46 クラスメイト
「……八代?」
幼馴染の声だった。
世界が凍ったかのように静寂が訪れた。
どうしてこいつが、とは思わない。あの予知夢の時だって彼女は”居た”のだ。
だから、予想はしていた。だが、後ろ姿だけでこちらの正体がバレるのは想定外だった。
「八代、だよね?」
確認するように尋ねる彼女の声は静寂の中、よく通った。
ごくりと唾を飲み込み、秋月は目を閉じて、鼻で空気を吸い込む。
頬から喉へと汗が滴っていく感覚。
一瞬の沈黙、そして、破られる。
「は? どういうこと?」
「八代って、あの?」
「登校拒否してたあいつ?」
「そういえば来てたよね? あの日」
「来てた来てた。ずっと下向いてたよね」
呼吸が出来ない。息が苦しい。
視界がぐにゃりと変化する。同時に吐き気も催してきた。
誰か、誰か助けて。もう嫌だ。今すぐここから逃げたい。家に帰りたい。
何もかも放り出してしまいたい。
だが、身体は動いてくれない。恐怖で縛られて、一切の身動きが出来ない。
「本当に八代なのか?」
肌が粟立つ。秋月にとって恐怖の対象である男がそう幼馴染に問いかけたからだ。
「え? あ、うん。八代だよ。あの後ろ姿は」
「へぇ……」
幼馴染はあいつの問いに何の躊躇もなく答えた。
余計な事をと思っていると、男の意味深かつ冷笑混じりに納得する声が聞こえる。
「八代、なんだよな? こっち向いてくれないか?」
恐怖の対象である男はそう秋月に向かって話しかけてきた。
ああ、最悪だ。
クソッ。やっぱり来るんじゃなかった。失敗だった、なんで秋月はここへ来てしまったのか。あの時、逃げれば良かった。逃げていれば良かったんだ。なにが最高の納得感だ。何がハッピーエンドだ。どうせ秋月は駄目人間なのだから、何をやったって失敗するに決まってる。最悪だ。もうどうでもいい。本当どうでもいい。
どうせ、逆らえないのだ。こいつには。
秋月は過呼吸気味の息を無理矢理整えつつ、ゆっくりと、慎重に振り返った。
振り返った先にはあの予知夢と同じ光景が広がっていた。
水の模様の仮面を被った騎士風の男。仮面はレイラが被っていた炎の模様の入った仮面に酷似している。白を基調としたスーツに軽装の鎧を纏っていた。黒髪が見える事からレイラと同じ国の出身の可能性がある。
そして、秋月が必死に回避しようとしていた存在であるクラスメイトがそこに居た。
「やっぱり、八代だ」
最初に反応を示したのは幼馴染だった。ミディアムの黒髪を二つ結びにしている。
「八代……」
そして、秋月の恐怖の対象である男子生徒が立っていた。茶髪に整った顔立ち。切れ長な目に高い鼻にシュッとした顎。
秋月の想像通りの存在がそこにいた。
男子生徒は何かを見極めるようにこちらを観察してくる。
その瞳が秋月を捉えているという事だけで秋月のストレス数値は上がっていく。
「なんで? 八代? 鑑定ではアーロンなんでしょ?」
「うん、アーロン・ラングフォードになってる」
茶髪のウェーブをかけた派手な女子生徒は表情の変化の乏しい女子生徒に尋ねる。
表情の変化に乏しい女子生徒はその問いにどうでも良さそうに答えた。
「あたしもそだねー。アーロンになってる。八代がなんでアーロンなのかは知らないけど」
モデルのようなスタイルをした女子生徒も口を挟む。GPS的な能力を持つ女子生徒だ。
「服もなんか変っていうか、こっちの服着てるし」
「転生したって事じゃねーの?」
男子生徒の誰かが言った。
「転生? どういうこと?」
「こっちのキャラに生まれ変わったって意味でしょ」
「転移に転生ってマジで小説の世界だな」
「転生っていうか、乗っ取りじゃね? 見た目は八代のまんまだし」
「アーロンってあれでしょ? 最初の敵」
「最初の敵っていうか。邪神に殺されるから、敵というよりも」
「まぁ、噛ませだよねー。すぐ死んだし」
「作中の屑で雑魚だから、アーロンって」
複数の好奇や侮蔑の混ざった視線が秋月に集中する。
「ふっ、八代、お前居なかったと思ったら、何? 雑魚の噛ませになってたわけ?」
大柄な男子生徒はせせら笑いながら秋月にそう話しかけてきた。
その声に肌が粟立ち、背筋が凍る。
心臓の鼓動が激しくなり、耳鳴りがし始める。
先程、秋月に振り返るように怒鳴っていた男子生徒だ。
秋月にとってもう一人の恐怖の対象である。
秋月は咄嗟に視線を彷徨わせ、そいつに視線を合わせないようにする。
いつの間にかひそひそと話していた声は鎮まっていた。周りの視線が秋月に集中しているのがわかる。
恐怖の対象の彼によって貶められる秋月を見世物として見物するかのように。
「クソ笑えるわ。屑で雑魚で噛ませって部分がお前らしいじゃん。しかも、死ぬっぽいじゃん、おまえ。陰キャの癖に調子こいてたからそんな目に合うんだよ。ざまぁねぇな」
大柄の男子生徒はそう嘲笑していると、もう一人の恐怖の対象である茶髪の男子生徒が肩を叩き留めさせる。大柄の男子生徒も言い過ぎたと思ったのか口を閉じるが秋月を嘲笑の眼差しで見つめている。
「八代、聞きたいんだけどさ、なんでお前、アーロンになってるんだ? つか、八代でいいんだよな? 俺の事わかる?」
恐怖の対象である彼はそう大柄な男子生徒を抑えた後、そう問いかけてくる。
純粋な疑問といった体で聞いているが、その瞳にはそれは命令だと格下の存在に詰問しているのが伝わってきた。
秋月は視線を泳がせながらも肯定する。答えないと危険だと脳が判断したからだ。
「やっぱ八代なんだ。でも、鑑定ではアーロンって事になってる。つまり、お前は転生だっけ? 転生したって事でいいんだよな?」
蛇に睨まれたカエルの如く、秋月は彼の質問を硬直しながら聞くしかない。
そして、問いが終わると、秋月は肯定を示すように肯く。
「マジで転生してたんだ」
「って事は八代がレイラを邪神化させようとしてたって事?」
「アーロンは邪神化させようとしてたはず」
秋月が肯くと一斉に生徒たちが弾かれたように話し出す。
どうにかしてここから逃げる方法を考えなければならない。
レイラは未だに地面で横になって目を覚ます様子はない。秋月一人ならまだなんとか逃げれる可能性はあるが、彼女を抱えて逃げるとなると難易度がかなり上がるだろう。
ふと、視界の端にサラとカイトが見えた。秋月が勇者たちの注目を引いている間に何かこっちに仕掛けようとしているのが目に見えた。
同時にモデルのような女子生徒がサラとカイトが居る方へと視線を向けている。彼女の持つチートはGPS的な能力と言っていたが、秋月にその能力に覚えがあった。
アニミズムで出てくる能力で空中に高機能地図が表示され、土地や建物だけでなく、人の現在地や名前すらリアルタイムで表示される能力だ。能力が強化されると、特定の場所を拡大して監視カメラのような事も出来るようになる。偵察においてかなり強力な能力だったはずだ。
つまり、この能力を持つ彼女は身を潜めているイアンたちの存在を把握している事になる。当然、何かを仕掛けようとしているサラやカイトも例外ではない。
敢えて手を出さないのは何か対策がある可能性が高い。相手は勇者と水の守護者だ。まともに戦ってタダで済むとは思えない。
「どうなんだ? 八代」
恐怖の対象である茶髪の男子生徒がそう問いかけてくる。勇者たちがひそひそと話していたレイラを邪神化させようとしていたかという事についてだろう。
だが、秋月はそれに答えず、サラとカイトに待機の指示をハンドサインで出した刹那、地面に叩きつけられる。
激痛に呻きながらも状況を判断する。どうやら両手両足を黒の鉄の拘束具で拘束されたようだ。
「おい」
茶髪の男子生徒が短髪をツンツンに逆立たせている男子生徒を睨む。
「そいつ、今変な動きしたからさ。魔法撃たれても厄介だし」
しかし、男子生徒は悪びれた様子もなく答える。そんな彼に茶髪の男子生徒は溜息をつく。
彼こそが黒の鎖や拘束具を操る能力を持ち、涼という名前なのだろう。
「八代、こっちも手荒な真似はしたくない。質問に答えてくれれば何もしない」
そう言ってから表情の乏しい女子生徒に尋ねる。
「杉野、あの娘がレイラでいいんだよな?」
「うん、レイラ・神無月。間違いないね」
茶髪の男子生徒はモデルのようなスタイルの女子生徒を見て、
「こっちもレイラって表示されてるよー」
意図に気づいた彼女はそう答えた。
「八代、お前はあの娘、レイラを邪神化させようとしてるのか?」
皆の視線が集まる。
喉に引っかかりがあるかのように言葉が出にくい。それでも、言わないといけないのは男の目を見ればわかる。闇が見えた。ドス黒い冷酷な瞳。
こちらを対等として見ていない。大柄な男子生徒のマウントを取る侮蔑の目とも違う。無感情無関心にも近いその辺の塵を見るかのような瞳。
「ち、違う」
掠れて出た小さな否定の声。
「そうか」
秋月に対する僅かな関心を失った彼は仮面の男の方を確認を取るように見る。
仮面の男が頷くと、
「朝倉。頼む」
「わかった」
一人の女子生徒にそう言うと、女子生徒は手をレイラに向ける。
刹那、レイラが小さな呻き声を上げた。どんなに揺すっても全く起きる気配がなかった彼女が女子生徒が手を向けただけで目を覚ました。それが彼女のチート能力なのであろう。
「ここ、は?」
目を覚ましたレイラはゆっくりと起き上がると、辺りを見渡した。
そして、勇者たちの姿を視認すると、思い出したかのように警戒を示す。
「アーロン様!」
警戒しながら辺りを見渡していた時にすぐ近くに秋月の姿を発見すると、すぐに立ち上がり秋月の元へと駆け寄る。
「大丈夫ですか? アーロン様! どうしてこんな! っ!」
レイラは秋月の顔を心配そうに伺った後、秋月が黒い鎖で拘束されているのを見て悲痛な表情を浮かべた後、怒りの色に変えて振り返り勇者たちを睨んだ。
「あなたたちがアーロン様をこんな目に合わせたのですか? 狙いは私のはずです。アーロン様は関係無い!」
レイラは勇者たちを自分を誘拐した奴らだと思っているようだ。
邪神教はお面を被っているか黒ローブで顔を隠している者ばかりだった。
レイラがいつ眠らされたのか分からないが、もし、誘拐された瞬間だとすれば、レイラからすれば目が覚めたら婚約者でアーロンを拘束している彼らが誘拐犯だと思ってもおかしくない。
「レイラ・神無月殿でありますな? 確かに彼を拘束したのは我々ですが、こちらに敵意はありません。どうか警戒を解いてくださると助かります」
レイラの言動に若干の戸惑いを覚える勇者たちの中から一歩前に出てきたのは水の模様のある仮面を被った騎士風の男だ。
「信用ができませんっ。私を誘拐しておいて。それに敵意が無いなら何故アーロン様を拘束する必要があるのですか?」
「誘拐は我々ではありません。邪神教の仕業です。我々は六神教から貴方を保護するように言われたのです。彼を拘束したのは彼が不審な行動を取った故」
「……あなた達が邪神教で無い証拠がありません」
「この仮面を見ても尚そうおっしゃるとは。貴方もよくご存知のはずですが? それに現にここに居られる方々は勇者殿たちです。貴方が庇っておられる彼も勇者殿たちをご存知の様子。疑わしいと思われるならば、彼に尋ねてみれば宜しいかと」
仮面の男とレイラの視線がこちらへ向いてくる。秋月はクラスメイトたち、特に恐怖の対象である彼の凍てつくような視線に冷や汗をかきながら頷くしかない。
「わかりました。アーロン様を信用します。貴方たちに従いましょう。その代わり、すぐにアーロン様の拘束を解いてください」
「ありがとうございます。ええ、勿論、彼の拘束はすぐに解きましょう」
仮面の男は短髪をツンツンに逆だてた男子生徒に顔を向けて指示を出す。
指示を出された男子生徒は肩を竦めながら、秋月の黒の鎖の拘束を解いた時だった。
バチッという音がすぐ傍で聞こえた。
音がした方へ秋月含めその場にいた者が視線を向ける。
そこには男が立っていた。深い青い髪に彫りの深い整った顔の中年くらいの男。白を基調とした金の装飾の入った服。六神教の教会で偶に見かける服装。
彼が六神教の関係者である事は六神教の信者ではない秋月もわかった。
さらに男の姿は透けており、まるでホログラムのような感じあった。
きっとなにか魔法なのだろう。
「サミュエル様?」
仮面の男はその男の事を知っているのかそう問いかける。
しかし、青髪の男はそれに応える事はなく、告げた。
「六神閣議にてレイラ・神無月を邪神と認定し、討伐処置が閣議決定された。守護者及び勇者諸君は直ちに邪神・レイラ・神無月を討伐する事を命ずる」
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