23 原作の始まり
秋月は鏡の前に立っている。
そこには幼少の頃の秋月の姿ではなく、こちらの世界に飛ばされる当時の姿をしていた。
こちらの世界へ来てから数年が過ぎ、秋月は本来の年齢になった。そして、この年こそ、原作本編が始まる年である。
勇者召喚が行われるという噂は広まっており、一応、侯爵の位を与えられているラングフォード家ではそうした情報を帝都から知らされている。
秋月はミランダから情報を伝えられた。普通は父親から伝えられるものなのだが、期待値の低いアーロンにはそうした重要な情報は教える必要はないと考えているのかもしれない。
今更アーロンの不遇な扱いを気にした所で仕方ない。それよりも、重要な事がある。
勇者召喚では当然ながら召喚士が異世界への通じる魔法を行使して勇者たちを召喚する。
つまりは秋月の第二の目的である元の世界に戻るを達成する上で重要な役割を果たす人物が現れるという事だ。
その人物の素性は既に明らかになっている。原作のヒロインの一人だ。
彼女は聖女と呼ばれる地位に属しており、六神教においても重要な人物である。
一介の貴族であるラングフォード家が易々と会えるような相手ではない。だからこそ、この勇者召喚の時が秋月にとって唯一のチャンスと言える。
原作に置いて彼女は異世界と秋月の世界を繋ぐ力を持っている事が明らかになっており、主人公たちである勇者たちも彼女によって召喚され、そして、送り返された。
原作にも一時的に勇者たちが秋月の世界に戻る展開の時に彼女の力が使用されている。その後、異世界に再召喚される事になるが。
つまり、彼女に会って事情を説明し、元の世界に転送して貰う事こそが秋月の第二であり最後の目的である。
これさえ達成出来れば後の事はどうだって構わない。
勇者が召喚されようと、レイラが邪神化しようと、黒幕エドワードが何かしら裏で工作しようと、元の世界に戻ってしまえば関係無い。
ある意味、ここが正念場と言えるかもしれない。
失敗した場合、最悪な状況になる。
だからか、緊張で手が汗ばんでいるのが自分でも判った。呼吸が荒くなっていき、息苦しさを感じる。
思考が纏まらず、目の焦点が定まらない。
秋月は無理矢理首を振って、正気を取り戻す。
落ち着け。すべては順調に進んでいる。
失敗した場合の逃走経路も確保している。ラングフォードの名を捨てた時用の資金も準備してある。最悪な状況に陥っても良い状態であるはずだ。
子供達も秋月の想定以上に成長して、個々で成功を納め始めている。アレックスは既に剣豪と呼ばれる人物と接触し、弟子になっている。また、イアンは風帝シエルの元、上級風魔法を取得している。サラもギルドに所属し、受付嬢として働き始めている。
秋月の護衛に関しても、問題無い。既に対策済である。
だから、悩む必要は無い。悩むだけ無駄だ。
レイラは自国へ戻った後、こちらへ戻る事は無かった。
秋月からすれば婚約は白紙になったのだろうと思ったが、実際はそうでは無いようだ。
レイラからの手紙は何通か届いており、病気が本当に治ったのか検査をしたり、レイラの立場などの改善で色々と忙しかったようだ。
元々、レイラの存在は秘匿にされていたが、邪神の呪いが解けた事により、所謂、権力争いが勃発したらしい。レイラは邪神の呪いが無ければ、八百万の巫女として確定していた。巫女はこちらの国で言う聖女と同じでかなりの権力を持つ事になる。
更に言えば八百万教は東の国の全ての国民が信仰しており、六神教という枠組みでの聖女とは違い、国を上げての中心的存在である為、かなりの騒動になったようだ。
結局、レイラは権力争いには負けたようで、巫女とはならなかったが、邪神の生まれ変わりという枷が無くなった為、地位は回復したようだ。
同時にラングフォード家との婚約は白紙とはならず、継続する事となった。
もし、レイラが巫女となっていれば当然婚約は白紙となったらしい。異国の、それも一介の貴族で評判も悪いラングフォード家と東の国の中心的存在である巫女が婚約などまず許されないだろう。
レイラは巫女にならず安堵したと手紙に書いており、彼女は巫女になる事よりもアーロンとの婚約の方が大切らしい。
今の彼女であれば、アーロン以上の良い相手など引く手数多であろう。向こうの貴族から婚約の申込は殺到しているはずだ。実際、そういう噂はあるとミランダから聞いた。向こうにいる人物からの情報なので確からしい。
やはり、レイラの存在はかなり有名になっているらしく、秘匿にしていた分、話題になっているとの事。
そんな彼女だから、ラングフォード家との繋がりを維持する必要性は無いはずだが、それでも、ラングフォード家との婚約が有効なのはオズワルドの策略の所為であろう。邪神化の呪いが解けた瞬間、婚約破棄するなどオズワルドからすれば都合が悪すぎる。どうにかレイラをアーロンの婚約者のままに策を巡らせたはずだ。
レイラ本人の意思もかなり影響したとは考えられる。いくら政略結婚の為だといえ、娘の幸せを望まない親はいないであろう。レイラがアーロンとの婚約を望んでいる以上、巫女に選ばれなかったのだから、本来のラングフォード家との婚約を継続する事にしたのだろう。
秋月も本当の所はわからないが、レイラとの婚約は破棄されず、続いているのは確かである。
彼女とは数年会っていないが、いつ彼女と再会するか秋月にもわからない。
秋月は勇者召喚の際、大教会へどうにか潜り込む必要がある。
アーロンの死亡フラグである勇者たちと鉢合わせはどうにか回避して、目的である召喚魔法を使用出来る聖女に会わなければならない。
聖女との交渉はかなり難しいと秋月も想定しているが、それでも、会わない限り、秋月は一生元の世界に戻る事は出来ないであろう。
そうならない為にも彼女と接触する方法を考えなければならない。
秋月が思考を巡らせている時だった。
扉がノックされる音がする。ミランダならばノックしてすぐに中へ入ってくるので、違う人物だと分かった。
秋月は若干緊張する。ミランダ以外がこの部屋に来るなんて事は滅多に無い。アーロンはこの数年経った今でも屋敷中の皆から嫌われている。
秋月も敢えて関わろうとしなかったのだが、使用人やメイドたちとの会話なんてここしばらくした覚えが無い。ミランダとシエルを除いてだが。
だからこそ、秋月は心臓がドクドクと激しくなるのを感じる。扉の方を警戒したように秋月はじっと見つめた。
居留守しても良いのだが、秋月に尋ねてくるなんてよっぽどの用事でなければ彼らは来ないはずだ。アーロン向けの雑用はミランダに丸投げなのだから。
「ああ、居る。入っていいぞ」
秋月は声を若干震わせながらそう言った。
女の声で「失礼します」と扉がゆっくりと開く。そこには年配のメイドが立っていた。
彼女はオズワルドに仕えているメイドだった。
「アーロン様、当主様がお呼びです」
オズワルドからの呼び出し。嫌な予感がするが、それでも行かなければならないだろう。
応接室ではなく、オズワルドの書斎へ呼ばれる。
秋月はオズワルドの書斎の扉の前に来ると深く息を吐く。年配のメイドは秋月の様子を伺った後、扉をノックし、声をかける。
「当主様、アーロン様をお連れ致しました」
「そうか、入れ」
メイドの声かけの後、しばらくしてオズワルドの声が聞こえてくる。
メイドは「失礼致します」と言って扉を開く。メイドは秋月に中に入るように扉を開けて促した。
秋月はオズワルドの書斎の中へ入る。この書斎に入るのは初めてだ。アーロンがオズワルドに関わる事などレイラとの婚約の時ぐらいしか無かった。親子の交流など無いに等しい。
アーロンが父親に執着していたのも、貴族至上主義になったのも、分からないでもないかもしれないと秋月は思い始めた。
秋月はオズワルドとは本当の親子ではないから交流が無い方がボロが出ないから助かるが、アーロンにとっては自分の父親からここまで距離を置かれると何かしら思う所があるはずだろう。
アーロンの場合、反発するのではなく、父親に執着する形だったが、結局、父親に認められずに兄に利用されて死ぬのだから何とも哀れだ。
「早速だが要件を話す」
秋月が中へ入ると、オズワルドは木製の豪華な修飾が施された机に革製の高級そうな椅子に座っていた。
書類を見ていたが、それを辞めて秋月の姿を認めると、いきなりそう言った。
久しぶりに顔を合わせた親子だというのにかなり雑な扱いだ。
「来週、帝都にて勇者召喚が行われる。その際、私とエドワードが列席する事となった」
秋月は驚愕で顔が強張る。勇者召喚が行われるのは知っていたが、まさか、来週とは思わなかった。準備が終えているとはいえ、心の準備が出来ていなかった。
秋月の予想ではあと一ヵ月先だと考えていたからだ。余裕を見ての準備だったが、危なかった。
だが、同時に疑問が浮かぶ。オズワルドとエドワードが呼ばれ、勇者召喚に出席するのは分かった。原作でも勇者召喚時、黒幕であるエドワードが伏線として登場していたのだから不思議ではない。
しかし、アーロンはその場に居なかったはずだ。オズワルドとしてもエドワードのような優秀な息子を連れて歩くのは鼻が高いだろうが、落ちこぼれのアーロンを連れていくのは見栄っ張りの彼の性格から考えてありえない。容姿端麗で魔法も使えるアシュリーならまだしも。
しかし、次のオズワルドの言葉で疑問は解けた。
「その際、ウォーレン殿も参列する事となっている」
ウォーレン・神無月。レイラの父親だ。
彼が参加するとなれば当然ーー
「またレイラも参列はしないものの、帝都へ来る事になっている。ウォーレン殿とも話して、久しぶりに帝都で会うのも良いだろう、と」
数年顔を合わせていない。だが、レイラとの婚約は続いている。
邪神の呪い以外は彼女はかなり恵まれている。だから、呪いが収まった事で、巫女の可能性や他の皇族との婚約もあり得たはずだ。
アーロンとの婚約など、言ってしまえば邪神の呪いがあった故に苦肉の婚約に過ぎない。六神教と敵対する可能性がある彼女を受け入れる所がラングフォードしか無かった。ただそれだけだ。
娘の幸せを願った結果がアーロンとの婚約など、愚かとしか言いようが無いが、それでも、ウォーレンには何か考えがあったのか。結局、レイラはラングフォード家で厄介者と扱われ、邪神化して勇者たちに殺されるのだから、ウォーレンの決断は失敗としか言いようが無い。
邪神の呪いという枷が無くなった以上、ラングフォード家との婚約など最低の選択肢でしか無い。
それでも、何の因果かレイラは未だにアーロンの婚約者となっている。
「故に、アーロン、お前も勇者召喚には列席しないが、帝都に行く用意をしておくように。勇者召喚のパレードも行われる。彼女と回ると良い」
勇者召喚の際、お祭りが行われていた事は原作にも書かれていた。召喚されたばかりの勇者たちに自由は無かったので大教会で豪勢な食事を取っただけだったが。
「はい。わかりました。父上」
秋月はそう返事をする。
オズワルドは秋月の返事を聞くと用は終わったと言わんばかりに書類を手に取って読み始める。秋月の方に視線を寄越す事は一切無かった。
秋月はそんなオズワルドの態度に小さな棘が刺さったような不快感を覚えつつも彼の書斎を後にした。
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