31 物語の裏側

 ラングフォード家の地位は辺境伯である。

 父であるオズワルドの努力の末に伯爵から辺境伯へと地位を向上させた。


 母上が死んで以来、父上は貴族の社交などこれまで殆ど関心が無く、付き合いも仲が良い者だけで浅く深い関係を築いていたが、一転して、これまで付き合いの無かった貴族とも付き合いを持つようになった。


 公爵や侯爵に所謂賄賂と呼ばれるものを渡して、違法ギリギリな事にも手を染めたりもした。

 それらのお陰でラングフォード家は伯爵から東の境界線近くの領土を収める辺土泊へと昇進した。


 父上の統治を悪く言う者もいるが、領民に甘いだけでは良い領主とは言えない。税収を増やしてこそ、良い領主と言える。


 東の国、ヤマト大国と交流し、皇族の娘との婚姻に漕ぎ着けた事も帝国にとってかなり有益と言える。

 帝国は大国であるが故に敵が多い。そんな中、ヤマトを友好国に引き入れた功績はかなり大きいはずだ。


 父上の努力が実を結び、ラングフォード家は侯爵の地位を目前としていた。

 だが、そんな中、それを邪魔してくる存在がいる。


 六神教だ。父上の功績を下らない宗教論で潰そうとしてくる。


 父上は六神教にもかなりの献金をしているにもかかわらず、彼らにとって気に食わない事らしい。

 六神から追い出された神の一人、邪神ヨランダの生まれ変わり。

 それが皇族の娘、レイラ・神無月である。


 六神教は帝国人にとって多くの者が信仰している為、レイラの存在は大きな問題となった。

 しかし、ヤマト大国との友好のチャンスを不意にする事は帝国内部でも躊躇われた。前回の友好のチャンスも六神教の所為で無くなったのだ。

 皮肉にも原因は同じ神子候補のレイラ・神無月が邪神ヨランダの生まれ変わりと発覚した事でだ。


 六神教が台頭し始めている事に危惧している勢力はラングフォード家に助力し、ラングフォード家とヤマト大国皇族神無月家の婚姻を帝国内で認めさせた。


 六神教は国が認めた以上、表面上は受け入れたが、裏ではラングフォード家を貶めようと悪評を広め始めた。

 そんな中、兄上のエドワードは悪評を物とせず功績を挙げて行った。また兄上はコミュニケーションの達人であり、帝国内にありとあらゆる人脈を広げていって確固たる地位を築いた。


 結果的に出来たのがこの歪な噂だ。

 ラングフォード家は悪徳であり、領民を虐げ、搾取しており、次男は魔法もロクに使えない落ちこぼれで長女も我が儘で傲慢で人格破綻者。

 ただ長男のエドワードは魔法の実力もあり、公平で慈愛に満ちた優れた人格の持ち主。ラングフォード家の唯一の救い。


 父上や兄上が奮闘し、ラングフォード家を盛り上げる中、アーロンは何の功績を築く事が出来ていない。

 唯一、役に立っているといえば騒動の中心となっているレイラ・神無月の婚約者という立場くらいなものか。


 父上は母上が死んで以来、アーロンと距離を置くようになった。

 ラングフォード家の地位を上げようとしているのに、アーロンは何の貢献も出来ていない上に逆に魔法を上手く使えないという事で足を引っ張っている。


 アーロンは自身の実力不足が父上を失望させているのだと思っていた。

 だが、本当にそれだけなのか。母上が亡くなるまでは温和だった父上が、自身にも優しかった父上が、あんな冷たい眼を向けてくるのは、


 本当に実力不足が原因なのか。


 アーロンにはわからなかった。

 実力不足が解消し、何らかの功績を挙げても父上はあの態度を変えないのではないか。

 そんな恐怖と不安に押しつぶされそうになるのを感じていた。


 だからこそ、そんな嫌な予感を払拭するべくアーロンは努力を重ねた。


 妹のアシュリーは母上が死んで以降、よりアーロンにべったりになった。

 だが、アーロンも妹に構っている暇など無かった。

 父上に認めて貰う為に一人前の貴族として認められる魔法を、より高位の魔法を覚えなければならないのだ。


 相手にしなかった為か、アシュリーも次第にアーロンと距離を置くようになった。

 そんな時、アシュリーはアーロンが未だに習得出来ずにいる中級魔法を習得したのだ。


 アーロンに相手にしてもらう為にあまり関心の無かった魔法を練習し、中級魔法を習得した。

 アシュリーはアーロンに自慢してきた。だが、それをアーロンは受け入れる事が出来なかった。

 自分が為し得なかった中級魔法を、必死に努力しても得られなかった功績を妹はあっさりと挙げてきたのだ。


 アーロンはアシュリーを拒絶した。それ以来、アシュリーとの関係は最悪なものへと変化した。



 そんな時、父上から婚約の話を聞かされた。

 東の国の皇族の娘、そして、元神子候補だった少女。帝国とヤマト大国の友好に溝を作った元凶だ。


 邪神の生まれ変わりと言われている娘と婚姻を結べば嫌でも六神教に目を付けられる。

 それでも父上はヤマト大国との友好に価値があると踏んでの決断だった。

 父上の後ろ盾がそれを望んでいたというのも大きい。



 アーロンの元に婚約者がやってきた。

 レイラ・神無月。顔の左側半分が炎を催した仮面を被っている。


 全てに絶望したような生気のない顔で、父親のウォーレンに紹介されていた。


 神々の中で追放された邪神ヨランダ。

 その生まれ変わりと言われているのが、今紹介されている少女である。


 自分が世界で一番不幸だと言わんばかりの顔つきだった。

 気に食わなかった。


 帝国とヤマト大国との友好の為の政略結婚。

 その傀儡としてやってきたとはいえ、生気すら感じさせない少女を嫁に持たなければならない事にアーロンは苦痛を覚える。


 父上の決定は逆らう気はないし、婚姻する事でラングフォード家に役に立てるのならば喜んで受け入れるつもりだ。


 だが、それでも、邪神の生まれ変わりと言われる少女の容貌はあまりにも醜い。

 世界で一番不幸だと負のオーラを漂わせている彼女に関心など持てなかった。


 ラングフォード家に相応しいとは全く思えない。


 使用人たちからも評判が悪い。アーロン自身も六神教の所為で悪評が立っていたが、レイラはそれ以上であった。


 レイラの立場はどんどん悪化していき追い詰められていったが、本人が変わる気が無い以上、自業自得だと思った。


 父上も兄上も多忙であり、レイラに構っている暇など無い。

 アシュリーはレイラが気に食わないのかいじめのような事すらし始めた。

 アーロンはそれを止めようとは思わなかった。


 メイドのミランダからの話だとレイラは東の国でも孤立していたようだ。

 家族からも腫れ物のような扱いを受けていたらしい。


 ある日、庭園ですすり泣くレイラを見かけた。

 そんなレイラにアーロンは苛ついた。

 何も変えようとせず、何も行動しようとせず、ただ自身の境遇に嘆いているだけのレイラに手を差し伸べる気など無かった。


 アーロンは街で買い物をしていた。アーロンの護衛はラングフォード家の衛兵は嫌な顔をするので、アーロンは頼まない。

 代わりにメイドが同行する。そのメイドはこちらが冷たくあしらっても関係なく世話を焼いてくる。

 今回の買い物も一人で行くつもりだったのを勝手についてきた。


 買い物をし終わった後、メイドが後ろをじっと見つめていた。何かあるのか尋ねると、メイドは誰かに付けられているような気がすると言っていた。

 気のせいだろうと言って相手にせずに屋敷へと戻る。

 大体誰がアーロンたちを付けるというのか。なんのメリットにもならないだろう。



 そんな日々が過ぎていく中、ある男が帝都からラングフォード家に来訪してきた。

 男の名前はドミニク・ゴールトン。帝都で著明な魔道師だ。


 突然の来訪でありながら、父上はドミニクを快く受け入れていた。ドミニクは六神教に入信しておらず、六神教の台頭に懸念を抱いている人物だった。


 六神教に目をつけられている父上としてはドミニクは心強い味方であった。

 父上だけでなく、兄上もドミニクと親密になっているようだった。


 兄上は母上が死んで以降、付き人を一切付ける事を辞めた。仲の良かったメイドのミランダすら遠ざけ始める始末だった。

 そんな兄上がドミニクには心を許しているようだ。


 複雑な気持ちではある。自身とは全く交流が持てていないのに関わらず、少し前に来た男が父上と兄上と親しくしているのは心苦しい。

 更に言えばドミニクは屋敷でも評判良く、使用人たちからも好かれていた。


 自身とは大きな違いに嫉妬心は隠せない。アーロンはドミニクの事をあまり好きになれなかった。


 ドミニクはレイラとも交流を持つようになった。

 何故、ドミニクのような人物がレイラのような存在を気に掛けるのか理解に苦しむ。

 

 アーロンはドミニクの存在に苛立ちながらも、気分転換に外に出る。例の如くメイドがついてきた。

 ラングフォード家の統治する街。民の中にはアーロンの顔を知っている者もいるあろうが、ほとんど居ない。

 もし知っていれば遠巻きに噂話をされていたかもしれない。


 六神教の教会が見える。この街にも当然のように六神教の教会はある。この街でも多くの者が六神教を信仰している。

 この街に住む信徒は邪神の生まれ変わりと婚姻を結ぶ事をどう思っているのか。好意的ではないのは確かであろう。


 平民風情がどう思おうが関係無いか、と教会を通り過ぎようとした時だった。


 ブツブツと小声で俯きながら呟いている男がこちらへやってくる。


「ああ、主よ。お許しください。世界を救う為なのです。主よ。憎き悪を滅ぼす為に私に力を」


 そして、目が合うと、


「お逃げください! アーロン様!」


 男がナイフを持って走ってくる。その目は血走っており、正気とは思えない。

 メイドは男のナイフを持っている手に蹴りを入れると、そのまま拳を突き出し男の顎を狙い打つ。

 男はメイドの蹴りでナイフを手放し、顎に綺麗に拳がヒットして勢い良く倒れた。


 カランカランとナイフが地面を跳ねて、アーロンの足元に落ちた。

 アーロンは冷や汗を掻く。もし、メイドが居なければどうなっていたのだろうか。


 暴徒は拘束して衛兵に引き渡した。


 屋敷に戻ると、メイドが事情を父上や兄上に伝える。

 レイラが小鹿のような弱々しい動きでこちらに近づいてきた。


「アーロン様……襲われたというのは、本当なのですか?」


 最初の出会いの時以外、会話などした事もないのに、レイラはそう問いかけてきた。


「貴様に関係無い」


 アーロンはレイラの唐突な問いに少しだけ戸惑いつつもそう突き放す。


「本当……なのですか?」


 レイラはそれでもしつこく尋ねてくる。


「だったらどうした?」


 アーロンは冷たくレイラを睨みつける。襲われたと知って、こいつに何が出来るというのか。

 こいつに心配されたところで嬉しくもない。鬱陶しいだけだ。


 レイラは動揺したように視線を彷徨わせて小鹿のように弱々しくその場を去っていく。

 なにがしたかったんだ、あいつは。


 アーロンが視線をレイラから外した時、嫌な奴と目があった。

 その男はにやけた顔をしていた。

 隣には兄上がおり、メイドのミランダと会話している。

 きっと暴徒に襲われた話をしているのだろう。


 だと言うのに、奴は──ドミニク・ゴールトンは嗤っていた。




 数ヶ月後、帝都にて殺人事件が多発し始めた。

 犯人は今だに見つかっておらず、被害者は貴族を中心としたものだ。


 被害者に共通するのは誰も彼も六神教の信者であり、六神教で影響力のある人物だった。


 犯人は六神教を敵視している者なのではないかと反六神教派閥に疑いの目が向けられた。

 ラングフォード家も例外ではなかった。


 しかし、多くの者が六神教を信仰している上に六神教内で影響力がある者は当然ながら帝都の政治にもかなり影響力を持つ人間である事から、六神教を敵視している人物が犯人である証拠はかなり薄いという判断が下された。


 ドミニクはラングフォード家に頻繁に来るようになっていた。

 父上とも懇意にしていたが特に兄上と話が合うのかよく一緒にいるところを見かけた。


 レイラはドミニクの事を苦手としているのか、ドミニクを見ると怯えていた。レイラの邪神の呪いの黒の痣は仮面を超えて首まで侵食している。


 帝都だけではなく、ラングフォード家が治める領地でも事件が発生し始めた。

 狙われるのは変わらず六神教に影響のある人物ばかり。


 それは父上の悩みの種となっていた。

 ただでさえ六神教から目を付けられているというのに、痛くもない腹を探られる羽目になる可能性があった。


 アーロンとしてはどうにかしたかった。犯人に繋がる物を探そうとラングフォード家の私兵に声を掛けたが、断られた。

 想定内の事であったが、意気地なし共めと悪態をついた。


 背に腹は変えられない上、なんだかんだ奴の剣術は一流だから自身の護衛に連れていってもいいだろうとメイドに声をかけた。

 だと言うのに、メイドはこの件については消極的なのか、逆に止めるように言ってきた。


 少しでもこいつを当てにした自分が間違っていたとアーロンは一人で捜査する事にした。


 恐怖が無いと言えば嘘となる。だが、これ以上、ラングフォード家が統治する土地で好き勝手などさせてたまるか。


 日が落ち、月明かりだけが照らす中、アーロンは見回ったが、結局、怪しい人物を発見する事は出来なかった。


 成果など無く屋敷へ戻る道のりを進んでいた時だった。


 人の気配を感じた。足音が聞こえる。

 殺人事件が多発する中、こんな夜更に外を出歩くなんて自殺願望があるとしか思えない。


 同時に嫌な予感が過ぎる。


 こんな時間に出歩く人間など普通は居ない。アーロンのように犯人の手がかりを探す目的が無い限り。


 コツコツと足音が近づいてくる。


 衛兵たちならば複数の足音がするだろうし、ライトの魔法を使用するはずだ。


 しかし、足音は一つだし、こんな夜にライトの魔法やランプを持たず、外を出歩いている人物。


 アーロンが探し求めていた存在。


 足音は止まる。アーロンはそいつの息遣いが聞こえた。

 振り返ると、そいつは闇に隠れていた。


 雲に隠れた月が徐々に顔を出し始め、ゆっくりと足下から月明かりに照らされていく。


「なんで……」


 アーロンは驚愕してそう呟く。


 月明かりに照らされた人物は血塗られたレイラ・神無月であった。

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