第二話 若様
ヨシフジ殿ともう一人、同じくらいの歳の子が
そういえばヨシフジ殿以外のこの時代の人を初めて見たな。
二人とも似たような年齢で、似たような
もう一人の子はどうみても男の子だった。
「さがってよいぞ」
「はっ」
ヨシフジ殿が声をかけて、その子は部屋を出て行った。
「あの子は?」
「ああ、
「小姓? あれ? ヨシフジ殿ってもしかして偉い人?」
「ん? 別に気にするな。それより飯にしよう。さあ食べるがよいぞ」
そういえば死ぬほど腹が減っていた。
「頂きます」
「そんなにたいそうなものではないがな」
食事の内容はご飯にナスの漬物、大根の味噌汁、里芋の煮物、豆腐という献立である。
「どうじゃ食せるか? 粥の方がよかったか?」
「大丈夫。普通に食べられるよ」
味はそれなりだけど空腹は最大の調味料というやつだ。
ただなんというか味がもの足りない気はする。
とりあえず腹に何かを入れて落ち着いたのか、誰も人がいないと思っていたのだが、外に人の気配を感じるようになった。
「誰か外に居ますかね?」
「ん、誰かある!」
ヨシフジ殿も気付いたのか、外に向かって声を掛けた。
「新二郎ここに」
外から男の子の声が返って来る。
ヨシフジ殿が少し不機嫌そうに戸を開けて声をかける。
「ここには誰も来るなと
ん? 人払いしていたのかな。
だから静かだったのだろう。
「はっ。ですが
御台所様? 若様? さっきの小姓といい、やっぱりヨシフジ殿は偉いというか身分が高いのだろうな。
「母御からか、……分かった。好きにするがよい」
外の小姓? に声をかけて戻るとやはり不機嫌そうに座った。
「外の彼は?」
「わしの護衛だそうじゃ」
「護衛ねえ……、俺はヨシフジ殿を襲ったりはしないよ」
「あたりまえじゃ。襲われたって返り討ちにしてくれるわ」
「ひぇーお許しをー」
「……あはははは」二人して笑いあった。
つまらん冗談でも笑えればいいのだ。
「まあでも人払いしてくれていたのはありがとう。俺が寝ていたからだろう」
「別に礼などいらぬ。わしも静かで居たかっただけじゃ」
素直じゃないところが可愛いなどと思ってしまうのである。
「ご馳走さまでした。ありがとう助かったよ、これで少なくとも飢え死にすることはない」
「わしの目の前で飢え死になどされてたまるか」
素直に感謝を受け取ってくれない。
ヨシフジ殿が両手で膳を持って立ち上がる。
俺は慌てて板戸を開けた。
「俺も持つよ?」
「良いのだ。そなたはまだ病み上がりなんじゃ、そこで休んでいるがよい」
そう言って一人で膳を持って行ってしまったが向こうでも騒いでいる。
「若様、呼んでくれますれば私が運びますのに」
「よいのじゃ……これは―――」
さっきの小姓の子だと思うけど一緒に喋りながら行ってしまって聞こえなくなってしまった。
と、ここでふと外に居た護衛と思われる男の子と目が合ってしまった。
年恰好はまだ子供のようだが背は大きいほうである。
とりあえず慌てて会釈をする。
相手も慌てて会釈を返して来たが、なぜか遠慮して遠くに下がってしまった。新二郎といっていたかな? 悪い子ではなさそうだ。
◆
勝手にうろつくこともできないので、大人しく部屋で待っていたら、ヨシフジ殿が何やら書物を持って帰って来た。
「何を持って来たんだい?」
「うん。母御から学問を
どこの時代の『かーちゃん』も勉強しなさいと言うものらしい。
「お主も読んでみるか?」
書物を手渡され、とりあえずパラパラとめくってみる。
この時代の本なんて俺に読めるのか? 古文や漢文だろ? レ点とか帰り点とかあるのかね? と思ったのだが。
「読める! 読めるぞ!」
「どうした急に」少し驚かせてしまった。
「ああ、ごめん。読めるんで思わず」(どこかの大佐になってしまった)
「ほお、読めるのか。ではお主はある程度の教育を受けているようだな」
書物は
現代の知識で読んだわけではない。
レ点も返り点もない物を普通に読めるわけがないからな。
しかも活字印刷の本ではなく、手書きの
達筆すぎて普通なら読めないのだが、なぜかこれが読めるんです。
この知識は俺が生まれ変わった? この体の人物の知識であろうか。
少なくともこの人物は庶民ではないはずだ。
この戦国時代において高水準の教育を受けた人物のようである。
「そうだね。少なくとも農民じゃ読めないかな。内容も理解できるから、俺はなかなか高い教育を受けていたかもしれない」
「内容も分かるのか? わしも学ぼうとしているのだがよく分からないし教えてくれる者も居ないのだ。できれば少しお主が教えてくれないか?」
書物の内容は『
全文漢文だけどなー。
「兵法に興味があるのかい?」
「むろんあるぞ」
「孫子なら俺にも教えられるかな?」
尉繚子も一応読める見たいだけど、知識として知らないので教えるのは少し難しいと思う。
孫子であれば何故か内容を全て知っている。
どうやら現代での知識として知っているみたいだ。
なんとなく現代で孫氏の解説書を読んでいた覚えがある。
「おお、もちろん孫子でもよいのじゃ。母御は
源氏物語に古今和歌集か? まあそれも必要だと思うけど、とりあえず孫子でいいなら教えてみよう。
「ゴホン。ではまずは、題名からですが魏の武帝って分かります?」
「なんじゃ題名からじゃと。……意味があるのか?」
どうやら知らないなこれは。
「魏の武帝というのは、
「すまぬ……分からない」ぐぬぬと少し悔しそうなヨシフジ殿も可愛い。
「謝らなくても良いよ。知らなければこれから知ればいいんだ。まず三国志というのは――」
このあと、めちゃくちゃ歴史の勉強をした――
中国の歴史についてもほとんど知らなかったようなので、中国の歴代王朝の基礎的なこと。
孫子の著者といわれる
漢王朝末期と三国志の基礎的なこと。
そして曹操のこと。
どうやら俺は人にものを教えるのが好きみたいだ。
ヨシフジ殿も俺の話を時々質問を交えながら嬉しそうに聞いてくれている。
「それでこの魏王朝を打ち立てた曹操の
「なぜ曹操は孫子をとりまとめるようなことをしたのだ?」
「いろいろと説はあるけど、教科書なんだと思う。曹操はこの『魏武帝注孫子』を使って自分の配下の将軍たちに兵法の勉強をさせようと思ったのではないかな」
「だからこの『魏武帝注孫子』が兵法を学ぶには良いとお主はいうのだな」
「そのとおり。曹操が建てた魏王朝は大陸の過半を制していたから説得力もあるだろう?」
「そうじゃな
「でもその前に喉が渇いたかな。なにか麦茶でもある?」
「
しばらく喋りっぱなしだったので少し喉が渇いてしまった。
麦茶が戦国時代にもあったのは嬉しい。
麦湯という名前みたいだけど。(麦こがしともいう)
◆
少しして麦茶を持って来てくれた。
偉く立派な
「お主は孫子以外の兵法書で知っているものはあるのか?」
「
どうにもこのへんは現代で解説書でも読んだのだろう。
大体のことは知っている。
「おおそうか。では孫子が終わったら三略もよろしく頼むぞ」
「まあ、まずは孫子だけどね。まだ内容にも入っていないから」
教えるのは楽しいし、可愛い子に頼られて嬉しくないわけがない。
麦茶で一服してから引き続き二人で孫子の勉強を再開する。
「それで序文に戻るけど、序文では曹操が兵法書の必要性を
「お主も『孫子』が優れていると思うわけだな」
「そうだね。曹操と同じく兵法書は数あれど一つと言われれば『孫子』をあげる。色々な兵法書に手を出す前に『孫子』の理解を深めることの方が良いと思う」
「分かった、努力する。さあ本文も頼むぞ」
とまあこんな感じで二人でのんびり兵法書の勉強をしていた。
記憶がないのにのんびりしててよいのか? とは思うのだが……
二人で勉強会を続けていたら、部屋の外から声をかけられた。
どうやらさっきの小姓っぽい。
「若様」
「なんじゃ」
声をかけられヨシフジ殿が立ち上がる。
戸を開けると辺りはもう薄暗くなっていた。
「ああ、もうこんな時間か。夕食の用意をさせるゆえ待っていてくれ」
俺にそう声をかけると小姓と一緒に行ってしまった。
腹が減ったなあ、などと思っていたら、すぐにヨシフジ殿が戻って来て意外なことを俺に
「どうやらお主のことを探している者がおるようじゃ」
「は?」
「今、その者らがここに来る」
ヨシフジ殿の説明では、
それにヨシフジ殿が俺を見つけた白川から近い岡崎という所で所在不明になったので、どうやら俺のことみたいなのだ。
続けて二人の
この時代の大人に会ったのは初めてである。
突然の話でびっくりしていたら、いきなり大声で声をかけられた。
「おお!
「
どうやら俺の名前らしいが、熊千代? 万吉? どっちやねん。
「失礼しました若様。この者は我が息子で今は
そう言って、二人はヨシフジ殿に土下座をはじめた。
俺は正直展開についていけずに困惑していた。
「そうか、
そういうと、ヨシフジ殿が俺の方を向いて笑顔で言った。
「そなた万吉という名であったのだな……」
そんな笑顔で言われてしまうとテレてしまうぞ。
「さあ熊千代、何をしている。失礼
養父と思われる人物に声をかけられるが正直ここに居たいと思ってしまい、つい口をすべらせた。
「いや、ヨシフジ殿の勉強の途中で、それに食事もまだ……」
「
天下の副将軍、
いや上かな?
「
公方様って足利義晴といっていたな。
それに御嫡子って後継ぎのことだろ? 足利義晴の次の室町幕府の将軍って、
……そういえば改名する前の名前って足利義藤だったような気がする。
ヨシフジ殿って『義藤』殿かーい。
というか、足利義輝がなんで女の子なんじゃーい!
完全に女の子だと思ってたから気付かなかったー。
まあ、何にしろ行方不明になって二日で俺は
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