●atone-01:平常×スプルース

 学校までの道のりはほぼ八割が下り坂あるいは階段という、まあそれはこの地区の特徴でもあるんだけれど、それにしたって、丘のてっぺんに一戸建てをわざわざ構えなくてもいいでしょうよぅ、と私が物心つくかつかないかのそんな時にもう今の物件を即決したというママに、事あるごとにそうねちねち言っているんだけれど。


 見晴らしが最高なのよねえ、朝昼夕晩とどれも違った顔を、プラス巡る季節に寄り添っていろいろな魅力を込めて見せてくれるし……とか、本気で陶酔した感じで返されるもんだから、あまりそれ以上は踏み込めない、というか話をしても無駄だ感が強くてそれきり言葉は立ち消えてしまう。まあ、確かに雲一点ない青々とした透明感高い朝空の眼下に180度ひしめくようにして広がる橙色系統で統一された家の屋根の連なりなんかを起き抜けに眺めたり、果てしない奥行きを見せる満天の星空と競い合うかのように暖色の光を煌々とさせる窓々の広がりなんかを寝る前に歯を磨きながらベランダから見下ろしたりする時は、やっぱいいなあとも思うんだけれど。


 息が上がってきた。


 滑り止めの舗装は歩道・車道問わずほぼほぼ全面全域に為されているものの、結構な斜度の箇所が多いから、「少しの早歩き」なんてものは踏み出し五歩目くらいであっさり瓦解する。後はもう後ろに重心をずらしながら、勝手に進んでいく体と足をうまいこと制御して、止まれないほどの全速力にまで加速がいかないように細心の注意を引きつった顔で行うことしか出来ない。そんな毎日の登校で、足腰……特に膝は鍛えられている気がする。脚が引き締まるを通り越して硬く太くなってきているのは勘弁だけど。


 青々とした生い茂る木々の葉や、沿道に咲く野花の色彩が目には快い。初夏の香りは、地区の南側を流れ抜ける「大川おおかわ」という何の捻りも無い名前だけどその分水質はこの上無く、上流下流至る所に釣りスポットがある川面を渡ってきた風と共に、ほてり始めてきた顔に吹き上げてきてそれはまた心地よい。


 膝上までの臙脂色のスカートが必要以上に捲れ上がらないようにそこにも注意を払わされながら、私は背負ったバッグの中で踊る教科書ノートたちに背中をリズミカルに叩かれつつ、もう視界にはずっと居座っているんだけど、その許までいくにはまだちょっとかかるという、いやがらせとも思える、遠近感を狂わせてくるほどの無駄に巨大な学び舎まで、歩を進める他はない。


 それでもって帰りは……授業や訓練で極限まで疲弊して、粘性のある液体を詰めた袋、みたいになった自分の身体を丘上まで押し上げなくてはならないわけで。


 でも今の学校は自分が望んで入ったところだし。目標に向かって一歩一歩進んでいる気もするし、みたいな極めて漠然としたポジティブ感を脳内に居座らせることにより、何とか日々を過ごしている。この地味で地道な毎日を。


「……」


 何とかHRホームルームひいては一限の授業には間に合ったものの、この時点で私は半分ほど白目になるくらいに疲労を覚えているわけで。さらに座学、歴史、やる気のない老教師、という、どう見積もっても脳が覚醒することの無さそうな三点盛りが、私の今を司るところの睡魔様にお供えとして捧げられていくのを全・大脳で感じている……


 石造りの素気ない建屋にも、うららかな日差しは存分に南向きの一面の窓からは降り注いできているわけで。いま行われている授業で扱われている題材は正に、戦時中の緊迫感と悲壮感の漂うものであったのだけれど、それがまたいい具合に私の遊離しかける意識に想像力の燃料というべきものをくべていってしまうのであり。


 …………


<南東地区2号線沿いに『イド』確認。ストラードⅡ騎にき、出動願います。目標は2体。動きはそれほど速くはない>


 無線機インカム越し、ノイズ混じりの通信を受け取りながら、私は両手で軽く保持していた操縦桿をわずかに倒し始め、踏み出す用意を終えている。


「了解。準備は完了」


 フルフェイスのヘルメットの薄橙色のバイザー越しには、様々な数値やゲージが居並ぶ。それらが示してくる本機の状態コンディションは「良好」。最適なパフォーマンスを発揮できるはずだ。


<目標2体と確定。現場からの情報でいずれも10メトラァ大の『地上四足型』と確認。『エルテズオ』と思われますね……『ウォーカー』2機を援護につけます>


「……必要ないと、思うけど」


 遮光された手狭な空間の中、私は殊更に余裕を持ってそんな言葉を発したりするのだけれど。


<下段右カタパルト、開きます>


「了解……『ジェネシス弐式にしき』出動する」


 目の前の暗闇が、長方形状にぱくり割れて外界からの光が射しこんでくる中を、私の操縦する「人型鋼鉄兵機」が、極めて自然な人間の所作をもってして、歩み出ていく。


 ……視点変わって。


「『特機』のやつらはまだ来んのかァッ!?」


 ひと目、荒廃した佇まい。煉瓦造りの建物が密集する混然とした街並みの一角で、そんな胴間声が辺りに響き渡る。


 部下と思しき、かっちりとした軍服に身を固めた面々に怒鳴っているのは、でっぷりとした寸詰まりな丈の中年男。真ん丸の脂ぎった顔に、そこだけ威厳を感じさせ(ようとしてい)る立派な髭を震わせている。


「ただ今、こちらに向かっている模様ッ!!」


「遅ァいッ!! 出動要請からだいぶ経っているぞ遅すぎるァゥッ!!」


 巻き舌気味にまくし立て騒ぐその中年男の頭上を、


「!!」


 巨大な「鋼鉄」製の「右脚」がまたぎ越していく。そして、


<やあ失礼。到着が遅れました、エドバⅡ督にとく


 殊更に爽やかに、私のノイズの混じった拡声音がそう告げるのであった。厳然たる余裕と、少しの小馬鹿にするようなニュアンスを込めながら。


「またぐなと何度も言うとろうがァッ!! それに遅ァいッ!! 貴様らはどうしてこう……危機感がないのだァッ!! 危機感ッ!!」


<……『目標』はあの二つですね。さくり片づけますので、後処理はお任せしますよ?>


 そんな叱責声をするりいなしながら、私は前方でこちらを様子見、みたいな感じで睥睨してくる、表情の無い二対の目と対峙する。


「……」


 地に伏した、艶めく鱗に全身を覆われた5メトラァくらいの巨大生物……報告通り、四足型、「エルテズオ」だ。


「待たんかァ!! 言いたい事はまだ山ほ」


 騒がしいばかりの上官エドバは無視して、私は鋼鉄兵機ジェネシスを腰を落とした姿勢のまま、じりじりとじれるほどの速度で目標エルテズオら向けて間合いを詰めていく。


(こいつら……あまり凶暴な種じゃないよね。『エサ』探しにここらまで出張って来たって感じかな……始末するのは気が咎めるけれど、そうも言ってられない)


 冷静に、しかし決然と、私は瞬間意思を固めると、左肩にマウントされた「装置」を作動させる。


「!!」


 瞬間、装置から放たれるのは目が眩むほどの(実際眩ませるためのものなのだけれど)激しい閃光。足元で歪めた巨顔を背ける上官。他のヒトたちは慣れているようで全員すかさずゴーグルを装着していたのだけれど。


 目標も、その表情の無い瞳を硬そうな瞼の下に押し込んでいた。


 私はその間隙を逃さず、二歩三歩と兵機の脚を軽やかに繰り出すと、


「……!!」


 時間にして、およそ3ビョゥン。ひと呼吸かふた呼吸の間くらいで、目標たちのそれぞれの首元目掛け、抜き放った「ナイフ」を右左に一閃し終えていた。こもった呻き声を上げ、崩れ落ちる目標エルテズオたち。決まった……美しいほどに……


「き、きき貴様ァッ!! 『それ』をやる時はやると言えと、何度も言っとろぉぅがァッ!! 喰らうと一日中仕事にならんのだぞぉッ!!」


 そんな余韻を台無しにするかのような、両手で顔を覆い叫ぶ上官を尻目に、


<後はお任せしますよ、Ⅱ督。『ウォーカー』二機と『キャリアー』まで付けば充分でしょう。自分は本部に戻りますから>


 軽やかにステップを踏みつつ、搭乗機を発進させ、さっさと帰路につこうとする私。


「待たんかァッ!! 貴様のその態度、問題あり過ぎるぞァッ!! 『特機』だからっていい気に……うおッ!? だからまたぐんじゃないっつーの!!」


 やいのやいの五月蠅い上官の怒鳴り声も気にせず、私は悠々と歩き出す。うううぅぅん、充実……私いま、凄い輝いちゃっているかも……


 ……そんなところで目が覚めた。登校を挟んだ二度寝という、常人にはなかなか出来ないことをさらりとやってのけた私は、教壇の上から何とも言えない顔で見下ろしてくる老教師センセイと目が合ってしまい、しばし真顔同士で向き合う以外のことは出来ないのだけれど。


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