42 レイラ救出作戦


 扉を開けた時、息を呑むような声が聞こえた。

 森の緑が視界に入った後、扉の前に一人の少女が立っていた。

 黒髪をセミロングに切り揃え、橙色の瞳は秋月を写し、揺らいでいる。

 口元は間抜けにも半開きで突然の出来事に口を開こうか、閉じようか迷った故の様のよう。

 手はドアノブに手を伸ばそうとしていたのか、空に右手は浮いていた。


 どこか不格好な姿勢に気づいた彼女は突き出した手を引っ込め、後ろに隠すように背中で両手を組む。

 そして、ゆっくりと視線を逸らし、唇を尖らせる。バツが悪いところを見られたと言わんばかりに不機嫌そうに顔をしかめていた。


 秋月もまさか彼女がこんな場所に来るとは思いもしなかったので、動揺が隠せずにいる。

 確かに彼女は用事があるという事で今回の帝都行きには参加していなかった。だから、用事があるのだろうと思っていたし、なにより、弟子たちの多くが帝都行きで出払い、誰も居ないであろう父親の書斎にわざわざ彼女が来るとは思いもしなかった。


 秋月の脳裏に浮かぶのはつい先程の自身の痴態と言える振る舞い。誰かに見られる事は絶対に憚れる恥部。


 そんな場面を見られたのではないかと、口の中が渇くのを感じつつ、秋月は何事も無く平静を取り繕うように問いかける。


「ソニア、どうかしたか?」


 そんな秋月の問いかけに少女ーーソニア・エリオットは秋月とは目を合わせず、視線を泳がせながら「いえ、別に」と動揺混じりにぶっきら棒に答えた。

 どうにも先程の自身の痴態を見られたのではないかと思うような反応に秋月は冷や汗を掻きつつ、自ら掘り返すのも嫌なので気づかない振りをする事にした。


「そうか、ソニアに頼みたい事がある。そろそろ、アレックスたちが帝都から戻る頃。いや、戻っているだろうから、ここに集めて欲しい」


 秋月の頼みにソニアは恐る恐るといった感じに視線を合わせる。

 相変わらず口は尖っており、不満げでありながら、顔は上気していると複雑な表情を浮かべていた。

 小さな子供が怒られイジけたかのように言葉は発さず小さく頷き、視線を地面に落とした。

 そして、その場からすぐに動かず、気まずい静寂が漂う。秋月としてはさっさと弟子たちを呼びに行って欲しいのだが、それを言うのは今の状況では憚れる。


「な……」


 沈黙を破るように、ソニアは何かを言おうと口を開こうとして、すぐに閉じる。また唇を尖らすだけだ。

 秋月としては何か先程の事を聞かれるのではないかとひやひやしていたが、結局、ソニアはそれ以上言葉を発する事はなく、不満そうな悩むような興奮しているような何とも複雑な顔で秋月に背を向けて去っていた。



 しばらくして、弟子たちが書斎に集まる。

 集まった弟子たちの表情は暗い。護衛として付いて行ったのにレイラを誘拐される事を許してしまったからだろう。


 秋月に対して後ろめたさを感じているのか、いつもは積極的に話しかけてきたりするのだが、そんな事もなく粛々と書斎で秋月の発言を待っている。


「昨日、レイラが誘拐された」


 秋月の言葉に握り拳をつくる者、肩を震わす者、悲嘆に表情を歪める者、それぞれいる。


「レイラを誘拐したと思われる集団は邪神教である可能性が高い。そして、それを主導しているのは邪神教、司教であるドミニク・ゴールトンである」


 弟子たちの視線が秋月に集まる。


「そして、奴らの目的は邪神の生まれ変わりであるレイラ・神無月の覚醒。つまり、邪神の復活にある」


 息を呑む音が聞こえる。

 流石にレイラの隠された噂を知らない者はここには居ない。だが、分かっていたが、あえてそれは伏せており、禁句として暗黙のルールがあった。

 しかし、それをアーロンが破ったので少なからず動揺している弟子たちもいるようだ。


「もし、このまま行けば、邪神教はレイラを邪神化させるだろう。同時に邪神化に成功すれば帝都および、この領もただでは済まない」


 緊張が走る。状況は緊迫している事が彼らに伝わり、張り詰めた空気へと変わった。


「だからこそ、俺は邪神教の目的を阻止する為に行動を起こすつもりだ。ここに集めたのもそれに協力して欲しいからだ。邪神教の目的を阻止し、レイラを奪還する事に協力して欲しい」


 秋月は頭を下げる。自分一人の力、秋月一人の力でどうにかできるとは思えない。だからこそ、秋月よりもずっと能力の高い彼らにお願いする。


「勿論です。むしろこちらお願いする立場です。師匠、レイラさんをみすみす奪われてしまい申し訳ありません。謝って許される事では無いと思っていますが、それでも、レイラさんを助け出すのに協力させてください」


 アレックスが前に出て、代表するように返答した。アレックスの言葉に弟子の皆も頷いていた。


「僕も勿論協力させてください。レイラ様を奴らに捕らえられたのは僕の不手際によるものです。あの時、ドミニクを倒せていれば、きっと。次は絶対奴を倒します」


 イアンは握り拳を胸元に持ってきて、そう秋月に宣言する。

 イアンはあの時ドミニクと交戦していた。アレックスと違い、レイラを救える立場に居たからこそ、余計に思うところがあるのだろう。


「先生、レイラを助けに行くなんて当たり前でしょ。仲間なんだから」


 サラがそっぽを向いて腕を組んでそう言った。その頬は少し上気している。

 最初は気まずい距離感だったサラとレイラだったが、レイラが帰る頃には仲良く談笑している場面がよく見られた。


 仲間という言葉は秋月は正直嫌いだった。リア充が薄っぺらい関係で簡単に使うように感じて、薄寒く感じていた。秋月にそんな存在が居なかったから、嫉妬のような感情で忌み嫌っていたのかもしれない。

 しかし、サラからレイラに対して「仲間」という言葉を聞いて、どうしようもなく心が震えていた。


「レイラ様が怪我している可能性がある以上、私も行きます。それに先生だけ一人に行かせたら、また死にかけないですし」


 シルヴィアは最初の言葉は真剣に言った後、秋月の方を見て嫌味ったらしく言ってくる。

 実際、シルヴィアが助けてくれなければ出血多量でどうなっていたかわからないので何も言えない。

 嫌味を言いつつも、シルヴィアは回復魔法が使える自分がついていくのが当たり前だと言わんばかりの態度である。


 皆の言葉に秋月は目頭が熱くなる。

 秋月は自分の事しか考えず逃げ出す事ばかり考えていた。

 でも、彼らはレイラと関わりがあったといえ、子供の時だ。それもそんな長くもない日々だ。

 そんな彼女の為に少なからず命を賭けて救出するというのだ。


「ああ、頼む」


 秋月は鼻を啜りつつそう言った。

 いつの間にか張り詰めて空気は霧散し、秋月の返答に暖かい空気が流れ始める。

 そんな空気を壊すように声を上げる者が居た。


「あー盛り上がってるところ、悪いけどさ。レイラの居る場所は分かってるの?」


 若干、白けた顔しながら疑問を投げかけたのは紫色の髪の少女ーージュリアである。

 ジュリアは秋月の方をじっと見ながら目で問いかけてくる。

 あんた、わかってるんでしょ? と。


 同じ転生者同士、アミニズムの原作か書籍、もしくはアニメを知っていれば自ずと答えは分かる。

 年齢や性別、国籍もわからないが、ジュリアは間違いなく異世界転生者であり、しかも、秋月と同じ世界で同じ時代に生きていたのは間違いない。


 ジュリアが創ろうとしている物が尽く秋月の知る時代の物ばかりなのだ。

 また彼女が口を滑らした言葉を聞く限りでも秋月の時代であると思われる。

 国籍もわからないと言ったが、大方日本である可能性が高い。それだけ出てくる発言が秋月にとって身近に感じるものばかりなのだ。

 そして、彼女はアニミズムの存在を知らなければ出ないであろう発言も漏らしたりしている。


 そんな彼女だから、秋月に視線で問い質しているのだ。レイラの居場所を。邪神教がどこへ向かおうとしているのかを。


 言われなくともわかっている。書籍でもアニメでも、そして、予知夢の中でも見た光景だ。


「ああ、旧教会だ」


 秋月の答えに弟子たちは驚いた様子だった。また怪訝そうな顔をしている者も居た。

 原作を知っている者からすれば、旧教会は勇者召喚後、もっとも魔素が集まる場所の一つだとわかっている。

 

 邪神の生まれ変わりであるレイラを邪神化させたい邪神教にとって、邪神化に必要不可欠である膨大な魔素がある旧教会に向かうのは必然と言える。

 当然、そこにレイラも連れて行くだろう。


 そして、邪神教の目論見を阻止する為に必然的に彼らもやってくるはずだ。


 秋月は息を吐き切って、湧き上がってくる恐怖を振り払う。

 邪神教が何故旧教会へ向かうのかを説明して、レイラを救出する為の作戦を立てる。

 秋月の意見だけでなく、弟子たちの能力等を踏まえた上で作戦を考えていく。


 前衛を務めるのは戦闘能力に秀でているアレックス、イアン。

 後衛に回復魔法を持つシルヴィア、ソニア。防御に特化したジュリア。

 中衛にサラと秋月だ。そして、先行と全体のカバーを務めるのがカイトである。


 大方の作戦が決まった。作戦と言える代物なのか疑問であるが、それぞれの役目を決める事が出来た。

 作戦実行メンバーは戦闘に特化した弟子と回復に特化した弟子達で構成されている。戦闘に不向きな弟子は状況が状況なので待機となる。


 作戦を考え終えて、皆の視線が秋月を捉えている。

 何かを求められているのはわかる。秋月は弟子達の期待の眼差しを受け止めて、


「これよりレイラ救出作戦を決行する」


 そう秋月は格好付けて言い放った。

 弟子達も「おお!」と声を上げる。皆の士気が最高潮に上がった時だった。


「本当にいいのですか?」


 そんな疑問を投げかけて水を刺す者がいた。

 白髪の少年、白の修道服を纏っていたサイモンだった。


「なにが?」


 秋月はサイモンの方を見て尋ねる。

 嫌な予感はあった。サイモンは聖職者であり、六神教の信徒だ。


「彼女は邪神の生まれ変わりなんですよ。人類の脅威になりうる存在なんですよ」

 

 サイモンは六神教の信者である。当然、邪神の存在は知っていただろうし、その特徴も知っていたはずだ。

 レイラが邪神の生まれ変わりであろう事はサイモンも気付いていただろう。

 それでも、彼は六神教に報告せず、秘匿し続けてくれていた。

 それは彼の善意であり、同時に六神教への背徳でもあったはずだ。


 今まではレイラを見て見ぬ振りをしていたが、今は違う。レイラが邪神へと成り代わろうとしている。

 いくらレイラが尊敬するアーロンの婚約者であり、自分たちの旧友であったとしても、見逃す事は出来ないだろう。

 彼にとって邪神は敵であり、憎むべき存在だ。

 もし、見逃せばそれは彼にとって今まで信仰してきた六神への冒涜に他ならない。


 サイモンの言葉にサラが口出そうとして、秋月がそれを制する。そして、サイモンに先を促す。


「彼女を助けるという事は、六神教を敵に回す事にもなるんですよ」


 つまり、六神教の信者であるサイモンとも敵対することになる。そう彼は言いたいのだろう。


 「先生、六神教を甘く見ない方が良い。六神教は強大な力と権力を持っています。そして、六神教は邪神を見逃す事は決してない。勿論、それに加担した者も」


 息を呑む音がした。弟子達の誰かだろう。

 六神教を信仰しているのはサイモンだけではない。弟子の中にも六神教を信仰している者は多い。

 六神教の影響力の強さは皆が実感しているだろう。特にサラやケヴィンのように権力者に接する機会が多い人間程、六神教の恐ろしさを知っているはずだ。

 サラも先程は食ってかかろうとしたが、今は口を閉ざし、握り拳を作っていた。


 サイモンは真っ直ぐに秋月の方を見る。その瞳は不安に揺れているように見えた。


「それでも行くのですか?」

「ああ、勿論」


 秋月はサイモンの問いにそう答えた。


「……」


 秋月の即答にサイモンは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。

 六神教を敵に回すことに何の躊躇もないと言っているようなものである。

 そして、その信徒であるサイモンとも決別して構わないと言ってるようなものだ。


 サイモンは俯く。白髪が目元を隠し、何を考えているのか秋月はわからない。

 だが、決して好意的な感情ではないのは間違いない。

 彼の辺りの温度が下がっていくように錯覚する。


 サイモンの雰囲気に弟子たちも警戒の色を見せる。構えることは無いが、視線はサイモンへ集中していた。

 しばらくの静寂、秋月は冷や汗が背中を伝っているのを感じる。


 まさかサイモンとこんな風に相対する羽目になるとは思いもしなかった。

 心の何処かでサイモンはレイラを受け入れているから大丈夫だと思っていた。

 いや、違う。本当は気付いていた。サイモンのレイラを見る観察するような目を。でも、気づかないふりをしていた。


 サイモンが六神教に入信しており、助祭にまでなっているというのに、秋月は邪神の生まれ変わりのレイラの存在を受け入れてくれているのだと見て見ぬふりをし続けていた。


 サイモンを連絡役にしたのもレイラを受け入れて、レイラの護衛に協力してくれているから、レイラに対して好意的な感情しかないと思いたかっただけだ。

 だから、本当のサイモンの気持ちに気づく事も、そして、気づこうともしなかった。

 相変わらず自身の浅はかさと愚かさに嫌気がする。


 ツケが回ってきただけだ。秋月はサイモンの次に出る言葉を受け入れるつもりだ。その上で例え、サイモンと敵対する事になったとしても、構わない。

 固唾を吞む中、サイモンは小さく笑った。


「先生ならそう言うと思ってました」


 サイモンは豹変したように微笑んでそう言った。

 いきなりの変貌に秋月は動揺する。悪態や暴言を吐かれる覚悟をしていたというのに返ってきたのはそんな好意的な反応。

 理解が追いつかず、戸惑っていると、


「試したのか?」


 アレックスがサイモンに尋ねる。


「そういうつもりはないよ。リーダー。ただ、確認のつもりで聞いただけだよ」


 サイモンは両肩を竦めて、悪気なく戯言を言うサイモン。

 そのサイモンの発言で緊張した空気が一気に弛緩する。


「趣味悪っ」


 サラはうんざりしたように呟く。

 秋月はサイモンとのやり取りに安堵し苦笑いを浮かべる。

 サイモンの迫真の演技に騙された。弟子達は秋月と同じように安堵した者もいれば、サラのように非難するような視線を送る者もいる。


 サイモンの本音はわからないが、少なくともサイモンが言った言葉は事実だ。サイモンが六神教にもっとも近く助祭にまでなっているからこそ、サイモンは秋月に試すような問いかけをしたのだろう。

 サイモン以外にも六神教の信者はいる。彼らだって六神教と敵対など本当はしたくない。その上で秋月に協力しているはずだ。

 レイラを受け入れていると秋月は思って見ない振りをしていたのはサイモンだけの話ではない。

 だからこそ、サイモンは自身が先頭に立って悪役として秋月に詰問するような形を取ったのではないかと秋月は勝手に思っている。


 だからこそ、問わないといけない事がある。息を吐いて、


「お前はいいのか? 助祭のお前がこんな事に加担したらただでは済まないと思うが」


 そう尋ねる。

 弛緩した空気がまた張り詰める。誰もが口にせずとも不安に思っていた懸念。

 秋月は自身の首を締めると分かった上で問いかけた。


「はい。僕は僕の信じたいものを信じようと思ってますから。レイラさんが悪なわけがない。たとえ邪神の生まれ変わりだったとしても、僕は彼女を助けたいと思っています」


 そうサイモンは即答した。

 その即答は六神教への不安を払拭するに十分なきっぱりとした発言だった。

 不安の色を示していた弟子達も表情が弛緩しているのが見えた。

 すべては計算付くか、と秋月はサイモンの微笑みを見て呆れと同時に若干の恐怖を覚える。

 秋月がこう返してくるのを分かった上で最初からあの問いを仕掛けていたのだろう。悪戯が成功したように舌をちろりと出すサイモンに秋月は降参する他ない。


 しかし、秋月は演説で信じたいものを信じろと言ったが、サイモンにとって深く刻み込まれたようだ。

 秋月は若干ノリと勢いで言った言葉を真摯に捉えられている事に、ごくりと息を呑み「そうか」と引いた感じに答えるしかなかった。

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