第十二話 饅頭屋宗二

 天文十五年(1546年)12月

 山城国 吉田山-建仁寺



 唐突とうとつだが甘い物が食いたい。

 俺は甘い物が食いたいのだ。

 戦国時代には甘い物が少ないのだ。

 だからどうしても食いたいのだ。

 でもろくな物が無いから、しょうがないので自分で作ることにした。


 戦国時代の甘い物としては『まくわ瓜』、『干し柿』、『水飴』などがある。


 その『まくわ瓜』には室町幕府の歴史に関わるこんなエピソードがある。

 細川晴元と争った前管領の細川高国たかくに三好長慶みよしながよしの父の三好元長もとなが大物崩だいもつくずれの戦いで敗れた。

 その戦いのあと細川高国が捕らえられる際にこの『まくわ瓜』が出てくるのである。

 戦いに敗れた細川高国は尼崎あまがさきの町に逃げ込んで隠れていた。

 細川高国を探していた三好軍の武将が尼崎の子供達に「細川高国の隠れている所を教えてくれたらこの甘い瓜を全部あげよう」と言って、子供達に高国を探させ見事に細川高国を捕縛ほばくしたという話があったりする。


『まくわ瓜』は甘い物が少なかった戦国時代において、子供達に大変好かれた貴重なデザートであった。

 現代でも良く食べられていたマスクメロンの近縁種きんえんしゅ中近東ちゅうきんとうあたりが原産地になる。

 日本には縄文時代に渡来して昔から親しまれている味だそうな。

 そんな『まくわ瓜』だが俺はぶっちゃけ嫌いだ。

 元々メロンが好きではないのだ。

 あのグジュグジュ感がダメなんです。(あくまで個人の感想です)


『干し柿』と言えば石田光成であろう。

 関ヶ原の戦いで敗れた光成が京において市中引き回しにされた際、喉が渇いたので水が飲みたいと言ったら、水がなかったので干柿を差出された。

 三成は「干し柿は痰の毒ゆえ食べない」と言ったそうだ。

 まあそれはどうでもいいのだが、水が飲みたいという人間に干し柿を渡すことが俺にはさっぱり理解できない。

 余計に喉が渇くだろうが。

 干し柿は嫌いではないのだが、他の使い道を考えているので却下である。


『水飴』は江戸時代以降に和菓子にもよく使われる甘味料であるが、戦国時代では生産量が少なく、増産の方法が思いつかなかったのでこれまた却下である。


 だが俺は『がっつり』甘い物が食べたいんだ。


 というわけで作ってみたのが。

 『お饅頭まんじゅう』です。

 しかも砂糖不使用なのにしっかり甘い。

 試作品なので数が少ないのが残念ではある。

 戦国時代は砂糖がめちゃくちゃ貴重なのだ。

 なにせ日本では作れないんだから。

 自給率は脅威の0パーセントで輸入100パーセントだ。


 砂糖の原料といえば現代では『サトウキビ』と『テンサイ』が知られる。

 『サトウキビ』が日本というか琉球りゅうきゅう(沖縄)や奄美諸島あまみしょとうで栽培されるようになったのは江戸時代の初期であり、戦国時代では残念ながらまだ栽培は行われていない。


 初めて砂糖大根といわれる『テンサイ』から砂糖が作られるのは世界的に見ても1700年代になる。

 日本においての『テンサイ』の栽培などは1800年代の末期だ。

 はるか彼方かなたの未来の話である。


 そう戦国時代の日本では砂糖は輸入するしかない大変貴重なものであるのだ。

 しかも元々は甘味料かんみりょうというよりは薬として輸入していた有様だ。

 砂糖をふんだんに使った甘い物など、戦国時代においては贅沢極まりない。

 贅沢は敵だ。鬼畜米英きちくべいえいだ。(関係ありません)


 だが俺は甘い物がどうしても食べたいのだ。

 なにより義藤さまに食べさせたいのだ。

 だから砂糖以外の物で甘い物を作った。何から作ったかというと……


 ――『』だ。


 カナダの国旗をご存知だろうか? 赤と白の二色で真ん中にカエデの葉っぱのマークのあれだ。

 ラッパのマークではない。

 あの葉っぱは『メープルリーフ』、日本語では『サトウカエデ』という。

 そう「砂糖楓さとうかえで」なのだ。メープルシロップは知っているだろう? 一番分かりやすく言えばホットケーキにかけるあの茶色い甘い液体のことだ。


 現代で日本に出回るメープルシロップのほとんどは、カナダほか外国からの輸入である。

 だが実は日本でも一応作られていたりする。

 埼玉県の秩父ちちぶなどで国産のメープルシロップ作りがこころみられているのだ。

 だがメープルシロップの原料であるサトウカエデの木は日本には自生していない。

 日本でのメープルシロップ作りは『サトウカエデ』ではなく『イタヤカエデ』や『ウリバタカエデ』、『オオモミジ』などを原料とする。


 国産メープルシロップ作りの問題点は日本のカエデはカナダのサトウカエデの糖度の半分程度しかないことだ。

 メープルシロップはサトウカエデの樹液を採取して煮詰めて作るのだが、日本のカエデの樹液じゅえきは糖度が低いため、同じ甘さのメープルシロップを作るためにはサトウカエデの単純に2倍くらいの樹液の量が必要になってしまう。

 そのため秩父などで販売している国産メープルシロップは高価になり、現代では商業ベースに乗せるのは厳しい状況だ。

 だから秩父ではお土産品として売っている。(現代日本は人件費も高いしね)


 だが待って欲しい。

 それは現代日本の話であり、この戦国時代においては話が変わって来るのではないだろうか? さきほども言ったが砂糖は100%輸入品であり非常に高価なものとなっている。

 戦国時代の砂糖は主に中国南部で作られる砂糖を輸入しているのだが、倭寇わこう南蛮人なんばんじんとの貿易に頼っている状況だ。


 砂糖以外の甘味料などは水飴以外この時代には輸入どころかろくに生産も始まっていない。

 現代では国産メープルシロップは高価になってしまい市場競争力がないのだが、戦国時代において国産メープルシロップを作ることができれば原価げんか的に十分に通用するはずなのである。


 メープルシロップ作りのための樹液の採取は2月から3月にかけて行われる。戦国時代における旧暦きゅうれきでは1月から2月が最盛期にあたる。

 今は12月の末なのでまだ少し早いのだが、少量ではあるがイタヤカエデなどの樹液が採取できた。

 この採取したカエデの樹液を煮詰めて作るのだが、量は採取した樹液の大体50分の1くらいになってしまう。

 まだ試作品なので少量でもしょうがない。

 試作品のメープルシロップを餡子あんこからめる。ちょっと味見。うん甘いね。


 あとはこれをとある人物に見せて交渉することになる。

 とある人物とは、日本の饅頭(まんじゅう)の元祖の一つを商う林家の当主『林安盛はやしやすもり』、別名『饅頭屋宗二まんじゅうやそうじ』その人だ。


 ◆


 現代でも売られる『ほせ饅頭まんじゅう』が日本の饅頭のルーツの一つであると言われている。

 1350年代の中国元朝の時代に寧派ねいはの人『林浄因りんじょういん』が、京都の建仁寺けんにんじ知足院ちそくいん(今の両足院りょうそくいん)の住持じゅうじ竜山徳見りゅうさんとくけん』のみん(中国)留学の帰国に伴い日本に渡来した。


 林浄因は中国の饅頭まんとう(中国風蒸しパン)の中身を肉から小豆あずきの餡子に改良するなどして、日本人好みに改良した「まんじゅう」を作り奈良で売り出したという。


 ちなみに饅頭の語源は三国志の軍師で有名な諸葛孔明しょかつこうめいだったりする。

 川の氾濫はんらんに対して、それを鎮めるために人の頭を生贄いけにえにする風習があったというのだが、それを改めさせるため、孔明は小麦粉の皮に豚などの肉を詰めて人の頭の変わりにしたといわれる。(まあ伝説である)


 浄因はその後帰国したというが、子孫は日本に残り京と奈良に別れて饅頭屋をいとなんだ。さらに京の林家は北家と南家に別れ、京の北家が現代にまで林家の饅頭を「志ほせ饅頭」として伝える600年以上の伝統を持つ塩瀬総本家しおせそうほんけとなる。


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 塩瀬総本家 1349年創業

 東京都中央区明石町に本店がある日本の饅頭の発祥といえる老舗店。

 林家はのちに塩瀬を名のったので、「志ほせ饅頭」という商品名で販売。

 志ほせ饅頭はナガイモを材料とする薯蕷(じょうよ)饅頭である。

 織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康も食べたといわれる味を楽しんで欲しい。

  謎の作家細川幽童著「そうだ美味いものを食べよう!」より

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 饅頭屋宗二は京の南家の当主である。

 その饅頭屋宗二は和歌や漢学でも有名な人で饅頭屋本まんじゅうやほんといわれる漢学の本なども刊行している文化人であったりする。

 だが、実は清原宣賢爺さんや吉田兼右叔父さんの弟子だったりする。

 相変わらずこいつら(祖父と叔父です)の人脈がハンパねえ。


 年末にむけて節分祭の準備で忙しい中ではあったが、兼右叔父さんに饅頭屋宗二殿を紹介して貰い、建仁寺でお会いすることになった。

 お会いして挨拶もそこそこに、さっそくではあるがメープルシロップで作った餡子を味見して貰った。


「あ、甘いではないかー」……いや兼右叔父の感想はいらんのです。


 饅頭屋宗二殿の方はどうだろう?


「先生に砂糖を使わない甘い餡子と聞いておりますが、与一郎殿! 本当にこれは砂糖を使っていないのでありますか?」


「はい。砂糖ではなくコレを使っております」言いながらメープルシロップの入った小皿を見せる。「舐めてみて下さい」


「やはり甘いではないかー」……だから兼右叔父はいいから。


「な、なんなんですかこの甘い液体は?」宗二殿は驚きの声をあげた。


「今のところ製法は秘密ですが、これは砂糖ではありません。メープルシロップといいます。これは砂糖と違って日本国内で作ることができるのです。それとこちらも食べて頂けますでしょうか?」


「これは?」


「私が試作した饅頭です」カエデの形をした焼き饅頭を見せる。

 というかぶっちゃけ『もみじ饅頭』のパクリというか形はズバリそのものである。


「甘くて美味しいではないかー!」……兼右伯父の感想は相変わらずである。


「な、なんとも……。甘い甘すぎる。これが本当に砂糖を使わずに作れるのですか?」


「はい。この饅頭は『もみじ饅頭』と名付けましたが(パクリです)、この饅頭を一緒に作って売ってくれる方を探しておりました。メープルシロップの価値が分かる方を兼右叔父が知っていらっしゃったので助かりました」


「私にこれの価値が分かると?」


「はい。私は商人ではなく室町殿に仕える奉公衆です。これで商売をするには協力してくれる方が必要なのです。これの価値が分かる人でないと協力をお願いできません」


「めーぷるしろっぷと申されましたか? これの製法は秘密とおっしゃいましたが」


「協力して頂けるなら原料やその製造方法などをお教えいたします。私一人で作って商売してもたかが知れております。できれば数多く生産して皆にたくさん味わって欲しいのです」というか俺一人でやるとか無理っす。それに儲けはでかいほうがよいのだわ。


「分かりました。この林宗二を信用して頂けるということですね」


「はい、私にとっては宗二殿は兄弟子にあたる方。是非一緒に協力して商売をお願いしたいと思っております」


「我が吉田家にも手伝わせるのだー」断っても兼右叔父はねじり込んできそうで怖いよなあ。

 まあ清原業賢伯父もだけど……


 ◆


 12月中に本格的な樹液採取じゅえきさいしゅのための準備をおこなう。

 イタヤカエデ、ウリハダカエデ、オオモミジなどの樹齢じゅれいが20年以上で幹周みきまわり25センチ以上(感覚です)のものを選定する。

 選定したカエデには我々しかわからないマークをつけてまわる。


 饅頭屋宗二まんじゅうやそうじの林南家と吉田家、清原家の協力を得て、各家の領内や協力してくれる近隣領主、寺社などの領内のカエデを選定してまわった。

 本格的な採取は1月下旬から2月上旬が最盛期だ。

 そこに向けて大慌てで準備をする。

 まだ樹液の量は多くはとれないが試作用に樹液が取れる木からは取っていく。


 もみじ饅頭型の焼き型も吉田家の伝手つてがある鋳物いもの職人に頼んでしっかりとしたものを作成した。

 小麦と混ぜる卵も鶏を集めて一定量を確保した。

 卵が食されるようなったのは江戸時代以降と言われるが、それは大っぴらに食べられるようになったのが江戸時代なだけであり、実はそれ以前も隠れて普通に食されていたりする。

(江戸時代には無精卵だからOKみたいになって広まったらしい)


 メープルシロップを煮詰める作業ともみじ饅頭作りは秘密厳守のため、ここ吉田山の謎の宮大工集団が建てた作業場ですることになった。

 もうめっちゃ甘い匂いがただよっている。


「出来上がりましたね」饅頭屋宗二殿が喜びの声をあげる。


「ええ、試作量産化第一号です。さあ味見をしましょう」俺も笑顔を皆に返した。


「美味しいではないかー」兼右叔父は相変わらずである。


 満足できる出来栄えである。

 これなら売れると饅頭屋宗二殿も太鼓判たいこばんを押してくれる。

 問題はメープルシロップの確保である。

 メープルシロップは冬にしか取れない。

 年間を通じてもみじ饅頭を作るには、この冬にできるだけ大量にメープルシロップを確保する必要がある。

 しかしもう時間がない。

 関係者以外の領地にもカエデの樹液の採取を広げていきたい。

 だがそれには政治力がいる。


「宗二殿。公方様にこの試作もみじ饅頭を献上けんじょうしてまいります」


「与一郎殿お願いいたします。公方様には是非宜しくお伝えください。人出の確保はお任せ下さい」


「公方様にお墨付きを頂いて参りますよ」


 そう、メープルシロップの確保のために俺は幕府を利用することにしたのだ。

 さて、食いしん坊将軍にもみじ饅頭を献上しに行こう。

 きっと喜んでくれるに違いない。


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 もみじ饅頭 

 小麦を原料とした焼きまんじゅうであり広島県の宮島みやじまの名産品である。

 もみじ饅頭は明治時代の後期に宮島の和菓子職人「高津常助たかつじようすけ」によって考案されたとされる。

 厳島いつくしま神社の表参道商店街では焼きたてのもみじ饅頭を食べることができるが、焼きたての美味さは全然違うので是非現地で味わって欲しい。

 ちなみ私のおすすめはチーズ味だ。

 謎の作家細川幽童著「そうだ美味いものを食べよう!」より

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 ◆


 東求堂とうぐどうに公方様をたずねる。

 先日公方様は元服式を終えられ坂本から帰ったばかりだ。

 俺は元服式後早々に東山に戻っていたが、公方様は六角定頼ろっかくさだよりていへの御成おなりだとかの各種(無駄な)行事をこなして慈照寺じしょうじに戻ったばかりだった。


 ちなみに俺もクソ忙しい。

 蕎麦屋と鰻重屋の監督をしつつ、清酒造りも行い、義藤さまの元服・将軍宣下しょうぐんせんげにもついて行き、メープルシロップともみじ饅頭の準備もしている。

 もうわけが分からない忙しさだ。

 正直コピーロボットが欲しい。


「元服式と将軍宣下のでわしは疲れたのじゃ。藤孝なにか美味おいしいものをくれ」


 正直、新公方となった義藤さまは忙しく、面会が難しいかもと思ったが、政務がひと段落していたのであろう、いつもどおり東求堂の一室で義藤様と会えることができた。義藤さまは完全にくつろぎタイムに入ってしまったようだが。


「今日は大変苦労して作ったものを持ってまいりました。公方様にも喜んで頂ける出来栄できばえです」


「おお、それは楽しみだな。だが公方様はよせ。今は誰も居ないのだからな」


「失礼しました義藤さま。さっそくこのもみじ饅頭をご賞味下さい」


「もみじ饅頭と申すのか? どれどれ、何やら可愛らしい形をしておるな」パクっと、手に取って食べた瞬間義藤様が固まった。


「な、なんだこれわー、あ・ま・い・ぞーーー!!」どこかの味の皇帝並みのリアクションで叫ぶ義藤様の声が東求堂に響き渡った。


「く、公方様! いかがされましただろ」


 公方様の叫び声を聞きつけ、東求堂の外で歩哨ほしょうをしていた松井新二郎が慌てて駆け込んで来てしまった。


「おおこれは与一郎殿、公方様はどうなされたのでありますか?」とりあえず、義藤さまの無事を確認しておちつく新二郎。


「いやね、このもみじ饅頭が多分ね、とっても美味しかったのだと思うのよ」


「ふふふ藤孝! なんだこれは! わしはこんなに甘い物を食べたことがないぞ。新二郎お主も食ってみるがよい。とても甘くて信じられない美味さであるぞ」


「よろしいのですか?」


「よい、許す。新二郎も早く食べるがよい。わしももう一つ頂く」


 パク、パクっ


「う・ま・い・ぞー!」


「何だこれは甘すぎるだろー!」


 二人が過剰なリアクションをして固まってしまう。

 いつからこの小説は料理バトル漫画になったんだ? まあいいけど。

 リアクションが落ち着いたところで、義藤様にもみじ饅頭の製法や饅頭屋宗二殿の協力などを簡単に説明した。


「なるほど。砂糖を使わずにこの甘さとは驚いた。饅頭屋宗二とやらも良くやってくれているようじゃな」


「はい。それで義藤さまにお願いがあるのです」


「なんじゃ? 申してみよ」


「このもみじ饅頭を安定して作るために饅頭屋宗二にぜひ便宜べんぎはかって頂きたいのです」


「……分かった詳しく聞こう」


 政治的な話しと判断して新二郎が黙って席を外し部屋を出て行った。だが俺は見逃していない。新二郎がもみじ饅頭を一つことを……


 そして俺は公方様と大御所おおごしょ様に正式な面会をすることになり、将軍の側近である御部屋衆おへやしゅうに任命された。

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