままの尾張では、今川家に対抗できぬことが分からぬか!」


 俺の前で親子喧嘩を始められても困るのだが。


「さしあたり弾正忠殿も斎藤家との和睦には賛成頂けるものと思いますが、あとは大垣を寄進する条件次第ということで宜しいですかな?」


「思うところはあるが、条件次第では呑んでも良い」


「この和睦でもう一つ益となりますこともお考え下さい。京からこの尾張まで近江おうみ美濃みのを通じて商いが可能となります。尾張の産物を京に運ぶことも容易となりましょう。尾張と京が繋がることの利益はお分かりになると思われますが」


「尾張の産物をのう」


知多ちた常滑焼とこなめやきや塩などは京でも喜ばれまする。津島や熱田の商人なども販路が拡大すればさらに弾正忠家を支持するのではありませぬか? それにこの酒やもみじ饅頭にその原料となる糖液(メープルシロップです)からつくりました砂糖や鉄砲なども京から尾張へ販売いたしましょう」


 俺が持ってきた清水の神酒にもみじ饅頭に煎餅せんべえとか食いながら会談しております。

 普通に会話してる風で、信秀も信長もさっきからガツガツ食っていたりする。(少しは遠慮しろてめーら)


「この酒に甘いものがいつでも手に入るということか。ついでに種子島たねがしまものう」おいおい鉄砲がついでかよ。


「和睦が成れば土産にしようと、鉄砲を10挺ほど用意しております。それに鉄砲の運用法や、硝石の入手方法なども伝授いたしましょう」


「兵部大輔殿は何ゆえ我が弾正忠家に肩入れしてくださるのだ?」


「全ては公方様のため。斎藤家も織田家も我があるじたる公方様に対して忠義を尽くして欲しいのです。特に信秀様の上洛には大御所様も公方様も殊のほかお喜びでありました。出来れば時期を見て再度の上洛をお願いしたくあります」


「親父殿。ワレを京に上洛させぬか?」


 信長殿が突然変なことを言い出した。


「突然何をいうか吉法師きっぽうしよ」(信長の幼名ようみょうです)


「親父殿は今川にそなえるため難しかろうが、ワレが尾張の産物や銭に年貢を抱えて上洛すれば公方様は喜ぶであろう。さすれば幕府も良い条件を示してくれようぞ」


「うつけのお主を上洛させては我が家が滅びるわ!」


 安心してください。

 もはや室町幕府には遠い尾張の織田弾正忠家を滅ぼす力など既にありませんですぞ(涙)。


「礼儀はわきまえるゆえそこまで心配されるな親父殿。うつけの真似事もしまいにしてもよい」


「うぬのうつけが如き所業を止めるというのか?」


「くどい! そういったわ」


「な、なんと……」


 ありゃ、横で平手の爺さんが泣き出したよ。

 泣くほど嬉しいのかよ。

 それに信秀殿も何気に顔がほころんでおるぞ。


「私からも三郎殿の上洛はお願いしたくあります。昨年の当主殿の上洛に加え嫡男までもが上洛し公方様に拝謁はいえつうとなれば、弾正忠家はまさに幕府への忠義厚き御家と誰もが認めることと相成りましょう。さすれば三郎殿の推挙も、弾正忠家の家格の上昇も容易となりましょう」


「兵部大輔殿と一緒に上洛するのであれば、そこまで心配することもなかろうに」


「はい。土岐家に斎藤家と、斯波家に織田弾正忠家の和睦を成すため、その条件案を大御所様、公方様に上申するため一度私は京へ戻りまする。大切な嫡男殿ではあると思いますが、一緒に上洛することをお許し願えますか?」


「大殿、この爺からもお願いいたしまする。若殿を信じては貰えませんでしょうか?」平手の爺さんまでもが信秀殿にお願いする。


「お主までもがそう言うか……相分かった。兵部大輔殿、三郎のことよろしくお願い奉る」


 うん。何やら勢いで織田信長がこんなにも早く上洛することになってしまったぞ。

 今さらながらここまで歴史を変えて良いものか心配になってしまう。

 それに本当にいいのかな? 『織田信長』なんてやから(のちの天下人です)を公方様の所に連れて行ったりして……

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