39 逃走準備

 屋敷へ戻った。

 早朝から帰ったからか、着いたのは昼過ぎだった。

 頭はクリアになっているものの、長い間馬車に揺られるというのは肉体的に疲労を感じる。

 正直、自室に戻ったら即ベッドに横になりたい気持ちだったが、その誘惑を必死に押し除ける。


「思ったより早い帰宅ね」


 玄関ホールに入ると、アシュリーが仁王立ちしていた。

 アシュリーとは出発前に気まずい空気になっていたので、正直、関わるのは億劫だった。それにこちらとしてはアシュリーにかまっている暇はない。


「勇者召喚は成功したらしいわね。あなたは勇者は見れたのかしら?」


 目を細め、どうでも良さそうな顔で尋ねてくる。

 興味無いなら訊いて欲しくない。正直、そこをどいて欲しい。さっさと部屋に通して欲しい。

 しかし、二階へ続く階段の前でアシュリーは仁王立ちしており、通してくれる様子はない。


「いや、見れない。関係者以外は城に入れないからな」

「はっ、じゃあ、あなたは何しに行ったの? あの仮面女に会いに行っただけ?」


 アシュリーは馬鹿にしたように鼻で嗤う。

 仮面女とはレイラの事だろう。アシュリーの様子からレイラの情報はまだ伝わっていないようだ。それはそうか。秋月たちが先行で帰っているのだ。


「くだらないわね。わざわざ帝都まで行って仮面女に会うだけで帰ってくるなんて。何の価値もない無駄な時間じゃない。そんな事ならここで魔法を習得していた方がマシだったんじゃない? 全く、時間は有限なんだからさっさと庭園に行くわよ」

「アシュリー様、待ってください。今はそれどころではないんです。今はアーロン様を休ませてあげてください。それにレイラ様は今、大変な事になっているんです」


 無知とはいえ、今のアシュリーはあまりに空気が読めていない。事情を知っている人間からすれば滑稽に映るだろう。

 秋月もアシュリーの話は内心白けながら聞いていた。

 だが、更に最悪な事にアシュリーは魔法の特訓をさせようと秋月を庭園に促す。

 そんなアシュリーに流石にミランダは割り込んだ。


「は? 誰に向かって喋っているの? お前。一介のメイド風情が私に口出しするつもり?」

「そ、それは……その、でも、今はそれどころでは」


 アシュリーは気に食わないミランダに口出しされた事に苛立ちを隠さず、ミランダを威圧する。そんなアシュリーにミランダは萎縮しつつも、懲りずに食い下がる。


 秋月はそんな光景を冷めたように見つつ、自室へ向かう為に階段を上り始める。

 アシュリーの「ちょっと、無視するな」という呼びかけが聞こえるが、一切、顔を向けず自室へと向かった。



 自室へ入ると、机の引き出しに入れていた地図を取り出す。

 その地図には赤いインクで線が描かれている。

 地図の他に数枚の紙があり、その紙には逃走経路の詳細、その費用、かかる日数が書かれていた。

 帝国から脱出し、アニミズムに一切名前が出てこない小国までの道のりがいくつか記載されている。


 これらは秋月が調べたわけではなく、弟子の一人に調べさせたものだ。

 弟子は秋月の試練だと勝手な解釈をしてこっちの要求以上の資料を用意していた。

 他にもいくつかの国への行く手段などをブラフとして調べさせたので、秋月がどの国へ逃走するかはわからないだろう。


 最悪の状況を想定して、準備していた方法を使う事になるとは秋月も若干頭を抱えたくなるが、しかし、今更悩んだ所で仕方ない。

 いつかはこんな日が来るだろうと秋月も心の何処かで予想していた。

 レイラが誘拐されるというのが切っ掛けになっただけで、ラングフォード家の居心地が悪く逃げ出した可能性もあった。

 黒幕エドワードの近くにいるのも精神衛生上良くないとこの家を出て行くなんて事もありえた。

 偶々、レイラを切っ掛けに早まっただけに過ぎない。


 秋月は軽い着替えなどを用意し、地図と資料を忘れずに鞄に入れて、父親の書斎がある森へと向かう。

 アシュリーと顔を合わせたくないので、使用人が出入りする裏口から出る。使用人たちからはでかい鞄を持って裏口から出て行く姿を怪訝と不審そうな目で見られたが咎められる事は無かった。


 何度も通った森道を進み、見慣れた木造建の小屋が見えた。

 何かの倉庫にしか見えない小屋がまさか現代の書斎になっているなど誰も思いはしないだろう。


 秋月は小屋の扉を開けると、本の独特な匂いが鼻腔を擽る。

 電気が通っていないので意味を無くした蛍光灯、いくつか並んだ本棚、父親の机と椅子の他に最近弟子たちが勉強する為に入れられた長机と椅子。


 小屋から想像出来ない広さと近代造りの内装。


 書斎に人が居ない事を確認する。弟子たちは今帝都に居るので、誰もいるはずがないのだが。一応、念の為だ。

 戻ってくるとしてもまだしばらくかかるだろう。

 秋月は弟子たちの護衛は拒否した。弟子たちのショックを受けた顔をしていたが、秋月のお願いしていたレイラの護衛に失敗している以上、誰も何も言えなかった。


 秋月は父親の机の奥に隠していた荷物を引っ張り出す。

 それから鍵付きの机の引き出しから鍵を開けてノートを取り出した。

 秋月はそのノートをパラパラとめくる。

 ノートには逃走後の計画が書かれている。少しずつ秋月は長年掛けて計画を練っていた。

 まだ未完成の計画はこれからの逃走後に意味があるのかどうかわからない。


 父親の書斎を見渡しながら、ここを捨てるのが一番秋月にとって痛手だと言える。

 秋月にとってここは元の世界との唯一の繋がりである。それを捨てるのはあまりに惜しく、心が騒つく。

 それでも、こうなってしまった以上、仕方ない。


 本当は書斎の本を全て持っていきたいのだが、流石に無理だと諦めるしかない。いくつか限定して持っていくしかないだろう。

 残った本は弟子たちに残していくほかない。


 逃走後、正直、うまくやれる自信がない。いくら計画を立てたとしても、その通りにいくなんて殆どないだろう。況して、秋月の立てた未熟な計画など余計に上手くいくはずがない。


 ラングフォード家を出る以上、身分を捨てて生きる事になる。ギルドで冒険者として身分を得るつもりでいるが、そう簡単にうまくいくかどうか。

 身分を証明出来なければ、まともに国や街に入る事もままならないだろう。例え、ギルドで身分を手に入れることが出来ても最底辺なのは確実であろう。

 ある意味、貴族である事がチートであったかもしれないと今にして思う。


 愚痴を零したところで仕方ない事は理解している。

 折角、ボディーガードとして育成した弟子たちだが、レイラが誘拐された以上、すべて水の泡だ。

 レイラが邪神化した場合、どうあっても彼らでは敵わない。憶測でもなく、原作にそういう描写が描かれているのだ。

 魔法や剣術で邪神を攻撃したり、攻撃を防ぐ事は出来る。だが、それだけだ。邪神は魔法や剣術では消滅には至らない。

 唯一、邪神を消滅に至らすのが勇者たちが持つチート能力である。


 事実、原作では邪神化したレイラは仮面の男がまだ未熟である勇者たちを補助しながら倒したのだ。


 では、勇者に協力を求めるのはどうか。それこそ、あり得ない。絶対的に有り得ない。

 六神教の保護下であり、もし、秋月の憶測の通りにクラスメイトならば、彼らの中にきっとアニミズムを知っている奴らが絶対にいるはずだ。

 そして、その時、秋月は噛ませ犬のアーロンであり、レイラは最初に倒すべき敵なのだ。

 原作を知っているからこそ、原作通りにアーロンを、そして、レイラを排除にかかるだろう。


 ドミニク・ゴールトンはレイラを邪神化させて、旧教会から始まり最終的に帝都を破壊するつもりだ。ここも旧教会が近いから戦火に巻き込まれる可能性がある。

 それを阻止する為に六神教は勇者を派遣するはずだ。


 弟子たちは帝都からこちらへ戻ってくるはずだから、ラングフォード領と帝都からなるべく離れるように指示を出せば良いだろう。

 邪神化したレイラは勇者たちに対応してもらう。


 秋月はその間に帝国から脱出する。ラングフォード領を捨て、名を捨て、一からやり直す。冒険者として生きる。その為に魔法も覚えたのだ。

 異世界転生や転移物と言えば、やはり、冒険者になる事だろう。何もかもが最悪ではない。心機一転、異世界生活をやり直すと思えば、若干ながら高揚を取り戻せる。


 レイラを見捨てるのは忍びないが、やはり自身の命には代えられない。秋月の命の方が大切だ。

 元の世界に戻るという目標からは遠ざかるが、それは仕方ない。受け入れるしかない。


 こういう時の為の緊急逃走計画だ。まだ未完成であるものの、用意して良かった。自分でも褒めたいくらいだ。


 秋月は荷物を確認して、厳選した本も持ったし、最低限の着替えもある。地図も逃走後の計画が書かれたノートも鞄に入れた。

 

 よし。忘れ物はない。後は立ち上がり、外に出れば良いだけだ。


 秋月はすべてを捨てて、新たな門出を目指し立ち上がる。

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