34 アーロン・ラングフォードの末路


 旧教会は屋根はなく、半壊していた。

 辺りが赤く染まり、月が姿を現した時刻。


 黒の拘束具と鎖で拘束されたアーロンは半壊した旧教会の中に居た。

 両腕は吊るされ、膝は地面に付いているなんとも屈辱的な格好であった。

 頭から血が流れ、ポタポタと地面に血溜まりを作っている。


 アーロンは顔を上げると、桃色の着物を着た少女が戸惑いの表情を浮かべて立っていた。

 炎を催した半分だけの仮面は彼女の痣を隠す役割を果たしておらず、顔や首、そして、左手まで侵食した黒い爛れた痣が見えた。


 彼女の奥には忌々しい勇者たちが立っていた。この世界では見かけない服装をしていた。スーツに似た服であるが、アーロンはその服を知っていた。

 幼い頃の最低最悪の日に目撃した。

 十代半ばくらいの少年少女たちが瓦礫の上で金色の光を纏っている彼らが着ていた物にそっくりだった。


 その隣には少女――レイラの被った半分だけの仮面にそっくりの仮面を被っている男が立っていた。

 青の水を催した仮面であり、レイラとは違い、全面覆い隠している。

 また騎士が着用するような白の制服を纏っていた。


 騎士は右手をアーロンに向けて掲げる。

 それを見たレイラは咄嗟にアーロンを庇う。


 刹那、レイラの仮面が吹き飛ぶ。同時にアーロンとレイラの左側の地面が抉れた。抉れた地面は水浸しになっている。水の魔法でも放ったのだろう。


 レイラは仮面が外れ、左半分の顔があらわになる。黒く爛れた肌に紅い獣のような鋭い瞳。

 仮面の男の背後にいた女の勇者たちは小さな悲鳴を上げて後退った。


「何故、庇うのですか?」


 仮面の男は尋ねる。その声色は淡々としたものだ。


「……か、家族、だから」


 震える声でレイラは答えた。

 アーロンはレイラの返答に思わず顔を上げた。こいつは何を言っているのだと。


「家族……貴方はラングフォード家でかなり酷い扱いを受けていたようですが」


 詰問するような仮面の男の言葉にレイラは視線を逸らす。


「彼が何をやったかわかっているのですか。多くの罪のない人が犠牲になったのです」


「ちがっ、それは私が」


「確かに貴方が犯した罪もある。だが、貴方は邪神教に無理矢理やらされた事であることはわかっています。だが、彼は違う。邪神教と繋がり、罪もない人を殺め、そして、貴方を邪神化させようと画策した」


 アーロンは男の言葉を聞いて戯言だなと笑う。まるで自分たちが正義と言わんばかりの発言だ。


「ここがどこかわかっていますか。ここは勇者召喚後、魔素がもっとも溢れた場所。そして、邪神化には膨大な魔素が必要となるのです。貴方をここに呼び出したのは誰ですか?」


 仮面の男の問いにレイラは答えられない。ここへレイラを呼び出したのはアーロンであるからだ。


「そして、邪神化には過度なストレスが必要。貴方をここまで追い詰め、邪神の呪いを進行させたのはどこの家ですか?」


 ラングフォード家だ。


「邪神教の中心人物を招き入れ、貴方を脅し、罪もない人間に手をかける切っ掛けを作ったのは誰ですか?」


 アーロンである。


「そ、それは、命を狙われて、襲われたって」


 レイラは否定しようと口を開くが、


「本当にそんな事があったのでしょうか。貴方はその現場見ましたか? 邪神教と繋がっていた彼が貴方をそう仕向ける為の嘘だったのではないですか?」


 仮面の男はそう問い詰める。

 レイラはチラリとアーロンの方を一瞥するのが見えた。


 何を言った所で無駄なのだとアーロンは笑いが込み上げてくる。


「そして、先程、貴方を――殺そうとしたのは誰ですか?」


 レイラの息を呑む音が聞こえた。

 レイラは顔を俯かせ、震えていた。彼女の足下近くには短刀が落ちていた。


 彼女を殺そうとしたのは――アーロン・ラングフォードである。


 六神教にとって都合の良い嘘もあるが、最後のは事実だった。

 アーロンはレイラをここへ呼び出し、地面に転がっている短刀で殺害しようとした。

 だが、それを勇者たちに阻止させられた。

 そして、勇者のスキルによって拘束されている。


 全て失敗した。

 邪神教は勇者の存在を察知して逃げ出しているだろう。

 

 アーロンもここから逃げ出したかったが、それは不可能だ。


 仮面の男はアーロンに黒幕である邪神教の事を聞き出そうとするだろうが、アーロンにはその答えはない。

 所詮、ただの捨て駒に過ぎないアーロンに奴らは何も話していない。


 もし、何も知らない事が分かればこの場で殺されるだろう。いや、留置場に送られるかもしれない。だが、結局、行き着く所は同じだ。


 アーロンは自分が何をしたかったのかわからなかった。

 良いように利用されただけだ。


「彼は貴方を殺そうとしたんです。貴方の気持ちを踏みにじったのです。そんな彼を許していいのですか?」


 震えるレイラの背中が見える。

 レイラは今、何を思っているのか。

 突然の事態の困惑か。それとも自身を殺害しようとした事への怒りか、自らの献身を否定された悲しみか。

 アーロンにはわからなかった。


 だが、この女も理解しただろう。


 いかに自分が愚かであったか。


 婚約者であるアーロンを守ろうとして、その相手に殺されそうになる。


 短剣で刺そうとした時のレイラの顔は傑作であった。


 自分は助けようとしたのに、なんで殺そうとしてくるのか理解出来ないといった感じであった。

 馬鹿かと。お前程度に助けられるような程、ラングフォード家は落ちぶれていない。


 邪神教なんて奴らに簡単に唆されて、人殺しまでして、兄上や自分にまで利用されて、こんな場所に居る。

 そして、今は六神教の手先に唆されて、また他人の掌の上で転がされている。


 他人に邪険にされ続け、良いように利用され、最後には殺される。


 お前の人生なんて、そして、俺の人生なんてそんなものなのだ。


 だったら、もういいだろう。


 奴らの思い通りに、アーロンを恨み、憎み、嘆きながら、殺し、殺されるが良い。


 レイラは辿々しい足取りでアーロンの近くに落ちている短剣の元へ行く。

 そして、短剣を手に持った。その手は震えていた。


 アーロンはそんなレイラを見て、ゆっくりと目を閉じた。

 自身が用意した短剣で、自身が刺されるなんて皮肉だなと思いながら、自身の身体を刃が突き抜けるのを待った。


「それが、貴方の答えですか」


 仮面の男の声が聞こえた。その声には失望の色が混じっていた。


 アーロンはゆっくりと目を開ける。そこにはレイラがアーロンを庇うように立っていた。


 そして、震える両手で短剣を構えている。

 その刃先は仮面の男と勇者達に向けられていた。


 アーロンはその光景が理解出来なかった。


「貴方は裏切られたのですよ」


「そ、それでも、家族だから」


 仮面の男の言葉にレイラは震える声でそう返した。


「貴方は……愚か過ぎる」


 仮面の男の言葉にアーロンは同意だった。

 全くもって同意だった。理解出来ない。全く理解が出来ない。


 アーロンは殺そうとしたのだ。レイラを殺そうとしたのだ。

 どうにか助けようと人殺しまでしたレイラを殺そうとしたのだ。

 それなのに何故、こんなことが出来る。


 何故、アーロンを殺さず、守ろうと出来る。


「どうやら貴方に何を言った所で無駄のようだ」


 仮面の男は腰の剣の柄に手を添えた。

 そして、背後の勇者達も身体の一部が黄金に輝き始める。


 レイラは向けた短剣を下ろす気は無いようだ。

 左腕が黒いオーラに包まれていく。


 一触即発。


「ふっ」


 そんな中、緊張した空気を壊すように笑う者が居た。

 アーロンである。

 皆が戦闘の構えを取っている中、アーロンの小馬鹿にしたような笑い声が響く。


 アーロンの異様な行動に武器を構えたまま、アーロンに注目する。

 レイラも短刀を仮面の男や勇者に向けつつも、顔だけこちらを向けた。


「家族? 家族だと?」


 心底馬鹿にしたように顔でレイラたちを見上げる。

 そして、レイラと視線が交わった。


「お前が家族なわけないだろう。邪神を家族と思うわけがない」


 アーロンの発言にレイラは動揺したように顔を強張らせた。


「貴様はただ利用する道具に過ぎない。だというのに、何を勘違いをしているんだ?」


 レイラは顔を強張らせつつもアーロンの方を見て固まっている。仮面の男たちへ意識は全く向いておらず、ただ短剣を向けているだけになっていた。


 仮面の男も顔を動かし、こちらに注視する。勇者達も黄金のオーラが収まり、アーロンの方へと意識を向けている。


「父上がこの婚約を取り付けたのだって、ヤマト大国と繋がりが欲しかっただけだ。俺だって婚約を受け入れたのもラングフォード家の地位向上の為だ。でなければ、お前のような奴と誰が結婚しようと思うか」


 アーロンはレイラを爛れた黒い肌と紅い瞳を見ながら、


「なんて醜い顔だ。汚らしい肌に獣のような目、見ているだけで不快だ。そんな奴に家族だと言われても寒気がする」


 レイラは持っていた短剣を落とした。カランという音が響く。


「さっきから家族家族と煩いが、お前の実の父親や母親だって本当はお前の事なんて家族なんて思っていないのでは無いか?」


「……嫌」


「だから必死になって家族だからと戯言を言っているのではないか?」


「……やめて」


 レイラの痣は左から右へと侵食していく。

 レイラの身体は震えていた。


「誰もお前なんて家族なんて思っていない。お前を誰が家族だと思うのだ? お前みたいな邪神を誰が愛すというのだ? 邪神は邪神らしく嫌われていればいいのだ」


 レイラの身体から禍々しい黒いオーラが漂いだす。

 それを見た仮面の男は抜刀し、レイラに向かって走り出した。


「この化物がっ」


 レイラの悲痛な叫び声と共に彼女の全身から黒いオーラが上空へ立ち昇る。同時に彼女を中心に突風が吹き荒れた。

 仮面の男は刀を地面に刺して、吹き飛ばされないように耐える。

 背後の勇者の数人は飛ばされ地面に転がっていた。


 アーロンは拘束されている為、飛ばされる事は無かった。


 黒のオーラは邪神ヨランダへと姿を変える。

 十メートルくらいの巨大な女神は閉じていた目をゆっくりと開く。

 その容貌は愛の女神に相応しく美しいものであった。だが、禍々しい黒いオーラを纏い、真っ赤な瞳孔の開いた瞳は正しく邪神であった。


 宿主であるレイラは全身真っ黒の爛れた肌で覆われ、右目も獣のような鋭い紅い瞳へと変化していた。

 彼女は人間とは思えない咆哮をあげながらアーロンを睨んでいた。

 その目から涙が溢れ出ている。


 アーロンは呆然とレイラの変化見ていたが、安堵したように口元を広げた。


 邪神ヨランダは黒の剣を生成すると、アーロンに狙いを定めて、剣を突き出す。

 そして、その剣はアーロンの腹部を貫いた。


 アーロンは腹部に激痛が走り、顔を歪める。

 大量の血が腹から溢れ出ているのを見て、アーロンは自身の死を悟った。


 視界がぼやける中、アーロンはゆっくりと顔を上げる。

 そして、獣のように咆哮をあげるレイラを見ながら、アーロンは微笑む。


 これであいつは助かるだろう。


 仮面の男だろうと勇者だろうと、あの強大な力の前では無力だろう。

 六神教もレイラに手を出す事は出来ない。

 逃走した邪神教の奴らに頼るのはシャクだが、レイラが邪神化した以上、彼女を無下にはしないはずだ。


 これで良かったのだ。当初の計画とは外れたが、結果的にうまくいった。

 当初はレイラをアーロンが刺す事で彼女を絶望に陥りさせて邪神化させるというものだった。

 だが、逆に刺される事になっている事にアーロンは内心笑う。


 邪神化したレイラに全く攻撃が通じていない事で苦戦を強いられている仮面の男と勇者たちが見えて、アーロンは安堵する。


 そして、レイラと目があった、ような気がする。彼女は怒りか悲しみか苦しみかずっと咆哮を上げているだけだ。


 そんなレイラに向かって、アーロンは呟く。


「……すま、なかった」


 そして、アーロンは事切れた。

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