48 アーロン・ラングフォード
秋月は呆然していた。
嘘だろと思う。これを防ぐ為に行動してきたというのに、こんなあっさり。
あんなわけのわからない注射を打たれて、たったそれだけで終わるのか。
空には禍々しいオーラを放つ巨大な邪神ヨランダにその依代として全身を爛れた黒に侵食され、紅い獣のような瞳をギラギラと輝かせているレイラ。
大体、あいつは二部で出てくる敵だ。何故、こんな場所にいきなり出て、いや、居たはずだ。ここに居るはずが無かった存在。ラスボスであるエドワード・ラングフォードが。
何かがおかしかった。
原作から大きくかけ離れすぎている。
原作では黒幕エドワードはこの現場に登場しない。しかし、実際、勇者のチート能力を信じるならばエドワードは般若のお面を被って現れ、ドミニクたちの窮地を救った。
二部で登場するはずだったマッドサイエンティストもおかめのお面を被って騒動に加担している。
それもこれも全て秋月が引き起こした行動の影響が原作を大きく捻じ曲げてしまったのか。
この場にいる全ての人間が驚愕し、レイラの背から這い出ている存在を見上げている。
未だ行動を起こせないのは邪神が思った以上に巨大で威圧的であった為だろう。
そんな立ち尽くす状況を打ち破ったのはツーブロックの男子生徒。
自身の周りに大量の剣を浮かせ、邪神に向かって一斉射出。
邪神は両手を交差させガードする。
当たり判定があるのか邪神は呻き声を上げた。
「んだよ。攻撃効いてんじゃん。おい、あいつを狙え」
攻撃を仕掛けた際は焦った表情を浮かべていた彼だが、攻撃に効果があると判断した後は少し安堵したように溜息をついた。
そして、虚ろな瞳をしたクラスメイトに命令する。
それに従うように洗脳された勇者たちはチート攻撃を一斉に仕掛け始めた。
このままでは勇者によって邪神は殺されてしまう。
秋月はそれを阻止する為に必死に思考を巡らせるが。いい案が浮かばない。
もうダメなのか。このままレイラを殺されてバッドエンドなのか。
唐突に目の前で小さな音がする。
いきなりの出来事に秋月は最悪な思考から現実に意識を取り戻した。
今のは弟子たちと決めた合図の一つ。
秋月はそれを発したであろう人物を探す。
そこには後方支援として付いてきたサイモンが立っていた。
サイモンは秋月が彼の方を向くと、指を指し示す。
それは邪神の方。いや、正確にはレイラの方だった。
レイラは頭を抱えている。それは葛藤しているように見えた。
サイモンが言いたい事は理解出来た。
レイラは戦っている。邪神に、愛の女神・ヨランダに自身を乗っ取られないように必死に争っているのだ、と。
証拠に顕現した邪神は勇者の攻撃をガードしているものの、未だにこちらへ攻撃を仕掛けていない。
だからこそ、まだチャンスはあると彼は言いたいのだろう。
でも、それがどうした?
無理に決まっている。邪神化したレイラを今の状態から元に戻す方法なんて原作になんて登場していない。勇者たちはチートで攻撃し続けている中で、レイラを殺されないようにしながら元に戻す方法を探す? そんなの不可能に決まっている。
レイラを邪神化させた時点で全てなにもかもが失敗に終わっているのだ。
そもそも、邪神から発せられる威圧感に秋月は足が震えて全く動こうとしない。
結局、結局、何もかもが無駄だったのだ。
秋月は脱力し、全てを諦めようとした時だった。
目の前に黄金の雪のような輝きが降り始める。
そして、脳内に何かが雪崩れ込んでくる感覚。
この感覚には覚えがある。過去の、未来の、記憶が雪崩れ込んでくる前兆。
黒い鎖と拘束具によって全身を拘束されたアーロンは夕暮れの中、自身の婚約者が背から邪神を顕現させている場面を眺めていた。
それは秋月が目にしていた光景と同じだった。
もし、もし、自分にもっと力があれば上手くやれたかもしれない。
こんな結果にしか出来なかったのは全ては自分の責任でしかない。
自分の過去の行いが今を生んでいるのだから。
こいつだってこんな風にならなかったかもしれない。
アシュリーだって拒絶しなければ違った反応があったかもしれない。
あの時だって、そうだ、あの時だって、あの事件の時だって、もし、自分が行動を起こしていたならば、母上が死ぬ事なんて無かったかもしれない。
そしたら、父上も血統や地位に拘らなかったかもしれない。兄上だってきっと違っていたかもしれない。
全てはアーロンの責任に他ならない。
母上が死んだのも、姉さんが死んだのも、全て自分の責任でしかない。
相応の罰なのだから。
もし、やり直す事ができるのなら、こいつに優しく出来たのだろうか。こいつを受け入れることが出来たのだろうか。
暴言を吐くくらいしか出来ないこんな自分とは違う自分になれたのだろうか。
迫る邪神の攻撃が腹部を貫いた。
アーロンは激痛と共に吐血し、それでも、アーロンはレイラに向かって手を伸ばす。
しかし、それは決して届く事は無い。アーロンの本当の気持ちも決して。
勇者たちの一斉攻撃を受ける邪神とレイラ。
そんな光景を擦れる視界で眺めながら、ゆっくりと暗転していく。
秋月は荒い息をしながら視界が晴れていくのを認識する。
記憶が雪崩れ込んだ為か若干頭が痛い。
しかし、それよりも胸が苦しかった。
心が揺さぶられているのが自分でもよくわかる。
劣等感で一杯だ。どこまでも自分が劣った存在だと思い知らされる。
だからこそ、思う。
屑の癖にそこまで他人を思いやれるなら、なんでもっとうまくできないんだよ。
どうして秋月はアーロンなんかに転生して、こんなアーロンの記憶を、気持ちを引き継がなければならないんだよ。
苛々が募る。同時に吐き気がする。
呼吸すら苦しいのを堪えて、顔を上げる。
そこには勇者の攻撃を受け続ける邪神と全身を爛れた黒い肌にして紅い獣の瞳を細めている彼女──彼らやこちらに攻撃を仕掛けないように必死に堪え、踠き苦しんでいるレイラの姿があった。
クソがっ。
アーロン、お前がやれよ。お前自身があいつを救えよ。
期待なんてされたくもないし、期待にも応えたくないし、応える能力も無い。
こっちは自分がゴミ屑だって自覚してるんだ。
でも、応えないわけにはいかない。ハリボテの自尊心と毛ほどの思いやりくらいは持っている。
だからこそ、秋月は叫ぶ。
「俺を護れ!」
弟子たちは秋月の方を一斉に見る。そして、弟子同士で顔を見合わせ、頷き合うのが見て取れた。
その瞳は何かを期待したようにキラキラと輝いている。
どいつもこいつも何の疑いもなく、こっちが一言発しただけで自身のやるべき事を理解したような面して行動し始めていやがる。
ふざけるな。本当にふざけている。こんな奴に何を期待しているんだよ。
さっきから過呼吸気味で息苦しいし、足と歯はガタガタ震えているし、心臓が激しく鼓動している。
気持ち的にはとっととトンズラこいて、逃亡計画の続きに取り掛かりたいというのに。
黒い爛れた肌に紅い獣ような瞳はどう見て化物にしか見えない。
そんな彼女の紅い瞳と一瞬、目が合った気がした。
間違いなく合った。しかし、すぐに逸らされた。
鋭い紅い瞳はどこまで恐ろしいのに、その瞳は悲壮感が漂っていた。
そして、助けを求めているように秋月は感じた。
咆哮を上げるレイラ。そして、攻撃を仕掛けてきた勇者に向かって、遂に邪神が反撃を仕掛ける。攻撃は勇者の一人を巻き込んだ。
その時、レイラの鋭い紅い瞳から涙が溢れるのをはっきりと見た。
ああ、そんな姿になっても、お前は──
歯を噛み締めて、秋月はレイラに向かって走り出す。
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