20 なにより勇敢でもない

 使用人もメイドも唐突の乱入者に驚きを隠せないでいた。

 それも当然だ。いつもは小さな声で無愛想な顔で挨拶するくらいしかしない少女がいきなり叫び声を上げたのだから。

 一瞬の静寂、突然の事に使用人もメイドも固まって動けずにいるようだ。レイラの方を見ながら呆然としている。

 秋月も二人の事を笑えないくらいに動揺を隠せずにいた。状況を理解するのに精一杯だった。正直、この場にレイラが居るとは思わなかった。いや、確かにここは庭園へ行く途中にある場所だ。

 身を隠す場所もある。秋月も建物の陰に隠れていた。レイラは木の陰に隠れていたようでそこから飛び出したようだ。


 レイラの気持ちもわからないでもない。自分で言うのもなんだが、愛しの婚約者であるアーロンを侮辱され、あまつさえ死すら促したのだ。

 秋月も目的の為とはいえ、レイラに親愛を抱かれるように距離を縮めた。コミュ障の秋月でもレイラとの距離は確実に近づいた事を自負しているつもりだ。

 周りからは邪神だと煙たがれ、悪意や侮蔑の視線は当然として、心ない暴言もあっただろう。最悪、暴行すらあった可能性もある。

 そんな中、自身を認めてくれた存在がいたのだ。お世辞でもなく、純粋に自分の知識を認めてくれたのだ。否定され続けた彼女にとってそれはどれだけ救いになったか。

 そんなレイラだからこそ、自身を認めてくれた婚約者であるアーロンを侮辱されて看過出来るはずもない。


 だからといって、こんな状況はいくらなんでも想定外にも程がある。


 秋月はどうするべきか迷う。冷や汗が垂れる。思考が纏まらない。

 レイラの行動はあまり軽率だ。確かに使用人とメイドのアーロンに対する陰口は度を超えているし、咎められるべき発言であろう。だが、彼らにそうした正論を言ったところで通じるはずもない。

 人間は自分の言動を正しいものだと思いたがる生き物であるし、自身の正統性を証明したがる性質を持ち合わせている。

 彼らにとってアーロンという存在は悪であり、エドワードこそ正義である。既にアーロンに対してそうした態度や発言をしている時点で取り消す事はほぼ無いに等しい。

 誰だって自分が間違っていたなど認めたくない。増して誰かの前で恥をかくなら尚更である。


「い、いきなりなんですか?」


 メイドはレイラの登場に動揺を隠せずにいるようだ。アーロンの婚約者の陰口を叩いていた所為か、若干の後ろめたさがあるからか中途半端に強気に聞き返す形になっていた。


「あ、あなた達は主人の息子であるアーロン様にあんな出涸らしとか屑とか、更には死ねばいいだなんて」


「ぬ、盗み聞きですか? たち悪いですね? ラングフォード家に嫁ごうとしている方がどうかと思いますけど?」


 レイラは意を決して使用人とメイドを非難するように視線を向けるが、メイドはすぐにそう的外れな反論を返す。


「そ、それは……そうですけど、それとこれとは。あなた達こそーー」


「事実でしょう?」


 今まで沈黙を守っていた使用人の男がレイラの発言を遮るようにしてそう言った。


「アーロン様がエドワード様の出涸らしである事は誰が見ても明らかでしょう。アシュリー様にも劣る魔法力。勉学、剣術共に大した成果を出せていない。平民や使用人に対して何の能力も無い癖に威張り散らすだけの彼を屑と称して何が悪いのです?」


 使用人の男にそう言われレイラは反論する事が出来なかった。レイラにとって彼らの言葉は信じられないだろう。アーロンが不遜な態度をとって使用人やメイドを見下していたなどと秋月と接してきたレイラには到底理解出来ないかもしれない。


 秋月は原作を知っているからか、アーロンの屑さ加減を知っている。婚約者であるレイラの邪神化を目論んだ最低野郎だ。自尊心だけは高く、その癖に能力が全く伴っていない。

 最終的にアーロンを助けようとしたレイラを拒絶したどうしようもない小物。言い方は悪いが物語の犠牲なった一人なのかもしれない。作者の都合で主人公の噛ませにされる為にどうしようもない人間性を植え付けられた犠牲者の一人。

 貴族特有の貴族至上主義すらアーロンが思いついたわけでもなく常識として植え付けられたものだ。貴族として正しい事をしてきた結果、周囲から嫌われ最後は悲惨な死を遂げる。

 そう考えるとどこまで哀れな小物だろうか。


 レイラは自身が知るアーロンとのギャップに戸惑っているだろう。秋月の演じるアーロンが聖人君子とは言わないが、彼女にとって都合の良い婚約者を演じてきたつもりだ。

 邪神の生まれ変わりと言われている自分を受け入れてくれ、自身の事を知ろうと関心を持ってくれた彼に好意を抱いたとしても嫌悪を抱く事はない。

 だからこそ、使用人とメイドのいうアーロン像が全く重ならず、どう返答していいか悩んでいるはずだ。


 正直、秋月からアーロンは事実屑だったのだから、陰口くらい仕方ないと思っている。勿論、不快であるけれど権力をかざして黙らした所でその場で黙るかもしれないが、またアーロンの居ない場所で悪態をつくだろう。むしろ権力で圧力をかけた分、陰口が悪化する事すらありえる。

 無駄な労力を割くくらいなら、最初から諦めて無視している方が得策だ。


「反論は無いようですね。……まぁ、婚約者を良く思いたいのは分かりますが、事実を受け入れて、身の振り方を考えた方が賢明だと思います。いずれ、ラングフォード家はエドワード様が継ぐことになるのですから」


 使用人の言っている事はある意味正論で事実だ。

 コミュ障のレイラがどう頑張っても使用人の論調を覆すことなど不可能だろう。

 だから、レイラも彼らに逆らわず、認めるか流してしまえばいい。


「……あなたたちは知らないだけです」


 レイラは俯きながらそう呟いた。声は震えていた。

 その姿は痛々しかった。使用人やメイドにビビっているのは秋月の目から見ても明らかだ。

 陰キャが陽キャに必死に反抗してる居た堪れない空気そのものだった。


「何を知らないというんです?」


 小馬鹿にするように使用人は尋ねる。


「あの人の……すごさをです」


 レイラの言葉に一瞬鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする使用人。そして、笑いを堪えられないと言ったふうに、


「すごさ? あの出涸らしのですか? あー、ポンコツ具合ですか?」


 レイラに問いかける。メイドも一緒になって吹き出している。


「……確かに、彼には至らない部分もあるのかもしれません。けれど、彼にはそれを上回るすごさを持っています」


「だからさー、さっきからそのすごさって何? うざいんですけど」


 メイドが苛立ったようにレイラを睨む。


 レイラのいうすごさと言うのに秋月は心当たりは無い。優しさとか自分を偏見な目で見ずに接してくれたとか、その辺だろうかと思ったが、


「勇敢さです」


 予想外の言葉が出てきた。秋月とは程遠い言葉だ。

 秋月は当然ながら呆然としていたが、使用人やメイドも同じようにポカンとした顔をしていた。


「ぷっ、あはははははは、アーロン様が勇敢? 嘘でしょう? あはははは」


 メイドが爆笑していた。


「っくくくっ、何の冗談ですか。あの出涸らしのどこに勇敢さがあると? 虚勢だけは一端ですが、都合が悪くなるとすぐに逃げる卑怯者ですよ?」


 使用人も笑いが堪えられないと言わんばかりにレイラを見ながら言う。


「自分の婚約者に夢を見るのはご自由ですが、期待し過ぎて後で失望してもしりませんよ?」


 使用人は嘲笑しながら忠告する。

 秋月は使用人の言葉に何も言えない。期待されてもそれに応える自信も無ければ、する気も無い。

 秋月は結局自分の目的の為に行動しているのであって、レイラの素晴らしい婚約者として行動しているわけではないからだ。


「失望なんてしません。事実です。あの人は本当の勇気を持ち合わせていらっしゃいます。私では決して持てなかった勇気を」


 レイラはそう静かに反論した。その言葉に一切の迷いはない。

 何を根拠に言っているのか秋月には理解出来ない。こいつに秋月の何が分かるというのかという苛立ちすら覚える。


「っ……そうですか。精々、彼に裏切られないようにしてください」


 レイラの反応が気にくわなかったのか、使用人はそう苛立ったように言った。


「まぁ、出涸らしの屑と邪神の化物同士お似合いですよ」


 そして、レイラに向かって嘲笑する。

 レイラの表情は一瞬固まった。

 メイドは「ば、化物」と腹を抱えて嗤っていた。


「仮面の下はどうなってるんですか? ちょっと仮面を外してみてくださいよ」


 メイドの嘲笑に気を良くした使用人が追い討ちをかけるようにレイラに問いかける。


「っ……」


 レイラは咄嗟に仮面を抑える。


「まぁ、外せませんよね? 邪神の証がそこにあるんですから。何を考えているのか理解出来ないですよ、オズワルド様は。いくら東洋の皇族だからってこんな化物を引き入れるなんて」


 使用人のレイラへの暴言は続く。


「疫病神って自覚あります? 言っときますけど、屋敷の使用人、皆、あなたが邪神って知ってますからね? 仮面の下、皆、気味が悪いとか気持ち悪いって言ってますから」


 使用人は嘲笑しながらそう言う。メイドは「ひぃーひぃー」と笑い過ぎで若干の呼吸困難に陥っていた。

 レイラは俯き震えていた。レイラにとって知っていたが、それでも知りたくなかった事実だろう。自分でもわかっていても、突きつけられたくない事実はある。


「エドワード様が次期当主となるのは確定なのですから、勇敢()なアーロン様と一緒に駆け落ちでもなんでもしてくださいよ? 正直、六神教の信徒としてはあなたを見ると虫唾が走るんですよ。邪神の化物が」


 使用人は吐き捨てるようにそう告げた。


「ぷっ……あはははは、ちょっと、事実でも、一応、ラングフォード家の一員なんだから、やばいって……邪神の化物……ぷっあはははは」


 メイドは何がおかしいのか爆笑していた。


「……」


 レイラは俯いて震えて動けない。アーロンの事だと言い返していたのに、自分の事となると途端に無言になっていた。

 そんなレイラに使用人は満足げになる。レイラを言い負かして心地が良いのだろう。


「あまり調子に乗らないことですね。東洋の血くらいしかあなたに価値なんて無いんですから」


 そう忠告するように使用人は言うとレイラに背を向けて去っていく。メイドもツボに嵌まったのか「化物」と未だに言いながら使用人の後に続いた。


 二人が去った後、レイラはその場にずっと佇んでいた。ポロポロと涙を流しながら、嗚咽を漏らしているのが聞こえた。


 どこぞの主人公やヒーローならば使用人やメイドからレイラを庇ったのだろう。だが、秋月には出来なかった。そこまで無謀でもないし、優しくもない。そして、なにより勇敢でもない。


 これで良かったのかもしれないと秋月は思う。どう足掻いた所で使用人やメイドたちの悪意はずっと続く。レイラがアーロンを庇おうとした時は正直どうしようかと焦ったが、こうして言い負かされたお陰でレイラに対して悪質ないじめは行われない可能性が高い。

 人間なんて自分の自尊心がなによりも大切な生き物だ。あの使用人もレイラよりも自分の方が上だと思っている。だから、そんなレイラに楯突かれて自尊心を傷つけれてレイラの痛いところを突いた。レイラは黙り込んだので、レイラにマウントを取って勝ったと思っているはずだ。


 もし、レイラに言い負かされた場合、返報性の原理によって悪質ないじめを始めることだって有りえた。だから、こうして言い負かされた方が結果的に良かった。今の状況で使用人たちと荒事を起こす事は得策ではない。


 レイラの行動について何かを言うつもりはない。秋月としてはまさかレイラにあんな行動を起こせる勇気があるとは思わなかった。

 アーロンに対して恩義を感じて、自分の信じたい相手を侮辱されて許せなかったという気持ちもわからないでもない。

 勇気を振り絞って反論した結果があれではあまりに報われない。

 レイラの自尊心はボロボロだろう。実際、レイラは泣いている。このまま見なかったフリが出来たらどれほど良かったか。

 放置すれば邪神化の一途を辿る事は間違いない。緊張で手汗がすごいことになっているのが自分でもわかる。やるせない気分になりながらも、秋月は自身が今やるべき行動を起こす。


「……アーロン、さま」


 秋月はレイラの前に姿を現した。レイラは右目を目を赤く腫らしている。右頬には涙の跡が見えた。

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