第一話 銀閣寺

 何故だろう? ときどき不思議な夢を見る。

 その夢は楽しくて幸せだったのだが、最後は決まって悲しい気持ちになる。

 また悲しい結末を迎えて夢から覚めるようだ。

 ――どうやら今日も泣いてしまったみたいだな。


 誰かの気配を感じてまぶたを開いた。

 日の輝きの中、目の前には心配げに見つめてくれるかわいい女の子がいた。


「ん、起きたのか?」

 

「夢を見ていたんだ」


 その子はやさしく俺の頬を流れる涙を拭きながら声をかけてくれた。

 目の前にある顔をただ素直に美しいと感じていた。


「どんな夢じゃ?」

 

「分からない。でも最後は悲しい夢だった」


「そうか、それは辛かったな」


 彼女は俺にやさしく声をかえしてくれる。

 心配そうに少し顔を曇らせたことを申し訳なく思った。


「でも、楽しい思い出も確かにあったはずなんだ」


「悲しみだけでなくて良かったではないか」


「うん……そうだね」


「心配したぞ。お主は頭から血を流して倒れておったのだからな」


「ごめん」


「まあよい……それよりもう起きられるか? そろそろ脚が痺れてきたぞ」


 気付いていなかったのだが、どうやら俺は彼女に膝枕をされていた。

 遠くで鳥の声とせせらぎの音がする。

 どこかの小川のほとりに居るようであった。

 起き上がろうとするのだが体に力が入らない。

 それに頭が割れるように痛みだしてきた。

 そして目の前の視界がぐるぐる回りだす――


「お、おい大丈夫か……」


 頬に残る柔らかな感触と心配げな彼女の声を聞きながら、何故か安心しながら再び意識を失ってしまった――


 ◆


 再び目を覚ました時、俺はなぜか「銀閣寺」に居た。

 なぜだ? なぜ俺はこんな所に居るのだ? さっぱり意味が分からない。

 目の前にある観光地として有名な銀閣寺を見てしばし呆然としてしまう。


「気がついたのか。もう大丈夫なのか?」


 後ろから声をかけられ慌てて振り返る。

 そこにはさっき夢の中でみたかわいい女の子がいた。

 よく見ると何故か時代劇で見るような小袖こそでに袴の男装姿であった。


「まだ横になっていた方が良いのではないか?」


 見惚れていたい気分ではあるが、状況を把握したかったので聞いてみた。


「えっと、なぜ俺はこんなところにいるのです?」


「ああ、お主は白川しらかわのほとりで倒れていてな。怪我もしていたのでここに運びこんだのじゃ」


「それじゃあこの手当ても……」


「ああ、わしがやらせた。感謝するがよいぞ」


「あ、ありがとう。それでここは銀閣寺みたいだけど京都なのかい?」


 ギンカクジ? なんだそれは? ここは京の東山ひがしやま慈照寺じしょうじじゃ」


 東山か、たしか日本史の授業で習ったことがある。

 室町時代の東山文化というやつだ。

 銀閣寺はその代表だったはずだ。


「それより動けるなら顔でも洗って来るがよい。そなたは二日も寝ておったのだからな」


「二日も寝ていた?」ずいぶん迷惑をかけてしまったようだ。


「ああ、そなたを運び込んだのは、一昨日おとといのことだからな。あっちに井戸があるのだが、案内いたそうか?」


 さすがは銀閣寺だ井戸とは古風だな。

 そう思いながら井戸のある方に向かおうとしたのだが、まだ体調が悪いのかふらついてしまった。


「大丈夫か? まだ寝ていた方が良いのではないか?」彼女が俺に寄り添って体を支えてくれた。


「少し待っているがよい。水を汲んでこよう」


 体調が悪いことを自覚した俺は、おとなしく部屋に戻って横になることにした。


「しかし酷い蒲団ふとんだな。せんべい蒲団というか綿わたがないぞこれ。それに掛け蒲団だと思ったら、ただのでかい上着かなにかじゃないか」


 しばらくすると彼女が桶と手ぬぐいを持って戻って来た。


「さて、これで顔が洗えるであろう?」


「ありがとう」


 タオルじゃなくて手ぬぐいとは、やはり寺だけに古風だなと思いつつお礼を言う。


「礼は要らぬが、そろそろお主の名前を教えてはくれぬか?  一応私は命の恩人だと思うのだが?」


 それはそうだ、恩人にたいして失礼だった。

 俺はそう思い、自分の名前を告げようとして、……固まった。


「俺の名は……。はて?」


 あれ? 名前が思い出せないぞ。

 どういうことだ? もしかして記憶喪失というやつなのか?

 落ち着こう。

 とりあえずモチつこう。

 いや、餅突いてどうする。

 せっかく彼女が桶に水を汲んでくれたんだ。

 顔でも洗って落ち着こう。

 顔を洗おうと桶を覗き込んだ。

 何故かそこには見覚えのない若い男の顔があった。

 その顔は今でいうと中学生くらいの顔である。

 少なくとも人生にくたびれたおっさんの顔ではなかった。


「……えっと、すいません。私は誰でしょう?」


「は? お主は何を言っているのだ」


 ◆


 彼女に記憶がないことを一生懸命説明するのだが、まったく要領を得ないようで上手く伝わっているかは微妙である……


「まあよい。物忘れは一時的なものであるかもしれないしな。それよりまずは顔を洗うがよい。わしがせっかく用意したのだからな」


「あ、はい」言われるがままに顔を洗って手ぬぐいで顔を拭いた。


「それを片して参るので、少し落ち着いて静養してるがよいぞ」


 本当に記憶がないことに納得しているのか、困ったような喜んでいるような複雑な顔をして彼女は部屋を出て行った。

 やることがないので蒲団のようなものに横になりながら銀閣寺でも見ていた。

 紅葉も相まって実に綺麗な景色である。

 顔を洗って落ち着いたのか、それで気づいたのだが、どうやら今は秋らしい。


 しかし人が居ない……銀閣寺なんて誰もが知る有名な観光地なのに何故か誰も周りに居ないのだ。

 実に静かである。

 そんな事を考えていたら彼女が戻って来た。


「どうじゃ何か思い出せたか?」


「いや何もまだ」


「まあそうじゃなすぐには無理であろう。だが心配するな、しばらくここで静養するがよいぞ」


「ありがとう。ところで変なことを聞くけど、今日は何日だい? どうやら季節は秋みたいだけど」


「ん? 今日か? 今日は9月20日はつかじゃ」


「えっと今は何年だろう?」


「しつこいのう、今日は天文てんぶん15年の9月20日じゃ」


 てんぶん? 平成の次の元号が天文なのか? それにしても15年?

 記憶は曖昧だが今上陛下、いわゆる「平成天皇」陛下が譲位される話はあったが……おかしいな? 平成の改元があったにしても『15年』はないだろう。


「えっと、西暦では何年でしょう?」


「セイレキ? なんだそれは」


 俺はだんだん嫌な予感がして来た。

 少し前から気になっていたのだが、いくら寺とはいえ、まったく『電気』がないのだ。

 電灯もなければコンセントもない。

 それに『てんぶん』というのが元号だとしたら、一応心当たりがある。

 正直嫌な心あたりではあるが。


「ええと、もしかしてとか居たりします?」


「むろん居るに決まっておる」何やら得意げに言われてしまったが、嫌な汗をかいてきた。


「すいません今の将軍はどなたでしょう?」


「今は、ち…… 足利義晴あしかがよしはる様が公方くぼう様であらせられるぞ」


「足利義晴公……」


 足利義晴で元号が天文ということは、……こりゃいかん。

 やっぱり戦国時代の真っ只中じゃないか。

 これはもしかしてタイムスリップというやつかなのか? それとも自分の顔に見覚えがないということは生まれ変わったのか? 転生というものなのか?


「公方様のことは存じておるのか?」


「名前を存じ上げているだけというか……」


「そうか、他には誰か覚えている人物はらぬのか? 誰かを知っていればそれがお主の素性の手がかりになるのではないか?」


 名前を知っている戦国武将などをいろいろあげてみた。

 覚えているというか、知識として知っているだけなのである。

 現代の人生の記憶はあいまいなのに、現代で得た知識だけはなぜかしっかりあるのだ。


「名のある大名ばかりのようだが、参考にはならんか」


「ごめんなさい」


「あやまる必要はないぞ。何か手がかりがあればと思っただけじゃからな。しかし北条氏康ほうじょううじやす殿は最近名を大きく上げたばかりじゃが、そなたよく知っておったな」


「最近?」


「うむ。今年の4月のことだ、寡兵の北条殿が10倍の兵をようしていた上杉朝定うえすぎともさだ殿を討って名を上げたのはな」


があったのが半年ぐらい前?」


「そうじゃ、5ヶ月ぐらい前だったかのう」


 いわゆる『川越夜戦やせん』があったのか、ということは天文15年は西暦1546年ということになるはずだ。

 どうやら本当に戦国時代のようだ。

 歴史的な戦いが起きているなら日本風ファンタジーというわけではなさそうだ。

 安心してよいのか悪いのか……。


「しかしお主はなかなか物知りではないか、わしはお主に興味がわいて来たぞ」


 思いつく限りの戦国武将の名前を上げていたら彼女に褒められた。

 そして何故か俺に興味を持たれた。

 可愛い子に興味を持たれるのは悪くはない。

 逆に俺もこの子に興味がわいてきた。


「そういえば、君の名前を教えてくれないか? 命の恩人の名前を知らないのは凄く失礼な気がするし」


「わしか? わしのことは……。うむ、ヨシフジと呼ぶがよいぞ」


 満面の笑みで名乗られてしまった。


「えっと、それじゃヨシ姫でいいのかな? それともフジ姫?」


「ひ、姫とはなんじゃ! 無礼者!」


「ぶ、ぶれいもの??」


「あ、いや、そうではなくてだな。お、男にたいして、姫は失礼であろう!」


「男って……いやでも、君はどう見ても女の子だろう?」


「だ、だれが女子おなごじゃ!」


「いや君が。ああ、このお寺は女人禁制にょにんきんせいだったのか。それで隠しているとか?」


「お主はどうあっても、わしを女子おなごあつかいするつもりか?」


「ごめん。内緒なら黙ってるよ」


「いや、だからわしは男だと……」


「ここで素っ裸になってくれれば、男扱いしようか? 俺は裸になれるけど」と言って脱ぐまねをする。


「なっ! なれるかー! それに脱ぐなー!!」


 冗談だったのに顔を真っ赤にさせてしまった。

 真っ赤になって恥ずかしがるところが可愛いかったりする。


「誰にも知られたことはなかったのじゃが……」


 どいつもこいつもボンクラじゃないのか? こんなに可愛い娘が男なわけないだろう。


「ちゃんと内緒にしておくよ。それで名前はヨシフジ殿でよいのかい?」


「うむ、ヨシフジと呼んでよいぞ」


『グー』そんなやりとりをしていたら俺の腹が鳴った。少し恥ずかしい。


「うん、食事の用意をさせよう。お主は二日間何も食しておらぬのじゃからな」


 そう言って、笑いながらヨシフジ殿は部屋を出ていった。

 腹の虫を笑われたのが少ししゃくではあったが、ヨシフジ殿の笑顔が可愛かったのでどうでもよくなった。

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