第2話瀕死の主従
森の奥深く、漆黒の森と緑の森の境界線上にその家はある。
家から付き出したテラスには、白く塗られた木製の階段が儲けられている。
漆黒の森からここまで、負傷者を運んだのは、黄土色のゴツゴツした岩肌その物を外皮として持ち合わせる、精獣ルドルフ。だけど、この先は彼を頼る事は出来ない。
如何せん、この巨体なのだ。家の中に入ろうとすれば、小さな家は入り口ごと壊されかねない。
「ありがとね、ルドルフ。ラウド、仕事だよ!運ぶのを手伝ってくれ!!」
ギイッ…と、家の戸を開け駆け出てきたのは、赤毛の短髪に緑の布を額に巻いた二十過ぎの男、ラウドだ。
そこそこ長身で、やや筋肉質な体つきをしている。筋のとおった鼻筋と力強い目力を金の目に宿す、俗に言う美丈夫と言うヤツだ。
「戻ったか、エイセル。……うわっ!こりゃまたひどい怪我だな。生きているのか?」
「止血はしたから一応ね。一刻を争う、こっちの金髪は早くしないと持つかどうかも怪しいね」
ラウドがそう言うのも無理は無い。
黒髪の方は、荒い息使いで『はあっ、はあっ』と肩が上下して苦し気だが、金髪の方は呼吸すら怪しい虫の息と言う状態だ。
ラウドが先に金髪の男を横抱きにそっと家の中へ運ぶ。
「奥に運んでくれ!少し集中する必要がある」
部屋に入ると先ず居間が有る。棚が天井まで作り付けられ、そこには種々の薬や瓶に詰められた葉類が陳列している。
直ぐ隣には、横に長い一枚板を渡した机が、美しい年輪を晒し中央にはテーブルクロス代わりの細かな花の刺繍を施したクロスが飾られている。テーブルの上には、クリスタル加工された水色のガラスの花瓶には、カスミ草の白い小さな花と色鮮やかなガーベラとが挿され、食卓を彩っていた。
その奥に、細く数段下った階段が有る。奥は暗くヒンヤリと不気味な空気を生み出しているが、ここは私の家。怖い物など存在しない……はず。
奥には、数年前に改装して増設した小さな部屋が六つ向かい合う格好に有る。その一つに金髪の男を運んで貰った。
壁に付けたランプに火を足らし、ラウドは部屋を後にする。
部屋に向かう際、私は魔力を働かせる。棚に置かれた薬から、必要な物を取り出す為だ。見えない魔力の手は、二の腕しか無い私の肉体以上の働きを見せる。
大瓶の蓋が開き、小分け用の小瓶に消毒薬や止血剤、造血剤、再生薬といった薬が次から次に移され、小さな籠にセットされていく。
包帯や、止血綿、種々の器具も宙を舞い専用のケースに収まり、使い勝手宜しく整列する。
全てが同時に動き用意される様は、他者から見たらどんな風に映るのだろうか?
それらの道具を携え駆けつけた部屋には、生きているのか疑わしい金髪の男が横たわる。
酸で溶けた着衣は所々が溶け落ち、爛れた皮膚とジクジクと膿んだ肉を晒していた。
このまま放ってしまうと、乾いたときに癒着して治療は余計に困難になるし、無駄に痛いだろう。
痛み止、回復薬、再生薬どれを用いても既に遅きに失する消耗ぶりだ。
ここから回復を目指すには、人知では無理だ。
口角が僅かに上がる。
これは、魔女の本領発揮と言った所だな。
俗に世間で言う所のエリクサー。これですら命を……魂を肉体に止めるのは困難だろう。
だから魔女はその瞳を使う。
金髪の男の肉体から、今まさに飛び立ちかけた白い球体。
「まだ駄目だ。お前は逝くにはまだ早い。私が助ける、安心しろ。戻るべき所にお戻り、小さな人間……」
魔女の瞳は、人とは違う世界を視る。
球の形しか造らない人間の瞳孔とは違い、魔女の瞳は猫のように縦に細まる。違う世界、違う空間を捉えるためだ。
だから、死者の魂も彼岸に去ろうとする魂も捉えることが出来るんだ。
白い魂は、肉体へと吸い込まれる。これで、即座に死する事は無いだろう。
「うん、いい子だね。大丈夫、私が助けるから、待っておいで……」
男の上衣とズボンを切り取り、一糸纏わぬ姿にして全体を消毒洗浄してから治療を開始する。
「先ずは、損傷の酷い腕だな」
爛れと裂傷、左腕は白い骨も見えて出血は止めたが、状態は酷い。
乳白色の中に金色のキラキラとした光が踊る液体。人はこれを再生薬と呼ぶ。
これを振りかけ、傷口に染み込ませる。爛れや裂傷に消毒と回復薬をかける。
口からも、本当なら飲ませられれば回復は早くなる。だけど相手は瀕死の呼吸も弱々しい相手。
だから、口の回りに回復薬、増血剤、再生薬の液体を高濃度の霧状にして漂わせ、吸入させる。
薬をかけられた傷口は、僅かな発光と逆戻りするかのような回復を僅かに見せ始めた。
併せて器具を隣に設置。引っかけた水嚢の中には回復薬を仕込んで、無事な右腕に針を刺し、少しずつ体内に流していく。
時間は少し掛かりそうだが、目処は立ったといった所だろうか?
「ん~、ギリOKかな?後は、あっちの坊やだね」
薬でギリギリまで回復したら、後は自然治癒に任せる。包帯は、もう少し様子を見てから巻くかな。
***
治療部屋の戸を潜ると、ラウドが向かいの部屋から出たところだった。
「運んだぞ」
「有り難う。様子は?」
「辛そうだ、意識が飛び始めたいる。早く処置してやってくれ」
「当然。坊やは、私の血縁だからね」
私のお母様エリシスは、カロンド王家の血を継いでいる。お母様と兄弟に当たる者は既に彼岸に去りこの世には居ない。
当然だよね。お母様は、この子のお祖父様の叔母に当たるんだから。
「さて、塩梅はどうだろうね?」
狭い部屋の小さなベッド。その上で小刻みに震え、時折腕がビクリッと動き出す。
「熱か……出血性のショック?……人間て、やっぱり脆いなぁ……」
綺麗に残っている額には、びっしりと玉のような汗が浮かび、血の気の引いた皮膚は青白く見える。息遣いは、弱々しくも短くそして小刻みになりつつある。
「ふむ。死にそうだね。死なせないけどさ」
先ずは造血。血が足り無くても人は死ぬし、回復するのは魔女のそれより遥かに弱い。
次いで、傷口の洗浄、殺菌と回復薬を散布する。
本当は、直接飲めば薬の効果は早く現れる。
こちらも先程の金髪同様、自力で薬を飲める状態ではない。だから必要な薬を霧状にして吸入させる。
ただ、こちらは金髪と違い処置が遅れたことによる出血と消耗が大きいだけ。傷口自体の回復は、金髪の青年に比べれば早いだろう。
後は、万能軟膏を塗って、ガーゼを当て包帯を巻く。
桶に水を汲み布で汗と泥とを拭っていく。
弱々しくなり出した呼吸は、次第に荒いものに、それを過ぎると緩やかな呼吸へと変わっていった。
痛み止めも一緒に使っているから、それが効いてきたのだろう。
夜中まで、痛みにのたうち回られたんじゃたまったものじゃないからね。
穏やかになり始めた顔の閉ざされた瞼の長いまつ毛。整った容姿をしているようで、眠る少年のはだけた体を拭う……とは、なんと言うかな役得と言うのか、それともその反対で拷問と言うのかいまいちわからないけど。
あっちの金髪もだけど、今は全裸だ。何せ傷が何処に有るか分からないから。俗に言う陰部は綺麗な布を被せて隠した。年頃姿に成長した今、いきなりそんなモノを見るとは……ああ、ヤダヤダ。精神的な損害の分も上乗せしてやる。
だけど、流石にそこまで爛れていたらとか思うとゾッとするよな。
実年齢はともかく、今の私は十四歳(姿だけ)なんだから!!
二人とも、生地の薄い部分や間口の開いたエリ袖中心の爛れだったから良かった。
問題は、服だな。黒髪の取り去った服を見る。ボタンは金色の細工ボタンが使われている。立派だが、王族を証明するものかは不明だから迂闊に処分は出来ないか……。
黒髪の少年の処置が粗方片付いたところで、金髪の青年の処置の続きだ。
「……あぁ、今夜は夜通しこの主従の看病で終わりそうだな。……この分も、後で上乗せ請求してやるか」
ボヤきながらエイセルは金髪青年の眠る部屋に向かった。
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