●atone-25:戦慄×ラセットブラウン


 私と先生の眼前にいきなり現れて来た「黒球体それ」は、やはり遠目で視認した通りのばかでかさであるわけなのであって。自分の目線よりも上回る大きさのものが動いているっていうのは、はっきり本能的に怖いわけで。見上げたままの格好で大口を開けたまま、私は今日何度目かになるか分からない、全身硬直を味わわせられている……


 さっきの何体かいた「群れ」のうちの一匹じゃないのかも。それとは別に単独行動していたのが突如現れたのかな、とか、こののっぴきならない状況とは裏腹に、そんな冷静なことを考えようとしてしまっている……逃避だよね、逃避に他ならない……


 かといって今は、もうこれが現実であるということは痛いほど分かっている。そこから目を逸らすことは出来ない。でも……出来れば夢であってほしいぃぃ……


 諦め悪く、踏ん切りつかない私をかばうようにして、ツクマ先生がその巨大黒丸との間にその身を差し出し入れてくれている……本当に、本当に素敵で格好よくて、私はもう涙と鼻水が出ている状態だよ。でもそうだよ、思考が逃げてる場合じゃない。逃げるのは……


 身体そのものじゃなくっちゃ。私は無理やりに歯を食いしばると、目の先3メトラァくらいで、こちらを値踏みするかのような左右に細かく揺れるという運動を繰り返している「黒玉」から注意を切らないようにして、周囲に視線を飛ばす。逃げ場はないか、退路はないのか……


 分かれ道の前には巨大な球が塞いでいるわけで、その直径は細い脇道よりも大きい。ということは、そちらには回り込んでも行けそうもない。思い切り今のぼって来た坂道を駆け下りる? いや絶対「球体」が転がり落ちる速度の方が速そうだよ……上から転がり追いかけて来るそれを何とか躱して、勢いで坂の下まで転がり落ちている隙を狙って、また坂道をのぼって脇道に飛び込む? そのフェイントに引っかかってくれればだけど、しくじったら轢かれておしまいだ……


 どうしよう、どうしようという、どうしようもない感だけが暴走しそうな私に、


「ストラード君、僕だけ、坂道を下ってこいつに追わせる。から、キミはその間にそこの道に入って病院まで急ぐんだ」


 !! ……もう何て言っていいかもわからないような、そんな、でも……先生はにこりと笑顔を見せてくれると、繋いでいた手をゆっくりと解いて、腰を落としていく……ああ……止めなきゃいけないのに……私は、何も出来ないまま、ただそれを見送るしか出来ないよ……


 一瞬後、雨で濡れた路面を滑り降りるようにして。先生は坂下向けて走り始めていたわけで。思わずその背中を追おうとしてしまうけど、ぐう、とこらえて私も、目の前の物体がのいた後に即突っ込めるように膝を曲げてスタートを切れる用意をする。先生……先生……お願い、絶対無事で……私ももう逃げるという一点だけに意識を定めた。逃げ切る……絶対に。


 でも、だった。


「……」


 一瞬、坂を転がり落ちようとした球体そいつだったけど、くい、と振り返るような仕草を見せた。私を、そののっぺりとした球面そのもので捉えたかのように。


 やっぱり、こいつら、私を狙ってる……ッ!?


 何で? とかの疑問は、次の瞬間、その「球状化まるまり」を解いたそいつが、私に向けてその見たことも無いようなかさついた皮膚の不気味な丸い長い頭部と思われるとこから、ひび割れた口を大きく開け、そこから長く垂れ下がってきた青白い「舌」をこちらに向けてしならせつつ撃ち放ってきたことにより、吹っ飛ばされるわけで。


 やられる……ッ!! 思わず立ちすくみ、またも踵から頭頂部までが固まったまま動かなくなってしまう私だったけど。


 刹那、だった……


「アーヌッ!!」


 私のほんとの名前を呼んだのは。今度は落ち着いた低音であったのだけれど。その声の主は、


「あああああああッ!!」


 というような雄叫びじみた、肚からの野卑ばしった感じで続けると、


「……!!」


 既視感を覚えさせるような挙動……「怪物の頭上を前回りに跳び越えてくる」という絵面を、私の見開いた網膜に叩き込んでくるのであった……


 その手には、長い棒のようなもの……いや、見たことある、あれ「猟銃」だ……超絶な跳躍ジャンプをかましてきたその人影は、もう既にその銃口から真下のそいつ目掛けて、何発か断続的に見舞っていたのだけれど。


 弧を描く軌道の終点あたりで、とどめとばかりに「光る桃色の弾」を撃ち放っていたわけで。


「……!!」


 そいつの装甲の隙間を突くように、放たれた弾丸は正確に吸い込まれていって、直後、


「!!」


 内部からの爆発のような衝撃で、そいつの身体をぐずぐずの塊に変えていたのだった……も、もうこんなんばっかりだよぅ……もう一日分の驚愕は使い切っちゃったって言ってるじゃないのよぅ……との、何とか目の前で繰り広げられている現実から目を背けようとする私に向けて。


「無事かッ!? 間に合って……よかった」


 聞き慣れた、私をどういうわけか安心させてくれる声色。軽やかに着地をしてから、駆け寄ってきてくれたのは、ああ、これまた私の肉親だよ、何でか今日は家族の意外な一面が見れてしまう日なんだねぇ……驚きも閾値を超えると妙に凪ぐんだねぇ……みたいな私の思考をかいくぐるかのように肩に手をかけてくれたのは。


 私より頭ひとつ小さい、先生と同じくらいの背丈。同じようなのっぺり顔。何故か薄い灰色のインナースーツだけ身に着けているちょっと尋常じゃない格好……悪夢とかでよくありそうな突拍子の無さであったけど。


 でも眼前で荒げた呼吸を整えつつ、こちらを心配そうに真剣な目つきで覗き込んできてくれているのは、まぎれも無い父親パパだったわけで。えーと、でも出張行ってたはずだよね……何でまた。


「ちょっとしたトラブルに巻き込まれて……だがもう大丈夫だ」


 今の今は「トラブル」と言わないのかな……自分で言うのも何だけど、思春期ゆえ、男親のことは避け気味で、最近では顔を見て話した記憶もほぼ無いけど。でも、やっぱり私はパパのことも好きなわけで。やっぱり安心してしまう。


 うん、でもまさかとは思うけど……


「パパ……もしかしてまた記憶が『外れ』ちゃったとか」


「なになになに? 記憶? 外れる? どういうことかなアーヌ。す少し混乱しているようだね……大丈夫、大丈夫だから」


 絵に描いた混乱っぷりを外面全部に滲ませながら、そんな食い気味にかぶせられてきたよ……やっぱまた「アレ」が起きちゃったのね……これママに知れたら大変んん……


 刹那、だった……


 <……>


 私とパパの周囲がいきなり暗くなった。恐る恐る二人して振り返ってみると、斜面に片膝を突いてこちらを表情の無い(当たり前か)巨大なフルフェイスの兜に穿たれた黒い一文字の穴が、見下ろしていたわけで。


 さっきまで、丘のふもとくらいにいたはずなのに……ッ!?


 <なんで、ここにパパがいるの……?>


 掠れた表情の無い声。まずぅい。パパはやく逃げてぇ、と隣で震え始めたその身体を後方の退路へと押してあげるものの、猟銃を取り落とし、既に抜けていたらしい腰からへたりと崩れ座り込むばかりであって。


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