49 レイラ・ラングフォード

 秋月が自身の方へ走っていると気付いたであろうレイラは片手を振ってこちらに来るなと合図をするが、それでも秋月は無視して走る。

 レイラがこちらに気付いたと同時に彼女に取り憑いた邪神も秋月の存在に気が付く。

 そして、邪神はこちらを向いて、攻撃を仕掛けようとする。


 邪神の纏った黒いオーラが漆黒へと変化し、鋭い円錐の形をした黒い槍が秋月の方へと迫る。一本だけでなく、それに続くように数十本の漆黒の穂先が的である秋月に向かっていく。


 弟子たちはそれを見て、魔法や剣で弾く。

 甲高い金属が擦り合ったような音が自身の目前で響くので秋月は冷や汗を掻く。

 それでも走るのを辞めない。

 弟子たちを信じているからと言いたいが、実際は止まる事がもう出来ずにいた。

 車が事故る寸前、アクセルからブレーキを踏めば良いのに、それすら出来ずにアクセルを踏み込むそんな状態に近かった。

 

 秋月はレイラの近くまで来て、漸く止まる事が出来た。

 すぐ近くでは未だに邪神の漆黒の槍と弟子たちの魔法や剣の攻防が続いている。

 自身の目の前に炎や風、緑の閃光と黒い刃や槍が飛び交っているのを必死に無視して、レイラへと方へと歩を進めた。


「に……げて……」


 秋月が目前まで近づいてくるのを見て、彼女はそう言った。

 桃色の可憐な着物に対して、おどろおどろしい本人の姿はあまりにキャップがあった。

 声すら掠れて、いつもの心地よかった声とはかけ離れている異音である。

 レイラは必死に自身の背から出ている存在の暴走を止めようと自身の背に手を伸ばしているが、効果は無いように感じる。


 秋月はレイラの要望を無視して、更に近づく。

 漆黒の槍が秋月の顔面目掛けて飛んで貫こうとしてくる。流石に動きを止めてしまう。レイラの掠れた悲鳴が聞こえる。

 しかし、それは秋月に届く事はなく、緑の閃光がパンッと漆黒の槍を弾く。深緑の髪の青年が緑に輝く剣を構えていた。

 アレックスは次の攻撃を防ぎに駆けていく。

 秋月は小さな安堵を溜息を吐くとそのまま彼女の目の前まで来る。


「み……ない……で。こん……な……わたし……」


 レイラは悲痛な声を上げた。アーロンだけには見られたくないというように顔を両手で隠す。紅い瞳からは涙が溢れていた。


 それを機に邪神の禍々しいオーラが増量する。それに呼応するように漆黒の槍の数が増えた。

 弟子たちもそれを防ぐのに苦戦しているようだ。

 クラスメイトたちも攻撃から一転して防御に徹している。

 異様だ。原作では邪神は勇者の攻撃に押されていた。しかし、今は逆に邪神の方が圧倒している。


 このままではレイラが殺される事はなくなるかもしれないが、こちらが全滅する。

 どうすればいいのかわからない。しかし、どうにかするしかない。


「甘えるな!」


 秋月はアーロンを真似てそう威圧した。

 突然の秋月の叫び声にレイラは両手を顔から離す。


「レイラ、お前程度が俺を庇おうなどと舐めた真似をしてくれたものだな」


 秋月は見下すように、憎々しげにそう告げた。

 レイラは突然の秋月の変化に少し戸惑っているように見える。


 刹那、邪神の漆黒の槍が秋月の肩に突き刺さった。


 秋月は激痛で呻き声を上げる。レイラも悲鳴を上げた。

 弟子たちが秋月を助けようとこちらへ向かって来ようとするが、秋月は下がれと制す。

 肩から血がボタボタと床に流れていく。

 痛みと熱さでどうにかなりそうなのを堪える。


「俺は……ラングフォード家の男子であるぞ。っ……邪神教だかなんだか知らないが、好き勝手なことをしてくれたな、下民がっ!」


 痛みを必死に我慢しながらそう吐き捨てる。

 そして、足に邪神の漆黒の槍が突き刺さり、体勢を崩しそうになった。

 だが、無理矢理立ち上がる。自身でもありえない程の動きだ。気力や火事場の馬鹿力に近かった。


「レイラァ……ラングフォード家に泥を塗る気か? あんな下民共の……思い通りになりやがってっ。……お前もラングフォード家の一員なら、しっかりしろ、馬鹿が」


 秋月は苦痛から苛立ちを込めてそうレイラを睨んで言った。

 きっとあいつならこんな感じに言うだろうから。


「でも……邪神……だから。あなたに……相応しく……ない」


 紅い獣のような瞳に涙を溜めながらそう言うレイラ。

 こいつは本当に……


「馬鹿が……」


 クソッ……血を流しすぎて、立つのすらきつくなってきた。


「まだ、分からないのか。お前が、何を言おうが……邪神に付き纏われようが、勇者に狙われようが、父親が決めた以上……お前は俺の婚約者なんだよ」


 レイラは眼を見開き、信じられないものを見るような眼差しでこちらを見つめる。


「はっ、邪神がなんだ……邪神程度がラングフォード家に影響が出るとでも? ……調子に、乗るなよ。天下の……ラングフォード侯爵であるぞ」


 刹那、秋月の全身が輝く。痛みが引いていく。どうやら回復魔法を掛けられたようだ。

 正直おせーよと言いたい。


「まぁ、精々その力をラングフォード家の為に使うことだな。レイラ・ラングフォードとしてな」


 腕を組んで嘲笑しながら、貴族主義らしく、あいつらしく、彼女を受け入れた。

 レイラは嗚咽を漏らしながら泣き始める。

 そして、背後の禍々しい邪神が攻撃を止めた。漆黒の槍は消えていく。そして、まるで氷が崩れ割れていくように漆黒のオーラは砕けていく。

 それに呼応するように禍々しさは消えて明るさを取り戻す。ブロンドの美しい髪に雪のような白い肌。

 真顔だった彼女は愛の女神らしく微笑みを浮かべて、ゆっくりとレイラの背の中へ消えていく。


 それに続くようにレイラの黒い痣も消えて、最後には片目の赤い瞳だけが残り、


「はい」


 と、レイラは泣きながら笑顔を浮かべる。

 赤い瞳すら片側の目の色と同じ翡翠色へ変化した。

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