第十七話 織田信秀

 天文十六年(1547年)1月

 山城国 慈照寺



 困った時の親父コンビ頼みである。

 俺は将軍の側近である実父の三淵晴員みつぶちはるかずと義父の細川晴広に大慌てで相談した。

 相談の結果、もともとそれほど正式なものではなく略式で行う予定だったということであった。

 とにかく公方様の意向もあるので、俺の蕎麦とてんぷら、鰻重メインで行くことに決まった。


 大御所に公方様、それに大御所の側近の御部屋衆おへやしゅう申次衆もうしつぎしゅう、あとは近衛家と昵懇衆じっこんしゅうなど、参加人数分の料理を大慌てで用意する。

 おお、織田家の連中は何人ぐらい出席するのだ? わからんがとりあえず織田家の分で5人分も用意すればいいだろう。


 気合で頭の中のを割った俺は、人間を超える速度でに無断侵入し。

 そこに眠るお宝(食材です)をちょろまかすことに見事成功した。


 ウナギはどこかの伯父上が琵琶湖から仕入れた最高級のウナギをチョイス。

 蕎麦も今回はつなぎなしの十割蕎麦である。

 てんぷらは油を再利用することなく新品の油のみを贅沢に使い、そのタネも厳選した形の良い野菜だけを使った、現代の高級料亭並みの出来栄えである。


 酒は商売のパートナーである角倉吉田家を当然の如く裏切り、急遽きゅうきょ諸白もろはくの製法で造られた南都の僧坊酒そうぼうしゅを密かに手に入れ、それに活性炭濾過法かっせいたんろかほう火入ひいれの加工をぶち込んで生産した。

 戦国時代では現時点で最強と呼べる密造みつぞう酒を宴用うたげように持ち込んだ。


 デザートのホットケーキは作業場に饅頭屋宗二まんじゅうやそうじの留守を狙って当然の如く空き巣に入り、貴重な卵と牛の乳を無断で強奪し、小麦の粉も質の良いものだけを厳選して盗み出し、出来たばかりの貴重なメープルシロップを樽ごと持ち去って作り上げた。

 贅沢極まりない代物である。


 これらを準備期間わずか24時間という中で成し遂げた俺は、「燃え尽きたぜ……真っ黒になあ……」という心境であった。


 しかし、調理の最中に織田家について質問があるとか、これはどうすれば良い? とか聞きに来ながら、つまみ食いをしていくどこかのがクソ忙しい中でウザくてしょうがなかったが、俺からも提案などもしていたし、疲れた時に顔を見ると何故か元気になれたのでよしとした。


 ◆


 宴席の用意をなんとか終えた我々は、宴会を行う予定の部屋で待っていた。

 宴の用意がギリギリとなり、儀礼的な謁見の場には立ち会えなかったのである。


 その宴会場に将軍父子に近衛家の方々、申次衆、御供衆、昵懇衆などが入ってきた。

 そしてその後からなかなか覇気のある人物が入って来る。


 あれがくだんの『織田弾正忠だんじょうのちゅう信秀』であろう。(官位は備前びぜん守とも)


「それがしのような者にこのような席を設けて頂けますとは、恐悦至極に存知ぞんじたてまつります」


「弾正忠、ようやくお主も幕府へさんじたか。そなたの忠義は朝廷にあり幕府にはないものかと心配しておったわ」


「誠に申し訳なくそうろう。生来せいらい田舎者いなかものにて洛中の道が分からなく、御所ごしょ禁裏きんりを取り違えたやもしれませぬ」


 それは居並ぶ幕臣や公卿などに臆することなく堂々とした口調であった。

 どうでも良いけど、大御所と信秀のジャブの打ち合い怖いんですけど。


「ふん、まあよい。今宵こよいうたげで道を違えることもなくなろう。宴席えんせきじゃ、そうかしこまるな。無礼講ぶれいこうでよい。さあ弾正忠、まずは一献いっこん


 大御所様は随分と信秀のことを気にいっているようだ。

 ジャブの応酬をやめてくれた。

 多少は空気が軽くなる。


「かたじけなくぞんじます。では遠慮のう頂戴ちょうだいつかまつります」


 大御所自らが酒を注いだ杯を、親父の三淵晴員が手にとって、信秀へ手渡す。

 親父の胃が壊れないか少し心配になる。

 あんな空間、俺はいやだ。


「こ、これは……」


 酒を呑んだ信秀の動きが止まる。

 どうだ俺の作った密造酒の味は。

 この時代にそれより美味い酒はたぶん存在しないと思うぞ。


「さ、さすが大御所様の酒にござりまするな。誠に美味き酒に御座ります」


「そうじゃろう、そうじゃろう。幕府の酒は美味きものよ。その方も毎年味わいに来るがよいのだ」グビッ。

 続けて大御所様も酒を味わう。


「?!」大御所の顔が変わった。

 そりゃまあ先日献上した酒より美味いからな。

 ビックリもするだろう。

 何か大御所がこっちを見ているような気がするが、俺は忍法「気づいてないフリの術」をとなえたのである。


「ほれ弾正忠、料理の方も試すが良い。幕府の料理も悪くはないと感じるやもしれぬぞ」


「はは、それでは有りがたく――」


「な、なんと」×10人くらい


 宴の席から感嘆の声があがる。

 俺の鰻重や天ぷら蕎麦を食ったことがない連中が驚きの声を上げている。


「か、掃部頭かもんのかみィ! なんじゃこの料理は」


「は? 御所様にあらせられましては何か不都合がござりましたか?」


「違うわ! お主はこのぜんのものを食したことがあるのか?」


「は、先日の吉田社の祭りで少々……」


 だから嘘つくな親父、らい尽くしていただろーが。


「だから、こんなに美味いものがあるなら、早く教えろといつも――」


「御所様。宴席なればそれまでに」大御所の側近が慌ててストップを掛ける。


「ん、そうであったな。ゴホン。どうだ弾正忠。美味いであろう」


 見ると織田信秀は工事現場のおっさんの如く、膳を握り締め、まさにかっ込んでいる所であった。

 食ったことない連中は皆同じような感じである。


「んガッ、ング。これは失礼つかまつりました。さすがは大御所様が差配させた御膳であります。見事な味でございました」


 お前は魚介類が家族のホームアニメの主人公か。


「実はな弾正忠、その方を大した御仁ごじんだと高く買っている者がおってな。是非じっくり話をしたいと思いこの宴を用意させた」


「ほう、それがし如きを評価して頂ける方が幕府にもおりまするのか。それは光栄の極みに御座います」


「そこのものだ。この料理を手配したのもそやつだという」


 大御所が俺を指差してくる。

 さすがにこれでは忍法が使えない……マジでカンベンしてください。

 織田信秀が俺を睨んで来たがそれは一瞬のことで直ぐに表情を崩した。

 でもマジなは危険ですのでお止めください。(俺の胃の耐久力的に)


「細川与一郎藤孝と申します。此度こたびは、尾張から遙々はるばるお越しの弾正忠殿のために、腕の限りを尽くして宴の用意をさせて頂きました。喜んで頂ければ幸いであります」


「これはかたじけなく、織田弾正忠信秀に御座りまする。このような料理は生まれて初めて味わいましたわ。……まだお若いですがご立派であらせられる。」


「今年で14になりまする」


「ほう、わしのせがれと同い年でありますな。その歳でこのような宴の差配とは、我が倅にも見習わせたいところ」


「弾正忠殿の、たしか吉法師きっぽうし殿でありましたかな?」


 ちょっとまってー。何これ? 俺が信秀と会話を進めるパターンですか? 

 すいませーん、カンベンしてくださーい。


「我が倅をご存知でありましたか。あれは昨年元服し三郎信長さぶろうのぶながを名乗っておりまする」


「それがしも同じく昨年に元服致しました。三郎殿とは歳も同じ、なにかご縁を感じますな」


「それはそれは、倅には同じ年で立派な宴を差配する御仁がおりましたことを伝えさせて頂きましょう」


「宴のあとには手土産も御座いますれば、是非ごの三郎殿にもご賞味頂きたく願います」


 嫡男という言葉に信秀の眼光が鋭くなるが、忍法を駆使して知らないフリをする。


「ほほう、手土産まで。それはありがたき事でありますな」


 ◆


 リング中央でなぜか織田信秀と神経戦を戦うはめになった俺に救世主メシアが現れた。

 トップロープから初代タイガーマスクばりにをかますヤツが現れたのだ。

 そう、我があるじである。


「弾正忠、そなたの嫡男ちゃくなん三郎信長さぶろうのぶながとやら、まことに『』なのか?」


「はっ?」 


 いきなりの公方様の問いに返事にきゅうする信秀。

 ボディアタックが強烈過ぎたかもしれない。


吉法師きっぽうし様は『うつけ』などではありませぬ!」


 声を詰まらせた信秀に代わって抗議の声を上げたのは、後ろに控える家臣であった。


陪臣ばいしん風情ふぜいが公方様に対して無礼であろう!」


「このれ者めが」


「さすがは田舎侍。作法も分からぬでおじゃるか」


「黙れこわっぱ!」


 大御所の側近や昵懇衆じっこんしゅうなどから次々と非難の声があがり、場が騒然とする。


「控えよ政秀まさひで! 公方様にあらせられるぞ」


 信秀が、声をあげた家臣をしかりつける。

 あれが平手政秀ひらてまさひでなのかな? たしかに苦労しそうな顔をしている。


「その者は弾正忠殿の家臣か? 宴席じゃ、構わぬ直答じきとうを許すぞ」


「皆の者静まるがよい。宴席じゃ大樹だいじゅもかまわぬと申しておるではないか」大御所も場を鎮める。


「公方様がおおせだ申し上げよ」大御所と公方様の言葉を受けて親父の三淵晴員が発言を促す。


「政秀、公方様に非礼を詫びるのだ」


「はっ。く、公方様、た、大変申し訳ございませんでした」


「よい、許す。それで三郎殿はどのような御仁ごじんじゃ?」


「はっ、尾張では三郎様のことを『うつけ』と称する者もおりまする。たしかに遠乗りや狩りなど少々活発なところもございますが、民や女子おなごには心厚く接し、町衆にも気安くお声をかけ、この爺の体調なども気遣ってくれるなど、大変やさしき心をお持ちでございます。決して世評せひょうのような『うつけ』ではございませぬ」


「……そうか。三郎殿はそなたに好かれておるのだな。弾正忠は良い家臣をお持ちのようじゃ」


「はっ、ありがたきお言葉いたみ入りまする。しかし、京の都にまで我がせがれの『うつけ』の噂が届いているとは思いもいたさぬこと」


「ああ、それか。そこの与一郎が教えてくれたのじゃ。その者はやたら尾張のことにも詳しくてな。そのものがお主や三郎殿のことを楽しく話してくれるのでな。わしは今日、そなたらにうことを楽しみにしておったのじゃ」


「はてさて、どの様なお話でありましたのやら」微笑んだ顔して俺を睨むな信秀。怖いってば。


「弾正忠、そなたは信心深しんじんぶかき男とも聞いたぞ。伊勢の神宮の式年遷宮しきねんせんぐうの費用を出したとも聞く、それにこたびの上洛では建仁寺けんにんじ摩利支天堂まりしてんどうの再建費用まで出したとか。そなたの行いにはわしも感心しておるのだ」


「こ、これは、お褒めを頂き恐悦至極にございます。しかし建仁寺の件は先日のこと、よくぞそのようなことまでご存知で、いえお耳汚みみよごしで申し訳なく」


「ああ、建仁寺の件も与一郎から聞いたのじゃ」


「ほほう。しかし与一郎殿は本当にいろいろとよくご存知でありますなぁ」


 だから、睨むなよ信秀。建仁寺の摩利支天堂の件は饅頭屋宗二まんじゅうやそうじからの情報だ。

 宗二の林家は代々建仁寺に一族を入寺にゅうじさせており、建仁寺の住持じゅうじ(住職)を何人も出すほど、建仁寺とは付き合いが深いのだ。

 まあ「細川」も建仁寺とは縁が深いけどな。


「弾正忠、大樹もそなたのには興味を持った様子じゃ。次の上洛のおりには、その者も連れてまいれよ」


「はっ。仰せのとおりに」


「実は大樹から推薦があり、わしも与えてもよいと思ったのじゃが、そなたに毛氈鞍覆もうせんくらおおいに赤傘袋あかかさぶくろの使用の許可を与えることが議題になったのじゃ……だがな弾正忠。そなたの幕府に対する働きが足りぬと反対意見が多くてな。今回は見送りとなった」


「はっ」


「これから織田弾正忠家が幕府に忠義厚きことを示せば、次の上洛の折にはその許可が出せよう。それとな朝廷をうやまう気持ちは確かに大事であるが、武家としては幕府をこそ大事とせよ。今後は幕府のほうに官途推挙かんとすいきょをしかと求めるようにな」


 織田信秀は朝廷に多額の献金を行い官途を受けていたりする。

 幕府を無視して朝廷と繋がりを持とうとする信秀を、大御所は苦々しく思っていたという説もあったりする。


「はっ。申し訳ございませぬ」


「弾正忠、今宵こよいは楽しかったぞ。これからはしかと幕府のために励めよ」


「弾正忠、わしも今後のお主の忠勤に期待しておるぞ」


「はは〜」


「織田弾正忠信秀、この度の上洛まこと殊勝しゅしょうなり――」


 こうして、ともかく織田信秀の上洛を祝う? 宴は終わりをつげた。

 ようやく俺の修羅場が終わったのである。

 と、思ったら修羅場は違うところにあったりしたが……


 ◆


 暗がりの中を慈照寺から宿舎にあてた建仁寺へ帰路きろをとる主従があった。


「政秀よ、此度こたびの公方様への挨拶はなかなか難儀であったな」


「申し訳ございませぬ。私の不調法にていらぬ恥をかかせてしまい。これはにてお詫びをするほか――」


「別に気にしてはおらぬ。おぬしは昔から何かあるととうるさいのう……、三郎などがどうするのじゃ」


「申し訳ありませぬ気をつけます」


「三郎といえば、これはあやつをにせねばならぬのう」


「はい。公方様よりも三郎様への太刀たち下賜かしされました。これは公認されたも同義かと。大和守やまとのかみや我が家中かちゅうの者も文句はいい出せますまい」


「そうだの」


「……殿の望むとおりになりましたな」


「ふん。別にわしは三郎を嫡男にすると決めていたわけではないわ」


「はて、そうでありましたかな?」


「しかし、これはあの細川与一郎とやらのせいじゃ」


「誠にありがたき仕儀しぎにて」


「有り難くなんぞないわ! いまいましい。あのような若造にまんまと」


「してやられましたかな? 私には殿が上手く話しに乗られたように感じましたが」


「ふん」


「今後は細川与一郎藤孝殿が我が家の申次もうしつぎとのことであります」


「そうであったな。政秀はこの書状しょじょうをどう見る」


 信秀が手には細川藤孝からの書状がある。

 それをヒラヒラと振りながら平手政秀に見せる。


「細川殿から津島の平野大炊頭おおいのかみ宛ての書状でしたな。なにやら縁戚えんせきであるとか」


「そのようだな」


「平野家は津島十五家の一つでありますが、現在当家と争っているわけではありません」


「今のところ平野家と問題はないな」


「この書状を我らに託した意味は、まずは敵意がないこと。それと内々のことは平野家を通せということでしょうな」


「わしもそう見る」


「平野家を取次に取り立てる必要がありますかな」


「そうだな、お主に任せる。しかしあの若造が小癪こしゃくなことをする」


「ですが、若いからこそ長くお付き合いすることも可能ではありませんかな。公方様もお若く、その側近の細川様もお若い。三郎様とも末長くよしみを通ずることも可能かと」


「細川与一郎藤孝とは何者ぞ?」


「申し訳ありませぬ。詳しくは情報がなく、淡路細川家の嫡子にて、先日、あの歳で御部屋衆おへやしゅう抜擢ばってきされたとしか」


「あやつ建仁寺の件も知っておったのう」


「お若いのになかなか情報通のようですな。ですが我が家に対する敵意は特には感じられませんでしたな」


「申次として我が家が栄えれば、かの者にも利益とはなるからな」


「はい。あとは毛氈鞍覆もうせんくらおおいに赤傘袋あかかさぶくろの使用の許可への言及げんきゅうでありますな」


「家格の上昇は我が弾正忠家だんじょうのちゅうけの悲願である。これまでは朝廷や伊勢の神宮に多額の献金を行なってそれを目指しておったが、今後は幕府重視の姿勢も必要であるな」


「はい。我が弾正忠家を守護代と同格とみなすと幕府が認めることにでもなれば、三郎様のご時世じせいにおいては尾張を手にすることもできるやもしれませぬ」


「わしの代ではそれは叶わぬと申すのか?」


「お急ぎ過ぎるは、敵を多く作りますれば」


「ふん。分かっておるわ」


「しかし此度こたびの上洛、土産話が多くなりましたな」


「土産もな」


「公方様から下賜かしされた太刀たちもありまするが、酒にもみじ饅頭とやらもありましたな。三郎様は甘いものがお好きなのでもみじ饅頭とやらはお喜びになるのではありませんかな」


「まだまだ子供であるわ」


「たしかに――」


 そしてこの尾張の主従が国許くにもとに帰ったその日、尾張のとある那古野なごや城という城において、まだ若い血気盛んな武将の絶叫が響き渡ったという。


!」


 その若い武将が歴史に登場するのは、まだのことである。

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