22 微かな嫉妬

 レイラの変貌は秋月にとっても想定外の出来事であった。

 原作においてもレイラが本来の容貌を取り戻したなんて事は無かった。

 レイラはラングフォード家の中で不遇な立場にあり、婚約者であるアーロンにも煙たがれ、最終的には拒絶されて正気を保つ事が出来ず、邪神化してアーロンを殺害する。

 だからこそ、レイラが本来の容姿を取り戻すなんて事はありえない展開である。

 しかし、今現在、現実にレイラの邪神の生まれ変わりの証は消えているのは紛れもない事実だ。


 邪神化は無くなったのだろうか。これでレイラに殺される運命は回避出来たのか、それだけが気になる。レイラが邪神の生まれ変わりという設定は生きているのか、それとも、解除されたのかわからない。

 不穏なのが、彼女本来の瞳の色である翡翠色ではなく、赤いままだという事だ。症状がかなり軽減したが、邪神化の可能性はまだ消え去っていないのではないかと懸念は拭えない。


 秋月はレイラがこうして本来の容貌を取り戻すであろうと予測して起こした行動ではない。秋月は今でもあんな行動を起こしたのか自分でもわからずにいた。

 彼女の仮面を取る行為はあまりに危険な行動だ。結果的に何事も起きず、むしろ良い方向へ行ったからいいものの、最悪、あの時点で邪神化が起こり、原作通り殺される可能性すらありえたのだ。

 そんな危険行為を何故、起こしたのか。

 秋月にも理解出来ない。しかし、あの時、レイラの顔を見た時に、心がざわついたのだ。

 このままではいけないという感覚に襲われたのだ。


 あの時、彼女の仮面を剥いだ時、彼女の顔を見た時、秋月は間違いなく彼女を醜いと認識していた。

 しかし、口から出た言葉はまるで反対の言葉だった。

 目的の為に出た言葉でもなく、秋月の認識した言葉でもない。

 よくわからない。だが、彼女に対して、なにかを言わなければならないと思った時、出た言葉がそれだった。

 少しでも彼女に対して虚言を悟られていれば、邪神化が拍車をかけていたのは秋月の考えすぎではないはずだ。

 だからこそ、あの言葉が虚言ではない事を秋月自身よくわかっている。 

 自分でもよくわからない発言だった。嘘でありながら嘘でない言葉。



 レイラは一時帰国する事になっている。

 数日で戻る予定ではあるが、容態など検査する為に長期的になる事もありえる。

 突然、長年レイラやレイラだけではなくレイラの家族を悩ませてきた邪神の証が消えたのだ。当然、それは一大事の出来事であり、婚約者の家に転がり込んでいる場合ではないだろう。

 六神教がこの世界で幅を効かせている以上、邪神の生まれ変わりという汚点はレイラの国にとってかなりの重しとなっていたはずだ。

 それが無くなったとなれば、レイラの国である東の国にとってかなりの朗報であると同時に力を取り戻すチャンスといえる。


 アーロンとの縁談も断ち消える可能性もありえる。アーロンとの縁談もレイラが邪神の生まれ変わりという厄介な呪いを持っていたから成立した縁談に過ぎず、本来ならば一貴族のラングフォード家の次男のアーロンと皇族の娘であるレイラが婚姻を結ぶ事などありえなかった。

 特にラングフォード家の悪評を聞けばまずありえない婚約だ。

 それらを含めた上で縁談が無くなる可能性も思慮に入れておかなければならない。


 例え婚約の話が無くなった所で秋月にとって何の問題もない。

 黒の痣が消え、獣のような紅い瞳からルビーのような瞳になり、本来の美しい容貌を取り戻したとはいえ、未だに邪神化の可能性が残っているのならば秋月としては距離を置いた方が都合が良いといえる。

 原作ではラングフォード家で散々ないじめにあい、最後には婚約者であるアーロンに罵声を浴びせられ邪神化して勇者に殺される運命。

 そんな事になるくらいなら原作から大幅に路線を変更して、アーロンとの婚約を破棄して、自国で新しく婚約すれば良い。

 彼女の容姿ならば相手に困る事はないだろう。アーロンと、いや正確には秋月と結婚するよりもずっと幸福になるだろう。そもそも秋月は元の世界に戻る事を目的としているのだ。

 いずれ彼女とは別れる事になるのは必然だ。

 ならば、秋月とはここで縁を切って、自国で新たな婚約者と結ばれた方が彼女の為だろう。


 秋月に向けられたあの好意的な瞳が、恥ずかしそうにしていた仕草が、他の男に向けられる事に何も思わないわけではない。

 それでも、このまま彼女と偽りの関係を続ける事に何の意味も価値も無い。秋月は所詮はアーロンの偽物。本当の秋月を知れば彼女は幻滅するだろう。


 帰国後、もう二度と会う事はない可能性もある。

 レイラは帰国前に子供達に会いたがってはいた。彼女にとって一時的な帰国前に顔を出しておきたいのだろう。それに自身の顔を子供たちに見せたいのかもしれない。

 彼女の容貌はお世辞抜きに美しい。仮面の所為で整った顔立ちも不気味見えていたが、その仮面が無くなった事で本来の華やかさを取り戻した。

 彼女が自身の容貌を自慢したくなるのも仕方ないかもしれない。自慢という言い方は悪いが、コンプレックスであった化物のような容貌が消え去ったのだ。仮面を外した状態で外を出歩きたい気持ちも分からないでもない。


 レイラの容貌の変化はすでに屋敷中に広まっている。驚愕、動揺、困惑、称賛と様々な反応があった。

 アシュリーはレイラの本来の可憐さに驚愕したと同時に焦りを見せていた。秋月に何度もどういう事かと尋ねていた。必死に過ぎて正直怖かった。

 秋月とレイラを侮辱した使用人とメイドもレイラの変貌に動揺を隠せないでいた。二人は悪態をついていたが、負け惜しみにしか聞こえなかった。

 ミランダと父であるオズワルドはレイラの変貌に驚きつつも喜んでいた。ミランダは純粋に嬉しそうにしていたし、オズワルドは打算的な意味で歓喜していた。


 そして、秋月がもっともレイラの変化にどういう反応を示すか気になった人物ーー黒幕、エドワードは普通に好意的に接していた。

 オズワルドの興奮したレイラに対する賛辞に冷静に好意的に返していた。レイラにも気遣いの言葉を告げていたし、まるで弟の婚約者の病気が完治した事に普通に喜んでいる優しい兄だった。

 だが、秋月は彼が黒幕であることを知っている。その優しそうな顔の裏に何を隠しているのかは秋月にはわからない。


 エドワードにとってレイラの変貌は好ましいものではないはずだ。黒幕である彼にとってレイラの邪神化は彼の目的にとって重要な事である。勇者を倒す為だけにレイラを邪神化させたわけではない事は原作で明らかになっている。

 レイラが邪神化した旧教会跡地は魔素で溢れかえっている場所である。魔素は人体に存在する魔力と密接な関係があり、魔素が溢れている場所では魔力が増幅する事は明らかになっている。

 レイラを完全に邪神化させる為に膨大な魔力を必要としており、だからこそ、魔素が溢れかえっている旧教会跡地は好都合であったのだろう。

 完全邪神化が成功した時、同時に旧教会の魔素は爆発的に増幅し、世界を一瞬に消滅させる程の魔力を手に入れる事が出来る。事実、エドワードと通じていた魔導士はレイラが邪神化したと同時にその魔力を手に入れていた。後の展開に彼の魔力を具現化した代物をエドワードは手に入れ、自身の目的に活用している。


 だからこそ、レイラの邪神化をエドワードは望んでいるし、邪神化が治った事は彼にとって痛手でしかない。

 レイラの邪神化が治まったからといってエドワードが諦める保証などあるわけではない。油断していると足元をすくわれる可能性もある。エドワードの動向については注視しておく必要はあるだろう。



 レイラは性格は容姿の変貌と共に変わり始めている。

 屋敷に来た当時のような陰鬱で、無感情さは無くなり、笑顔が増えた。秋月に対する態度も一歩距離を置いたものから、肩を寄せるような勢いの距離へ変化していた。正直、秋月が面食らう距離感ではある。

 容姿のコンプレックスは秋月もわからないでもない。自分に自信を持てない理由の大々的な一つであろう。そのコンプレックスが唐突に、突然、解消されたのだ。化物呼ばわりから一転、絶世の美少女へ変わったのだ。自信過剰になっても致し方無い。


 レイラは帰国前に子供たちに会いたがっていたので、ミランダにお願いし、召集をかけてもらう。

 彼女はこちらへ戻ってくる気満々ではあるが、彼女の両親含め家の意向もあるだろう。レイラの思い通りにこちらへ戻ってこれる可能性はあるかどうか不明である。

 ならば、彼女の要望通り、子供たちに会わせた方が後腐れ無くなるだろう。


 レイラの本来の容貌を見た子供達の反応は驚愕と困惑だった。

 男子たちの反応はレイラに見惚れている者が続出し、赤面して視線を合わせられない者もいる程だった。気持ちはわからないでもない。

 女子たちの反応は驚愕はあるものの嫉妬みたいな反応はなく、好意的に受け止め受け入れていた。

 レイラ自身のコンプレックスが無くなったからか、子供達とかなり打ち解けていたように秋月は感じる。

 彼女は始終嬉しそうに笑っていた。子供達の輪の中心となって、本当に楽しそうに談笑している。あの全てに絶望しきった彼女の面影はどこにも存在しなかった。


 秋月はレイラの変化にここまで変わるものなのかと感慨深く思う。

 そして、少しだけ……嫉妬に近い感情が湧いていた。

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