第十三話 御部屋衆
天文十五年(1546年)12月
山城国 東山 慈照寺
もみじ饅頭の原料となるメープルシロップの安定的な作成のためには大量の『カエデ』の樹液が必要になってくる。
京周辺の山という山からカエデの樹液を採取したいのだが、戦国時代とはいえやはり地権者の了解が必要になってくる。
勝手に山になぞ入ったら農民も僧兵も武装して襲ってくるだろう。
なんといってもここは話し合いの通じないデンジャラスでエキサイティングな戦国時代なのだがら。
多くの地権者に個別に会い、了解を得ていきたいところではあるのだが、あいにく時間的な余裕がない。
そのため俺は幕府に対して入山の一括許可出して貰おうと考えたわけだ。
洛中における『もみじ饅頭』の独占販売権と入山許可のため、俺は室町幕府における最も公的な文書である幕府の「
公方様に取り次いで貰い、大御所様に話を通して貰った。
幕府の実権はまだ年若い公方様ではなく大御所様とその側近達にあるのだ。俺は公方様と大御所様に招かれて慈照寺の
常御所は大御所一家の居住と政務にもあてられている。
「細川
「
「大御所様が
「久しいな与一郎。おぬしの
大御所様に献上したもみじ饅頭は食べて貰えたようだ。
「与一郎お答え申し上げよ」再び実父に促されたので回答する。
「はっ、それなるもみじ饅頭はそれがしが公案し、
「製法は秘密であるが、何やら
「はい……いえ、公方様には製法は伝えさせて頂いております。大御所様にあらせられましても恐縮ではありますが、お人払いをして頂ければ製法をお教え致します」
「何を生意気な!」
「人払いを求めるとは不届きなことを考えているのではないか?」
「この
「黙れこわっぱ!」
うん、大御所様の側近から罵声をあびせ掛けられるぞ。
まあ若造がと思われてもしょうがない。
「無用じゃ。製法などわしが知ってもどうしようもないのでな。皆も静まれ、……それで便宜を図るとはどういうことだ? 便宜を図ることによってどうなるのか説明はあるのであろうな」
「はっ。このもみじ饅頭は非常に甘くできておりますが、実は砂糖を使用しておりません。もちろん砂糖を使ってもつくれるのですが、砂糖は高価なため饅頭の大量生産ができません」
「砂糖を使っていないとは聞いていたが、本当に砂糖を使わずにこれを作ることができるのか?」
「はい。ある材料を使えば可能であります。このもみじ饅頭の製法に使用するのは、とりあえず
「ある場所とはここでは言えぬのだな」
「はい。恐れ多きことなれど。公方様にはお伝えしておりますれば後ほどお聞きくださって頂きたく存じます。この糖液作成の技法の秘匿については、幕府のひいては公方様の利益になるものにございます」
「幕府の利益とは?」
「はっ。大御所様におかれましては、糖液の原料採取のお
本当は幕府の利益というより俺が儲けたいためだがな。
「これは既存の幕府財源とは違うものであり、あらたな財源を公方様にもたらすことが可能とあいなりましょう。決して悪い話にはならないかと存じます」
簡単に言えば便宜を図ってくれればみかじめ料を払いますよということだが、さて認めてくれるだろうか。
「大樹は
大御所に呼び掛けられた
「国内で砂糖の代わりとなるものがあるのであれば、わしとしてはそれを厚く保護したく考えている。このもみじ饅頭なるもの、確かに美味いものであるが幕府においても
公方様はもともと賛成というか、もみじ饅頭作りに便宜を図るために大御所様に話を持って行っているわけなので、ぶっちゃけ根回し済みの茶番である。
「大樹が賛成であるのであれば
祖父の細川高久が御部屋衆であり
実父の晴員の
まあ幕府の職制もいい加減になって来る時期ではあったと思うが……
「どうした? 不服でもあるのか?」いかん考え込んでしまった。
「いえ、
「うむ。では大樹と図り事を進めよ。それと儂の所にも必ず饅頭を持ってこさせるようにな。確かに美味であり、御台も喜ぶであろうからな。はっはっは」
「ははっ、しかと承りましてございます」
こうして俺は御部屋衆を勤めることにあいなった。
◆
大御所の謁見が終わり
新二郎がスクワットしながら
「新二郎。公方様はお戻りか?」
「これは
俺は上級武家であり公方様の
新二郎は幕府の直臣ではなく、公方様の母親の家である近衛家の家士の扱いであり、下級武士である
二人の身分差は広がってしまったのだ。
「うるさいなあ新二郎。そんなこと言うともう何も食わせてやらないぞ。それにこの前もみじ
新二郎とは
「それは困るだろ。仕方がない、はなはだ無礼ではあるがタメ口は続けさせてもらうだろ」
二人でニヤっと笑い合い、拳をぶつけ合う。
新二郎とはこれからも心の友であり続けたいものだ。
「公方様、失礼いたします」
「与一郎か? 入るがよい」
許しを得て室内に入ると公方様は一人であった。
いつも一人だけど人払いしているのだろうか? 史実と違って女の子だしな。
友達がいないとか言ったら
(作者にもダメージが来るから絶対言うなよ)
「少し驚きました。私を御部屋衆にお取り立て下さったのは公方様のご意向でありますか?」
「公方はよせ。今は二人であるぞ。それにわしの意向ではない。父上のお考えである。もちろんわしにも異存はないがな。藤孝が側近になれば堂々とお主が作る美味いものが食べられるからな」
「メープルシロップの生産が
「うむ、期待しておるぞ」
「冗談はさておき。今回の件、すんなり決まりましたことには驚いております」
「冗談ではないのだが……」
「拗ねないで下さい。今度パンケーキでも作りますから」
「ぱんけーきとは何だ? それも美味いものなのか?」
「とても甘くて美味しいですよ。期待して待っていて下さい」
後年、細川藤孝は公方様を「
「おおそれは楽しみだな。ゴホン……。まあ
砂糖が
「あえて言います。死ぬほど儲けてみせますよ」
「期待している。で、
「原料の採取のためにか各地の山へ入る必要があります。
山にも
村同士での森林資源の奪い合いによる抗争などしょっちゅうだ。
山が寺社の領地であったりする場合には神域を荒らすなと文句を言われる場合もある。
大きな寺の僧兵などはへたな国人より強かったりするから始末に終えない。
「鴨川の水にサイコロの目、それに山法師」というやつである。
「それで
「左様です」
「藤孝の言うとおり
奉行人奉書は幕府の「公文書」である。
領地の争いや権益の保証を求めて幕府に訴え、幕府の主に
(この時代
裁判の結果のいわゆる証書となるものであり、土地の権利書や代官の任命書、商売の免許、水利権、通行許可書、免税許可書などなど、ありとあらゆるものの権利が確定されるのが奉行人奉書である。
江戸時代における
まあ言ってみれば室町幕府最大のお仕事だと言ってもよいかもしれない。(あくまで個人の意見です)
「まずは御料所や幕府に関係する国人、寺社などの所領内の山地などへの出入りの自由と関所の通行の自由があれば助かります」
「奉行衆には伝えおくが、具体的なことについては藤孝から説明してくれ。それと奉行衆にはそなたの養父である
「大御所様が義父上にと」
「うむ。晴広殿は
「分かりました。奉行衆との調整は義父と相談してみます」
奉行衆とは祐筆方とも言われ、幕府の行政を支える「ザ・官僚」である。
同じ国家公務員ではあるが自衛隊や地方公務員の警察官のような「ザ・武力」である奉公衆とはまた性格の違ったものになる。
非常に名前が似ているので正直めんどうくさい。
義父との相談のため話を切り上げ立ち上がった俺に、食いしん坊将軍が声をかけた。
「ぱんけーきとやらも早く頼むぞ」どうやら厳命のようである――
◆
「宗二殿。樹液の採取はどうでしたか? 上手く行っておりますか?」
「これは与一郎様。おかげ様で順調ですよ」
俺達は幕府の御料所や京都
そのため領主や代官、坊官への入山の交渉はとてもスムーズに行っている。
住民達に対しては木を
少量の
領主や代官には焚き木代として
採取した樹液は煮詰める前では少し甘い水と言えなくもない。
桶や壷に
各所の関は幕府発行の手形で
今年は
来年にはもう少し広範囲で行いたいし、その必要が出て来るであろう。
真冬に山に入りたがる者はそうは居ないし、木を切り倒すわけでもない。
木の幹に穴は開けるが穴の埋め戻しも行うので、そこまで木に負担をかけるわけでもない。
山の所有者やそこで暮らす住民ともそこまで揉めることもなくスムーズに事を運べている。
饅頭屋宗二もそうだが、相変わらず清原業賢伯父と吉田兼右叔父もコネを使いまくって、領主や坊さん、神職などに根回しをするので、幕府奉行人奉書と相まって事がうまく運べている。
普段は
情報の秘匿に関しては作業の難解さから数年は大丈夫であろう。
シロップが取れるのは山の数ある木の中で『イタヤカエデ』や『ウリバタカエデ』、『オオモミジ』など『カエデ』の一部である。
その木の幹に穴開けて、中の
樹液がよく取れる期間は旧暦の1月から2月、長くて3月の頭までの間だけである。
1年の内で最も寒い時期の2ヶ月ていどの間にしか出来ない作業である。
取れた樹液を煮詰めて樹液の状態によって80分の1から40分の1に濃縮することによってようやく十分な甘さのメープルシロップになる。
このような訳のわからない作業がそう簡単にばれるとは思えない。
一目見て分かる人間がいたら、そいつは
この1500年代においてメープルシロップ採取の作業を理解しているのは、今の北米カナダの地域に住むネイティブアメリカン(北米先住民)くらいであろう。
カナダにはまだ西欧人の
この先10年ぐらいはまあバレずにメープルシロップを独占できるのではないかと考えている。
採取した樹液は饅頭屋宗二と謎の宮大工集団が建てた吉田山の作業場に集める。
作業場で十分な甘さになるまで煮詰めていくのだが、その際の燃料は樹液と一緒にカモフラージュで集めた焚き木を使うので効率も良い。
饅頭屋宗二の指揮のもと煮詰めの作業が進んでいる。
作業場には甘い香りが漂って来ている。
「どうでしょう与一郎様」
宗二殿が量産品のメープルシロップを俺に渡して来る。
宗二殿は俺が御部屋衆になってからは様付けで呼ぶようになった。
少し寂しい。
「いいんじゃないでしょうか。良い甘さですよ」
戦国時代の日本においてメープルシロップの商品化に成功した瞬間である。
「さあ、もみじ饅頭もどんどん焼いていきましょう」
饅頭屋宗二殿のやる気が溢れ返っている。
大丈夫だ問題ない。もみじ饅頭は間違いなく売れるだろう。
問題はいつも売れ過ぎることなんだ……
◆
饅頭屋宗二は林家伝来の
なかなか思い切った男である。
そして饅頭屋宗二が全力ぅ! 全力ぅ! を掛けて奮闘したもみじ饅頭の売れ行きだが――
――売れに売れまくった。そりゃそーだ♪ (バカ殿風に)
砂糖不使用とはいえしっかり甘く、現代のもみじ饅頭に相当するものが戦国時代に現れて、しかも高価な輸入品の砂糖を使わないため比較的
売れないわけがない。
売れなかったら広島県民にしばき倒される。
俺は売上の幾割かを頂く約束なのだが、爆発的に売れたため饅頭でもかなりの金額得ることができた。
しかも定期的入って来る収入だ。
そして何よりも、今回のメープルシロップは俺に修羅場が来な〜い♪ (これかなり大事)思い切って、材料調達から製造販売までのすべてを饅頭屋宗二に委託してよかった。
まあ問題は饅頭屋宗二が俺を裏切ったらどうする? なのだが、まあ大丈夫だろう。
俺は幕府の御部屋衆であり公方様の側近でもある。
それに饅頭屋宗二の文化面での師匠である吉田家、清原家の縁者でもあるため宗二が裏切る可能性は今のところ低いだろう。
まあ、饅頭屋宗二としてもメープルシロップ・もみじ饅頭の製造・販売を独占できているわけで、俺を裏切ったら俺がメープルシロップの製法を他家に教えて協力相手を切り替えてしまうことも分かっているだろう。
逆に俺からすれば饅頭屋宗二でなければならない理由はないのである。
饅頭製造の基本的な技術を持ち、清原家、吉田家に縁があるから選んだ。
ただそれだけである。
饅頭屋宗二はそれが分からないほど愚かではないだろう。
問題は製法の秘匿だが、まあ10年もすればメープルシロップの製法も漏れてしまうかもしれないが、その時はアレだ。
こっちはそれまでに砂糖を国産化してしまえばよいのだ。
商いとは、いつも二手三手先を考えて商うものだ。
と偉い人もいっているしな。
……うん、今回は何も問題(修羅場)がないな。なぜか少し残念がる俺であった。
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