第二十三話 室町殿とは

 天文十六年(1547年)7月

 山城国 瓜生山 北白川城



 7月12日になって六角定頼が大軍を率いて上洛した。

 それは大御所が待ちに待ったものであったろう。

 だが、六角定頼は大御所のために軍を率いて来たのではなかったのである。

 あろうことか大御所が敵とした細川晴元の上洛に合わせた動きだったのだ。


 六角定頼は管領代かんれいだいにんじられたことを最大限にかした。

 山科本願寺やましなほんがんじを焼討ちしたため関係の悪化していた一向宗の本願寺とは関係改善に務め。

 比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじと対立していた洛中の町衆を中心とする法華宗ほっけしゅうの勢力に対しては、上洛前の6月に延暦寺との和睦わぼく仲介斡旋ちゅうかいあっせんしていた。


 大御所から与えられた管領代として地位を利用し、かつて自身が介入した宗教対立に一応の区切りをつけ、洛中までの障害を排除し安全を確保した上で、満を持して上洛したのである。

 六角定頼は大御所がコントロールできるような御仁ごじんではないのだ。

 逆に大御所だろうが右京兆家うけいちょうけだろうが利用できるものは利用する。

 大御所から与えられた管領代の権威のみを上手く使い、大御所の意向を無視する。

 そういう御仁であるのだ。


 一方、細川晴元は三好長慶と合流し摂津せっつ国の芥川山あくたがわやま城を攻め落とすなど細川氏綱との戦いを有利に進めていた。

 そして晴元は三好長慶を摂津・河内かわちの押さえに残し、丹波衆たんばしゅうなどを率いて上洛したのである。

 それはしゅうとである六角定頼と連絡をした上での上洛であり、大御所の思いとは違い両者は協調していたのである。


 上洛した六角定頼は細川晴元と連絡を取りつつ、将軍足利義藤(義輝)と大御所足利義晴がこもる北白川城をその大軍で包囲した。

 武家の棟梁とうりょうである将軍父子を本来補佐すべき管領たる右京兆家の当主と、管領代が包囲したのである。

 信頼し前例の無い管領代にすら任じた六角定頼に裏切られ、その大軍に自身が心血注しんけつそそいで完成させた北白川城を包囲された大御所の心中は……怖いのであまり想像はしたくない。


 この事態の急変に北白川城に篭城する諸将は狼狽ろうばいし、その有様は混乱を極めた。

 北白川城を逃げ出すものも現れる始末である。

 城内が混乱し始めたので、俺は公方様の元で警護にあたるようにしていた。

 この状況ではもはや城から出ることはできない。

 混乱の渦中で公方様の身に何かあっては困るのである。

 松井新二郎にも義藤さまから一歩も離れないように伝え、何かあった時にはその盾となることをお互い覚悟するのであった。


「藤孝の申すとおりになった。すまぬ、わしがおぬしげんをもっと父上に伝えておけば……すまぬ、許せ」心底すまなそうに義藤さまに謝られてしまう。


 だが、この事態になることを知っていて、それをさも予見するがごとく匂わし、いざその事態になったらお主の言うとおりになったと思わせ、あなたの信頼を得ようとしていたのである。

 俺はろくでもない男だ。

 その可愛い顔で謝られる資格なんて全くないのだ……


「お気になさらないで下さい。それよりも今後どうするかが肝要かんようかと」


「今後といっても、この戦は我らの負けということであろう」


「負けは負けなのですが、その負けをにはまだできます」


「は? そんなことができるのか?」


「はい簡単なことです。思いっきりしまえば良いのです」


「すまんが藤孝。わしにはお主が何を言っているのか、さっぱり分からぬのだが……」


「では説明させて頂きます――」




 7月15日になって、六角定頼の使者が北白川城につかわされた。

 それを受け本丸に諸将が集まる。

 使者から型どおりの口上こうじょうべられ、定頼からであろう書状が示される。


 大御所の側近がそれを受け取り手渡そうとするが、大御所は気がいてしょうがないのであろう、その側近から強引に奪い取り乱暴に書状を読み始める。

 ちなみに大御所の苛立いらだちをぶつけられた可哀想な側近は父の三淵晴員である。


「さぁーだーよーりーめがぁあ! 管領代に任じてやった恩を忘れたかぁぁぁ!!」


 瞬間湯沸かし器が如く、大御所の顔が真っ赤になり怒気があふれかえった。

 読み終わったであろう書状を父に投げつけ、刀を取り六角軍からの使者に向かおうとするので、側近たちが大慌てで大御所を止めに入る。


「使いの者大儀である。大御所様もお疲れの御様子。返答は後日改めて行うむね、管領代殿にお伝えせよ。ご苦労であった」


 伊勢伊勢守いせさだたか醜態しゅうたいを見せる大御所様に成り代わり使者を下がらせた。

 このような状況でも冷静であるのはさすがである。

 結局、大御所の怒りが収まらないので、大御所は側近たちになかば無理やり引きずられていき大広間から下がられてしまわれた。

 今日のところは軍議とはならず、このまま解散となった。


 義藤さまと部屋に戻ったあと六角定頼からの書状の内容を教えてもらったが、結局のところ細川晴元と和睦してね、ということである。

 義藤さまとは今後の方針などについて夜遅くまで語りあうこととなった。


 翌日も朝から軍議が開かれる。

 大御所様も一応は怒りが収まったのであろう、今日のところは平静をよそおっている。

 相変わらずなのだが、今日の軍議も六角定頼への罵倒から始まった。


「佐々木の奴めが恩知らずにもほどがあるわ」


「我らをないがしろにするのも大概にするでおじゃるわ」


「佐々木少弼しょうひつも細川六郎もわしが追い払ってくれようぞ」


「あの糞爺ピーの首を取るのはそれがしに任されたし」


 うん、こんな連中に囲まれていると俺の公方様がバカ殿(アイ〜ン)になりかねんぞ。

 いいかげんここの軍議もどきにもウンザリして来た。


 と、思っていたら今日は皆すぐにトーンダウンして来てしまった。

 さすがに管領たる右京兆殿と管領代殿の大軍に包囲されてしまっては威勢を張るのも無理があったようだ。

 ここの馬鹿共でもこたえるものらしい。

 最初の威勢はドコへ行ったのやら、軍議の場は次第にお通夜つやの場へ移行してしまったのである。


 発言するものはもはや誰も居なくなってしまった。

 まともに考えればどうしようもない状況であるのだ。

 大御所様は軍議が始まってから一言も発していない。

 定頼や晴元への怒りはあるのだろうが、今日はそれを表に出すこともない。

 大御所様に元気がないものだから積極的に発言しようとする者はもはや居なくなってしまったのである。


 ◆


 その意気消沈する大御所に垂直落下式すいちょくらっかしきびせるやから忽然こつぜんと現れた。

 言うまでもなく愛すべき我があるじである。


「父上、六郎殿ろくろうどの(細川晴元の仮名)に降伏いたしますか?」


「こ、降伏じゃとお! 馬鹿を申すでない! 菊童丸きくどうまる! お主は武家の棟梁たる気概きがいを忘れたのかぁあ!」大御所が臣下の前であることを忘れ、我が息子? を一喝いっかつした。(菊童丸は義藤の幼名)


「父上。まだ元気はお有りの様ですな。安心しました」公方様は平然として父である大御所に笑顔を返したのである。


 大御所の側近衆はおろおろしている。

 だが、大御所は愛すべき我が子の笑顔を見てその怒りをすぐに収めたのであった。

 父を気遣きづかう子の気持ちに気づいたのであろう。

 めちゃくちゃ無茶なやり方ではあったのだが、公方様の思いは大御所様へ届いたようである。


「降伏などはもってのほかである……が、この状況をいかに乗り切るか意見のある者があれば申してみよ。どのような意見でも構わぬ。皆のものの知恵を借りたい」


 大御所が冷静さを取り戻し、かつ臣下の皆に意見具申を求めたのである。


「事ここに至ってはむ無しと存じます。捲土重来けんどちょうらいを期すため、坂本に落ちることなども検討しては如何いかがかと愚考ぐこういたします」穏健派おんけんは大館晴光おおだてはるみつ殿が殊勝しゅしょうにも先陣を切って意見をべる。


「だが追撃を受けるやもしれぬ。安全に逃げ――、いや坂本まで安全にお移りすることができますかな」


「安全こそが第一でおじゃるぞ」


殿しんがりはわたくしめにお任せ下され、一歩も敵は近づけさせぬわ」


「城を焼き払い、その隙に坂本へ落ち延びましょう」


「だが、坂本は六角定頼の影響下にありまするぞ、危険ではありませんかな」


「管領代殿は長年大御所様を支えて参りました、大御所様のお命を奪おうとすることまではいたすまい」


「だが、やはり危険ではありませんかな」


「それでは、我が朽木くつき領へと落ちびるのは如何いかがでござりますかな?」


 頭こそ下げてはいないが、大御所の想いはここに集まる臣下に届いたようだ。

 側近の者共ものどもが意見を活発にわし始める。

 軍議が正常に回り出したのだ。罵詈雑言ばりぞうごんが飛び交うアホみたいな軍議や、皆が黙り込むような無駄な時間を過ごすよりはよっぽど良い。

 まともな軍議になり俺は少し安心していた。

 幕府もまだ捨てたものではないと感心すらもした。

 というかお前らまともにできるなら最初からやれよと心の中で突っ込まずにはいられなかったが。


 だがそんな安心する俺に向かって、またもや愛すべき我が主からばりのが飛んでくる。


「藤孝。そなた何か意見があると申しておったな。遠慮えんりょはいらぬお主の意見を聞かせてもらおう」


 公方様の発言により、議論が一時ストップし、皆の注目が名指しされた俺へと向かう。

 我が主よ俺の胃を破壊するような行為は少しつつしんでくれ、と内心では思ったのだが、思うところは大いにあるのであきらめて発言をすることにする。


「坂本や朽木に逃げるのは、公方様の威厳いげんそこなうものと考えます。ここは管領代や右京兆うけいちょう殿に詰問きつもんの使者を送るべきかと存じます」


「詰問の使者とはどのようなことであるか?」義藤さまがさらに話をうながす。


「大御所様や公方様は洛中に細川国慶くによしの軍が乱入し、この北白川の城に自衛の為に篭城したに過ぎませぬ。右京兆殿には洛中を放棄し公方様が避難せざるを得ない危険な状況に追い込んだ責を問いましょう。また管領代には早期に洛中の治安を回復し、公方様の安全を確保するようお命じになれば良いのです」


 皆のものがポカーンとした顔をしている。

 俺の言った意味がもしかしたら分かっていないのかも知れない。

 ようするに俺は、細川氏綱と大御所様が連絡を取り合い、細川晴元に対し挙兵したことなど、『無かったこと』にしろと言っているのである。


 都合の悪いことは忘れて、思いっきり『開き直れ』ということだ。

 大御所様は確かに細川晴元との戦には負けたかもしれない。

 だが、そのいくさ自体を無かったことにすればよいのである。


 将棋しょうぎ盤面ばんめんが不利になって勝ち目が無くなったらどうすれば良い? 普通は投了とうりょうして降参するのであるが、ちょっと待って欲しい。

 他にも手はあるのだ。かなり強引ではあるのだが将棋盤しょうぎばんごとひっくり返してにすれば良いとは思わないか? 実に簡単なことだろう?

(友達をなくすので実際に将棋でそれをやることはお勧めしません)


 室町幕府の将軍というものは、実は『そういうこと』を平気でやってきた一族なのである。

 何を今更遠慮することがあるのだ? 室町殿むろまちどのの必殺技である『ちゃぶ台返だいがえし』をここでもやればいいのである。


 つまらぬ意地を持たねば、室町殿とはそういうことができるのだ。

 それは歴史が証明している。六角定頼の軍勢が上洛してからの数日間、俺は義藤さまに室町幕府の歴史をと説明し、この状況を打開する策である室町幕府のお家芸「」を伝授していたのである。


 ◆


観応の擾乱かんのうのじょうらん』をご存知であろうか?

 その難解さから日本史の授業などでは華麗にされてしまうものであり、こんなもん説明していると紙面がいくらあっても足りない。

 ある程度割愛させていただくが、それは足利家累代るいだい執事しつじであった「高氏こうし」の「高師直こうのもろなお」と足利尊氏たかうじの弟の「足利直義ただよし」との政治的路線の対立が、幕府内の革新かくしん派と保守ほしゅ派の対立という形となり、あげくこじれれまくって感情的な対立へと発展したものである。(いろんな説があります)


 観応の擾乱かんのうのじょうらんが開始される前に、足利直義は高師直のクーデターにい足利尊氏の屋敷に逃げ込んだ。

 足利氏の執事であるはずの高師直は、なんと将軍である足利尊氏が在する『御所ごしょ』であろうがおかまいなしに包囲したのである。

 室町幕府の将軍というものは実は初代からをされているのである。


 御所を包囲された足利尊氏は政務を任せていたはずの弟の足利直義をあっさりと見捨てた。

 足利直義は出家しゅっけ幕政ばくせいから外されることになる。

 だが足利尊氏の庶長子しょちょうしである足利直冬ただふゆの追討に足利尊氏が出陣すると、直義は京都を出奔し足利氏がようする「北朝ほくちょう」の敵のはずの「南朝なんちょう」と手を結んで尊氏に対して反抗を開始した。

 観応の擾乱の幕開けである。わずか3年前に自ら南朝の討伐をしていたことを直義なのである。


 観応の擾乱の推移すいいはめんどくさいのですっとばすが、足利尊氏とその嫡子ちゃくしである足利義詮よしあきらは南朝と結んだ足利直義にフルボッコにされる。

 そして尊氏はここであっさりと高師直を見捨てるのである。

 哀れな高師直はさくっと直義にぶっ殺されます。


 高一族こういちぞくが滅亡しようがおさまらないのが室町幕府である。

 というかおさめるつもりがあるのかもはや疑うレベルでめ始める。

 婆沙羅バサラ大名の佐々木道誉どうよさんが暗躍あんやくを開始し、足利尊氏はまたもや直義を京から追い出すのである。

 そしてここで足利尊氏はあろうことか南朝と和議を結ぶというか、南朝相手にほぼ無条件降伏するのである。


 尊氏は自分が推戴すいたいしていたはずの北朝を、足利直義・直冬を倒すためにあっさりと見捨てるのである。

 これを「正平一統しょうへいいっとう」というのだが、歴史好き以外にはもはや意味がまったく分からないものである。


 そして足利直義を南朝から切り離して、追い込んでぶっ殺して観応の擾乱は終結する。

 だが、今度は南朝の方がアホなことをやり始める。

 よせばいいのに足利尊氏を征夷大将軍から解任するのである。


 足利直義をぶっ殺した足利尊氏と足利義詮にとって、南朝なんかのである。

 「正平一統」何それ? 美味しいの? である。もう美味しくないので南朝なんか当然捨て去ります。

 ので裏切ったことを『無かったこと』にして北朝をもう一度擁立するのである。


 しかも北朝の『三種の神器じんぎ』(元々偽物だったりするが)を南朝にものだから、『開き直って』天皇の即位に三種の神器は必要ないもーんと言い張る始末である。

 室町幕府の将軍の初代と2代はこんなことを平気でやっているのである。

 こいつら(将軍様です)がここまで何回『ちゃぶ台返し』をしたかお分かりであろうか? (あ、回数なんてどうでもいいので数えなくてよいです)


 以後も室町幕府のちゃぶ台返しは続いていく。

 足利義詮は自身を支えた実質的な執事であった斯波高経しばたかつね(名目上は高経の息子の義将よしまさが執事)を有力守護大名の不満の高まりから「貞治の変じょうじのへん」であっさりポイ捨てする。


 3代将軍の足利義満ですら初代管領の細川頼之よりゆきを「康暦の政変こうりゃくのせいへん」で斯波義将が率いる軍勢に『花の御所』を包囲されたためポイ捨てしている。(これは義満の自作自演とする説もある)


 4代将軍足利義持よしもちは父の義満の政策をいろいろ『無かったこと』にして、みんとの冊封さくふう関係を否定し明との国交を断絶した。

(儲かる日明貿易を捨てるのはアホの極みではある)


 6代将軍となった義持の弟の足利義教よしのりは兄義持の政策をさらに『無かったこと』にして、父の義満の政策を復活させる。

 国交断絶したことは、明との冊封関係を復活し勘合かんごう(日明)貿易を再開している。政策継続とか室町幕府にはないのである。


 第8代将軍の足利義政よしまさも「文正の政変ぶんしょうのせいへん」で細川勝元かつもと山名宗全やまなそうぜんらにせまられ、重用ちょうようしていた側近の伊勢伊勢守貞親さだちからをポイ捨てしている。

 また義政は応仁の乱が起こった当初はして中立を保ったりもしている。


 応仁の乱の東軍の総大将である義政の弟の足利義視よしみなどは、自分の立場が悪くなれば、東軍の総大将だったのに西軍にして、あろうことか西軍の総大将に納まってしまう。


 室町幕府の『ちゃぶ台返し』の歴史はもういい加減これぐらいでいいかな?


 室町幕府の将軍というものは、言ってみれば「何でもあり」なのである。

 今回、大御所は確かに勇み足をしでかした。

 だが、それがどうした?

 そんな都合の悪いことはさっさと忘れてしまえばよいのだ。

 バカボンのパパの名言ではないが、室町幕府の将軍というものは、「これでいいのだ」


 ◆


 さて、義藤さまに室町幕府の歴史などを説明し、この事態の解決策である、『ザ・開き直り』を伝授し、そして北白川城の軍議に於いてそれを提案したのだが、いい加減その場面に戻りましょう。


「与一郎よ、もう少し説明をしてくれぬか? 皆のものは分かりかねている様子であるぞ」


「はっ。皆様はこの北白川城が右京兆うけいちょう殿と管領代かんれいだい殿の軍に包囲され危機的状況にあるとお考えのようですが、これはただの御所巻ごしょまきというものにございます。過去にも足利尊氏公や義満公、それに義政公も邸宅ていたくを包囲されたことがございます。何をそれほど憂慮ゆうりょする必要があるのでございましょう?」


『御所巻』、何やら美味しそうな名前ではあるが海苔巻のりまき恵方巻えほうまきではない。

 御所巻とは有力諸大名などが、『御所』を包囲して幕政の転換や政敵を追放しろと将軍に対して申したてたり(実質脅迫)することである。

 先にあげているが、足利尊氏も足利義満も足利義政も『御所』を包囲されているのだ。

 室町幕府というものはなのである。(モチロンそんな幕府嫌だが)


 さらに言えば、足利義輝が永禄の変えいろくのへんで三好三人衆に包囲されたことも、足利義昭が二条御所や槇島まきしま城を織田信長に包囲されたことも御所巻となんら変わらないのである。

 先祖にならい、つまらぬ意地や側近を捨て去ることができれば、もしかしたら義輝は討たれることはなく。

 足利義昭も追放されずにすんだのである。

 室町幕府は将軍が変な意地さえ張らねば滅びなかった可能性がおおいにあるのだ。


「与一郎よ。それが詰問きつもんの使者とどうつながるのかもそっと説明はあるのか?」父の三淵晴員みつぶちはるかずが俺の話に食いついて来た。


「はい。まずは六角定頼の使者があったことなど完全に無視して、こちらから右京兆殿と管領代殿の両名に対して使者をお出しします。先ほども申しましたが、形式上は右京兆殿に対して細川国慶の洛中占拠を許し、公方様を危険にさらした責を問う詰問の使者でよろしいかと存じます。は右京兆家の権威と管領代の職責を持って、可及的かきゅうてきすみやかに慈照寺へ公方様をお戻しする手筈てはずを整えるよう交渉するのであります」


 大御所や諸将にはお分かり頂けるであろうか? ようするに細川晴元と六角定頼に公方様を『迎えに来い』と言えばよいのである。


「与一郎、右京兆殿に対して挙兵した我らがなぜ詰問の使者を送れるのだ? 我らにはさっぱり意味が分からないのだが?」


 父の三淵晴員が再度皆に成り代わって質問してくる。


「はて? 大御所様が細川氏綱と共謀きょうぼうして細川晴元を討とうとしたことなどありましたでしょうか? 私はそのような事を聞いたことがござりませんし、そのようなことは存じますが」


 やはり父は口をあけてぽかーんとしてしまうのだが、おかまいなしに発言を続ける。


「大御所様を管領として補佐した細川高国殿ならいざ知らず。高国殿の養子でしかない、細川氏綱に何を義理立てする必要がありましょうか? 公方様に対して未だ何も貢献したことすらなく、公方様に謁見したことすらない氏綱殿と手を結ぼうとしたことなど都合よく忘れるがよいのです。殿それくらいのことができたと思われますが、今の室町殿にはそれができないのでありますかな?」


「藤孝、わしに言いたいことがあるならもっとはっきりと申すがよい!」公方様(今の室町殿)が打ち合わせどうり怒ったふりをする。


「それではあえてに申し上げます。降伏や和睦などという言葉がお嫌なら、全て無かったことにして開き直りくだされ。細川晴元と六角定頼に使者を送り、慈照寺にお戻りできるよう誰ぞやに交渉をお命じするだけのこと。少なくとも、六角定頼殿の影響下にある坂本に落ちることと、慈照寺に戻ることでは、安全性の確保においてそう違いはありませぬ。詰まらぬ意地など捨てるがよいのです。公方様にはここまで言わねば分からぬのでありますか!」


 大御所様に直接言えないから、打ち合わせのうえ俺と公方様で言い争うまねごとをしただけなのであるが、公方様に対しての無礼な言動に反応し、いつもの大御所の側近達から罵詈雑言が俺に投げつけられる。


「何を申すかこの若造が!」


「公方様に対してそのげんは何たる言い草か!」


「戦も分からぬ小僧こぞうが何を言うか!」


「この無礼たとえ公方様が許してもわしがゆるさぬぞ!」


「その野蛮な物言いはなんでおじゃるか」


「このれ者めが!」


「黙れこわっぱ!」


 毎度のことなので罵詈雑言にも慣れてきたなとか思っていたのだが、そこに意外な助け舟が入ったのである。

 それはまさかの伊勢伊勢守いせいせのかみ貞孝さだたかであった。


「与一郎殿も方々かたがたも少し口をつつしむがよかろう! 室町殿むろまちどのは京におわしてこその室町殿である。あまり軽挙妄動けいきょもうどうし、坂本などに逃げ出すがごときはそれがしも賛同さんどうしかねる。武家ぶけ棟梁とうりょうとして毅然きぜんとした態度で右京兆殿や管領代殿と交渉すべきと、それがしも愚考ぐこういたす」


 幕府の重鎮じゅうちん政所執事まんどころしつじ様のげんである。場が静まり返った。


「大御所様、差し出がましいことではありますが、この貞孝に交渉をお任せくださること、ご考慮こうりょして頂くわけには参りませぬかな?」


 大御所は俺の発言からずっと黙ったままであった。

 やはり面白くはないのであろう。

 だが伊勢守に言われて吐き捨てるようにつぶやいた。


「……よきにはからえ」これで軍議は決した。


 軍議が終わり大広間から出る際に伊勢伊勢守と同じタイミングになってしまった。

 目が合ってしまったので、挨拶しないわけにはいかない。


「先ほどは私の発言を擁護ようごしていただき誠にありがとうございました」


「別にお主を擁護したわけではない。お主のつまらぬ茶番に飽きただけのこと。お主に感謝されるいわれなどはない。それがしはそれがしの思うところをべたまでのこと、勘違いはしないで頂こうか」


 聞く人が聞けば、俺と伊勢伊勢守殿との薄い本でも書きそうな、ツンデレ的な発言をかまして、伊勢守はクールに立ち去った。

 公方様と俺の喧嘩の真似事はやはりバレてーら。


 翌日から伊勢貞孝が主導して細川晴元と六角定頼との交渉が始まった。

 政所執事様が出張でばってしまっては、交渉に出向く気まんまんな俺の出番など来なかったのである。

 ……あれ? 俺って伊勢守においしいところ取られてないか? なんだか軍議の満座の席で公方様に無礼を働いた若造というレッテルだけが残って、手柄をかっ攫われてないか? またやらかしたか俺?


 まあ……よいか。

 史実では北白川城を焼いて坂本に逃げ落ちることになるのだが、それは避けることになりそうだからな。

 今回は手柄など別にいらんのだ。申し訳ないけど今回の俺の第一目標は、在京しての商売繁盛である。

 坂本なんぞに逃げ落ちることになればだからな。

 それに義藤さまが俺が頑張ったことを分かってくださっていればそれでいいのだ。


 ――そして数日後、その交渉は一気に進むことになる。

 三好長慶がその武名をとどかせた、後世に「舎利寺しゃりじの戦い」としょうされるいくさほうが届いたためである。

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