駆け抜ける魔狼、追い詰める若き精獣達
夕刻、空模様の怪しくなり出した西の空を見上げ、少女は眉を歪めた。
「何だか…不穏な風が流れているね。精霊達のざわめきが煩いや」
確かに、主たる少女の言う通り。西の森周辺に漂う精霊達の囁きやざわめきがそこかしこから耳に流れ込んでくる。精霊達はお喋り好きが多い。だからいつもそこかしこでヒソヒソ話が聞こえてはいるのだが……しかしこの日は特に一定方向から流れるモノが多い。
『聞いた聞いた!?カロンド王国の側室に子供が出来たんですって!』
『何だか、男の子が宿っているんですってね』
『王子さま?王子さまが産まれるの!?……あぁ、それでかな?あっちの森で黒い狼の群れを見たのよ』
『え!?魔女じゃないのに黒い狼を操るの??……もしかして、お得意の化けるってヤツ?最近いるらしいじゃない~~』
『聞いたことある~~!魔女の気配を完全に隠蔽して、人間に成り済ますのね?好きよね、地を這う魔女達は…………』
目を瞑り、お喋りな精霊達のヒソヒソ話に耳を傾ければ、何やら不穏を漂わせるフレーズに溢れていた。
『私知ってる!何かね、新しい王子様が産まれる前に、前の王子様を消しちゃえって計画があるんですって!!』
「………………!」
魔女の耳は、精霊の囁きをよく拾う。特に森持ちになると、自身の治める森の周囲の音まで拾い出すから、人間の可聴周域とは何かしらの構造なりが異なるのだろう。
「漆黒の森に出掛けてくるよ。ちょっと行って、何も無いか確かめてくる」
曇天が空を覆い、今にも空が泣き出しそうな夕刻。主たる少女は突如として漆黒の森に出掛けると言い出した。
窓の外を見ると、既にシトシトと先見とばかりの雨が振りだしたところだった。
「何でまた、こんな日に出掛けるのさ?」
ラウドは炎狼だ。雨とはすこぶる相性が悪い。こんなジドジト、ジメジメした日に出掛ける?正気の沙汰じゃない!!内心そう叫んでいた。
「なら、ラウドは留守番ね。クルド、シェリス、フレイヤは森の外周を哨戒してきて方角はカロンド王国方面だよ」
クルドとシェリスは兎も角、フレイヤは俺と同じく炎狼だろう!?なのに何で俺だけ留守番なんだ!!
「なっ…!?何で俺だけ留守番なんだよ!!」
「何でって、炎しか出せない君は、雨に弱いんでしょ?だから留守番。私の家を守ってちょうだい♡」
可愛らしく、にっこり微笑んで言うが、納得はどうにも出来なかった。
「それはフレイヤだって一緒じゃ無いか!!」
「それでもフレイヤは文句一つ口にはしなかったよ?最近ずっと留守番ばかりだったから、ストレスもたまっているでしょ?たまには役を代わってやんなよ」
そんな流れで、アレン王子達が瀕死になった日、ラウドは一人留守番を仰せつかっていたわけだ。
クルド、シェリス、フレイヤは狼の姿で西の森を縦断する。
『アオォォォォーーーーン!!』
『アオォォォーーーン!!』
『アオォォーーン!!』
途中、森に住む魔狼の警鐘の遠吠えが聞こえてきた。
魔狼とクルド達精獣と呼ばれる属性を得た狼達は、元は同種の存在だ。
属性を持ち得ない灰狼や黒狼と呼ばれるうちは魔狼。主の力を得、属性を持つとその質に染まり精獣となる。
更に力が強くなると、人形を取ることもあるらしい……クルド達四頭は人形も取るから、らしいではないのだが……。
駆け出た先、カロンド王国方面の漆黒の森付近。そこに黒色の体毛、黒狼の群れが現れた。
『グルルル…………』
唸るように短く喉を鳴らす。
『クルド兄ちゃん!…大変だよ!!』
次いで、狼の言葉で話してくる。灰狼の群れを率いているのは、森の中でも新参のリーダー、黒狼の『クロちゃん』だ。
……我ながら、安直な名前。正直、なんの捻りも無く、ただ彼の外見が黒い事から仮で名付けたその名前が、いつの間にか正式名称とされている。
「どうしたの?騒がしいね」
『森の外だけど、同族の気配がする。流石に森に侵入する愚は犯さないかと思うけど……』
成る程。高い崖の上、駆け抜ける無数の気配を感じる。
「君達は、引き続き森の警戒を、こっちのは借りてくよ?」
『良いよ~~』
森の中に住む魔狼の群れ。数年前に関わった魔狼の襲撃事件。魔女に脅されやむ無く襲ってきた群れの仔狼ばかりの生き残り。
それをヴィショップ……エイセルは全て引き取った。
親狼達の亡骸を清めて弔って、仔狼達をこの森に一匹残らず。
だから、彼らはクルド達にとっては弟であり妹であり……そして……。
中の、一頭と目が合う。最近、体も大きくなって、体毛が艶やかな漆黒を纏うリーファ。
クロちゃんの妹なんだが、ほんのりタレ目の優しげな彼女。
口が開き、僅かに口角が上がる。
『気を付けて!クルドさん』
その言葉を、胸に刻み僕は走り出した――!
『シェリス様も、お気をつけて』
「ありがとう、シーラ。君も、充分に気をつけるんだよ?」
『はい……』
灰色の毛並みを持ち、背中の部分に黒い一筋のラインを持つ魔狼、シーラ。瞳が銀灰色をしている、クロちゃんの直ぐしたの妹だ。クリリとした瞳が潤んでいるのは、何処か不安を感じているのだろうか?
シェリスは、そんなシーラの頬を一舐めして落ち着けてやる。
それに驚いたのか、その瞳孔が拡がり動揺に揺れた。
『シェリス様!』
「きっと、護るから。それが私達の役割だからね」
『はい。御武運をお祈りしております……』
崖上では、喉仏を喰い千切られた人間の死体と怪我を負い死を待つばかりの馬とが鮮やかな赤の河を作り出していた。
地を濡らす赤い飛沫。点々と滴り続く血の後には先に転がり目を剥いたままの死体が。
そこかしこに死の腐臭が漂う、嫌な空気。
『クッチャクッチャクッチャ……』
『ア゛オ゛ア゛ーーーー!!』
『ヴゥーーー!!』
粗方の動く人間を倒したことで、食事に入った魔狼の群れ。
これは、本来の魔狼として正しい姿とも言えるが、主持ちとしてはその質に染まるから、僕達にとっては目を疑う光景でもある。
他所の縄張りでのこの惨劇なら許容できても、自分の家の目と鼻の先で殺戮とそして血生臭い補食の痕を残されたのではたまったモノじゃない。
「ここで何をしている!?去れ!!侵入者ドモ!!」
クルド、シェリス、フレイヤの怒りは同じだった。彼女達は、主たるエイセル同様に流血を良しとはしない。
仮に補食の為だとしても被害は最小限に。殺して弄んで何て、言語道断な事由だった。
『何を言っている?森の魔女に飼われた腰抜けドモが!!人間喰って何が悪い!?力あるこいつらの血肉には力が宿る』
『良いぞ~!人間には色んな力がある!!その力を根刮ぎ喰らって奪って使うんだ!!愉しいぞぉ~~~』
愉悦混じりの嫌な笑い声を上げ、話す口からは赤い血がヨダレに混じり滴り落ちる。
確かに、一昔前の人間と異なりここ最近の人間には『魔法』と言う力が定着してその血肉を喰らうことで下位の魔獣は力の底上げを図ることも有るようだが……。
目の前の魔狼の目はそれだけでは無いと語っていた。
殺すときにも尊厳を持って一思いにではない。最初に致命傷には及ばない小さな傷を与え、逃げ惑うその姿を追い立て追い詰めながら、逃げ場を奪い動けなくなった所で、ジワジワト噛み殺して行くのだ。そう言う、目をしていた。
俗に言う……闇に染まると、言うヤツだ。『赤い月』の下で、フレイヤの母がそうであったように、自ら進んでソコに墜ちたモノ。
目の前の魔狼達は皆、瞳の色が赤く染まっていた。
―――厄介だな。
厄介だけど、放置も出来ないね。
森に落とすわけには行かない。あそこには、まだ成長中の幼い仔狼もまだまだいるのだから。
「悪いけど、君達みたいのはここで消えて貰うよ?」
クルドは思う。森にいる、ここ最近自分の心を占め出したリーファ。彼女の平穏を害する全てを僕は取り除こうと。
だから、彼は持てる全てを解放して森を守る行動に出た。
ゴゴゴゴゴゴ…………。
大地が謳う。クルドの魔力と共に。
それはシェリスも同じだった。シェリスもクロちゃんのもう一人の妹、シーラを好んでいた。
だから、彼女が得た安住の地と成るべきこの森に、危険の種を寄せ付けたくはないと願う。
シュアアァァァァ…………。
水が舞う。シェリスの心と共に。
大地を揺らし、襲い来る黒狼の群れを鋭く突き上がった大地の槍が刺し貫き、そこから逃れた黒狼に水の鞭が叩きつけられる。
『ギャウウゥゥンッ!!』
胴を刺し貫かれた黒狼が、絶命の悲鳴をあげ
水である筈なのに決して通り抜ける事の無い水の鞭に打ち付けられた狼は、硬い大地に叩きつけられ二度の悲鳴をあげる事となる。
そして、大地に触れた瞬間。逃れ得ぬ大地の牙にその肉体を捧げる結果となった。
後にいた黒狼は、焦った。色付きの狼とは体も自分達より大きく、自分達より強いのは知識として知っていた。だけど、使う力は……力そのものが自分達とは掛け離れた物だったから。
灰狼より黒狼の方が察知能力や瞬発力、パワー等が勝る。だけどそれはあくまでも身体的な能力の話で、俗に魔法と呼ばれる属性的な力は両者共に皆無だ。
だから、森の魔女の狼が色付きであってもその様な力が有るとは……そこまでの規模での力とは想像だにしていなかった。
『色が付くだけで、ここまで……力の差が有るのか!?』
『このままじゃ不味い。……退こう!!』
僅か数頭にまで数を減らした黒狼達はソロリソロリと後退りをし、反転してその場を逃げ出した。
『待てっ!!深追いは無用だ!!』
逃げ出した黒狼を追おうとする若い黒狼達をクルドとシェリスの二頭は止めた。
深追いは、逆に質を与える結果に成り兼ねない。主の望みは森の守護。外敵を追い払えればそれでいいのだ。
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