10 パラダイムシフト

 父親の書斎は学舎となり、秋月の予想通り子供たちは秋月に教えをこいにやってくる。

 キラキラとした眼差しで見つめてくる純粋な彼らに秋月は若干の罪悪感を抱く。

 今、彼らにとってパラダイム(見方・あり方)シフトが起きた状態だ。

 更に次の話すことで根本的なパラダイムシフトが起きるだろう。秋月も最初は衝撃を受けた。すべての価値観が一変した。気づいてはいたのだが、その事実に見て見ぬふりをしていた。

 本を片手に秋月は小さく深呼吸する。そして、顔を上げて、


「成長マインドセットを持とうとしても今は障害があるだろう」


 秋月の言葉に子供達は視線を彷徨わせる。リーダーは心当たりあるのか苦い顔をする。

 中にはわからない子供もいるので秋月は答えを言う。


「障害となるのは身分制度、そして、この世界のあり方についてだ」


 秋月にも存在する。自由と言いながら、なにかしらしがらみがある世界。


「まず歴史について話そう。我々人類は何故この生物が多数いる世界で頂点に上り詰めたのか。生物の中には人類よりも圧倒的に力をもった魔物や高等魔法を操り人類より強靭な肉体を持った魔族が居た。それなのに何故非力である我々人類が頂点へ昇り詰めたのか。六神教のお陰だろうか。神に愛されていたからか。否、違う」


 子供たちは真剣な眼差しでこちらを見つめている。


「魔法や剣術に特化していたからだろうか。それも違う」


 人類以上に高等魔法を操る魔族が居た。剣術は別としても彼らは強靭な肉体を持っていた。


「人類がこの世界の頂点に立てたその理由、それはーー」


 子供達を見渡して、手を差し伸ばし、


「嘘をつけるようになったからだ」


 子供たちは困惑した様子になる。秋月は補足するように話す。


「嘘、虚像とも呼ぶが、人類は唐突に嘘、虚像を生み出しそれを信じることが出来るようになった。何故そうなったのかは分からないが、ある時を境に人類は存在しないものーー虚像を生み出すことが出来るようになったのだ」


 子供たちは徐々に理解を示し始める。


「生態ピラミッドの中でーーこの世界の中で弱者であった人類は他の生物と同様に強者である魔物や魔族に被食される側だった。それが何故、今こうして人類はこの世界で頂点に君臨し、魔族は淘汰されたのか。強力な力を持つ魔物と人類同様に魔法を扱い強靭な肉体を持つ魔族にどうやって打ち勝つ事が出来たのか」


 彼らも魔物と魔族の存在は知っている。人類にとって天敵だった存在だ。淘汰されて尚も危険性を語り継がれているのはそれだけ彼らにとって危険な存在だったのだ。


「それは虚像を共有することで圧倒的な数の暴力を手に入れたからだ」


 秋月はシャドーボクシングするように拳を振る。


「優秀なリーダーについて行き魔物や魔族を打ち負かしてきたのだ。全く会ったことも話した事もない優秀だと言われている彼について行けば全て上手くいくという他者から聞いた噂を信じて」


 秋月もまた日本に住んでいるほとんどが会ったことも話したこともない存在を自分たちの国のリーダー、つまり総理大臣として認めている。


「本来、多くの生物は目の前にある現実や現象しか信じることはなく、我々のように想像を共有することは不可能である」


 また我々のように言語という伝手が存在しない。


「虚像とはどういうことなんですか?」


 リーダーが問いかけてくる。


「虚像とはなんなのか。分かりやすく言うならお金だ。君たちはお金が欲しいか? 欲しいだろう? だが、何故欲しい? お金なんてただの金属や紙でしかなく、そんなものでは腹は膨れない。なのに何故?」


 秋月は紙幣と硬貨を取り出し、彼らに尋ねる。


「食べ物と交換出来るから?」


 秋月の問いに気弱そうな少年が答える。


「そうだ。何故お金を欲しがるのか。それはお金と食べ物を交換出来るからだ。食べ物だけではない。生活で必要な物、労働力、また娯楽などすべてお金と交換出来る。更に言えば人すら奴隷として交換出来る。何故そんな人の命すらこんなただの金属と紙切れと交換しようと思うのか」


 子供たちは秋月の顔を見つめてくる。


「それは人類がこの金属と紙切れに価値があると信じているからだ。価値があるから交換出来る。食べ物も衣服も労働力も娯楽も人の命さえも、この金属と紙切れに価値があると人類が信じているからこそ安心して交換出来る。もし、自分以外がこの金属と紙切れに価値が無いと思っていたら君たちは自分が持っているものと交換しようと思うだろうか? 絶対思わないはずだ」


 子供達の目の色が変わる。


「我々はこの金属と紙切れに価値があるという嘘、虚像を信じ皆が共有しているからこそお金を欲しがるし、自分が所有している物を交換しようと思える。結果的に物々交換が無くなり、自分が欲しい物を得やすくなり、また自分が持っている物を売りやすくなった。経済が発展したのだ」


 秋月は指を鳴らす。


「国、文化、宗教、通貨、イデオロギー、また人間関係さえも全ては偽り、虚像によって構成されているのだ。人間の空想によって作られ、それらを我々は信じているのである」


 全ては虚像。偽り、嘘、フィクション。人類は虚像によって頂点へ昇り詰め、生存し、争い、信頼し、愛し合い、憎しみ合う。


「じゃあ、僕たちは嘘の中で生きてきたということですか?」


 リーダーの陰に隠れていた白髪の少年が尋ねてきた。彼の手には六神教の聖書が握られている。

 秋月は肯定する。


「六神教は嘘だったんですか? 六神は居なかったんですか? そんな……じゃあ、今まで僕は何を信じてきたんですか?」


 彼の目には絶望が浮かんでいた。

 秋月は考える。宗教とは人類が生きる上での指針だ。不安は無知によって生まれ、不満は目的を阻まれる事で生まれた。人類が理解出来ない自然現象は人類に多大な不安と不満をもたらした。それらを解消する為に生まれたのが宗教である。

 神によって世界は作られ、神によって人類が生まれた。全ては神によって支配されている。無知な人類にとってそれはわかりやすいシンプルな答えだった。また神の教えを遂行するという目的を与えられ、それを阻む者は悪とされた。人類にとって不都合な現象は悪魔の所為、または異教徒の所為にされた。

 全ては人類の虚像であり、妄想であり、そこに正当性は存在しない。秋月の居る世界での法律、イデオロギーすら人類が作り出した制度にしか過ぎず、そこに正しさは存在しない。

 現代人が盲信している科学すら正当性はなく、人類が生きる上で効率を求めた結果、多くの生物が死に絶え、また人類も急速な環境の変化について行けておらず現代病によって苦しんでいる。人類至上主義が悪という者も居れば人類至上主義こそが正義と言う者も居る。どちらも間違っていないし、どちらも正当性は無い。


「それは君が信じたいものだ。逆に聞こう。君は六神教の中で何を信じていた? 六神教の教えに君の信じたい事があったはずだ」


 秋月は彼に問い返す。

 少年は秋月の返答に戸惑いながら、


「六神を信じて正しい事をすれば報われるって言われて。頑張れば六神様が認めてくれてこの状況から抜け出せるって」


「そうか。なら、それを信じれば良い」


 秋月は彼の答えを聞いてそう答えた。


「ど、どうして? 嘘なんですよね?」


 困惑した様子の白髪の少年。


「そうだ。全ては人が想像で作り上げた虚像に他ならない。けれど、君は共感した。正しいことをすれば報われる。この状況から抜け出せる。それは君の中で響いた言葉だ。だから、信じればいい」


 秋月はそう宥めるように言った。


「な、なにを言って。僕が共感したから信じるっておかしいでしょう」


 白髪の少年は動揺したようにそう言った。


「おかしくはない。共感は虚像にとって最大の力だ。通貨も皆が信じているから価値がある。国も皆が国民であると信じているから存在する。つまり、虚像は人が共感し信じることでしか意味を為さない。だから、自分が信じたい虚像を信じればいい。何故なら虚像に正当性は存在しないのだから」


 虚像は存在しない。だから、囚われる必要もないし、また、何を信じるかも自由である。法律、イデオロギー、常識に囚われ本質を見失うことなんて事はよくある話だ。だからこそ、自分自身に問いかけなければならない。本当に自分にとって大切な信念とは何か。


「君たちに世界を変えるたった一つの方法を教えよう」


 子供達は驚きの顔で秋月の顔を見つめる。世界を変える方法が存在するのかという顔だった。


「それはーー新たな虚像を生み出すことだ。そして、その虚像を皆に共感させ信じ込ませる事。価値があり、意味があると思い込ませる事こそが世界を変える唯一の方法である」


 秋月は両手を広げる。


「今ある世界は虚像だ。貴族も平民も王族も等しく人間だ。身分の差は虚像によって作り上げられている。そして、虚像に正当性は存在しない。才能は最大効率の努力をやり抜いた力に過ぎず、能力は努力と戦略によって伸ばすことが出来る。君たちを隔てる存在は虚像を真実であると思い込んでいる人間だけとなった」


 子供達は秋月から目が離せずにいた。


「さぁ、どうするかは君たち次第だ。このまま、今ある虚像を信じて生きていくのか、それとも新たな虚像を生み出して皆の共感を得て世界を変えるのか。知識は与えよう。技術も与えよう。選択肢も与えよう」


 秋月は手を差し伸ばす。


「世界は君たちの手の中にある」


 パラダイムシフトが起きた瞬間である。



 参考文献:サピエンス全史

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