21 本当の容貌

 レイラは秋月の存在にかなり戸惑った様子だった。

 まさか秋月が近くに居るとは思いもしなかったのかもしれない。

 動揺した瞳は揺れており、潤っている。秋月と目が合っている事に気づいたレイラは視線を素早く地面に落とした。

 先程までのやり取りを見られていたとなれば、レイラにとってはかなり気まずく、心苦しい事であろう。

 秋月もどうすればいいのか悩む。彼女のフォローをするべきなのはわかっているが、何と言えばいいのかわからない。


「レイラ、さっきは庇ってくれてありがとう。それから、庇えなくてすまなかった」


 だから、秋月はレイラがアーロンを庇ってくれた事の礼とレイラたちのやり取りを見ていたのに関わらず割って中に入れなかった事への謝罪をした。


「そ、そんな……私が勝手にやった事です……」


 レイラは戸惑ったようにそう返した。まさか秋月が礼と謝罪をしてくるとは思わなかったのかもしれない。


「それに……私は、何も……言い返せませんでした……」


 レイラは俯きながらそう言った。その声は涙声である。

 彼女は精一杯の勇気を振り絞って反論したに違いない。しかし、その反論も結局、彼らの心に届く事はなかった。逆にレイラの触れられたくない部分に踏み込まれ言い包まれる形となった。


 レイラはずっと仮面の裏の呪いの所為で存在感を無くすように生きてきたに違いない。嘲笑や誹謗中傷を受け続け、次第に人との関わりを避けてきたはずだ。反抗も反論もせずにただ逃げ続けたはずだ。

 そんな彼女があの瞬間、声をあげる事がどれだけ勇気がいる事か秋月には想像すら出来ない。それが蛮勇であり、結果的に意味が無いものだったとしても、その行動はただの傍観者では出来ない事だ。


 胸が騒つく。彼女は秋月を勇敢であると言ったが、その言葉を受けるべきなのは、彼女自身である。

 心の底でもやもやした感覚が拭えない。

 落ち込む彼女に対して、秋月は感情任せにレイラの無鉄砲さを非難したい気持ちもある。そして、会ったばかりで何も知らないくせに語るなと言いたいのを必死に堪える。


「そんな……事はない。彼らは兄が居る手前、俺が強く出れない事を良い事に言いたい放題だった。そんな時に、レイラは……君は俺を庇ってくれた。それはすごい事だし、そして、なにより、嬉しかった……」


 吐き気がする。心にもない事をペラペラと喋っているこの口を無理矢理塞ぎたくなる。


「……とう……ですか?」


 レイラは顔を上げて瞳を潤ませてそう問いかけてくる。


「本当だ」


 秋月はレイラに近づき、真っ赤に充血した潤んだ瞳を真っ直ぐ見て告げた。

 レイラの瞳は困惑で揺れており、口元もわなわなと震えていた。だが、意識を取り戻すと、顔を背ける。

 そして、彼女は自嘲するように「はは……」と乾いた笑いを漏らす。


「でも……私は……あの人たちに、私は何も言い返せませんでした……だって……私は……邪神で……化物だからっ」


 そして、ずっと認めたくなかった事を悲痛な声で叫ぶ。

 荒い息をしながら、レイラはこちらを一切見ようとしない。

 一瞬の静寂。


「レイラ、君は俺にとって大切な婚約者だ」


 秋月はそう静かに返した。


「……っ」


 息を呑む声が聞こえる。


「……んなに……ください」


 小声で何か言っているが聞き取れない。

 秋月は「え?」と聞き返すと、


「そんなに、優しくしないでくださいっ……そんなに……優しくしないでください」


 レイラは顔を背けてそう叫ぶ。そして、震える声で、消え入りそうな声でもう一度呟く。

 そして、小さな声で「勘違い……しそうになるんです」と呟く。


「あなたと居ると自分も幸せになれるんじゃないかって、あなたと話す度に笑ってもいいんじゃないかって、あなたに会う度に人を好きになっていいじゃないかって、思いそうになるんです」


 レイラは顔を上げて秋月を見て告げた。それは秋月に対して非難するような瞳だった。真っ赤に充血し、溢れ出ている涙。

 秋月は内心戸惑っていた。レイラからそんな瞳を向けられるとは思わなかったからだ。

 心のどこかでただレイラに優しくしていれば、彼女の精神は安定するだろうと安易に考えていた。

 そんな事あるはずがない事を自分自身があの世界で嫌でも思い知っている癖にだ。


「そんなわけ……ないのに……そんなことあるはずがないのに」


 レイラは自嘲するようにそう言った。

 彼女はずっと否定される人生だった。どんなに足掻いた所で逃れられない邪神の生まれ変わりという運命。その中で唯一、出来る方法が諦めることだった。

 だから、彼女は諦めていた。全てを諦めていた。

 それなのに、希望を与えてくる存在がいた。彼女にとってそれは有りえないことだったに違いない。すぐに掴みたい希望だった。でも、その希望が無くなった時、それが虚像だった時、彼女は立ち上がれない深い傷を負う事になる。

 だから、掴みたくないのだ。信じたくないのだ。


 秋月はそれを解っていた。だからこそ、


「そんな事ある。レイラ、君は幸せになっていいし、笑ってもいい、そして、人を好きになって良いんだ」


 全てを肯定する。


「……っ、あなたは何もわかっていないっ! 邪神がどれだけ嫌われているかっ、六神教からどれだけ目の敵にされているか! 私が今までどれだけ……苦しんできたなんてっ」


 レイラは秋月の言葉に怒りを露わにしてそう叫ぶ。

 レイラの言葉が突き刺さり、秋月は少し動揺する。何もわかっていないのは秋月も同じだった。


「それに、……あなたは知らない。この仮面の下がどうなってるか……知らないくせに……」


 そして、左顔を隠している仮面を触りながら、そう嗚咽を漏らす。


「……」


 彼女の仮面の裏を秋月は知っている。けれど、それを見た事なんてこれまで一度も無かった。

 どれだけ彼女の知識を褒めようと、どれだけ彼女を婚約者だと認めようと、彼女にとって自分を受け入れられると信じられるはずがない。

 そんなの当然だった。彼女にとってもっとも醜い部分を晒していないのだから。

 だから、何を言われたところで、何をされたところで、彼女は秋月に心を赦していなかった。

 そんな事にも秋月は気付いていなかった。


 もしかしたら、薄々彼女は気付いていたのかもしれない。秋月の中身の伴っていない褒め言葉に。優しさに。


 秋月はレイラにゆっくりと近寄る。いきなり目の前に来た秋月にレイラは警戒するように下がろうとする。

 秋月はレイラの腕を掴み、逃さないようにして、仮面を掴む。

 レイラは動揺したように仮面を抑えようとしたが、秋月はその前に仮面を剥ぎ取った。


 レイラの黒く爛れた肌が露わになる。そして、獣のような紅い鋭い瞳が秋月を凝視していた。

 レイラは咄嗟に顔を隠そうとしたが、その前に腕を掴んだ。


「綺麗だ」


 秋月はそうレイラの顔を見ながら言った。


「……」


 レイラは顔を逸らそうとするのを辞めて、呆けたように秋月の顔を凝視する。


「とても綺麗だ」


 秋月は再度そう繰り返す。


「……嘘」


 レイラはそう呟く。


「嘘じゃない。綺麗だ」


 レイラの言葉を否定し、そうレイラの爛れた肌を見ながら言った。


「うそ……うそ……そんなの嘘に決まってる」


「嘘じゃない……とても綺麗だ、レイラ」


 放心したように呟くレイラに秋月は同じ言葉を返した。


「嘘だ……嘘だよぉ……そんなの……」


 嗚咽を漏らしながら顔を逸らそうとするレイラ。

 秋月は爛れた肌に触れて、顔を上げさせて告げる。


「綺麗だ。なによりも誰よりも綺麗だ」


 秋月はレイラの顔を見つめながらそう言った。

 レイラの瞳から涙が溢れ出る。彼女からもう否定の言葉は出なかった。


 そして、彼女の爛れた黒い痣がゆっくりと小さくなっていく。最終的に黒い痣は無くなり、白くて綺麗な肌だけが残った。

 獣のような紅い鋭い瞳は右目と同じ綺麗な瞳へ変化した。紅い色だけを残し、彼女の顔は本来持ち合わせていたであろう美しい美貌へ変わっていた。

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