第42イヴェ ハイブリッド型のアニメ・コンテンツ・イヴェント

 『剣技イン・ザ・ネット』は、文庫本発行開始から十周年を迎えた二〇一九年の八月の時点で、全世界での累計発行部数が、二千二百万部を超えるライト・ノベルであった。そして、この小説を原作にしたアニメの第一期は、二〇一二年の七月・十月期に全二十五話、プラス特別番組一話、そして第二期は、二〇一四年の七月・十月期に全二十四話、プラス総集編一話、そして、二〇一七年二月に公開された劇場版アニメを経て、二〇一八年十月から二〇二〇年九月まで、第三期が、分割四クールで計四十七話、プラス総集編一話、特別番組一話、すなわち、三期・合計百話も放映された、日本を代表する、ライト・ノベル原作の大ヒットアニメ作品なのである。

 この約八年に渡る息の長いアニメ作品は、二〇二〇年九月末、つい先日、第三期の最終回を迎え、この日のイヴェントは、その大団円を記念したものであった。

 実は、立川の前日に、所沢のサクラタウンで行われた聖地縛りのアニソン・リアル・ライヴにおける、主人公が川越出身の作品は、まさしく、このメガヒット作品なのであった。


 昼公演に関して、佐藤兄弟が引き当てたのは三階席であった。

 たしかに、この施設は、どこからでも観易い構造になっているのだが、それでもやはり、三階からだと、ステージまでの距離は遥か彼方なのだ。だがしかし、夜の方は、一階席の前方部が確保できている。

 そこで二人兄弟は、三階席の昼公演の方は、きたるべき良席の夜公演の〈予習〉だと割り切ることにした。


「ところで、シューニー、僕、こういったアニメ作品のイヴェントって、参加するの初めてなんだけれど、大体、どういった感じなの?」

 弟の冬人が、兄にこう問うた。


 秋人の方は、これまで、幾つかのアニメ・コンテンツ系のイヴェントに参加した事があった。その多くは、製作者側の人間に声優が交わって、アニメ製作時の裏話についてトークしたり、あるいは、キャストがゲームをしたり、といった感じのもので、こういったタイプのイヴェントに歌い手が呼ばれた場合には、そのアニソン・シンガーは、そういったトークやゲームに参加する場合もあるのだが、多くの場合は、トークや、ゲームコーナーが終わった後に、別枠で歌唱コーナーが設けられ、そこで、テーマ曲を歌唱する、というのが、この手のイヴェントの典型となっていた。


 だから、そういった経験に基づく思い込みから、秋人は、明らかに気を抜いてしまっていたのだ。


 イヴェントの開始を告げるベルが鳴り止んだ、その直後――

 いきなり歌唱が始まったのである。


 しかも、一番最初に歌ったのが、秋人が〈激おし〉している、同郷のアニソンシンガー、あの翼葵(つばさ・あおい)だったのだ。この夏に予定されていた葵の全国ツアーは全ての公演が中止になっていたため、秋人が、今年、翼葵の生歌を聴くのは、この日・この時が、実は初めてであった。


「まじかよ」

 秋人は、気持ちを立て直そうと試みたのだが、曲に完全にはまり込めないうちに、歌唱は終わってしまい、翼葵はそのまま舞台から退いていった。


 その後、展開されたのは、これまで秋人が経験した事がないタイプのコンテンツ・イヴェントであった。


 ステージ上では、今回の第三期のエピローグが、声優たちによる〈朗読劇〉として繰り広げられ、それを、ステージ上で展開される物語の枠組みとし、主人公が過去を回想するという形で、第三期のアニメの総集編が導入される、という形であった。

 そして、第三期の印象的なシーケンスの抜粋が、ステージ上の巨大スクリーンに映し出されてゆくと、その映像に合わせて、声優たちが、その場で声を当ててゆくというスタイルであった。


 ただ単に、受け手への提示方法が〈現場〉と〈配信〉の混交になっているだけではなく、イヴェントの内容面にも、アニメ映像と声優の生演技による〈ハイブリッド〉性が認められるように秋人には思えた。


 このような、アニメのシーンに〈生演技〉を合わせてゆくタイプのイヴェントに参加したのは、秋人も初めてであった。

 これは、主人公役の声優が後で語っていた事なのだが、その声優自身、こういったタイプのハイブリッド・イヴェントを経験したのは、声優人生において初めて、との事であった。

 つまり、これは、まったくもって、新機軸の演出と言えよう。


 さらに、である。

 これまでのコンテンツ系のイヴェントでは、多くの場合、アニメ・ソングは、メイン・コーナーの前後に、独立したコーナーとして置かれてきたのだが、今回のイヴェントに関しては、アニソンは、ステージ上で展開される物語のオープニング・テーマ、挿入歌、エンディング・テーマとして、物語内容を生歌で彩る、という贅沢な用いられ方がされていた。


 こうしたアニソンシンガーの起用法に関して、アニソン〈だけ〉が好きなイヴェンターの中には不満を覚えたり、これまでのように、イヴェントの前後にまとめてアニソン・コーナーがあった方がメリハリがあり、その方がよかった、と思うヲタクもいるのは確かだ。

 だが、秋人は、今回の新機軸の演出に面白さを覚えていた。

 というのも、秋人は、アニソンとは、アニメの内容の質をより高めるための特別な存在だと考えているからだ。

 つまり、アニメの物語が、ステージ上での声優によって生で演じられ、さらに、ここで来て欲しい、と思えるような最適なタイミングで、アニソンシンガーの生歌唱が挿入され、その生歌が、アニメ視聴時に心を揺り動かされた数々のシーンを想起させてゆくのだ。

 まさしく、これぞ、〈アニソン〉の真髄なのでは、と秋人には感じられたのであった。


 そうして、昼公演が終了した。


 三階席の昼公演では、大人しく様子見をしていたのだが、夜公演の方は一階席だ。

 座席は一席置きで、声出し禁止が、イヴェントのルールとして記述されていたのだが、着座が義務だとは書かれてはいない。つまり、起立禁止はルール化されてはいないのだ。


 夜は、折角の一階席の前方部である。

 秋人は、せめてアニソン・パートだけは、普段のライヴ同様に立ち上がって、演者のパフォーマンスを盛り上げよう、と心に決めた。

 入場してみると、兄弟に指定された席は、偶然、知り合いのイヴェンターである〈コマさん〉の近くであった。


「シュージンさん、どうする? 立つ? それとも、座って観る?」

 そう尋ねられた秋人は、コマさんにこう応えた。

「自分、もちろん、立ちますよ。こういったコンテンツ系のイヴェントでは、うちらみたいなアニソン系の人間は少数派かもしれませんが、だからこそ、歌唱パートでは、僕らは、演者の歌で盛り上がって、かつ、演者を盛り上げなくっちゃ。

 それこそがイヴェンターだと思うんですよ。ここで着座したままじゃ、名折れです」

「オッケー、分かった」

 このように、偉そうに語った秋人ではあったが、近くに、コマさんがいたことで、実は心強くなっていたのだ。周囲のほとんどが座っている状況で、自分だけが立つというのは、実は相当な心臓の強さが必要なのである。

 かくして、秋人は、一階席で、仲間たちと共に、夜の部を、アニソンシンガーの歌唱も、キャストの生演技も、すなわち、このハイブリッド・イヴェント全体を充分に楽しみ尽くしたのである。


〈参考資料〉

〈WEB〉

 「施設概要」、『立川ステージガーデン』、二〇二〇年十二月十七日閲覧。

 「シリーズ累計発行部数」、『ラノベニュースオンライン』、二〇二〇年十二月十七日閲覧。

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