赤い月の夜

 普段は、その姿を現すことの無い、

 五年~十年の周期で姿を見せるこの赤い月……。

 幼い時これが現れる夜は、私は恐怖に怯え、震えていた。


 今は居ない、お婆様の創って下さった魔法技巧人形ルシエラと、暗い森の奥深くに位置する古い家の中で、二人きりで一晩中過ごすのだ。


「お母様ぁ…。本当に行っちゃうのぉ……?」


 メソメソと、泣きながらお母様に尋ねるが、優しく微笑むだけで、決して家には居てくれなかった。


 必ず、こんな夜は決まって森へと出掛けてしまうのだ。


「良い?エイセル。貴女は家から出ては駄目よ?お婆様の結界は有効だけど、それだけでは貴女を守りきれないかもしれないの。だから、貴女はルシエラとここにいてね?絶対よ!」


 普段は、ドジで、おっちょこちょいで、お人好しで、ダメダメなお母様だけど、この時だけは、しっかりするから不思議だった。


「分かったぁ…。でも、……早くっ、えっぐっ…帰ってっ、ヒッグッ…来てね」


「じゃ、行ってくるわね…」


 その背中を見送るのが、私に出来る唯一の事で、いつかお母様が、帰ってこなくなるんじゃないかと、泣きながら見送るのだった。



 赤い月の出る夜は、決まって魔物達の咆哮や雄叫び、争う物音、悲鳴、木々の薙ぎ倒される音が、そこかしこから聞こえてくる。

 時には、森に火の手が上がって、大変な事もあった。

 そんな時は、ルシエラが表へ出て、火の手が家に及ばないように、魔法で消し止めてくれていた。




 時は流れて、私も少しは成長した。

 成長したのだ、これでも……10㎝くらいは!!


「お母様。今夜は、私もお連れください。きっと、私も戦えますから!」


 赤い月夜でも、恐怖に震え泣くしか出来ない日々とも別れを告げ、戦闘と言うものも習うようになっていた。


 主に相手はルシエラか、仲の良い魔獣達だけど……。

 そこそこ戦えていたし、結構優勢だったと思うのよね。


「駄目よ。エイセルは、なの。貴女は、身の安全の確保が最優先なのだから!!」


 この時のお母様の剣幕は、凄かった。普段の底抜けの明るさではなく、張り積めた空気を纏い、近寄ることも許さないぐらい………恐かった。



 いつも言う、『貴女の身の安全』とか、『家から出てはならない』それが何を意味しての事だったのか、教えて貰うこと無かったけど。



 ◇◇◇



 お母様が、俺の魔力を封じる為、封印の眠りについて早、六年の歳月が経った。



 なのに………なのに……何故!?



 どうして、俺の背は伸びないっ!?



 毎朝の日課。

 今日も家の柱に背中を付けて、ルシエラに背を測って貰った。

『変わりませんね。昨日と同じですよ?ヴィショップ』


 ガックシ………。


 俺は、床に崩れ落ちた。

 何でだよー!!何で、六年経っても一向に背が伸びない!?

 何で、体が成長しないんだ!?



『何はともあれ、朝食にしましょう。ヴィショップ、何時まで床のお友だちをしているのですか?顔を洗って来なさい』


 いつも澄ましている態度のこのルシエラは、俺のお婆様が造り出した魔法技巧人形で、お婆様の魔法の知識と、戦闘スキルを受け継いでいる。

 その他、家事全般をこなし、薬学にも占術にも通じていて、万能型魔法技巧人形だったりする。


 なので俺は、ほぼ全ての事をこのルシエラから習っているんだ。


「………は~い」






 朝食と身支度を終えると朝の日課、薬草園の手入れから俺の一日は始まる。

 家の裏手側、木々に囲われた中にその場所は在って、様々な薬草が育てられている。


 木々で囲っているのは、単なる目眩ましだけど、薬草園その物も空間圧縮を掛けて中と外では大分距離感が違う。


 どういう原理かは知らないけれど、お婆様が創り出した空間なのだそうだ。


 ここに、回復薬、魔力回復薬、毒消し、麻痺直し等々の材料になる薬草が栽培されている。


 朝は、ここの水やり、雑草抜き、収穫、そして工房に収穫した薬草を持っていって、乾燥させたり、精製したりする。

 精製作業は、主に外に出られない雨の日に行う事が多い。

 こういう日は、特に集中して朝から晩までの勢いで大量生産をしている。



 午後は、魔法や戦闘訓練だ。

 森の比較的広く開けた場所で行う。


「火炎弾」、「火炎槍」


「氷塊弾」、「流氷槍」


「雷靱撃」、「雷神鞭」


「風切斬」、「暴風撃」


「光の鞭」、「聖光廉滅」


「闇の刃」、「暗黒連撃」


 魔力が途切れるまで、延々とこれらを打ち込み続ける。

 自主的に………ではなく、ルシエラから与えられるノルマとして。


「ゼェー、ハァー、ゼェー、ハァー………も、もうだめ………」


 地面に引っくり返るなんて、日常茶飯事の事だった。


『あら……。もうおしまい?………仕方が無いですねぇ………』


 そう言うと、コトリと目の前にマジックポーションを差し出す。


 これを………飲めと?

 ………そして、再度魔法を打ち込めと言うのですね?


 これを、日が暮れるまで遣らされる。


 ルシエラ……………鬼だ………


 そんな日々がずっと、延々と続くものと思っていたんだ。




 ◇◇◇◇




 その日は、お母様が俺の魔力を封じてから、初めてのの夜だった。


 ルシエラと二人きり……。


 ………大丈夫。もう、を恐ろしいと言う幼い俺は、居ない。


 だから………。


「ルシエラ、森に……魔獣達を見に行こう!」


 俺は、お母様の様に立派に森の魔女として、主として森を治めるつもりで言ったんだ。


 ルシエラの鬼のようなしごきも、最近はヘタレル事なくこなせるようになってきた。


 だから、もう充分に一人でもやれるんじゃないかと思った。


『成りません、貴女はまだ修行中の身ですよ?こんなときに出ていくなんて、殺してくれと言っているようなものです!!』


 ルシエラは、語気を強めて反対した。


「だけど……魔獣達だって、何が起きるか分からないんだぞ!?いつも仲良くしてくれる子達だって…どうなるか分からないのに、放っておけないよっ!!」


 俺は、必死だった。いつも、剣技とか、棒術とか、相手をしてくれる仲の良い魔獣達。

 彼らだって、こんな月の夜に不安だろうし、狂った魔獣に襲われないとも限らない。

 なのに……俺一人、この居住区に張られた結界に護られていて、良いのか?

 俺だって、この森の魔女だ。森に責任を負う立場なんだ。


 明日になったら、彼等が居ないかもしれない。

 そうなったら……俺は………。


『仕方ありませんね。家の回りだけなら、認めて上げましょう。ただし、ヴィショップ、何かあったら直ぐにここへ戻るのですよ?』





 居住区を出て直ぐ、それらの声は……息吹は俺の耳に入り込んできた。


『何て、旨そうな匂いなんだ………引き裂いて、喰らいつくしたい…ジュルリッ……』


『甘い香り……何て美味しそうな匂いなの♪引き裂いて、滴る赤い甘露……私に啜らせてくれるわよね?』


『旨そうだ………全部俺に喰わせろ!お前の全部……俺が喰らってやるよ………』


 近寄ってくる囁く声は、俺を旨そうだとか、甘そうだとか言い、早く喰わせろと急かす。


 恐い………。


 今まで食べ物として見られた事など……そんな風に例えられたことなど無かったのに………。


「な……何だよ?何で………?」


 何で、皆そんな事を言うの?

 どうして、私が美味しそうだとか………。


 嫌………恐い………。


『ヴィショップ!貴女はもう、家に帰りなさい!!結界の内側に急ぎなさい!!』


 体が強張って硬くなる。恐怖に竦んで足が、動かなかった………。




 そんな俺に、赤い目をした魔物は口から涎を滴らせながら、飛び掛かってきた――!!





 そこから先は、何が起こったのか……よく、思い出せない………。

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