ALL I NEED IS YOU
鳴田るな
ハンニャセンセイ
「先生! 重版かかりました! アドバイスのおかげです♪」
メッセージを確認したら、速やかに画面をオフにする。
前の休憩から一時間。少し早すぎるが、デスクから立ち上がって喫煙室に駆け込んだ。
「あー! また吸ってる。よくないんですからね、体に」
不肖の――いや、優秀すぎる弟子の幻聴が聞こえた気がする。
ほくそ笑むような自嘲を浮かべて、心中だけで答える。
馬鹿め。だから酒も煙草もやってんだよ。
煙を吐き出しがてら、スマホで自サイトの閲覧数を確認する。
本日もささやかなものだ。何の反応もなし。世界は相変わらず、自分という存在を無視している。
漫画家になりたかったのだ。若い頃は、そうなると信じていた。
夢をかけて、寝る間も惜しんで、プロットを立て、下書きを上げ、後はひたすら、締め切りまでに書き込んで。
納得いかなければ心身削って書き直した。
あの頃は世界は自分を中心に回っていて、何も怖いものなんてなかった。
持ち込みも、新人賞の応募もして、それでも成果は実らなかった。
就職をして、一度書くのをやめた。けれど細々、ネットの片隅で趣味を続けてきた。アナログから、デジタルを導入して。修正液に限界のあった紙原稿と違って、電子はいくらでも書き直せる。今度は締め切りもない。納得いくまで、とことん詰めた。
そんな夢の残骸に、ある日声がかけられた。
あなたのWeb連載を、本にしませんか、と。
嬉しかった。今までの自分が認められたようで。
物にできないから、リアルの知人達は誰も彼女が趣味で漫画を書いていることを知らない。絵が描けるということすら、なるべく隠している。
やりとりを交わして、ペンを走らせた。翼を授ける缶を買い込んで、冷えピタで熱を下げて、発疹にも歯を食いしばって。
だけど、そうしてようやく世に出した宝物は、ウケなかった。
やはりお前など、誰からも必要とされていないのだと。
しんどかった。見直す度にこれでいいのかと思うけれど、仕事には期限が存在する。いい結果にしましょうね! と握手した担当とは、だんだんやりとりが疎遠になっていった。
新作の企画を持ち込んでもみたが、会議に通らない。
自サイトに発表してみるが、前ほど数字が取れない。
商業に出すためにしばらく休んでいたから、それで随分と見切りをつけられたようだった。
数字が出せない。それは失敗作だ。掲示板に嘲笑が並ぶ。身の程知らず。一発屋。高尚気取って結局出せたのはつまらないテンプレの模倣。
悲しいことに、何も反論できない。だって私がどこかで、思っていたことだったから。
ああ、私、誰からも。
……そんな時だった。
「好きです! 先生の大ファンなんです!」
彼女はあどけなかった。きらきらしたものを背負い込んで、現れた。
最初のファンアートは、いかにも稚拙な落書きで。それでも目を見張った事を覚えている。デッサンが乱れていようが、構図のいろはを知らなかろうが、彼女の書くキャラクターには力が、華があった。
「今日の更新読みました! ありがとうございます。戦士様はどうなってしまうのでしょうか?」
暗闇の中に現れた、灯火のような。
それは確かに、一度全部消して、何もかもなかったことにしようか、と思った私の気持ちを押しとどめた。
「先生! 私も先生みたいな話が書いてみたくて。どうすればいいんでしょう?」
子犬のように懐かれて、悪い気になるはずがない。無駄に年数と経験だけは重ねている。惜しみなくノウハウを与えて、若い彼女はその分全部己の養分にした。
「先生、今度、私も発表してみます! 読んでくれる人が、一人でもいるといいなあ」
私はトレードマークのシュシュを思い浮かべて口元をほころばせながら、成功を約束した。
オフラインで出会った彼女は、どうしてこんなマイナーで暗い話しか書けない女に懐いたのか終ぞ理解できなかったほど、明るくて可愛い、普通の女の子だった。
わかっていた。彼女の才能を。世界中の誰よりも早く。選ぶ題材からして、絶対に当たる、と私にもわかる内容だった。
そして彼女は、彗星のごとく現れた新人として、一気に出世街道を駆け上っていった。
私の想像よりも遙かに遠く、私が届きたかった場所に、いともたやすく。
「今でも信じられなくて……だってどうしてこんなに人気が出たのか、わからなくて」
そうかな。私は知っていたよ。君の輝きは、多少の粗ぐらいでは褪せないと。
「このまま続けましょうって言われたんですけど、終わらせる気だったから、ネタがなくて。相談に乗っていただいてもいいですか?」
いいよ。私は君の先生だから。
「でも、変ですよね。先生の話の方が、ずっと面白いのに、」
――は?
「先生も、新作待ってます!」
今や引っ張りだこの売れっ子漫画家様は、何の悪気もなく、次は私に栄光が訪れるのだと信じて疑わない。
あの白い喉を、引き裂いてやりたかった。細い指を、バキバキに折ってしまいたかった。そんなことをする勇気もない、しても何も得られない。
だけど、ああ、かつて私の救世主だったお前は、今確かに、私が最も憎むべき相手に変わった。
けれど、体調を崩しがちな一介の社会人に、何ができるわけもない。専業になる才能も思い切りも能力もないが、社会の歯車としての適性はあったらしい。
そして、誰に才能があるのか、それをわかる目も。
神様、私に力がないのなら、なぜそれがわかる頭だけは与えたのですか。
あいつに脚光を浴びせさせたかったわけじゃない。あいつが集めている笑顔、あれは私のものになるはずだった。口にしたら格好が悪いから、ずっと腹の中に収めていた。
それなのに、私が倒れてもつかめないそれを、お前は、お前は、どうして。
今日も嬉しそうな報告を聞く。せいぜい先輩風を吹かせる。もうすっかり忙しくなって私どころじゃないだろうに、今でも定期的なメッセージを欠かせない、可愛かった後輩。
もう彼女の話を読みたくない。なんで、という気持ちの方が強くなってしまう。近頃はどの作品に対してもそうだ。昔は素直に、消費者として、そして同じ創作者として、あんなに楽しめていたのに。全部味のない食事に成り下がった。
やめてしまおうか、とまた感じる。
なのにやめられない。
だってあの子が言うから。
「先生、今日も更新ありがとうございます!」
ああ、皮肉だ。これだけ消えてほしいと思っているのに、たぶん彼女が消えて一番困るのは私。
くゆらせた紫煙の先に、想い人を浮かべる。
笑っている。そしていつも、同じく輝かしい笑顔に取り囲まれている。
いらない。お前の笑顔なんか、本当はいらない。お前に向けられる笑顔なんか、全部、壊して、消してしまって、出会った頃のように、ただの一人と一人でいられたなら。
……だけどもし、笑う彼女を失ってしまったら。
この世界の片隅で、私のちっぽけな叫びを肯定する相手は誰もいなくなる。
そのとき私は、二度と偽物の笑みすら浮かべることができなくなるのだろう。
笑ってるんじゃねえ。だけどずっと笑っていて。願わくばずっと、私を、私の話を好きでいて。
あなたの賞賛が毎日私を殺し、生きさせているから。
ALL I NEED IS YOU 鳴田るな @runandesu
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