第十九話 牧庵友の会

 天文十六年(1547年)2月

 山城国 慈照寺



 なんだか色々あって、義藤さまの所に顔を出せなかったのだが、久しぶりに顔を出したらいきなり愚痴られた。


「儀式儀式儀式、ぎーしーきー! 藤孝、わしはもう一生分の精神力を使いきったぞ。モー儀式はお腹いっぱいなのじゃー!」


 この駄々をこねまくっているお方は、これでも室町幕府における第13代征夷大将軍せいいたいしょうぐんであったりする。

 多分「誠意せいい」大将軍ではない。


「それは残念で御座います。せっかく公方様のために美味しいものを用意しましたのに、お腹いっぱいではまったくの無駄になりましたな」


「……藤孝。お主イジワルじゃの。いじわるー、いじわるー」


 とても恨みがましい目と口調で訴えてくるがお前は小学生か!

 うん、小学生だった……(現在数えで12歳ぐらい)


「イジメ良くないカッコ悪い」


 公方様の護衛の松井新二郎まで俺に苦言をいう。

 ここには三人だけしか居ないので、皆がくだけたふいんき(むかし何故か変換できないというネタがあった)になっている。


「ええいおやめください! 将軍ともあろう方がみっともない。分かりました。今ご用意します」


 相変わらず諸侯からの新将軍への年賀の挨拶も続いている。

 先日の織田信秀もその一環である。

 また新年の幕府の各種行事などもこなしている。

 先日は大御所様と公方様とで禁裏きんりにも参内さんだいし、時のいわゆる後奈良ごなら天皇にも拝謁はいえつし年賀を祝うなど実は義藤さまは結構多忙であった。


 まあ俺の作るもので元気になってくれるのであれば嬉しい限りだ。

 せっかく戦国時代に居るのになんだか料理しかしていない気もするが……多分気のせいだろう。

 とりあえずのために腕を振るう。

 といっても今回のは非常に簡単につくれるものだ。いろいろあって義藤さまにお出しするのが遅くなったが。


 本日のメニューは「ご飯」に「蕎麦」、それとおやつの「煎餅せんべい」である。

 べつに則巻のりまきではない。


 蕎麦屋の新メニューとして考えていたのが蕎麦である。

 だが、が一番美味しいのはご飯にかけるご飯だと思い直し、ご飯も作った。

 とろろご飯は鰻屋で出してもいいかもしれないな。


 ご飯がいつから食べられていたかは正直わからない。

 室町時代にはすでに食べられていたかもしれない。

 歴史上では江戸初期に確認できる。

 東海道丸子宿まるこじゅく丁子屋ちょうじや汁が有名で松尾芭蕉まつおばしょうまれたりもしている。


 作り方はとりあえず簡単にやってしまった。

 ご飯は掘られた自然薯じねんじょが保存されていたので、すりおろしてめんつゆでのばしただけである。

 蕎麦にいたっては暖かい蕎麦に入れただけである。

 これでも十分美味いがそのうち改良もしていこう。


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 丁子屋(ちょうじや) 創業1596年

 静岡県静岡市駿河区丸子の旧東海道の丸子宿(鞠子宿)で現在も営業を続けるとろろ汁の専門店である。

 松尾芭蕉にもうたわれ、歌川広重うたがわひろしげの『東海道五十三次ごじゅうさんつぎ』にもえがかれ、十返舎一九じっぺんしゃいっくのかの有名な「東海道中とうかいどうちゅう膝栗毛ひざくりげ」にも書かれる。

 創業400年を超える老舗しにせ中の老舗である。

 静岡県に脚をのばした際には是非食して頂きたい江戸の歴史を感じられる味である。

  謎の作家細川幽童著「そうだ美味しいものを食べよう♪」より

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 相変わらず国宝の和室で蕎麦を茹でて食っているが、千利休せんのりきゅうが現れようが、そういえば俺は細川藤孝だったので利休ごときにびびる必要がないのを思い出した。

 もう関係なしに同仁斎どうじんさいで茹でまくる。ご飯の効果はバツぐんであった。

 蕎麦も好評である。


「め、めしがいくらでも食えるだろー」


「蕎麦もうまうまじゃー♪」


 そしておやつの煎餅である。

 これはただの煎餅ではない。

 あの米を贅沢に使った埼玉県のソウルフード草加煎餅そうかせんべいである!


 ――あ、すいません嘘つきました。

 あの米とかいいましたが、ただのふつうの米です。「うるち米」か「もち米」かの違いだけです。

 なんとなくカッコつけて言ってみただけです。

 それに埼玉県民は別に草加煎餅をわざわざ買いに行ったりしません。

 たぶん埼玉県民は風が語りかけるという十万石饅頭が魂の饅頭です。


 ――すいません、これも嘘です。

 多分埼玉県民の半分以上が食ったことないと思います。

 というか埼玉県民はほとんど埼玉なんでソウルフードとかないです。

 埼玉県民が誇れるものなんて多分です。


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 草加煎餅

 埼玉県の草加市周辺(草加、八潮やしお越谷こしがや鳩ヶ谷はとがや川口かわぐち)で製造される堅焼かたやきの煎餅である。

 草加周辺は米どころであり、余った米を団子状にして保存食とする風習があったらしい。

 日光街道の草加宿じゅくでは茶屋などでそれを販売していたが、さんという女が余った団子を捨てるのがもったいないと思っていたら、通りかかったお侍さんに団子をつぶして焼けばよいといわれて煎餅が生まれた。 という話だが俗説の域を出ていない。

 ただの堅焼き煎餅でどこでも売っているものと大して変わりが無いけど、ろくに観光名所もないけど、草加に行くことがあれば食べてみたら?。

  謎の作家細川幽童著「そうだ美味しいものを食べよう♪」より

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「しかしお主はまたわしが政務に追われている間に、こんな美味しいものを作って遊んでいたのじゃな」


「あ、遊んでいたわけではございません。蕎麦屋のお持ち帰り用かおやつ用のサイドメニューにしようかと考案していたのでありまして……」


「さいどめにゅーが何かよく分からんが、この煎餅とやらはおやつにはピッタリである。また持ってくるがよいぞ」


 と、我が主の機嫌が良くなったところで話を切り出した。


「義藤さま、少し相談があります」


「ん? 聞こうか」


 政治向きの話と判断し、新二郎が静かに席を立ち部屋を出て行く。

 その手にちゃっかりと草加煎餅を握り締めてである。

 また怒られても知らんぞ。


 義藤さまに話をしたのは、先日の進士賢光しんしかたみつの件や、伊勢伊勢守いせいせのかみの件である。

 しばらくうたげの差配などは遠慮したいと申し上げたのだ。

 たいしたことない風に話したが、義藤さまは少し気落ちされてしまった。


「すまぬな藤孝。わしの配慮が足りなかったようじゃ。許せ」


「余り気になさらないで下さい。私も少し派手に動き過ぎました。しばらくの間だけです。ほとぼりが冷めるまで少し自重するだけです」


「うん、分かった。しばらく好きにするがよい」


「ああ、ちゃんと勉強のお相手と、美味しいものは持参しますので、待っていてくださいね」


「ん、待ってる。いつでも好きな時に顔を出すがよいぞ」


 こうして、俺はしばらくの間は幕府内での活動を自粛した。

 そう幕府内では自重した――


 ◆


 とりあえずはしゃくではあるのだが、政所への対処である。

 この前のように「イヤミ」だけですめば御の字であるが、妨害などされだしたらブチ切れて俺の手で室町幕府を滅ぼしかねないので、いわれたとおりに付け届けをする。

 メープルシロップの売上げから黄金色こがねいろの饅頭(中身は銭です)を用意する。

 「吉田の神酒」も樽ごと用意した。


 饅頭屋宗二まんじゅうやそうじ殿と角倉すみのくら吉田光治みつはると俺とその郎党達で連れ立って伊勢守の屋敷に向かう。

 門前で所用を伝え、アポを取っといた蜷川にながわ新右衛門しんうえもん殿にお会いする。

 伊勢守に直接もっていくのも癪なので、政所代まんどころだいの蜷川新右衛門親世ちかよ殿のところへ持って行くことにしたのだ。


「お初にお目にかかります。細川刑部少輔の子、与一郎藤孝と申します。以後お見知りおきの上お引き立てよろしくお願い申し上げます」


「これはこれはご丁寧にどうも。政所代を務めます、蜷川新右衛門と申します。よしなに。して本日はいかようなる用向きでありますかな?」


「は、これなるは林安盛やすもり(饅頭屋宗二)と申しまして、もみじ饅頭を商う者にございます。政所におかれましては格別なるご配慮を頂きましたゆえ、ご挨拶に参上させました次第であります。宗二殿、礼の物を――」


 饅頭屋宗二が黄金色の饅頭(中身は銭です)をスッとお渡しする。

 蜷川新右衛門はその中身を確認して心得ているのか何も言わない。


「そして、こちらは吉田社における酒の製造販売につきまして同じく政所に特別なるご配慮を頂戴した。「吉田の神酒」を造ります角倉の吉田与左衛門光治にございます。政所の多忙をお聞きし、陣中見舞いにとその酒を持参させました。表にありますればご確認お願いいたしまする」


「これはこれは痛み入ります」


「そして、これはお手数をお掛けする。蜷川新右衛門様にと」


「重ね重ね痛み入ります」


「今後もこれなる者や我が家につきまして、新右衛門様にお取次ぎの労をお願いすることがあるかと存じますので、引き続きお引き立ての程よろしくお願いいたします」


「分かり申した、それがしにお任せ下され。主にはくれぐれも丁寧な礼であったとお伝えさせて頂きますぞ。今後もこの新右衛門にお任せ頂ければ悪いようには致しませぬ。安心されよ」


「よろしくお願い申し上げます」



 ――伊勢守の屋敷から引き上げ、二人にも礼を言う。


「本日はお手数をお掛けしました」


「いえいえ、こういった仕儀しぎは商売では当然に必要なこと。今後は我らも動きます故ご心配なきように」


「はい。与一郎様はいざという時に動いて頂ければ結構。普段の付け届けは我らにて行います」


「かたじけなく。余りにも無理をいわれた時はすぐにお伝え下さい。それまでは面倒をかけますがよろしくお願いします」


 ――付け届けというか、袖の下というか、黄金色のお饅頭というか、まあそういったものがまだまだまかり通る世界が続くのである。

 特別背任や収賄罪しゅうわいざいなどは遥か彼方の未来の話である。


 ◆


 このように幕府内はうるさいのでしばらくおとなしくするとした。

 幕府以外出来ることをやっていたが、漢方薬について動きがあった。


 毎日のように呑みに来る、集団の二日酔いが酷そうだったので、五苓散ごれいさんを出してあげたら山科言継やましなときつぐ卿に絶賛された。

 清原業賢伯父が結構な頻度で酒を配達しているはずなのだが、それでも足りないのか毎日蕎麦屋か鰻屋に呑みに来るのだから呆れてしまう。

 まあ、そのおかげで漢方薬が売れたのだからよしとしよう。

 山科卿が絶賛するものだから、店に置いたら結構売れだしたのだ。


 ここですかさず金の匂いに敏感な吉田兼右叔父が動いた。

 謎の宮大工集団を召喚し、翌日には薬屋をオープンさせたのだ。

 薬屋の名前は「薬局 牧庵まきあん」である。

 坂浄忠さかじょうちゅう先生の許可を得て清原喜賢よしかた叔父が正式に医者として「牧庵」を号して開業したのだ。

 これからは喜賢叔父を牧庵先生と呼ぶことにする。


 そして、その薬局の開業に合わせて漢方薬にもヒット商品が生まれたのである。

「酒を呑んだら五苓散」

「呑む前にも五苓散」

 のキャッチコピーで売れ出したのだ。


 薬局では液体石鹸や上布で作ったマスクも売りだし始めている。

 五苓散は当初は蕎麦屋と鰻屋でも売っていたのだが、薬局での販売に一本化した。やはり薬なので、漢方薬は坂浄忠先生や牧庵叔父の診断がなければ一般販売はしない方針にしたのだ。

 何か事故があったら怖いからね。


 それでも、文字通り呑む前や呑んだ後に薬局を訪れ、牧庵叔父の処方を受けて五苓散を買って行く客が後を絶たない。

 二日酔いになってまでなんであんなに酒を呑むのか分からない。

 やはり俺には酒飲みの根性が理解できないのである。


 薬局で販売している液体石鹸はモチロン鰻屋や蕎麦屋でも使っているし、紫蘇しそとドクダミの煮汁で除菌清掃もしている。

 現代で衛生えいせい管理者の免許を持つ俺が経営する店で食中毒とか出たら恥だからな……火事で店が焼け落ちたことがあったが、都合よく忘れることにした。(実は防火管理者講習も修了していたりする)


(現代の皆さんはちゃんと市販の消毒液で除菌してください。

 手に入らないから紫蘇とかドクダミでやっているだけです)


 山科言継卿はもともと医薬の知識があり、坂浄忠先生の指導も受けてくれているので医師として漢方薬の購入を許可している。

 なんだか五苓散ばかり仕入れて自分の二日酔いにしか使ってないような気もするが、まあ見て見ぬふりをしている。


 山科言継卿とは大分親しくなり、医薬の話や酒の話、情報通なので朝廷の情報や交流のある各地の大名などの情報を頂いてもいる。

 だが、会話のたびに頭に「おーっほっほっほ」という高笑いが入ってウザいので会話は割愛することにした。

 山科卿は我々の医薬の研究のメンバーにも入ってくれていたりする。


 言継卿のほかには坂浄忠先生の本家筋である、上池院家じょうちいんけ坂光国さかこうこくさんが我々の活動に参加してくれた。

 坂光国さんの家系も名医の家系で、その子孫は坂四家さかよんけと呼ばれ江戸幕府に内科やはり科の奥医師おくいしとして仕えることになるのだがそれはまだ先の話である。


 正式に医師となった牧庵叔父を中心に坂浄忠先生と坂光国先生、それに山科言継卿と米田こめだ求政もとまさ殿、俺こと細川藤孝のメンバーで医薬のグループを作っているのだ。

 俺はこのグループを心の中で「マキュアン友の会」と呼んでいる。

 だって、牧庵まきあんにしか聞こえないんだもん。


「マキュアン(牧庵)友の会」の活動も順調だ。

 その活動はトレインによる集団スプリントでもでもない。

 ましてやでもない。

 別にマイヨヴェール(ポイント賞)を目指しているわけでもない。

 を作ろうとしているわけでもない。 漢方薬の医師向けの販売奨励しょうれいとか石鹸とマスクの普及活動とか至極しごく真面目な活動である。


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 ロビー・マキュアン (オーストラリア出身)

 ツール・ド・フランスでマイヨヴェールを3回獲得するなどスプリンターとして活躍した自転車ロードレースのプロ選手である。

 たくみなバイクコントロールとその気性の荒さが有名である。

 トレインと呼ばれるゴール前のスプリントで行われるチーム戦略なしでも勝てる稀有けうなスプリンターで、他チームのトレインにくっついて行き、最後に差すところなどは「ただ乗りマキュアン」と称された。

 

 気勢の荒さからゴール前スプリントでは横に陣取る選手によく「頭突き」を失格となることも多かった。

 スピードはあるが反面登りが続く山岳ステージは苦手としており、タイムアウトにならない程度に最後尾をゆっくり走る集団「グルペット」を、その知名度からよく組織していた。

 

 グルペットを率いる様はTV解説者の栗村修氏の名づけた「マキュアン友の会」が日本の一部で有名で、マキュアンを「友の会会長」とする愛称が一部の世界では長らく定着していた。

 会長の愛称はなんとマキュアン本人も自称するほど有名であったという……とても愛すべき選手であった。

  謎の作者細川幽童著「ちょっと意味が分からない」より

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 友の会の地道な活動で薬局の客も増え、ほかの漢方薬なども少しずつ売上を伸ばしていった。

 だが、「吉田の神酒」の売上増にともなう五苓散の売上上昇が漢方薬としては異常に利益がでるため、

 薬局も正直いって五苓散だけでウハウハだったりする。


 生薬しょうやくの買い付けは米田殿がやってくれているが、なにやら薬局の売上げを見て、オジーズや山科卿も生薬の買い付けに参入しようとしている。

 米田殿は大丈夫かな? なんとなく乗っ取られそうで怖いのだけど。

 まあその時は米田殿を家臣に引っこ抜けばいいから、黙ってほっとこう。


 そして俺は新しい料理というか保存食の開発にも余念がないのである。それはこの先に来るであろう、新たな戦いを見越してのことである――


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 おまけ突発シリーズ その3

 謎の作家細川幽童著「どうでもよい戦国の知識」より

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「室町幕府の政所」

 政所のトップは「政所執事まんどころしつじ」であり「伊勢伊勢守家」が世襲する。

 いわば財務大臣みたいなものである。

 執事の下で働く役人を「寄人よりうど」という。

 祐筆方ゆうひつがた奉行人ぶぎょうにんと呼ばれる者たちである。

 その寄人の代表は「政所執事代まんどころしつじだい」と呼ばれ実務のトップいわば「政務次官せいむじかん」みたいなものである。

 祐筆方の斎藤氏や松田氏が交代で就任した。

 

 その政所執事代とは別に「政所代まんどころだい」というのもあってややこしいのだが、これは政所執事の私的秘書官と言ってもよいかもしれない。

 蜷川氏は伊勢宗家である伊勢守家と婚姻を通じ、その被官となっている。


              斎藤、松田

伊勢伊勢守  斎藤、松田  飯尾、諏訪、治部など

政所執事-+-政所執事代--寄人(祐筆方、奉行人)

【大臣】 |【政務次官】 【官僚】

     |

     | 蜷川親世

     +-政所代

      【大臣秘書官】


 祐筆方、奉行人は同じような名前がたくさん出てくるので、個人名を覚える必要はまったくない。

 作者は

 上のような苗字を見たら祐筆方なのねと思えばそれでよいのである。

 

 政所は織田信長の台頭によりその支配機構に組み込まれ役割を終える。

 政所が必要とされない時代となったのだ。

 政所執事代や祐筆方の中には織田家の家臣に組み込まれる者もおり、その名前は「山崎の戦い」で明智光秀方の武将として見える者もある。

 多くは討死した武将としてだが……

 

 ちなみに政所代の蜷川親世にながわちかよの4代前がアニメ一休さんに登場した蜷川新右ヱ門しんえもん親当ちかまさ)である。

 気軽に「シンエモンさん」と呼びたくなるが我慢しよう。

 蜷川氏は「永禄の変」のあと数奇な運命をたどるのだが、それはまた別の話である。

 さらにどうでもよいトリビアにK-1ファイターの「武蔵」が蜷川氏の子孫であるということがあったりするが、マジでどうでもよかったりする。

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