11 忍び寄る障害の前兆
父親の書斎には読書に勤しむ者や紙に知識を書き込む者、互いに得た知識を披露する者などで溢れていた。
その光景を見てメイドは感嘆の声を上げていた。学校に通う事が出来ない子供たちに感情移入していたメイドだからか感極まって涙まで流す始末である。
秋月も若干、この光景は想定外だった。まさかここまで熱心に勉強し始めるとは思いもしなかったのだ。知識を得るという事をこの世界の常識によって抑制されていた分、反動が大きかったのかもしれない。親にゲームを禁止されていた子供が大人になってゲームにハマるのと同じだ。勉強が推奨されている秋月の世界ではこうはいかないだろう。
「師匠、教えて欲しいことがあります」
気弱そうな少年、イアンがこちらへとやってくる。
秋月は冷や汗を掻く。この状況は秋月にとって想定外で勉学に励むということは秋月の目標であるボディーガード育成にとって良い傾向ではあるのだが、同時に頭を悩ます問題もあった。
「僕も聞きたいことがあります! 師匠」
リーダーであるアレックスもイアンの動向に気づき、読んでいた本を勢いよく閉じてこちらへ近づいてくる。
唐突に声を上げたアレックスに隣でノートに書き込んでいた黒髪の少女は驚いた顔をしていた。
「あたしもあるんですよねー」
知識を披露し合っていた赤髪の少女ーーサラもこちらへと寄ってくる。後には茶髪の少女のシルヴィアも付いてくる。
背後から近づく彼女たちに困惑しつつ避ける黒髪の少女。ふぅと溜息を付いたのも束の間、更に背後からやってくる存在を察して慌てて避ける黒髪の少女。
「僕も」
続々と我先にと言わんばかりに集まってくる。
これまでは視線を感じていたのだが、皆が牽制し合っているのか、謙遜していたのか質問にくる者は控えめだった。
しかし、イアンによって火蓋が切られてしまった。
矢継ぎに飛んでくる質問に秋月も対処するのに一苦労である。イナゴの大群のように秋月に群がる子供達に黒髪の少女はドン引きした顔でこちらを眺めていた。
当然、秋月一人では手に負えないのでメイドの方を睨む。
うっと呻くメイドだが、知ったところでは無い。一応、ラングフォード家で教育を受けた身なのだから教えられない事はないのだ。むしろ、こちらの世界に関する事は秋月よりも知識豊富であることは間違いないのだから、存分にその教養を披露して貰う。
メイドは困ったようなそれでいて嬉しそうな顔で子供達に教えていた。秋月も自身の知識を振り絞って教える。偶に答えられない質問が来た時はなんとかそれっぽいことを言って誤魔化す。後で調べておかないとなと秋月はやる事が増えることに溜息をつきたくなった。
まぁ、それでも秋月の思い描いた通りに進んでいるので秋月としては喜ばしい限りだ。
秋月は次の授業までに予習する為に自分の部屋で父親の書斎から持ってきた本を読み込む。
子供達が秋月を信用し始めたのは良い事だが、キラキラした目で次はどんな話を聞かせてくれるんですかと聞かれた際には冷や汗しか出ない。ハードルが上がり過ぎたと秋月は少しだけ後悔する。
秋月は溜息をついて本のページをめくると横から視線を感じる。先程からずっと感じていた。秋月は気にしないように本に没頭しようとしたが、いつまでも見てくるので秋月は視線を向けて文句を言う。
「何か言いたいことでもあるのか?」
秋月の視線の先にはメイドが立っていた。じっと秋月を見つめていて、観察しているような感情の篭らない視線だったので秋月としては余計に気になってしかたなかった。
「予行練習の時から気になっていたのですが、アーロン様はその知識はどこから手に入れたのでしょうか?」
メイドはそう尋ねてくる。そして、同時に秋月が持っている本に視線を移し釘付けになっていた。
秋月の知識の正体がその本であると言わんばかりに見つめている。実際、そうなのだが、彼女からすれば秋月の持っている本に書かれている言語は日本語なので読む事が出来ず真相はわからない。どこでその本の言語を覚えたのかと尋ねられた際、秋月は誤かますのに苦労した。メイド自身、秋月の言い訳(アーロンの父親に教わった)に納得しているわけではないので物凄い疑念の目を向けられていた。秋月の父親の書斎についてもかなり疑っており、なぜこんな場所に書斎があるのかと執拗に秋月に尋ねてきたがそれを凌いできた。ラングフォード家の探りが入っていない以上、メイドはこの書斎の事は話していないようだが、いずれバレるのは時間の問題かもしれないと秋月は頭を悩ましてはいる。資金さえあれば別の場所で子供達の学舎を用意出来るのだが、如何せん秋月に自由に出来る資金は限られている。無いものは仕方ないとして諦める他ない。
「お前の想像通り、この本からだ」
正確には書斎の本だが、メイドもそれくらいは理解はしているだろう。
「その本の文字はなんですか? 見た事も聞いた事もない言語ですが」
メイドは訝しむように本を見つめてくる。
本質はそれが言いたかったのだろう。この世界には存在しない言語ーー日本語で書かれた本。この世界の常識を覆すような知識の数々。メイドも秋月の予行練習に付き合っていた際、子供達と同様に衝撃を受けていた。メイドは今のような質問をしてこようとしてきたので今はそんな余裕はないと話を逸らしたが、もう逃れられる事は出来そうにない。
秋月は小さく溜息をつきながら、
「ラングフォード家の機密だ」
そう答えた。秋月は本に没頭する。散々、爪弾きにされてきたアーロンがラングフォード家の機密なんて知らされるわけがないのでこんな言い訳通用するわけがないのは秋月も分かっていた。当然、メイドもこれが秋月の嘘であると十分理解しているだろう。
「……そうですか」
メイドは不機嫌そうにそう言った後、それ以上は言及しなかった。
秋月は完全に怒らせてしまったなと若干後悔しつつも、異世界人なんて事をどうやって説明すればいいのか考えるのもめんどくさいので素直に怒りを受け入れることにした。
しばらくして、アシュリーに呼び出される。
小柄な無表情なメイドが自室の扉の前にじっと立っている姿を見た時は流石に恐怖を覚えた。
アシュリーが次の魔法を教えるから自室に来いという事を伝えてメイドは帰っていく。
正直、あまり乗り気はしなかった。アシュリーはエドワードを敬愛している。ネット小説の最後でも「にい、さま」と言って死んでいく。黒幕になりうるエドワードと親しい存在にあまり近づきたくはない。しかし、断るのもプライドの高いアシュリーから何かされそうで良い判断とは言えないだろう。アシュリーは実力があり教え方もうまいので魔法を教わることに関してはそこまで抵抗が無い。寧ろ、感謝している。いずれ、子供達に実技で魔法を教えることになる事を考えると今のうちに習得しておかなければ示しがつかないからだ。
秋月はアシュリーの元へ向かうことにした。
アシュリーの部屋の前まで来ると、秋月は深呼吸する。アシュリーに対して若干の苦手意識があるのはアーロンがアシュリーに嫌われていたからかもしれない。何の気まぐれかわからないがアシュリーは秋月に魔法を教授してくれている。いじめっ娘が本当に来たんだ? 普通信じないでしょうと嘲笑するかのようにアーロンを見下す為に教えてくれるのかもしれないが、それでも、秋月には時間が無いので甘んじて侮辱を受けようと思っている。
秋月は意を決して扉をノックする。しばらく返事が無い。もしかして聞こえていなかったのかと思い、もう一度ノックしようとして中から「入りなさい」というアシュリーの声が聞こえた。
秋月はなんだったんだよ、今の間はと思いながらも扉を開く。
部屋の中は相変わらず清楚な感じに綺麗に整った部屋だった。窓が少し開いているのか水色のカーテンが小さく靡く。
前と同じように豪華な椅子に座り、文庫本を片手に持っている。また丸テーブルには白いカップが置いてあり、そこには紅茶が入っているのだろう。綺麗な金髪に青い瞳、整った可愛らしい顔立ち。今日は白いワンピースを着ており、天使かと思うような可憐さがあった。
秋月が部屋に入ってきたのに関わらず家主は立ち上がらず紅茶の入ったカップを持ち上げ口元へ持っていく。優雅に紅茶を飲んでいるアシュリーは秋月など気にもとめていない様子だった。
何か言うべきか迷っていると、カップをテーブルに置いて彼女は顔をこちらに向ける。そして、どうでも良さそうな顔で秋月を一瞥する。
「一人、みたいね」
アシュリーは秋月の背後の扉の奥を見ながら満足そうにそう言うと、立ち上がる。
秋月もアシュリーがあのメイドの事を嫌っている事は十分承知だった。だからこそ、連れてくるような馬鹿な事はしなかった。そもそもメイド自体がアシュリーを苦手としているのか行きたがらなかった。
「私も忙しいのだけど、あなたがどうしてもと言うから付き合ってあげる」
アシュリーはこちらを小馬鹿にしたように言う。
秋月からしたらそっちが呼び出してきたんだろうと言いたいがここで反発してもめんどくさいことになるのは目に見えているのであえて何も言わなかった。
「前回、あなたの実力を見たけれど、あまりに酷くて驚いたわ。初心者かと呆れたもの。まぁ、後半は私の指導もあってか多少はマシになったけれど、それでも、まだまだね。中級魔法を使えるレベルではないわね」
秋月は少し冷や汗を掻く。実際、初心者だった。魔法を見せた際、あまりの酷さにアシュリーに疑念の目を向けられた。少し前まではアシュリーに劣っていたとしても初級魔法なら使えていたアーロンが唐突に使えなくなったのだ。困惑して訝しんでもおかしくはない。
「ふっ、これならまだまだ中級魔法をマスターするまでには時間がかかりそうね」
そう嘲笑し、嬉しそうに頬を緩ませるアシュリー。可愛らしい笑顔だが、アーロンを見下した嗤いなのがなんとも言えない。
手を後ろに組み、少しテンションが上がった声色で「行くわよ」と顔をだけ振り向きながら秋月に告げる。ステップでも踏みそうな勢いだった。
アシュリーの後に小柄のメイドが続く。相変わらず無表情、無感情で何を考えているのかわからない上にいつの間に現れたのかと思う。
秋月は彼女たちの後に続き、屋敷の外へ出て裏庭へと向かった。
アシュリーと共に外に出て庭に着いた時、玄関から出てくる男が目に見えた。金髪で青い目、中年の男だ。背丈は180はあるだろうか。整った容姿をしており、顔立ちは凛々しかった。正装に身に纏い、門前にある馬車へと向かっている。
秋月は目を惹かれる。どこかで見たことあるようなと思っていると、
「お父様」
隣に居たアシュリーがその男に釘付けになりながらそう言った。
その眼は揺らいでおり、どこか不安げだった。いつも強気のアシュリーがこんな表情をするとは意外で驚く。
秋月はアシュリーの言葉でようやく気が付く。誰かに似ていると思ったが、黒幕エドワードに似ているのだ。彼こそがアーロンの父親、オズワルド・ラングフォード。
オズワルドは馬車に乗り込む。そして、御者に馬車を出すように言い付けている。
秋月はそんな場面を見て唐突に鳥肌が立った。
何故かわからないが不安に駆られる。何か良くない予感を感じるのだ。
秋月の知らないどこかで悪い何かが進行しているような感覚。
オズワルドを乗せた馬車が発進していくのを眺めながら秋月はその馬車から眼を放すことが出来ず、よくわからない不気味な予感を払拭出来ずにいた。
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