第二十話 北白川城入城

 天文十六年(1547年)3月

 山城国 瓜生山 北白川城


 ついに大御所の足利義晴公と将軍の足利義藤(義輝)が『北白川城きたしらかわじょう』に入城した。

 昨年の11月ごろから築城が開始され、大御所により洛中洛外から人足を総動員して完成させた城である。

 それは細川晴元と決別し、細川氏綱と結んでの挙兵であった。


 北白川城は山城国と近江国を結ぶ今路越いまみちごえとよばれる山間の街道を抑える位置にある、瓜生山うりゅうさんの山頂に築かれた山城である。

 瓜生山城うりゅうさんじょうとも将軍地蔵山しょうぐんじぞうやま城とも呼ばれる山城だ。


 細川氏綱の陣営と連絡を取りながら、将軍就任式で六角定頼を管領代かんれいだいに任じて恩を売り、この北白川城の完成をさせてからの満を持しての挙兵である。


 義晴としては京を守らず、将軍を守ろうともせずに逃亡した細川晴元を頼りとはできないのであろう。

 元々、晴元は義晴を擁立した細川高国の敵なのだ。

 義晴公と腹を割って話す機会のない俺には知るよしもないが、もしかしたら義晴公は心情的には高国派なのであろうか……


 この挙兵には、近衛稙家このえたねいえら近衛一族も協力し兵を連れて共に入城している。

 大覚寺義俊だいかくじぎしゅん聖護院道増しょうごいんどうぞう久我晴通くがはるみちに義藤公の母御前ははごぜらがそれである。

 この時期の室町幕府が「足利-近衛体制」とも呼ばれるゆえんである。

 また公卿くぎょうも多く入城しており、烏丸光康からすまるみつやす日野晴光ひのはるみつ高倉永家たかくらながいえなど、朝廷と幕府に両属するいわゆる昵懇衆じっこんしゅうと呼ばれる方々も篭城ろうじょうに参加している。


 俺、細川藤孝もはっきりいえば篭城なんてしたくはないのだが、仕方が無いので義父の細川晴広とともに入城している。

 さすがに商売上がったりですから篭城しませんとは言えないよな。


 さて篭城した私が何をしているかというと、……除菌してます。


 この北白川城には900騎といわれる武者が篭城したという、その郎党や小物なども含めると、この山城に3,000人ぐらいは詰めているわけである。


「ぬうおおお! 俺の筋肉雑巾掛けを見るだろぉぉぉ!」ズダダダダッ


「いや、俺のピンポイントクイック雑巾掛けこそ見ろぉぉぉ」クイッククイック

(この時代に雑巾ってあるのかしら?)


「お前ら人の部屋で何やってんだー! うるさいのじゃー!」


「何をしているって掃除ですが? なあ心の友よ」


「ああ、どこからどう見ても掃除だろ」


「わしには、お主らが遊んでいるようにしか見えないのじゃが……」


 何が怖いって病気が怖い、 集団感染が怖い――そんなわけで、城内の義藤さまにあてがわれた一室では、俺と新二郎とで液体石鹸と「紫蘇しそ」と「どくだみ」の煮汁などを使って、雑巾掛けの真っ最中である。

 特に人の出入りがあった後にはいそいそと除菌のための拭き掃除をしている。我が主に病原菌は寄せ付けないのである。


 それと義藤さまには念のため、上布じょうふから作ったマスクもしてもらっている。

「これカッコイイな」と、義藤さまはマスクを気に入ってしまった。

 黒と白で黒を選んでいる。

 なんというか中二病的なカッコよさを感じている様子だ。

 まあマスクをしてくれるなら何でもいいや。


 新二郎は白いマスクに「筋肉」と書いたマスクをつけている。

 しかも、新二郎は液体石鹸を気に入ってしまって、「俺の自慢の筋肉が輝くだろ」とか言って、不必要に上半身を洗ってさせている。

 いやお前ちゃんと洗い流せよ、 そういう使い方違うから。

 ――うんコイツらの美的センスにはついて行くのをあきらめた、もうほっとこう。


 できあがった漢方薬なんかも持ち込んでいる。

 こんな狭い場所に大人数じゃパンデミックが怖いからね。

 衛生管理者の免許所持者としては黙って見過ごせないのだ。

 まあ、はっきりいって俺には篭城戦をまともにやる気がないのである。

 勝てない戦に無駄な努力はしないようにしていた。


 ◆


 この大御所の挙兵に対し、細川晴元側の対応は驚くほど早かった。

 挙兵の翌日には三好長慶みよしながよし範長のりなが)率いる大軍が晴元の命令で北白川城を包囲する事態となるのである。

 詰め掛けた諸将がパニクっている。


 そして大御所が大改修した北白川城の本丸の大広間では軍議が開かれることになった。

 俺も一応は御部屋衆であるので面倒くさいが参加した。

 将軍就任式のように出番がナッシングということは残念ながらなかった。(よかったね出番がアルヨ)


「三好孫次郎まごじろうの軍勢3万、相国寺しょうこくじに陣取りまして御座います」


 広間に諸将が居並び、物見からの報告を受ける。

 おいおいこの時期に3万はないわ。

 それ三好家単独だと最盛期の動員兵力に近いぞ。

 吉田家からの便りでは1万余と聞いているしな。


「な、なんと3万とな?」


「三好勢が城下に押し寄せ、伐採・放火を繰り返しております」


 次の物見が入ってきてさらに状況を知らせる。


「なんだと三好ごときがこしゃくな」


「四国の田舎者が生意気な」(埼玉はいいが四国を敵に廻すなおい)


「あの痴れ者めが」


「大御所様! ここは打って出て目に物を見せてくれましょうぞ」


「そうよ、そうよ、打って出ようぞ!」


 おいおい、どう考えてもただの示威じい行為だろ、そんなもんに引っかかってどうするんだよ。

 それに包囲する1万の兵に対して、たかだか3千にも満たない兵で城から打って出るとか自殺する気か? お前らの自殺願望はどうでもよいが俺の公方様を巻き込むな。


「お待ち下さい。敵の挑発に軽々しく乗ってはなりません。我らの目的は敵を引きつけること。今は城の防備を固めることこそ肝要かんようぞ」


 大御所の側近の大館晴光おおだてはるみつ殿が馬鹿者達の軽挙を諌める。

 幕府もとりあえず馬鹿ばかりでなくて安心した。のだが……


「大館殿は臆病風に吹かれたか!」


「そうよそうよ臆病者は引っ込んでおれ」


「わたくしめにお任せください。三好勢など蹴散らしてご覧にいれましょうぞ」


「黙れこわっぱ!」


 おいおい、ここは貴族連合がこもる宇宙要塞か何かか? もしかして俺は貴族連合の一員だったのか? ということは俺は貴族のドラ息子か何かで金髪の小僧こぞうが三好長慶だとでもいうのか? ……正直勘弁してくれ。


「待つのだ。打って出るのは六角の援軍がまいってからじゃ。六角の援軍を得た上で敵を一網打尽いちもうだじんにする。今は敵のやりたいようにさせておくがよかろう」


 大御所が出撃の許可を出さなかった。

 とりあえず助かった。

 三好長慶相手に寡兵かへいで打って出るとかになったら、俺は出撃の隙に義藤さまを逃げるしか手がなかったよ。


「おお、六角軍と呼応こおうして敵を殲滅せんめつするのですな」


「さすがは大御所様の戦略。お見事であります」


「天下無双の六角軍が参れば、三好孫次郎なんぞ一たまりもありませんわ」


「皆のものそれまで英気を蓄えておくのだ」


 ……なんというか軍議と言えるかどうか微妙な軍議は、六角の援軍を得るまでは城を守って打って出ることを控えるということに決した。

 俺は不毛な会議が終わって清々していた。

 義藤さまもお疲れの様子だ。

 あとで差し入れでも持って行こうかな。


 ◆


 「藤孝。この挙兵どう見る? 父は細川氏綱を支援するための挙兵であると言っている。ここには新二郎とお主しかおらぬ。遠慮のう申してみよ」


 いそいそと義藤さまの部屋の拭き掃除をしていたら、義藤さまに質問されてしまった。

 あそこまだ拭いてナーイとか思ったが、諦めて座って質問に答える。


「はい。実際に細川晴元方の大勢力である三好長慶を摂津や河内の戦場から引き離し、この北白川城に引き付けております。細川氏綱を支援するという挙兵の目的は果たしているといえましょう。ですが、この戦で細川氏綱に勝機はありませぬ」


「どうしてそう言い切れるのだ?」


「今この城を包囲している三好勢の存在です。その兵力は1万に達しています。摂津せっつ河内かわちの防衛に兵を残しての1万です」


 とりあえず、身振りで義藤さまにマスクを取るように伝える。

 残念そうな顔をしながら、しぶしぶマスクをはずして義藤さまが答える。


「だが、その三好長慶はここ北白川に居るではないか。三好勢が居らぬ間に細川氏綱方が細川晴元を討てばよいのではないか?」


「細川晴元はあれでいて逃げ足だけは(マジで)速いのです。それに三好長慶はいつまでもここには居ますまい。我々には三好長慶を引き止めうる兵力がありませぬ。追撃をかける兵力もありませぬ」


「だが近江より六角定頼の援軍が来れば三好長慶は動けまい」


「果たして六角定頼殿がお味方いたすかどうか……細川晴元は六角定頼の娘婿むすめむこです(養女だけど)。定頼殿が晴元に敵対する理由が今のところありません」


「じゃが、定頼殿は大御所に長年仕えた忠臣ではないか。大御所様を裏切るわけがなかろう。それにわしの烏帽子親えぼしおや管領代かんれいだいになるのだぞ」


「考えても見て下さい。細川氏綱が晴元を打ち破り管領になったとしましょう。六角定頼になんの得がありますか? 六角定頼としては晴元の舅として幕政ばくせいに関与できる現状の方にがあります」


「何ものみで動くわけではあるまい。六角定頼殿の忠誠に期待しても良いのではないか?」


「義藤さま。六角定頼は大御所様を擁立ようりつした前管領の細川高国殿を最終的には見殺しにしていることをお忘れなく」


「むう……」


「挙兵するならば、六角定頼の兵が来てから、確実に勝てる状況を作ってからでなければならなかったのです。――」


『算多きは 勝ち、算少なきは勝たず。しかるにいわんや算無きにおいてをや。われ、ここにおいてこれを観るに、勝負あらわれん。』


「――戦とは条件がそろっていれば勝ち、そろっていなければ負けます。勝算がない戦や、どのように勝利するかを考えてもいない戦は論外です。彼我ひがの戦力を検討し、客観的に見れば勝敗は自ずと分かるものです」


「……孫子か」


「将たるものは、勝ち目のない戦をしてはならないのです」


「我らに勝ち目はないのか?」


「非常に厳しいでしょう。四国より三好勢が上陸したのが昨年の秋と聞いております。それ以降、細川氏綱方は兵力で劣勢となり不利な状況とのこと。氏綱方は京の支配にも失敗し、今の所は勝てる要素がありません。その状況を打開したくての大御所様の挙兵なのでしょうが、わずかな兵で城に篭っても戦局を変える力になりえるかどうか……」


「六角勢が来れば兵は互角と言えるのではないか?」


「六角勢がまことに来援するのであれば、であります……」


 嫌な沈黙が流れる。

 新二郎はおろおろしている。

 もしかしたら話がわかっていない可能性があるな……うん、あの顔はただの筋肉馬鹿かもしれん。

 腕っぷしとその忠誠心は頼りになるが、頭も筋肉かもしれぬ。今回は脱出するタイミングを逃したようだが、哀れなり。


 沈黙が嫌なので、話を続ける。


「もともと、この戦はする必要がないのです。細川晴元と氏綱の争いは、しょせんは細川京兆家の中だけのこと。大御所様や公方様が関わるいわれはございません。極端なことを言えば、勝った方と手を握るだけで良かったのです」


「そのようなこと今更になって父上に言えぬわ!」


 めずらしく義藤さまが声を荒げる。怒った顔も可愛いが……


「この戦に唯一勝てる方法があるとするならば。眼前がんぜんの三好長慶をお味方にするほかありますまい」


「なんじゃと。馬鹿な。そんなことが出来るわけないであろう!」


「……」


「あ、いや。別にそなたを愚弄ぐろうするつもりはないのだ。すまぬ。少し驚いてな」


「三好長慶は義藤さまにとっては敵でありますか?」


「敵であろう。現に我らを包囲しているではないか」


「それは、我らが挙兵に驚いた細川晴元が差し向けたもの。あえて申し上げます。大御所様が敵にされたのです。三好長慶は主君である細川晴元の命令に従っただけのこと。大御所や公方様が憎くて兵を向けているわけではないことを理解してくだされ」


「あまり父上を悪く言わんでくれ……」あ、義藤さまが涙目だ。


 いかーんやり過ぎたぁ、俺の馬鹿者ぉ!

 おい待て新二郎! 刀を抜こうとするな。

 分かってる、分かってるってば!


「私こそお耳汚しな話で申し訳ありませんでした。ですが三好長慶に使者を出すことは検討して頂ければ幸いです。味方に引き入れることは難しくとも三好麾下きか乱暴狼藉らんぼうろうぜきを抑えることくらいは交渉出来るやもしれません」

(三好軍に洛中で暴れられると商売あがったりなんですとはいえない)


「ん……」


「申し訳ありませんでした。少し言い過ぎでありました。ご機嫌直しに新作のお菓子などはいかがですか? 今すぐ焼いてまいりますので」


「……うん、食べる。早く焼いてくるがよい」


「ご注文ありがとう御座います♪ お客様少々お待ち下さいませ〜」


 少しおどけて言って、脱兎だっとのごとく、台所へ走っていく。

 走りながら思うのだ、少し失敗したと……。

 だがこれも剣豪バカ殿化阻止計画の一環であるのだ。

 考えることを覚えてもらわなければならないのだ――今回も間違いなくやり過ぎたけどなー。


 義藤さまの部屋を出たところで追いかけて来た新二郎からを食らった。

 でもまあ反撃はしないでおいた。

 新二郎が怒るのも仕方が無いからな。

 今回はあえて受けておこう……何も全力でやってこなくても良いではないかと思ったが。(マジ痛い)


 とりあえず、新作のお菓子である『蕎麦そばボーロ』をあげたら義藤さまの機嫌は直った。

 だが、なにかこう、餌付えづけしているようで申し訳ない気になってしまう。


「この『蕎麦ぼーろ』と申すものなかなか美味いな♪ どういうものじゃ?」


「はい。これは卵に蕎麦粉と小麦粉、メープルシロップを混ぜて焼いた物になります。煎餅と同じようにお菓子として作りました」


 蕎麦ボーロは商品名では「蕎麦ほうる」、「蕎麦ぼうろ」、「蕎麦ボーロ」などの名称で売られているお菓子だ。

 ボーロの名のとおり卵ボーロと同じく南蛮菓子に分類されることもあるが、日本の京の『総本家 川道屋かわみちや』や『丸太町まるたまちかわみち屋』などで今も売られる伝統の和菓子でもある。


 北白川城に篭城するであろうことをので、兵糧代わりに作った保存食の一つである。

 1回焼いてつくればまあ1、2週間ぐらいは持つ。

 卵を使うので篭城初期にしか作れないのが難点である。(現代で食べる場合には賞味期限をしっかりお守りください)


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 総本家河道屋 「蕎麦ほうる」

 丸太町かわみち屋 「蕎麦ぼうろ」

 どちらも現在の京都で蕎麦ボーロを売る老舗の和菓子屋である。

 河道屋の先祖は平安遷都せんとのころからの京の人といわれ、江戸時代から蕎麦屋を営んでいた。

「蕎麦ほうる」は明治初期に河道(植田)安兵衛さんが考案し小麦、蕎麦粉、砂糖、卵を材料に作られた。

 かわみち屋はその河道屋からのれん分けしてできたお店だという。

 どちらが美味いかはその人の好みもあると思うので、是非京都に行ったらどっちも食べて味比べをしてみよう。

  謎の作家細川幽童著『そうだ美味しいものを食べよう♪』より

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「新二郎も食べるがよいぞ。だが今後、わしに黙ってお菓子を持っていくのは禁ずるからな」


「バレてただろー」


 ――篭城中のため東求堂ではないが、相変わらずこの三人での空間は平和そのものであった。

 城下では三好長慶率いる大軍が包囲しているのだが、戦う気のない俺にはほとんど関係がないはずであったのだ……

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