ハイフレックス・ライヴ

第43イヴェ 大学の講義とイヴェントにおける相違と差異

 十二月前半の、とある火曜日の夕方の事であった。

 秋人と冬人は、二人連れ立って、渋谷に向かうべく、東京メトロの副都心線の中にいた。


「シューニー、今回は、本当に助かったよ」

「フユ、いったい何がさ?」

「実は、僕、火曜日・五時間目に講義を取ってんだけど、ぶっちゃけ、〈ハイフレックス〉講義じゃなくって、〈対面〉講義だったら、今日のライヴ、やばかったかも。

 だってさ、五限の終了が十八時なんで、今日のライヴ、間に合ってもギリギリか、もしかしたら、ちょっと遅れたかもしれなかったんだよね」


 冬人は、通常、火曜・五限の〈ハイフレックス〉講義は、〈リアル・タイム〉で受講しているのだが、今日この日に限っては、講義とライヴが被ってしまったため、オンデマンドでの受講を選択したのであった。


 二人が通っている大学では、講義形態は、これまで大きく二つに分けられていた。

 まず一つは、教室に、教員と受講生が集まって行われる、伝統的な受講スタイルだ。

 そしてもう一つが、オンライン授業、あるいは、オンデマンド授業と呼ばれている講義で、これは、インターネット上にアップされている撮影済みの動画を、受講生が、自分の好きな時に受講できる、というものであった。


「それにしても、大学の講義って、ライヴと一緒だよな。

 つまり、〈現場〉が教室で行われている講義で、動画の〈配信〉が、オンライン講義に相当するように思えるんだよね」

 三年生の秋人は、そう、一年生の冬人に語ったのであった。


 実は、十年以上前から、大学では、オンデマンド授業が行われてきたのだ。

 だが、感染症のパンデミック以前には、〈オンライン〉と、〈オンデマンド〉は、ほとんど同義であり、それらは、あまり区別されずに使われていた。

 厳密に言えば、オンデマンド授業は、オンライン授業の一形態に過ぎない。

 しかし、感染症の流行以降、大学における〈オンライン授業〉とは、必ずしも、〈オンデマンド授業〉を指し示す分けではなくなった。

 つまり、オンライン授業の在り方が多様化し、それに応じて、形態も細分化されたのだ。

 そして、オンライン講義は、そうした遠隔講義の総称として用いられるようになったのである。


 今や、教室で行われる授業は〈対面授業〉と呼ばれている。

 〈対面〉は、教室で受講するのが当たり前の頃には存在しなかった呼び名で、これは、〈現場〉で行われるライヴが、〈リアル・ライヴ〉と呼ばれるようになったのと似ている。

 ライヴが、ライヴ・ハウスやコンサート・ホールでの生歌唱が当たり前だった時には、わざわざ、〈リアル〉なんて形容詞を付ける必要などなかったのだ。

 教室という現場での〈対面〉講義に対するのが、ネット上で展開される〈配信〉講義である。

 大学の〈配信講義〉もまた、音楽の〈配信ライヴ〉に似ているな、と一年生の冬人も思っていた。


 そして、大学におけるオンライン講義、いわゆる〈配信〉は、その在り方によって、さらに二つに分岐しているのだ。

 撮影済みの動画を、自分の好きなタイミングで受講する〈オンデマンド授業〉、これは以前から存在してきた形式だ。

 そしてもう一つが、感染症以降に積極的に用いられるようになった〈リアルタイム・配信授業〉で、これは、講師が授業を配信しているのと同じ時間帯に、学生もオンライン上で同時に授業を受ける、というものである。


 今年度の前期は、大学キャンパスへの出入りが、ほとんど禁じられていたため、実は、対面授業は一つもなく、全てがオンラインで行われ、結局のところ、受講形態は、リアルタイムかオンデマンドのいずれかであった。

 しかし、後期に、ある程度の出校が可能になると、講義の中には、大学キャンパスで〈対面〉を行いつつ、同時に〈配信〉も行うスタイルの講義が出現し、こうした異種混交形式は、〈ハイブリッド授業〉と呼ばれるようになった。

 これも〈現場〉でライヴを行いつつ、同時にその模様を〈配信〉する、いわゆる、〈ハイブリッド・ライヴ〉と全く同じである。

 そして、大学では、さらなる新たな形式の講義スタイルが提唱され、それは、次のように命名されたのであった。


 ハイフレックス授業


 〈ハイフレックス〉とは、〈対面〉講義を同時〈配信〉する、いわゆる、〈ハイブリッド〉形式をとりつつも、その講義の記録動画を、オンデマンド講義としてもアップし、期間内の任意のタイミングで受講するというものである。

 つまり、〈対面〉と〈リアル・タイム配信〉の混交である〈ハイブリッド〉に、受講生が好きなタイミングに視聴可能な〈オンデマンド〉機能を付加したもので、〈対面〉、〈リアル・タイム配信〉、あるいは、〈オンデマンド〉という選択肢を、学生が自分の状況に合わせて柔軟に選択できる、といったものなのである。

 ちなみに、この〈ハイフレックス〉という語は、〈ハイブリッド〉と〈フレキシブル〉を組み合わせた造語の省略形であるそうだ。


 つまるところ、対面授業は、〈現場〉でのリアル・ライヴ、〈配信〉に関しては、大学もライヴも、リアル・タイムもあれば、オンデマンドもあり、さらに、〈現場〉と〈配信〉の混合である〈ハイブリッド〉型、そしてこれに加え、ハイブリッドにオンデマンド配信を加え、選択の自由度が増した、〈ハイフレックス〉型、これはまさに、ハイブリッドに、アーカイヴが残るタイプのライヴ〈配信〉と全くもって酷似している分けだ。


 そして、この日のライヴは、いわば、〈ハイフレックス〉型で、〈現場〉でも、〈リアル・タイム〉でも、あるいは、後から、〈オンデマンド〉でも視聴できるというスタイルがとられ、こうした選択の自由度が、一つの〈ウリ〉になっていたのである。


「でもさ、シューニー、これ、不思議な感覚なんだけど、入学してからずっと、オンラインでしか講義を受けていないので、もはやこれが当たり前って感じになっているんだよね。

 で、大学の講義は、別にオンラインでも構わないやって気になっているんだけれど、大学の講義とイヴェントって、めっちゃ似ているってのに、ライヴに関しては、〈配信〉でも構わないじゃんって気には全くならないんだよね。

 まあだから、〈配信〉でも視聴可能なのに、わざわざ〈現場〉に足を運んでいる分けなんだけどさ」


 そんな事を話しているうちに、緩やかな坂を上り切って、イヴェンター兄弟は、渋谷公会堂にたどり着いたのであった。

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