32 真実

 桃色の着物は血で汚れており、いつも身離さず付けていた炎を催した半仮面は付けていない。

 黒い爛れたような痣が左顔から首を侵食しており、レイラの左手まで達していた。

 そして、紅い獣のような鋭い瞳は蘭々と輝いている。


 彼女の左手には短刀が握られていた。

 その短刀からは禍々しい黒い魔素を纏っている。

 魔素が可視化するなんてアーロンは初めて見たので信じられなかった。


 黒い魔素はまるで生きているかのようにウヨウヨと蠢いてる。


 レイラは右目の翡翠色の瞳を驚愕で見開いていた。

 アーロンがまさかこんな場所に居るとは思いもしなかったのかもしれない。


 レイラは動揺と怯えの混じった表情を浮かべて、後退り出す。

 アーロンが何か口を開こうとした時、レイラは振り返って走り出した。


 後を追おうと思ったが、思った以上にアーロンはショックを受けているのかその場から動く事が出来ない。


 頭の中で、なんであいつがこんな所にいる? なんであいつは血だらけなのか? こんな時間になにをしていた? あいつはなんで短剣を持っていた? あの黒い魔素はなんだ? いつの間にあいつはあそこまで呪いが進行していた? 様々な疑問がぐるぐると答えも出ず浮かんでは消えを繰り返す。


 立ち尽くすアーロンの背後にまたも足音が聞こえてくる。そして、その足音はアーロンの近くまで来ると止まった。


「これは……不運な事にあなたに見られてしまったようですね」


 軽薄で演技掛かったような声。とても不快な声だった。


 振り返ると、そこにはドミニク・ゴールトンが立っていた。

 魔道師が着るような紺のローブを纏っており、濃い緑と白の混じった髪をオールバックにした三十半ばくらいの男。


 アーロンは全てを察する。全てはこの男の差し金であり、この男が元凶なのだと。


「貴様は……いや、いい。あいつは何をしていた? 貴様は何を知っている?」


 アーロンはドミニクの動向、目的を問いただそうとして辞めた。

 代わりに逃走した婚約者について問うことにした。


「くふふ、私に問わなくとも、あなたも気付いているのではないですか?」


 何が可笑しいのか笑いながら問い返してくる。

 こちらを小馬鹿にした態度が気に食わない。立場的にドミニクが上にもかかわらず敬語を使っているのもこちらをおちょくっているからだろう。


「質問を質問で返すな。あいつは……レイラは何をしていた?」


 怒気を込めてアーロンは再度問いただした。


「人を殺してましたよ」


 血の気が引くのを感じた。

 なんとなく分かっていた。この薄気味悪い魔道師に言われるまでもなく、血塗れのレイラを見た時から予想がついていた。

 殺人が多発している中、こんな夜更に出歩く奴なんてよっぽどの馬鹿か、殺人犯しか居ない。


 分かっていたが、信じたくなかった。


 いくらレイラが邪神の生まれ変わりと呼ばれていたとしても、本当に殺人を犯すような人物には見えなかった。

 他人に怯え、絶望して、自殺するならまだわかる。しかし、人を殺すなんて想像もしていなかった。


「とても驚いているようですね。そうですよね。あなたの婚約者がまさか人を殺めていたなんて。帝都やこの街で、何人も何人も殺めていたなんて」


 大袈裟に両手を広げ、演技かかった耳障りな声で言う。


「信じられないですか? 信じられないですよね? でも、事実です。彼女は人を何人も何人も殺しています」


 煽るように小馬鹿にしたように嬉しそうにそう告げるドミニク・ゴールトン。


 こいつはアーロンが怒ると思ったのだろう。

 レイラが殺人を犯した事に、そして、それを強要しているであろうドミニクに。

 だが、大きな勘違いである。


「はっ、所詮は化物か。邪神と呼ばれているが六神教が勝手に騒いでるものだと思ったが、全くその通りの化物だったわけだ」


 偉そうに煽ってくるドミニクに皮肉るようにアーロンはそう返した。


 レイラ・神無月などアーロンにとってはどうだって良い。

 殺人をしようが何をしようが関係無い。


 父上がヤマト大国と架け橋としてなる功績が無くなり、責任を問われる可能性があるものの、それでも、父上と兄上が、いや、ラングフォード家がその程度の事で追い詰められる事はない。


 幸いな事にレイラを焚きつけた主犯はこうして顔を出してくれているのだ。全責任をこの馬鹿に押し付けて事件を終わらせる。


「犯罪者は犯罪者らしく刑務所にぶち込むだけだ。残念だったな。俺が怒ると思ったか? 焦ると思ったか? 貴様もあいつを唆した主犯として務所に入れてやる」


 アーロンは嘲笑する。


「くふふ、本当にそれで、よろしいので? 彼女はあなたを、いや、あなたたちを助けようとしたのに」


 アーロンの嘲笑を更に小馬鹿にするようにしてドミニクは返してきた。


「どういう事だ?」


 アーロンは戯言だと思いつつも苛立ちながら問いただす。


「六神教が邪神の生まれ変わりと呼ばれている彼女とあなたが婚姻を結ぶ事を本当に許したと思いますか? 六神が邪神を追い出したというのに、その信徒たちが本当に邪神の生まれ変わりの彼女を受け入れるとでも?」


 ドミニクはそう返答した。

 その遠回しな返しはアーロンに嫌な予感を過らせる。


「受け入れる受け入れないの問題ではない。これは国の決定だ。奴らだって公式に受け入れたはずだ」


 その不安を払拭するべくそう言い放つ。


「彼らがそんな殊勝な奴らでしょうか? 自分たちの主張を通さないと気がすまない彼らが」


「何が言いたい」


 アーロンの問いに嘲笑うと、ドミニクは告げた。


「六神教はあなたたちラングフォード家を暗殺しようと計画していたのです」


 背筋が凍える。

 心臓が高鳴るのを感じた。

 アーロンに心当たりがあったからだ。


 メイドと買い物へ行った時、メイドが誰かに付けられている気がすると言っていた。だが、その時は気のせいだとアーロンは切り捨てた。


 そして、気分転換に外に出た時だ。あの時、丁度教会を通り過ぎようとした時だった。

 暴徒に襲われた。そして、その暴徒はブツブツ呟いていた事が明らかに六神信者であった。


 アーロンが襲われた時、レイラは様子がおかしかった。その時、レイラも気付いたのだろう。

 自分の所為でラングフォード家は狙われていると。

 そして、それをレイラに唆した奴がいる。


 あの時、アーロンが襲われたと知って嗤っていた存在。

 目の前にいるこいつーードミニク・ゴールトン。


 全てはこいつが仕組んだ事だ。こいつが全ての元凶だ。

 アーロンの後を付けたのも、暴徒を仕向けたのも、こいつが仕組んだ事なのではないか。

 こいつが来てから、おかしくなり始めた。どう考えても怪しすぎる。


 わかっている。本当はわかっていた。

 こいつはレイラを唆したが、後をつけたり、暴徒を仕向けていない。

 そんな奴がここでアーロンと接触しようとするはずがない。


 アーロンを、ラングフォード家の人間を狙っているのは六神教だ。


「どうやら心当たりがあるようですねぇ」


 アーロンの表情を見て、ドミニクはいやらしい笑みを浮かべる。


「六神教にとって貴方たちはとても目障りなのです。六神教にとって許しがたい存在がいる国との友好。そして、その存在をこの国に招き入れ、あまつさえ、婚姻を結ぶ。更には六神教と相対する派閥の増長に拍車をかけ始める始末」


 ドミニクの言っている事は全て事実で正しい。

 父上は素晴らしい功績を挙げたが、同時に大きなリスクを負った。

 貴族なら気付いていたが敢えて手を出さなかった手段を父上は名声を獲得する為に選択した。


「六神教と敵対する派閥は好機と見てヤマト大国と接近し始めています。今現在、六神教は大きな岐路に立たされています。もし、このまま彼女を受け入れたならば彼らの宗教の根幹が揺らいでしまう。ヤマト大国との接近を許してしまえば六神教の派閥の弱体は免れない。ヤマト大国、いえ、正確には八百万教は六神教に恨みがありますからね」


 六神教は貴方たちが思っている以上に追い詰められているのですよ、とニヤリと笑うドミニク。


「六神教に残された選択肢は二つ。邪神を引き込もうとしているラングフォード家を抹消するか、邪神そのものを抹消するか」


 邪神ーーレイラを抹消すれば国際問題へと発展する。邪神の生まれ変わりと言っても、それは六神教の勝手な認定に過ぎない。

 レイラの本来は皇族の娘であり、もし邪神認定が無ければ八百万教の神子となっていた存在だ。


 いくら帝国より国力が低いヤマト大国だとしても、現状、事を構えるのはあまりに無謀と言える。


 だからこそ、抹消するのはラングフォード家だ。

 全ての元凶であるラングフォード家を抹消したいのだ。


「六神教は貴方たちを暗殺する事を選んだ。そして、彼女は気付いてしまった。自分が原因で貴方たちの命が狙われている事に」


 アーロンが襲われた時、レイラの様子がおかしかった。

 それはアーロンが六神教に命を狙われた事に気付いたからだったのだろう。


 六神教から目の敵にされてきた彼女にとって、自身の婚約者へ矛先が変わった事に負い目を感じていた。

 自分の所為でラングフォード家が目を付けられた。

 自分が邪神だから婚約者のアーロンが狙われた。

 自分が存在する所為で、誰かが死ぬ。


 追い詰められた彼女に、追い討ちをかける存在がいた。

 それが目の前の男だ。


「このままでは自分の所為で誰かが死んでしまう。六神教をこのまま放置していれば貴方が死んでしまう。だからーー彼女は六神教を排除する事にしたのです」


 まるでレイラの全責任があるような言い方をして嗤う。

 だから、アーロンは苛つき、心底から怒りが込み上げてくる。


「お前が、お前があいつをそういう風に仕向けたんだろうが」


 アーロンは憎悪を込めて睨みつける。


「心外ですねぇ。私はただ、あの方に、目覚めて欲しかっただけです」


 ドミニクはそう戯けたようにそう言った後、目の色を変えて喋りだす。


「ええ、あのお方に、本来の姿になって頂きたかったのです。すべてはあのお方が目覚め本来のお姿になって頂く為の行為に他ならない。これは愛に他ならないのです。何故なら彼女が目覚めるには多大なストレスが必要なのです。追い込む事が必要なのです。だから、愛持って愛を信じて彼女を追い詰めているのです。愛を司る女神であり全ての人間に愛を与えてきたあのお方に降臨して頂く為に。六神の私利私欲的傲慢な掟を盾にあのお方を追い出すなどと、なんとなんと、愚かしい。あのお方はただ愛を平等に与えていただけに過ぎないというのに。だというに、愚かにも、六神はくだらない掟の為にあのお方を追い出した。嘆かわしい。なんと嘆かわしい。狭量で規則にばかり縛られた下らない価値観。なんとつまらない。だからこそ、変えるべきなのです。愚かにもこの帝国に住む人間の多くが六神教などというあのお方を追い出した愚かしい六神を祀る馬鹿馬鹿しい宗教を信仰しています。けれど、それは本来間違っているのです。六神に騙されているのに過ぎないのです。六神教の上層部は下層部から金品を巻き上げるばかり。自分勝手な規則を押し付けて自分たちは楽に生きている。下層部は足の引っ張り合いばかり。一番下にだけにはなりたくないと相手を嵌めようとしているのです。六神を崇めた結果がこれなのですよ。だというのに、六神教は傲慢にもあのお方を慕う我々を追い詰め拘束迫害してくるのです。あのお方に愛を誓う者たちの多くが六神教によって非道に扱われています。我々を消そうとしているのです。なんて非道で狭量でしょう。あのお方はきっと嘆いてらっしゃる。あのお方の教えを信仰すれば全てに愛を持つ事が出来るのです。愛によって皆救われるのです。全てはあのお方の愛があれば解決するのです。ああ、そうです。あのお方、愛の女神ヨランダ様の愛があれば」


 瞳孔の開いた両眼で奴は早口で喋り切った。


 アーロンは戸惑いを隠せなかった。ドミニクの一方的な独白もそうだが、なによりも驚愕させられたのは、


 ドミニク・ゴールトンが邪神教の信徒であったからだ。


 邪神教——六神から追い出された愛の女神・ヨランダを信奉する宗教である。

 邪神ヨランダは善悪関係なく全てを見境なく愛する事で六神の反感を買い、結果的に追い出された神だ。


 愛の女神という響きからそこまで悪くないように感じるが、実際は愛の女神を信仰する邪神教は愛という名の免罪符を使って凶行を行なってきた集団である。

 殺人、強姦、強盗、詐欺、すべてに愛があれば問題が無いとイカれた理論を持ち出す犯罪集団なのだ。


「そう、全てが解決するのです。だからこそ、貴方に協力して頂きたい。彼女に、あのお方に目覚めて頂きたいです」


 本当にイカれた奴だとアーロンは思った。

 邪神教の信徒は心底頭がおかしい奴が多いと聞いたが、アーロンもそれを今実感していた。


 こいつは邪神を目覚めさせる為にレイラにストレスを与え、つまりは殺人をやらせる事で邪神化させようとしていた。

 こいつの言うストレスを与える事がレイラの邪神の呪いを悪化させている事は先程のレイラを見れば一目瞭然だった。

 当初、出会った頃は顔だけだったものが、今では手にまで悪化している。ヤマト大国にいた頃、呪いの進行具合から考えてもレイラがこちらにやってきてから急速に悪化している。

 特にドミニクが屋敷に顔を出し始めてからの悪化が酷い。


 殺人をやらせても邪神化にまだ届かないと見たこの男は婚約者であるアーロンに協力させてレイラにもっとストレスを与えようと考えている。


 この男の目的は六神教による勇者召喚によって勇者の邪神教討伐阻止であろう。

 

 この男は本当にレイラが邪神化して目覚めたら全てが解決すると考えているのだ。

 狂信的なまでの思い込みにアーロンは怖気がした。


 だが、邪神教の理論など聞く必要などない。


 協力して欲しいというがアーロンにとって何のメリットなどない。

 イカれた犯罪者の片棒を担ぐなんて冗談ではない。


 六神教がラングフォード家を狙っていて、レイラがラングフォード家を助ける為に人殺しをしている? だから、どうしたというのか。

 レイラが勝手にやっている事だ。それを知った所で何も思う事などない。

 結局、あいつは犯罪者に他ならない。


 アーロンは切り捨てやろうと思った時、奴の次の言葉でアーロンは閉口する。


「もし、貴方が貴方が協力してくださるなら、我々、邪神教は貴方をラングフォード家の当主、跡取りとして全力で後押しさせて頂きます」


 こいつは何を言っているのだとアーロンは思った。

 ラングフォード家の跡取りは兄のエドワードに決まっている。長男でアーロンより魔法に長け、人望に厚く、領主としての知識と頭脳も持ち合わせている。


 そんなエドワードを差し置いてアーロンがラングフォード家の跡取りになれるわけがない。


「ふざけた事を抜かすな。父上と兄上がそんな事を許すはずがない。お前ら邪神教とまともに会話する事自体間違っていた。あいつに人殺しをさせた事、無関係でいられると思うなよ」


 そう言い捨ててその場を去ろうとした時だった。


「本当に良いのですか? すべては貴方のお兄さんの計画だというのに」


 アーロンは足を止めた。そして、振り返る。


「くふふ、なんて顔ですか。そんな怒らないでくださいよ。本当の事なんですから。貴方にラングフォードの家督を譲る事も、彼女を殺人者に仕立て上げたのも、彼女を女神ヨランダ様に目覚めさせる計画も全ては貴方のお兄さんが考えたものなんですから。私は彼に協力しているだけなんですよ」


「それ以上戯言を言うなら殺す」


 アーロンは血走った目でドミニクを射抜く。しかし、ドミニクは動じた様子もなく一言告げた。


「ダグラスの大災害」


 ドミニクの発言にアーロンは言葉に詰まった。

 アーロンは思考がまとまらない。頭が真っ白になっていた。鳥肌が立ち、背中に冷たい感覚が走るのを感じた。


「……兄上は本当にそれを計画しているのか?」


 アーロンは俯きそう尋ねた。


「ええ、愛の女神ヨランダ様に誓って」


 ドミニクは満面の笑みでそう答えた。


 アーロンの脳裏に母上の葬式時の兄上の怒りと悲しみの混じった表情が浮かぶ。


 それから、血塗れのレイラが立っているのが脳裏に過ぎる。

 怯えたような凍りついた顔をしていて、その顔には嫌悪される事への恐怖と殺人への苦痛が張り付いていた。


 アーロンはしばらく考え込むように無言でいた後、告げた。


「レイラを解放しろ。あいつが愚かにもラングフォード家を庇おうとしているのは虫唾が走る。俺が代わりに六神教を潰す」

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