第二十一話 三好長慶

 天文十六年(1547年)4月

 山城国 瓜生山 北白川城



 朝、早起きして鼻歌を歌いながら良い気分で、最近毎日の日課になっている城の周りに自生しているおいしそうな山菜集めに精を出していたら、新二郎が呼びに来た。


「どうした筋肉スグル?」


「筋肉すぐるとは一体なんのことだろ?」


「すまん。お主の筋肉があまりにすぐれているから、思わず口をついて言ってしまっただけだ、気にするな」


「そ、そうか。俺の筋肉が優れているか……良く言ってくれた。さすがは心の友だ。ふっふっふ、俺の筋肉はぁ日本一ィィィィィ!」


 しまった、つまらない冗談で朝から暑苦しい展開にしてしまった。


「んで、何のようだ? 見てのとおり食材集めに忙しいのだが?」


「ああ、すまんだろ。明日軍議があるとかで、公方様がお主を探しておいでだ。早く戻るだろ」


 軍議なんて無駄なものより、俺は今日の献立の方を優先したかったのだが、我があるじに呼ばれてはしょうがあるまい。

 食材集めを切り上げ、城内に戻るのであった。

 途中目に付いた、形の良いはしっかりんでいったが……


「三好軍と対峙してから1週間がたった。明日にも軍議がある。その前にお主の意見をもう一度聞きたくてな、すまんが呼びたてた。許せ」


「いえ、そんなに謝らなくても公方様の昼食からだけですから、あまりお気になさらず」


「それは気にするわ!」気にするんかーい


「失礼しました冗談です。で、わたしの意見とは?」


「ゴホン……うむ。三好長慶みよしながよしの件じゃ。先日お主は三好長慶に使者を出してみてはどうかと言っていたが」


「はい。先日もいいましたが、三好長慶が大御所や公方様と敵対する理由はないのです。三好長慶はその主君である細川晴元に命じられてこの城を包囲しているに過ぎません。状況的には難しいと思われるのですが、三好長慶に対して使者を出すことは無駄にはなりませぬ。洛中における三好軍の乱暴狼藉を抑えるためにも使者を出し、あわよくば三好長慶とよしみを通ずることもできるやも知れませぬ」


「……分かった相談してみる」


「それと使者にするならば大館晴光おおだてはるみつ殿が宜しいかと存じます」


「なにか理由があるのか?」


「はい。数年前に細川晴元と三好長慶が河内かわち十三箇所じゅうさんかしょという御料所ごりょうしょの代官職の件で対立したことがありました。その時の三好長慶の訴えに際し、大館晴光殿とその父である大館常興おおだてじょうこう殿は三好長慶寄りの裁定を下しております。そのため三好長慶も晴光殿を無下むげにはいたすまいと存じます」


「そうか。それも父上と相談してまいる」


「あまり無理はなさらぬようにお願いします」


「ん、分かっておる」


 ◆


 翌日、軍議が開かれた。

 城を包囲する三好長慶に対する罵詈雑言などが飛び交う先日とあまり変化のない実りの無い軍議であり、俺は欠伸あくびをかいていた。

 そんな欠伸の途中で公方様よりお声がかかった。

 もう少しタイミングを考えてくれよ我が主。


「与一郎。三好に対して何か意見はあるか?」


 この軍議で公方様が口を開いたのは初めてであり、場が静まりかえった。

 自然と名指しされた俺に注目が集まる。

 欠伸をしていた途中なので少しバツが悪い。

 義藤さまの顔を見るとウインクして来た……うん可愛いな。

 いや違う、そんな場合ではない。


「三好長慶に対して使者を送るべきかと存じます」


 周りがざわめきたつ。

 非難の声も上がっていたりする。


「なにを申すか」


「使者だとぉ何のためであるか」


「三好に使者とは怖気づいたか」


「これだから若い者は道理をしらぬでおじゃる」


「このれ者めが!」


「黙れこわっぱ!」


 うん。

 最近、罵詈雑言の嵐をくらうことが増えてないか? 俺だって傷つくこともあるぞ。


「どのような使者を出すと申すのだ? 撤兵てっぺい勧告かんこくでもいたすのか?」


 公方様が罵詈雑言を上げる連中を手で制してさらに聞いてきた。


「はい。三好長慶に対し撤兵を勧告し、将軍に弓を引くことの是非を問います。また洛中における治安の回復を命じます」

(撤兵の勧告は名分めいぶんというか、俺がしたいだけでもある)


「三好を将軍に弓引く謀反者むほんもの不忠者ふちゅうものと断じるのであるか?」


「左様に御座います」


 今度は「おお、それは良い」などと、賛同の声もあがっている。


「三好こそ不忠者よ」


「反逆者の田舎者に天誅てんちゅうを食わしてやらん」


 三好長慶を不忠者とおとしめることが出来て気分が良いのであろうか。


「大御所様はどう思われますか?」


 公方様が大御所に問いかける。


「良いのではないか、大樹だいじゅの思うままにしてみよ」


 やはりこの大御所、義藤さまに甘いのではないか? 俺的には三好軍を撤退させたいが、大御所としては三好軍をひきつけて置く理由はあると思うのだが……


「では大館左衛門佐さえもんのすけを使者に任じる。細川与一郎、お主も副使として同行するがよい」


「はっ」「かしこまりました」


 言い出しっぺのお前が責任取って行って来いということだな。

 まあよい。

 三好長慶に公方様が敵意を持っていないことを伝えるのが目的だ。

 自分で行くのが一番ではある。


 ……さて三好長慶どのような男かね。

 まさかほんとに金髪だったらどうしよう。(それはない)


 ◆


 三好一族の歴史はなかなか悲惨である。

 三好長慶の曾祖父そうそふ三好之長ゆきながは細川高国との戦いに敗れ斬首されている。

 祖父の三好長秀ながひでも細川高国との戦いで之長より先に敗死している。父の三好元長もとながは細川晴元の重臣であったが、同族の三好宗三そうぞうと対立し、晴元にうとまれ、一向一揆の大軍に攻められて壮絶な自害で果てている。


 長慶以前の三好三代は、細川京兆家のお家騒動である両細川の乱に翻弄ほんろうされ、その全員が無残な死を迎えているのである。

 というかこの有様で、何で三好家は滅亡してないんだ? 普通なら滅亡してる状況じゃね?


 三好長慶の話を始めるとそれこそ長編小説が書けるレベルの内容になってしまうので省略せざるを得ないが、当主を次々に失っても三好家の本領である阿波の地盤を失うことはなかった。


 三好家は讃州さんしゅう細川家(阿波守護あわしゅご細川家)の有力被官であり、細川京兆家と阿波守護細川家に両属している。

 京兆家の細川晴元と対立しても、阿波守護細川家の支持を失ってはいなかったのである。


 また三好長慶は若いながらもあだである細川晴元と本願寺との和睦を仲介するなどすでに頭角を表し、摂津の越水城こしみずじょうを得て今また細川晴元の麾下として1万の軍勢で京を占拠しているのである。

 三好長慶が稀代きだいの英傑であることに疑いはないであろう。


 幕府や京における三好家の評価は低い。

 それはなぜか? 幕臣や幕府を牛耳る管領などの内衆は主に畿内の人間である。

 三好家は四国の国人であり畿内の者からすれば地方のいわゆる田舎者の扱いであった。

「田舎からはるばるお越しやす」ということである。

 一見いちげんさんお断り、ぶぶ漬けでもいかがどすか? と京の排他的なところは今も昔もということであろう。


 それに三好家はやり過ぎたのだ。

 曽祖父の三好之長は応仁の乱で暴れまくり、かつ土一揆の煽動なども行った。

 京の人々からすれば三好の者は厄介者なのである。


 両細川家の乱は大雑把に言ってしまえば、細川家の内衆の畿内勢力と四国勢力との争いである。

 細川晴元は四国勢であったが、足利義晴との協調路線を選び畿内勢力と妥協した。

 三好元長は四国勢力の代表的存在であったが、畿内勢力から排除されて悲惨な死を迎えた。

 細川氏綱は高国派の畿内勢力を従えている。

 もっとも、打ち続く細川家の内乱により細川家の内衆はすでにボロボロである。


 三好長慶はその反省からだろう、今は畿内に地盤を築くことに腐心している。

 摂津の越水城を基盤に摂津衆との繋がりを強化し、もはや三好家は四国だけの勢力とは言えなくなっている。

 また堺衆とも繋がりを持ち畿内に確たる地盤を整えつつある。

 やはり三好長慶は一廉ひとかどの人物である。


 それに俺は知っているのだ。

 これから織田信長の登場までは畿内の覇者が三好長慶になることを。

 三好長慶との全面対決に益はない。

 公方である足利義藤様と三好長慶との妥協が当面の、そして最大の俺の方針なのである。


 ◆


 準備を整えた大館晴光殿と俺は公方様よりの使者として、三好長慶が陣を張る洛中の相国寺に向かった。

 考えて見れば戦国大名級の有名人に対面するのは初めてだ。

 織田信秀に会ったのも嬉しかったが、三好長慶の方が現状では格上である。

 まだ畿内の支配者として君臨する前ではあるがミーハーな気分で少し楽しみになってしまう。


 本堂と思われる場所の上座に通される。

 敵対している相手ではあるが幕府の正使であるため上使としての扱いは受けられるようだ。

 まずは安心する。

 儀礼も分からぬ相手とは交渉など望めないからな。

 三好家の過去などに思いをめぐらしながら待っていると、甲冑姿の武将が入って来た。


(き、金髪だー!)


「三好孫次郎範長まごじろうのりながに御座る。公方様の御使者に対してこのような無粋な姿で出迎えたことをお詫びする。今、陣中を見回っていたところでありましてな」


 そういって三好長慶(範長)は兜を脱いだ。

 あ、良かった。黒髪だ。金髪に見えたのは兜の飾りの毛皮か何かであったのだ。

 うん、ちょっとびっくらこいた。


「このたびは公方様よりの使者を我が陣に迎えられこと恐悦至極に存じあげ申す」


 三好筑前守長慶と名乗るのはもう少し後のことであり今は孫次郎範長である。

 大館殿が使者の口上が述べる。

 特段変わったことのない型どおりの挨拶である。


「公方様の御使者を迎えるにはこのような場所は無粋である。私も着替えてすぐに参りますゆえ、使者の両名には別室にてお寛ぎ頂きたい。陣中なればたいしたもてなしはできかねますが、簡単な宴席を設けましょう。ごゆるりとおくつろぎ頂きたい。おい、案内あない差し上げろ」


 三好家の者に案内されて別室に通される。

 さて本番はこれからだな。


「それがしは三好弓介長縁ながよりと申します。以後お見知り置きをお願い奉ります。当主孫次郎が戻られるまで少々お待ちくだされ」


 30歳か40歳前ぐらいの壮年の人物だが、三好家の誰であろうか? 三好一族は人数が多い上にこの時代名乗りをころころ変えるからよく分からないのだ。


大館おおだて左衛門佐さえもんのすけにござる。お手数をお掛けしますな」


「細川与一郎と申します。若輩者ですがよろしくお願いします」


「お若いですな。左衛門佐殿の縁者に御座りますかな」

 うーんやっぱ若いから舐められているかな。


「与一郎殿は若輩ながら御部屋衆を務め公方様の近侍きんじとしてご活躍の身。此度こたびも公方様直々のご指名で参っております」大館晴光殿が俺のフォローを入れてくれる。


「それは大変失礼しました。田舎者ゆえお許しくだされ」


「気にしないで下さい。若輩者ですので、この度は勉強のつもりで参りました。今日を縁によろしくお願い致します」


「お許しくださり有難う御座ります。我が殿の準備も整ったころに御座いますれば、もう少しごゆるりお待ちくだされ」


 三好弓介殿はばつが悪かったのか席を外し、奥へと下がっていった。

 額がピクピクしていたけど生意気な若造とでも思われたかな。

 どこまでが額なの分からないぐらい髪が薄かったけど。


「あまり歓迎はされてはおりませんかな?」晴光殿が俺に呟いた。


「我々は三好軍に包囲されている身ですからね。形はともあれ何が上使だと思われても仕方はないかと。あの甲冑姿もおそらくは威嚇の意味もあるのでしょう」


「そんなものか……」


 大館晴光殿は出来た人で偉ぶることもなく、また穏健派おんけんはで三好家と事を構える人物ではないので穏便に済ませたいのだろうけど、ごめんね。

 今の内に心の中で謝っておく。


 そんなことを話しているうちに略服に着替えた三好長慶と先ほどの三好弓介殿が部屋に入って来た。


「お待たせしましたな、左衛門佐殿。お父上の常興じょうこう様はお元気であらせられますかな?」


 三好長慶が大館晴光殿に親しげに話しかける。

 両者は面識があるのだろうか。


「父常興は歳のためか近頃はせることが多くなっておりまする」


「それはいけない。お見舞いの品を用意させますのでよろしければお持ち帰り頂きたい。この孫次郎、河内かわち十七箇所じゅうななかしょの裁定のおりのご恩は忘れておりませぬ。常興様にはくれぐれもよろしくお伝え頂きたい」


「父を心配くださり痛み入りまする。その言葉を聞けば父も喜ぶことでしょう」


 河内十七箇所というのは河内の国、今の大阪府東部にある荘園群しょうえんぐんである。

 肥沃ひよくな土地で古くから有力者の争奪戦が繰り広げられた。

 室町期には幕府の御料所となりその代官職に長慶の父である三好元長みよしもとながにんじられていたが、その死後同族の三好宗三みよしそうぞう政長まさなが)に代官職が奪われる形となっていた。


 三好長慶は三好家の惣領そうりょうとして父の遺領いりょうである河内十七箇所の返還を求めたが、細川晴元は側近であった三好宗三の領有を認め長慶への返還をしなかった。

 そのため三好長慶とその主筋である細川晴元は対立することになった。


 この両者の対立の際に幕府は仲裁にあたり、当時内談衆であった大館常興(尚氏ひさうじ)が河内十七箇所は三好長慶に返還すべしとの裁定を行なっている。

 結局、十七箇所は長慶に返還されず、代わりに摂津国せっつのくに越水城こしみずじょうが長慶に与えられる妥協案だきょうあんで決着した。

 だが細川晴元の側近として重用されるの三好宗三との三好長慶との対立は残り、それが今後の歴史を動かしていくわけであるのだが……


 ◆


 長慶と晴光殿のやり取りが続いていたが、俺にも長慶が声をかけてきた。


「細川与一郎殿は公方様の近侍であるとか、お若いのにご立派でありますな」


 三好長慶は24、5歳であろうか、覇気にあふれている印象なのは俺の贔屓ひいきかな。

 しかしダンディでカッコイイなこの人。


「ご挨拶が遅れました。『淡路守護あわじしゅご』細川家の晴広が嫡男、与一郎藤孝と申します。孫次郎様にはお初にお目にかかります。孫次郎様は私と同じ歳の時には三好家の棟梁とうりょうとなり、一向宗いっこうしゅう本願寺ほんがんじ右京兆家うきょうちょうけとの和睦をまとめたとお聞きしております。私などは公方様とのご縁にて役目を仰せつかったただの小僧に過ぎませぬ」


 淡路守護家の家柄であることを強調してみる。

 本来の淡路守護細川家を滅ぼしたのが三好長慶の父三好元長であるので、の意味を込めてだ。


「それで公方様の与一郎殿は公方様のご意向を伝えに参ったということかな?」


「ご意向といいますか、確認ですね」


「確認とは?」

 三好長慶が俺の意図を図りかねて聞いてくる。


管領かんれいとして公方様を補佐する立場である京兆家の分家の阿波守護家の陪臣ばいしんに過ぎない三好家から、何やら大御所様や公方様に対して開城の勧告とやらの使者をつかわしたとの噂があります。そのようなことは武家の棟梁たる公方様に対し不遜ふそん極まりなく、謀反者の所業と疑われる愚行で御座ろう。聡明なる三好殿がそのような使者を遣わすとは思えませんが、一応確認の必要があろうかと、この藤孝はそう公方様にお伝えして真偽の確認に参りました次第です」


「わ、我が三好家が不忠極まりない謀反者であると言われるのか?」


 三好弓介が怒気含んだ声で俺を睨んで来る。


「いえいえ、聡明なる三好孫次郎様がそのような輩とは思えませんがゆえ、その使者とやらが北白川城に遣わされたのは何かの間違いではないかと考えておりまする」


 大館殿は俺の突然の物言いに声を失ってオロオロとしている。


「ふはははははっ、これは手厳しいな。だが我が三好軍は先日洛中に着陣したばかり。大御所様や公方様が北白川城に在陣しているなどとは思いもよらぬこと。なあ弓介叔父御、我が家中からどこにわすかわからぬ公方様にそのような使者など出してはおらなんだな?」


「は? ……は、はい。我が三好軍は先日洛中に着陣したばかり。大御所様や公方様が北白川城に在陣しているとは思ってもおりませなんだ。アッハハ……」


 笑ってごまかしておるわ。


「その開城の使者とやらは我が家中の者にあらず。どこか他家の者が我が三好家の名をたばかったに相違そういないであろう。我が軍においてその者を捕らえ公方様にお引き渡ししましょう」


「それには及びませぬ。どこぞの間者かんじゃの身柄など公方様におかれましても関心は御座いません。三好家が公方様に犯意はんいがないことが確認できれば公方様もお喜びになると存じます」


「我が三好家は陪臣の身なれど、武家の棟梁とうりょうたる公方様への忠義を忘れたことはござらぬこと。与一郎殿には是非公方様にお伝え願おう」


「それは良きお言葉を頂戴ちょうだいしました。時期が来られましたら是非公方様に御目通りを願い、直接ご拝謁はいえつの上、その存念ぞんねんを直接訴えるがよろしいかと存じます」


「残念ながらそれがしは陪臣の身、なかなか公方様への御目通りは叶わぬものと思うが?」


「いえいえ、今年の1月のことですが尾張のである織田弾正忠だんじょうのちゅう殿が多額の献金を持参して公方様へ御目通りをしております」


「尾張の守護代の家老の者であると?」


「はい、公方様は大変お喜びなって酒宴を開き、弾正忠殿に毛氈鞍覆もうせんくらおおいと赤傘袋あかかさぶくろの仕様をゆるされようとしました。残念ながらこの折は幕府内にて話がまとまらず、許すことができませんでしたが、公方様は家柄に関係なく忠義の家をお引き立てしたく考えております。三好殿も公方様への御目通りを希望であれば、それがしが喜んで仲介の労を取りますれば遠慮なくお申し付けください」


「我が三好家は京兆家の家臣ゆえ六郎様(細川晴元)を差し置いて、公方様に御目通りを願うは難しきことなれど、時期が来ればお願いすることもあるやもしれませんな……」


「その時節は案外近いのではありませんかな?」


 ……しばしの沈黙が訪れた。


 俺は暗に三好長慶の細川晴元からの離反は近いのではないかと匂わせたのである。 我ながら綱渡りである。


「いやはや与一郎殿はなかなか想像力が豊かでありますな」


 三好弓介殿が酒を注いで来る。

 こんな沈黙嫌だもんねえ、でも手が震えてるぞ。


「与一郎殿、大御所様は細川氏綱殿を支援するため挙兵したと聞きおよんでいるが、公方様の存念は大御所様とはお違いになると?」


「まだ公方様は若く大御所様の意向を尊重しておりますが、公方様は公方様にございまする。その考えが大御所様と必ずしも同義とは言えないと思われます」


「公方様はおいくつにおわしましたかな?」


「12で御座います」


 何故だろう、三好長慶との会話が楽しいのである。

 俺この人好きだわ、正直困る話ではある。

 この三好長慶という男をどこかで叩かなければ室町幕府は、公方様は安全を確保できないのであるのだから……


 しばし沈黙が続き、大館殿が話題を変えた。


「三好孫次郎殿には洛中の治安の回復をお願いしたい。公方様は三好軍による乱暴狼藉が起こらないか心配のご様子。大御所様におかれましても、右京兆殿の責任放棄には大変ご立腹のご様子。右京兆殿の臣下たる孫次郎殿にも責任があるものと思われたし」


「六郎(晴元)様は不在なれど我ら三好軍がおりますので、京の治安は問題なく治めましょう。大御所様にありましてはご安心して洛中へお戻り頂けますようお伝え頂きたい――」


 と、そこへ三好長慶の家臣と思われる者が不調法にも我らが会談する部屋へと駆け込んで来た。


「なんであるか! 幕府の上使なるぞ。無礼をいたすな!」


「はっ。恐れながら申し上げやす。六郎様からの火急の使者なればご無礼かとは思いやしたが、殿にお伝えの必要があるやと思い、ご無礼をいたしやした」


「六郎様から……大変もうしわけない、ご両人には中座の無礼をお詫びする」


 三好長慶が急ぎの様子で部屋から出て行ってしまう。だがすぐに戻って来た。


「御使者の御両名様には非礼を詫びよう。なかなか楽しげな会談であったが、無駄になり申しわけない。我が主君六郎様より、転進の命令が御座った。我が三好軍はこれより洛中より撤退する。大御所様、公方様におかれては後に機会があれば非礼をお詫びしたいとお伝え願いたい――」


 ――そう、わずか10日ほどの対陣で三好長慶率いる1万の軍勢は洛中より引き揚げてしまうのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る