18 最強への一歩

 秋月は自室でいつものように読書をする。


 秋月がまた授業をしなければならないからだ。最近はメイドのミランダも授業をするようになった。基本的にはこの世界の常識や知識を担当している。


 やはり教育を受けているからかメイドの教養は目を見張るものがあった。前々からこのメイドは有能だと感じていたが、それがモロに出始めた。


 秋月は補助的なつもりでメイドを巻き込んだつもりだったが、次第に秋月よりも濃厚かつわかりやすい授業をし始めたので本格的にこの世界の常識と知識について任せる事にしたのだ。


 また一番驚いたのはメイドが剣術を扱えることだった。それも師範代クラスだというのだから呆れる。秋月の護衛に何故このメイドが許可されたのかようやく理解出来た。


 しかし、どこまで有能なんだよと秋月は苦笑いしてしまう。こいつこそ、チートキャラじゃないかと思う。だが、アニミズムの世界ではメイドは登場していない。


 もしかしたら、秋月が知らないだけで、原作(ネット小説)では登場しているのかもしれない。熱狂的なファンというわけでもなく暇つぶしに読んだり、アニメを見た程度なので最新話まで追いついていないし、見逃している可能性も十分有りうる。


 秋月は呆れながらメイドにどうしてそこまで剣術を極めたのかを訊いたら、


「あなたを守る為です」


 と、真顔で返された。


「あなたを守る為です」


 二度も言われた。いつものおちゃらけた空気ではない。真剣そのものだった。


 正直、対処に困った。



 とにかくメイドが剣術の達人というご都合主義だったので、剣術を学びたいと前々から訴えていたアレックスの稽古をつけるようにお願いした。


 メイドは最初渋っていた。この剣術は本来はラングフォード家の主人たちを守護する為のものだ。それを軽々しく平民の子供に教えていいのか。主人であるオズワルドに許可を得てもいないのに。


 だが、秋月とアレックスの真剣なお願いに結局折れてくれた。秋月は最初簡単に教えてくれると思っていたので断られた時は正直焦った。他の教育についてはノリノリだったので剣術も同じように行けるだろうと楽観していた。


 秋月にとってアレックスの強化は死活問題だったので必死にお願いする。それが功を奏してかメイドは受け入れてくれた。



 メイドという有能な護衛がいるのだから子供たちの強化は必要無いのではと秋月は一瞬思ったが、結局、このメイドもラングフォード家の者でしかない事に思い至った。


 このメイドが秋月の完全な味方とは限らない。もしかしたら黒幕であるエドワードの息のかかった存在である可能性も有りうる。


 そうした場合を考えてアレックスを強化して置いて損はない。本人も剣豪になることを夢見ている。ただの憧れだけではなく、アレックスは自身が剣豪になれる事を信じて疑っていない。


 ただの虚勢でもなく、向こう見ずの楽観さでもない。


 剣豪への道のりが甘く無い事を理解した上で、彼は信じているのだ。


「師匠、ありがとうございます。師匠とミランダさんのお陰で道が開けました。必ず僕は剣豪になります」


 真っ直ぐな瞳。一切の疑いの無い眼差しでアレックスは言った。


 秋月は「そ、そうか、頑張れ」と戸惑いながら言うしかなかった。


 アレックスはメイドの教えに対して一切の不満も言わず、仕事以外では身体を鍛えていた。秋月ならすぐに根を上げてしまいそうな特訓メニューを黙々とこなしている姿は正直引いてしまう。


 やっぱりあのメイド、頭おかしい。そして、それに一切文句や弱音を吐かず強制されずともやっているアレックスもちょっと頭がおかしい。


 秋月はオーバーワークになったら困るので、アレックスにそれとなく無理はしないように助言し、タンパク質とビタミンミネラルたっぷりな食べ物を差し入れしておく。




 秋月は自室を出て書斎へと向かうつもりだ。


「最近、よく出かけているわね」


 少し鋭い青い瞳に、金髪をサイドを三つ編みにしており、それがよく似合っているアシュリーが壁によりかかるように立っていた。相変わらず黒いドレス思わせる装飾されたワンピースを纏っている。


 秋月からすれば最近、よくこの廊下ですれ違うなと言いたい。彼女の部屋はここから遠いはずなのに。


 アシュリーは秋月の自室の扉や屋敷の外のガラスに視線を向けた後、


「あの仮面女とどこに行っているか知らないけれど、あまり外に出歩かないでほしいのだけど。あんなのがウチの屋敷に居るなんて知れたら悪評が立つでしょう?」


 アシュリーは凍えるような冷たい瞳で腕を組みながらそう言った。秋月はやはり黒幕エドワードの妹であると実感する。どこまでも人を見下した瞳。可愛らしい容姿に相まって冷酷さが伝わってくる。


 アシュリーはレイラが気に食わないのか、レイラを無視している。そして、秋月の話す際もメイドと同様にこき下ろしていた。


 悪評と言うが秋月からすればラングフォード家の悪評は十分轟いていると思うのだが、それは言わないでおく。


「お父様も何故あんなのをラングフォードに受け入れたのかしら。よりによって六神教と敵対する可能性のある存在を受け入れるなんて。だから、使用人たちが妙な噂を立てるのよ」


 アシュリーは苛立った様子でそう顔をしかめる。アシュリーも使用人の噂話には怒りを覚えているようだった。


「まぁ、いいわ。いずれあの仮面女は追い出すし。それより、準備をしなさい。裏庭へ行くわよ」


 サラッと聞き捨てならない事を言うアシュリー。そして、秋月の予定も聞かずに秋月の行動を勝手に決める。魔法の特訓をするつもりなのだろう。


「ちょっと、待て。勝手に決めるな。俺にも予定ってものがあるんだ」


 秋月は勝手に予定を決められては堪らないとそう言うと、アシュリーは眉を潜める。


「前もそんなことを言っていたけれど、あなたが教えて欲しいと言ってきたんでしょう? わざわざこの私が出向いてあげてるというのに、また断るつもり? この私よりも優先すべきことがあるとでも? へー? そう?」


 平静を装っているように見えるが、内心キレているのか言葉の端々に圧を感じる。


 秋月は最近レイラに構ってばかりでアシュリーとの魔法の特訓を蔑ろにしていた。初級魔法はそれなりに取得出来たが、未だ中級魔法は取得出来ずにいた。


 アシュリーの教え方は上手いので初級魔法までは順調だったが、中級魔法はやはり一筋縄ではいかないのか壁にぶつかった。最初はそこまで何も言わずにいたアシュリーだが、なかなか中級魔法を取得出来ない秋月に苛立ちを覚えたのか癇癪を起こしていた。


 アシュリーに復習をしているのかと聞かれたり、もっと練習時間を増やすべきだと言ってきたりと秋月的にも若干の鬱陶しさを感じて、レイラや子供たちの方を優先していた。


 アシュリーはどこか秋月に、いや、正確にはアーロンに期待しているように感じる。秋月としては中級魔法さえ取得さえすればそれでいいのだが、アシュリーはアーロンにそれよりもっと先を見据えているような口振りなのだ。


 特にアシュリーの鬱陶しかったのは兄であるエドワードと比較してくる部分だ。エドワード兄様なら、エドワード兄様だったら、と言われる度にやるせなくなる。エドワードが好きなのは分かるが、正直、ウザったくあった。


 メイドもそうだが、エドワードを秋月にぶつけようとするのはやめて欲しい。アニミズムの黒幕にただの高校生である秋月が敵うわけがない。


「わかった。だが、寄らせて欲しい場所がある。待ち合わせている人物がいるからな」


 秋月は色々と悩んだ末にそう言った。


「へー? それはあの仮面女? それとも、メイド? まさか他の女かしら?」


 微笑んでいるのだが、物凄い圧を感じる。


 秋月はすぐに否定して「男だよ」と返答した。




 正直、あいつとの約束を破ってもアシュリーと魔法の訓練を裏庭でしていた方が良かったかもしれない。


 だが、秋月は正直限界を感じていた。初級魔法ならば他の子供たちに教える事は出来たが、中級魔法は秋月自身が取得出来ていないのだから教える事なんて出来ない。



 メイドも初歩的な初級魔法は扱えるようだが、それ以上は習っていないようだ。魔法はやはり貴族が使うものというレッテルがあるからか、メイドも積極的に覚えようとしてこなかったらしい。



 結局、あいつは燻っていた。独学では限界がある。いくら魔法の本を与えた所で、実践と理論では全く違う。


 これは正直、賭けだ。あいつをアシュリーや一緒について来ている小柄なメイド、シエルに会わせるのは危険だ。秋月がやろうとしている事の一端を晒すことになるのだから。


 アシュリーはエドワードを尊敬している。エドワードに裏切られると秋月は知っているが、彼女はそれを知らない。だから、エドワードに秋月の動向を伝える可能性だってある。そして、小柄なメイドのシエルも同様だ。相変わらず無表情で何を考えているのかわからない。黒幕エドワードと繋がっていたとしてもおかしくはない。


 それでも、そんな危険を冒しても、彼女たちに会わせる事でメリットがある。


「どこまで行く気?」


 アシュリーは不満げに言う。ずいぶん、森の中を歩いたからだろう。


「もう少しだ」


 アシュリーは秋月の返答に小さく舌打ちしていた。アシュリーからすれば裏庭で魔法を特訓をしたかったのをこんな森の奥まで行くなんて想定外だったのだろう。


 秋月たちは森の広場へ向かっている。一部、木々が生えてない場所があり、そこは魔法の練習にはぴったりだった。


 父親の書斎の小屋からは結構離れているが、今回は好都合である。遠いからあいつに直接、そこに来るように告げていたからだ。小屋も見つかる心配もない。だからこそ、連れてきたのだが。


 そして、目的地に到着した。そこには秋月と待ち合わせしていた人物が立っていた。


「待たせたな、イアン」


 森の広場には気弱そうな少年、イアンが立っていた。茶髪に灰色の瞳。着古した白のTシャツに、少し穴が開いている緑のズボン。平民である事はすぐにわかる。


「そいつが待ち合わせていたっていう相手?」


 アシュリーは訝しむようにイアンを見つめる。


 自身との約束を遠回しにしても会いにきた相手が見るからに平民の気弱そうな少年。服装からして裕福には見えない。


 貴族のアシュリーからすれば、価値の無い相手であろう。


 イアンはアシュリーの視線に萎縮したように俯く。若干の戸惑いがあり、秋月の方へと寄ってくる。


 イアンからすれば、秋月と待ち合わせをしていたはずだったのに知らない女の子が二人も居るのだ。しかも、それが一人は明らかに貴族の少女。そして、もう一人は無表情のメイド。


 更には自身を値踏みするように見てくるのだから及び腰になっても仕方ない。


「そうだ。彼はイアン」


 秋月はアシュリーの疑問に肯定し、イアンを紹介する。


 アシュリーは興味なさげに「そう」と言って、さっさと用事を済ませろと言わんばかりに腕を組む。平民の名前なんて覚える気も無いし、知りたくもないのだろう。


 メイドもいつもの無表情のまま、アシュリーの横に佇む。


「俺が魔法を教えている」


 秋月がそう言うとアシュリーは「は?」と訝しむ。


「あなたが? 魔法を教えてる?」


 アシュリーからすれば中級魔法すら取得していない秋月が魔法を教えている事に理解が追いつかないのだろう。


 その気持ちはわからないでもない。まだ魔法のまの字くらいしか魔法を使えていない秋月が誰かに魔法を教えるとのいうはあまりに違和感があるし、滑稽だ。


 秋月は肯定するように頷くと、アシュリーは視線をイアンに向けて「この平民に?」と続けて問いかけてくる。秋月はそれに対して「そうだ」と肯定する。


「……」


 少し間が開いて、アシュリーは唐突に吹き出す。


 ツボに入ったのか、口元に手を抑えて笑いを堪えようとしていた。


 ひーひーと軽く呼吸困難に陥っているようだ。


 そんなにおかしいことかと秋月は笑いを堪えるアシュリーを眺める。隣のメイドは相変わらず無表情だ。アシュリーの笑いなど意に介した様子もなく、ぼーっとこちらを見ながら佇んでいる。反応ないのもそれもそれでムカつくなと秋月は思う。


「あー……笑った。本当、笑わせないでくれる? ロクに魔法を使えないあなたが魔法を教えてるなんて、そんな真面目な顔で言われたらおかしくて。しかも、その相手がその平民だなんて」


 目尻の涙を拭いながらアシュリーは秋月の滑稽さを馬鹿にする。


「あなた知らないの? ここまで無知とは思わなかったけれど、平民は魔法を使えないのよ? 何故、貴族と平民で分けられているか知ってる?」


 アシュリーは小馬鹿にして自慢げな様子で秋月に対して講釈を垂れてくる。


 秋月はそんなアシュリーを見て昔の黒歴史を思い出して恥ずかしくなる。やめてくれ。そんな自慢げにいきなり講釈を垂れるのは。ああああ死にたくなる。


 アシュリーは知らなくても仕方ないかもしれない。貴族のみが魔法を使えるわけでない事を。ラングフォード家の教育を受けていれば勘違いする。他の貴族の家も同じようなものだろう。


 少し調べ考えればわかる事だが、豪商の平民が魔法を使えるようになっている時点で魔法は貴族のだけのものではない。


 秋月はつらつらと偉そうにしているアシュリーの鼻を明かしてやるつもりで、イアンに視線を送る。イアンは秋月の視線に気付き、いいのかとアイコンタクトしてくる。


 イアンは今も嬉しそうに講釈を垂れているアシュリーを気にしているようだ。このままではアシュリーが大恥をかくのは目に見えている。


 だが、秋月はやるように指示を出す。先程の事に秋月も苛立ちを覚えているのだ。人間には返報性の原理が存在する。やられたらやり返す。


 それに黒歴史の自分を見ているようで痛々しいので、今のうちに恥をかいた方が良いという兄の思いやりだ。


「貴族は魔法が使えるから貴族なの。平民は魔法が使えないから平民なの。あなたは魔法が使えない平民に魔法を教えようとしていたってわけ? わかる? 本当、あなたってーー」


 ばかと言おうとしたアシュリーは固まってしまった。


 アシュリーの釘付けになっているそこにはイアンが水の初級魔法を行使している場面だった。


 イアンは片手の手の平に初級水魔法を体現させており、その水魔法はとても安定している。秋月でもあそこまで安定したまま魔法を維持することは難しい。


「嘘……」


 アシュリーはイアンの片手の上に浮かぶ水の塊を見て驚愕の表情を浮かべていた。平民が魔法を行使しただけでなく、安定させているのだ。驚きは倍増だろう。


「どうして、平民が魔法を……魔法を使えるのは貴族だけのはず。あの平民は本当に平民なの? いや、わかった。そう、そう言う事」


 アシュリーは動揺を隠せずにいたが、急に納得したように頷き出す。


「つまり、あの平民は貴族なのでしょう? 正確には貴族が平民に生ませた子供なんでしょう? 出自が平民でも貴族の血が入っていれば魔法を使えるはずだもの。まぁ、正当な貴族出自よりはずっと劣るのでしょうけど」


 なにやら勝手に解釈して納得し出すアシュリー。


「そういう事なのでしょう?」


 アシュリーは秋月にそう確認するように問いかけてくる。その表情は真剣そのものだった。同時に焦りも見えていた。自身の常識を覆されそうになっているのだ。当然と言えるかもしれない。


 魔法が使える事は貴族としてのステータスの一つだ。それが覆される時、アイデンティティの崩壊に繋がる。


 一方、メイドは相変わらず無表情で一切の顔色の変化は無い。彼女はもしかしたら貴族であろうと平民だろうと関係なく魔法を使う事をができるという事を知っていたのかもしれない。


 秋月はアシュリーの問いかけに答えず、イアンに視線を送る。イアンはまた戸惑ったようにいいのかとアシュリーを見ながら確認してくる。


 アシュリーは平民を馬鹿にしている節がある。ある意味、今からやる事はアシュリーにとって良い薬だろう。


 魔法は貴族にとってステータスだ。貴族としての血を濃く受け継いでいる程、高等魔法を扱え、優秀であると彼らは思い込んでいる。


 アシュリーはそんな洗脳に近い教育をモロに受けてきた。だからこそ、大貴族であるラングフォード家の長女である事を誇りに思い、同時に傲慢に育ってきた。


 魔法を扱う事の出来ない平民を心底見下し、貴族であったとしても魔法が使えるかどうかで人を判断してきた。だからこそ、アーロンを見下し、エドワードを慕っていたのかもしれない。


「え……」


 だが、そんな貴族にとって都合の良い虚像もイアンによって崩れ去る。


 アシュリーは信じられないものを見たと言わんばかりの顔をしていた。


「二重魔法……」


 そう呟いたのは小柄のメイドのシエル。仮面のように無表情だった彼女の目が若干見開いていた。秋月はまさかメイドがこんな表情するなんて思わなかった。一瞬呆気に取られたが、メイドの様子に気分が良くなった。


 イアンの右手には水の塊、そして、左手には炎が燃え盛っていた。


 種類が違う魔法を同時に行使する。それは魔法を扱う者ならどれだけ難しいかよく解っている。不安定で一瞬だけならまだしも、イアンのように安定させたままだと限りなく難しい。平均台の上を歩きながら知恵の輪をやっているみたいなものだ。


 イアンは初級魔法を習得し終えた時、中級魔法を取得してなかった秋月が悩んだ末に二重魔法を練習するように告げたのだ。秋月もその時は二重魔法がこれほど難しいものとは知らなかった。たかが、別々の魔法を同時に行使するくらいサブカルチャーにどっぷりハマっている秋月からすれば大した事などないと思っていた。


 だから、イアンが二重魔法をメイドのミランダの前で披露した時、メイドの動揺っぷりはすごかった。


 最初、大袈裟なと秋月は思ったが、自身で試してみて良く理解出来た。秋月には到底出来る芸当では無い事に。


 そして、イアンは秋月の予想を超えてきた。


「三重……魔法……」


 シエルは驚きの表情を隠せずにいた。あの無表情だったメイドが、無感情だったメイドが動揺していた。


 イアンの右手には水の塊、左手には炎、そして、真ん中には風が渦巻いているのだ。


 三重魔法。高等魔導士でも出来る者が限られていると言われる技術。


 イアンはそれをやってのけたのだ。まさしく天才といってもおかしくない所業。


 勿論、イアンは何も労せずこの技術を獲得したわけでない。努力は当然として思考に思考を重ね、何十の失敗を繰り返し辿り着いたのだ。


 失敗を繰り返してよくめげずに続けられるものだと秋月は思う。秋月なら数回失敗したら挫折してしまうだろう。


 そう尋ねると、イアンは試しているつもりでやっているんで、失敗している感じではないんですよねと言っていた。意味がわからなかった。


 二人はイアンの所業に唖然としていた。


 秋月は二人のその様子に若干の優越感を覚えながらも、


「イアンは平民でありながら、三重魔法を扱える人間だ。初級魔法はほぼ完璧に制覇している。だからこそーー」


 秋月は小柄なメイドのシエルに向いて告げる。


「風帝のシエルにイアンに魔法を教えて欲しい」


 風帝のシエル。貴族の中では魔法でもっとも優れた者に帝の名が与えられる。炎帝、水帝、雷帝、風帝、地帝と五つの帝が存在する。


 その中の一つである風帝の名をこの小柄の少女が受け継いでいるのだ。


 アーロンやアシュリーが風魔法を得意とするのは彼女が風帝であるからだろう。


 この情報もメイドのミランダから聞いた話だ。相変わらず優秀なメイドだ。




 秋月からすれば風帝と呼ばれるすごい存在が何故こんな幼い少女なのか、更に何故ラングフォード家のメイドをやっているのか疑問はある。


 ミランダの話によると元々ラングフォード家に仕えていたから、風帝の名を受け継いだ後もそのままラングフォード家に従事していると事だったが。


 色々と設定に突っ込むのは野暮というものだろう。


 秋月にとって重要なのは、結局の所、風帝の知識や技能を頭角を現したイアンに引き継げるかどうかだ。


「……っ。確かに平民にしては優れているわね。けれど、あまり調子に乗るのも良い加減にして欲しいわ。あなた、わかっているの? シエルは風帝なのよ。帝の名を受け継いだ彼女がどうして平民如きに時間を割かなければならないわけ?」


 アシュリーは震える声でそう反論してくる。アシュリーにとってイアンの存在は屈辱的であろう。貴族でもない存在が高等魔導士でも難しい三重魔法を難なくやってのけたのだ。


 これまでの常識を覆させる存在を受け入れる事はなかなかに困難だ。それが自身のアイデンティティを貶める事となれば尚更だ。


 アシュリーの言い分は正論だ。シエルはそもそもアシュリーのメイドであり、更に魔法の指導者の一人でもある。


 ラングフォード家の為に仕えているのであって、いくら魔法の才能を持っていようと平民に魔法を教える義理も無い。


 だから、秋月も説得する為の言い分は考えてある。


「確かにその通りだ。だが、イアンは三重魔法を使える。この才能を平民だからと言って見逃して、他の貴族に奪われた場合、そして、今以上に魔法の才能を開花させた時、父上に申し開きが出来るか?」


 秋月はアシュリーの意見を肯定した後、そうやって問いかける。


 アシュリーは秋月の問いに「それは……」と黙り込む。オズワルドは六神教と敵対する可能性すらある邪神の生まれ変わりのレイラを欲した。それだけ欲深い男であるし、リスクを恐れない男でもある。


 邪神に比べれば平民の魔道士など彼にとっては大した事ではない。実際、商人上がりの貴族などいくらでも居る。ラングフォード家の工作でいくらでもイアンを貴族へ成り上がらせる事など出来るであろう。


 それがアシュリーも分かっているのか秋月に反論出来ずにいる。


「いずれイアンは俺の手となり足となり、ラングフォード家の発展に役立ってもらうつもりだ。ラングフォード家にとっても決して悪い話でも無い。執事としてーー」


「待って」


 秋月はイアンがラングフォード家にとっていかに役に立つか熱弁しようとした時、アシュリーに遮られる。


「その子をあなたは執事にしようとしているの?」


 秋月は若干遮られた事に苛立ちを覚えつつもアシュリーの問いに頷いて肯定する。


「そう……その子を執事とするなら、あのメイドは必要無い事になるわね」


 そう言いながら考え込むアシュリー。あのメイドというのはミランダの事だろう。よっぽどミランダの事が気に食わないようだ。ミランダもアシュリーを苦手としていたようだし、何かあったのだろうか。


「ええ、いいわ」


 アシュリーは人が変わったかのように許可した。


 秋月にとっては拍子抜けである。アシュリーの説得に色々と考えていたのだが。


「ただし、この事はお父様には内緒にしましょう。いくら三重魔法が使えるからといってお父様が平民を受け入れるとは限らない。せめて中級魔法、いや、上級魔法を使えるようになって貰わないと困るわね」


 アシュリーはそう条件を出してきた。秋月にとっては好都合である。アシュリーからそう条件を出してくるとは思わなかった。


 もし、アシュリーが条件を出して来なければ秋月の方から条件を出すつもりでいたので手間が省けた。


 秋月にとってもイアンの存在は隠したい。もし、父親であるオズワルドに伝われば、当然ながら黒幕であるエドワードにも伝わる事になる。その事で勘ぐられて秋月のやっている事がバレたら元も子も無い。


「もし、使い物にならないなら、すぐに切り捨てさせてもらうわ。あなたもその上で魔法を学びたいと思うならシエルを少しだけ貸してあげる」


 アシュリーはイアンを見ながら告げる。その目はその辺の石を見るような眼だ。


 イアンはアシュリーの眼を見て一瞬怯んだ。


「シエル、見せてあげなさい」


 アシュリーはそう小柄なメイドに命令する。


 シエルはアシュリーの言葉にすぐに魔法を詠唱し始める。


 何を始める気だと秋月は少し戸惑っていると、シエルの魔法が完成する。


 吹き荒れる暴風。落ち葉や草が一斉に舞い上がる。


 秋月は身体が一瞬吹き飛ばされそうになったが、なんとか飛ばされる事はなく暴風が治る。


 台風が来たのではないかと思う程の暴風だった。


 これが魔法。中級魔法ではない。上級魔法であろう。秋月は初めて見た。


「あなたは到達出来る? その覚悟はあるかしら?」


 アシュリーはそうイアンに問いかける。冷たい声だった。一切の温情も無い声色。


 イアンは唐突に目の当たりにした風の上級魔法に秋月同様に戸惑っていたし、臆していた。


 アシュリーの問いかけにイアンは息を飲み、顔を引き締めると、


「はい。必ず到達して見せます。師匠に、アーロン様に誓って、この命に変えても」


 そう告げた。


 アシュリーはそんなイアンを見て「そう。平民にしては良い覚悟ね」と不敵に微笑んだ。


 秋月はイアンのシリアスな返答に若干引いていた。命に変えなくてもいいんだけど。


 とりあえず用も済んだ事だし、疲れたし帰ろうと思った時だった。


「善は急げと言うし、早速やるわよ。シエル、イアンを鍛えてあげなさい。手加減は一切無用よ。そして、あなたも今日こそ中級魔法を使えるように特訓よ。ええ、あなたも一切の手加減はしないから。平民がこれだけの覚悟を見せてくれたんだもの。貴族のあなたがしっかりしないと話にならないものね」


 がっしり肩を掴まれ、満面の笑みでそう言ってくるアシュリー。


 なに勝手に自然な流れで帰ろうとしてんの? という圧が伝わってくる。


 やっぱり無かった事には出来ないか。秋月は乾いた笑いをしながら、アシュリーの地獄の特訓を受け入れるしか無かった。

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